■ 王様は誂えた必然を舌先で転がす 上

 そういえばこの人ってあのゲームに"潜んで"いたのよね、と思い出すのは例えばこんな時だったりする。
 あーあ、またか。小さく呟いて振り返ると、そこには案の定ぎらりと輝く揃いのダガーを振り被った男たちがいた。男たちから庇うようにビノールトが一歩前へと歩み出る。まさに一触即発という状況である。
 けれどここでゴングを鳴らすわけにはいかないのだ。とっさに裏通りへと入ったとはいえ人目もあるし、無駄な消耗は避けたいし。おまけに多分この襲撃が私の予想通りなら、不毛なことこの上ないケンカになってしまう。そんなことは真っ平御免である。

「追い詰めたぜぇ、賞金首ビノールト!」
「ちょい待ち。それ誤解だから。まあその殺気を引っ込めて、どうか最新版のリストで確認してみて下さいよ。この人の賞金はもうとっくに外れてるから」
「ああーん? 誰だテメェ」
「監督者のハンターでーす。ここで無益な殺生を重ねるのはおすすめいたしませんよ、ショルート組のお兄様方」

 訝しむ男たちに向けてぴらりとライセンスを掲げてやれば、毎度のことながら効果はてきめんである。そして殺気より困惑が色濃くなったところに追い打ちとして書類を見せれば、大概の賞金稼ぎはこれで引く。尤も彼らとしては、私の言葉が全てデタラメだったり、登録抹消の決定通知書が偽物だったりという可能性も十分有り得るのだろうけど……まあ、それは大体の場合はうまく収まる。
 だって彼らは悪を粛清する正義の使者ではなく、金を稼ぐ手段としてこの人を標的にしただけなのだから。


  ***


「あーあ、それにしてもいちいち面倒ね。意外とみんな古い情報ばっかりアテにしてるし」
「……しゃあねーだろ。新しい名前は見ても古いとこまでは追わねぇもんだ。リストの後ろなんてものはそうそう変わりゃしないし」
「あらら、あっちの肩を持つの?」
「いや別にそういうつもりじゃ……」
「まあでも最近は随分減ったよね、さっすが私!」
 そう言って"凝"でビノールトを振り向くと、袖口から伸びるオーラの先がよく視えた。男の体に巻きつくようにカーブを描くラインの終わりはちょっとした文字になっている。「mine →」という単純明快なオーラによるラベルは我ながらいい思いつきだった。これくらいなら、出しっぱなしでも疲れない。いつかの荒縄のアレを続けるよりもはるかに楽だし、なにより前方後方問わず遠くからでもよく視えるのがいい。
「……素でやってるのがタチわりぃよな」
「何が? 実際効果があるんだからいいじゃない?」
 確かに若干悪目立ちする方法ではあるけれど、念能力者ならすぐに気がつく。賞金稼ぎ連中相手には随分効果的だと言えるだろう。どういうことだと立ち止まった彼らがそのままちょっと確認してさえくれれば、何も起こらないまま終われる。
 となれば後は、念の使えない一般賞金稼ぎか、全く聞く耳持たずという本気で危ないレベルを相手にするだけで済む。ちなみに話し合いでどうにかならない相手だったらビノールトにお任せである。ちょっと過激なことになろうが、そこは果敢に正当防衛を主張しよう。

 けれど、そうそういつも都合良く進むとは限らない。
 例えばそれは今みたいに。

「チッ。なるほどなァ。そんでアンタは晴れてこの女の奴隷ってわけだ……クズが命拾いしたなァ、俺ならそんな犬っころみてぇなマネはゴメンだぜ。そんなにテメェの命が惜しいかねェ。つーか俺なら、頼まれてもいらねーけど。さてはよっぽど上手く取り入ったんだなァ?」
 オーラ文字を視て諦めようとしたが、そのまま引き下がるのは癪だったのだろう。わざわざ「敵意はねーんだけどよォ」と声をかけて来た男は、路地を曲がった途端に表情を歪めてそう言い放った。一体何をと振り返ったところで、舌打ちとともに吐き捨てられた唾がビノールトの服を汚していることに気がつく。
 聞きたくもない言葉を聞かされただけで既に心象は十分最悪だったのに、さらにこれでは奥歯をぎりりと鳴らさずにはいられない。多少の戯言なら大目に見てやるつもりはあったが、いくらリンゲン島の海のように広く深く暖かく凪いだ心を持つこの私としても今の暴言を微笑んで聞き逃すような真似は出来やしない。
 そして当然ながら腹を立てたのは私だけではなく、ビノールトの纏う気配にもみるみる変化が現れる。よし、さあ行けビノールト!
 けれど、なぜか彼の足は一歩も動くことがなかった。一方の男は、吐き捨てるだけ吐き捨ててさっさと身を翻しているというのに。なのになぜか、ビノールトはただそれをじっと見送ろうとしていたのだ。

 このままでは、あの男は立ち去ってしまう。
 ビノールトにその気がないなら、仕方がない。噛みしめていた歯をもう一度だけ不愉快に擦り合わせて、口を開くことにする。

「ねえちょっと、待ってくださらない? そのケンカ、このわたくしが買って差し上げる」

 男の足が止まった。駆け寄った先でビノールトの袖をちょいちょいと引けば、信じられないものを見るような顔をされた。不思議だ。
「なに言ってんだ、あんた。面倒ごとは避けたいんだろ……?」
「面倒とか面倒じゃないとか、そういうことじゃないのよ。あれに今、明確な意図のもと侮辱されたのよ。 ならばこれは誇りに基づく権利の行使であり、ここで鉄槌を下さないなんてことがどうして有り得るのかしら」
 ぐらぐらと身の内から湧き出てくる怒りと不快感を隠す気もないままそう告げれば、溜息とともに「これまた、珍しくブチ切れてんなぁ」と他人事のように返された。