■ 3

「"友達"…"友達"なぁ……」

 昨日と今日と明日だけでやっとな子供時代の記憶はいつだって錆色だったが、それでも僅かに、そういう存在に触れられる機会もあったのだと思い出せる。小さな身体で泥水を啜り年長者や大人たちから隠れるように暮らす中でも、同じような境遇の子供達と身を寄せ合い笑みを交わす瞬間はあった。
 けれども。盗むことや奪うことに慣れきってしまえるまで生き延びられる者は少なくて、かつての気弱な少年が彼自身が恐れていた搾取する側の"年長者"となる頃には状況は一変していた。それから先にも、ろくな思い出はない。やっとの思いで紛れ込むことに成功して、さあここからは"まともなフリ"をして生きるのだと決めた筈の表の世界ですら、満足な居場所が築けないまま蹴り出された。まあ、今となってはどうでもいいことだけれど。
「オレの思い違いなら悪いんだが。ならあんたは、"友達"でも遠慮なくつきだすような女なのか?」
「そりゃまあ、友達以前に賞金稼ぎと賞金首って関係だしねー」
 すっかり馴染んでしまった首元に手をやりながら口先だけの非難を向けたところで、案の定ひとかけらの動揺も引き出せない。
 少しくらい慌てたり、怯んでくれればまだ可愛げがあるというのに。
 つまらないので、もう一突きを試みる。さあ、今度こそは少しは困ってくれるだろうか。
「…そんなら……仮に"友達"が賞金首になったらどうするんだ?」
「うーん。まあ金額にもよるだろうけど放置かなぁ面倒だし。強い人が多いからそうそう捕まってくれないだろうし、下手にやりあって後々まで気不味くなるのも嫌だしね」
 これもまた、なまえにはチクリとも刺さらなかったらしい。こうなればもう脱力するしかない。
 だが、「自由なもんだな」と聞き流しかけてふと覚えた違和感にビノールトは振り返った。彼女の言葉からは、善悪への認識がまるごと抜けてはいないか?

「そりゃあこの世界で生きてりゃ、ブラックリストに名前のある知人友人なんてざらだもん」
 ふふふとあっさり笑い飛ばされてしまえば、それ以上野暮を問うのも馬鹿馬鹿しくなってくる。
 どうやら、ビノールトが"人でなし"なりに持ち合わせていた知識による世間一般での"友達"の概念と、彼女のそれは幾らかズレているらしい。もっとも、まともな神経や倫理観を持ち合わせていたなら、食人鬼相手に友達になってあげるなんて馬鹿なことは言わないだろうし、万一思ったところで実行に移そうとするわけがない。


 どうせ一緒にいるのもあと数日だ。
 今ここで何を返そうと何を言おうと、どうせその後はお互いの道は交わることはない。
 そう考えると、この風変わりな女との時間も悪くないように思えるのだから……ヤキが回ったものだと自嘲する。散々悪どい生き方をしてきた。よくて極刑、悪くて終身刑──どの道、二度とは戻って来れないだろう。けれど、そもそもはあの少年たちに殺されていた筈の命である。
「まあ…なァ……最後の最後でこんなふうに送ってもらえるなら、結構いい最期って呼べるのかもしれない…な……」
「あら勿体無い。改心のセリフならこんなところじゃなくてもっと公の場所で、偉い人に向かってアピールしなきゃ」
「……違うって。今更、情状酌量なんてもの期待しても無いし……ただちょっと、あんたにくらいは言っておいてもいいかと思っただけで……」

 なんだかんだで久しぶりに楽しかったとか、あんたが思っているだろう以上にオレには特別なことなんだとか。言いたかった筈の言葉は情緒を酌んでくれないこの無粋な女のおかげで飲み込む破目になってしまったけれど、それでも確かに、この胸の内に存在している。


 だから、そう。
 ここで終わってしまえるなら、それがいい。



  ***



 じゃあね、いってらっしゃい。
 こんな瞬間にすら、あんたはそんなふうに笑えるのか。なまえというこの女はやはりどこかおかしいのかもしれない。とはいえ大げさに惜しまれたとしたら、それはそれで酷く嘘くさく薄っぺらく思えるのだろうけど。


 漠然と、あとしばらくこの旅が続くと思い込んでいた。
 それがただの勘違いであり、思い込みであり、いかに手前勝手な望みだったのかを、飛行船の出口にずらりと並んだ黒服たちによって突きつけられる。


「お迎えご苦労様でーす」
 後ろに立つ女の場違いな明るさが、容赦なく心臓に風穴を開けていく。
 それでも。そこでいつものように自棄になることなく両手を差し出せたのは、これが裏切られたわけでもなければ騙されたわけでもないと理解出来たからだった。いや、ただ単に、そう思ってしまいたかったから、かもしれない。少なくともなまえは今日この瞬間まで、冗談にしか聞こえない本気は口にしても、本気に取れるような嘘は吐かなかった、筈だ。"嫌いじゃない"と言ってくれた。"友達になってあげる"と笑っていた。
 せっかく悪くはない気分でいられたのだから。この後に及んで、更に惨めにはなりたくなかった。

 外の見えない車の向かう先がどこなのかは知らされなかった。というかそれどころではなかった。
 やがて、手足だけでなく五感にまで及んだ拘束を解かれたビノールトがあたりを見渡すと、そこはこれからの展開を思うと不自然な程にありきたりなビルの一室だった。ついでに言えば、殺風景な部屋に似合う安っぽいパイプ椅子に腰掛けているのはなまえである。
 あの流れでどうしてこうなっているのかは全く理解出来ないが、いくら見回してみてもここには自分と彼女の二人だけらしい。

「え、ここって……? おい、なあ、どういうことだ」
「見ての通り控え室だよ。あ、なんで私だけって? そこはほら、せっかくこんな高性能な拘束具が付けられているんだから、ギリギリまで活用しましょってやつよ」
 ちょいちょいと動く指先に導かれて自身の首に手をやれば、なるほどそこにはまだ彼女に巻かれたロープがある。
「一応何人かは外に控えてはいるけど。ほら、能力者相手だと色々対応が難しいらしくてね。ヘタに人数と手間をかけるより、私だけに任せちゃおうってことになったの。ああ、気にしてくれなくても大丈夫だよ。ちゃんと別料金で貰ってるから」
「いや、だから、どういうことか──」
 最初から説明してくれ。言いかけたところでタイミングよくノックの音が響く。
 待ってましたとばかりに跳ねたなまえに扉まで連れられて、言われるがまま腰を落とせば柔らかい指が首に這わされ──首のロープをそっとひと撫でして離れていく。今ではもう特に重いとも感じていなかった筈なのに、肩が軽くなった気がするのだから妙なものだ。
 そんな場合では無いのに、今ここで念を解く女に対して馬鹿だなあと呆れてしまう。いくら周りに人がいようと、二人きりには違いないのに。たとえ逃げ延びることは出来なくても、一矢報いることは出来てしまうのに。 
「おいおい……ほどいたり切ったりってのはしねぇのかよ……」
「大丈夫。今ので充分解除出来てるから」
 いや待て、そういう意味じゃなくて。どうせならちゃんとロープも解いてくれ。このまま拘置とか絶対おかしいだろ。
 けれどそんな懇願は「ほらほら早く行かなくちゃ」と軽やかに切り捨てられ、半ば無理やり握らされたドアノブをかちゃりと回せばその先には誰かの力が充満していた。なんだこれと振り返れば、にこにこ笑って手を振るなまえと目が合う。この十数日ですっかり見慣れてしまった表情だ。
 ああそうだ。そうだった。この女は、裏切ろうとも騙そうともしないのだった。ただ、圧倒的に言葉が足りないし、思考の流れが読めないし、気ままなだけで……。

「じゃあね、いってらっしゃい」

 どこまでも説明を省くつもりの女を諦めて仕方なく一歩を踏み出せば、途端に空間が歪み足裏が知らない床を蹴った。この感じには覚えがあった。空間移動もしくは空間縫合というところか。どちらにせよ、便利な能力ではあるが移動の度に立ち眩みに襲われるのは歓迎出来ないな。そんなことを思いながら慣れない感覚に乱れた呼吸を整える。ここはどこだ。何が待ち受けている。


 くらくら揺れ続ける視界の先で小さな影がぴょこんと動いた。
 それが何かと目を凝らすよりも先に、聞き覚えのある声に「よお、ビノールト」と呼びかけられる。

「よいせっと。さて、息災か……と尋ねる意味はないな、うむ。どうやらお前さんもついに年貢の納め時のようじゃのォ」

 とぼけた口調でゆっくりと話す声は老人らしくはあるが、好々爺と呼ぶにはどこか得体がしれないニオイが漂うその声を確かに知っていた。そして事実、彼はただの老人ではなく、どちらかといえばかなりタヌキな分類であり妖怪であり、ある意味ではその力と存在は神のように遠く、絶対的であるということも。
 桁違いのオーラと完璧に鍛え上げられた肉体を、忘れられるわけがない。
「……え……ネ…ネテロ…会長……?」



(2016.09.10)(タイトル:いえども)
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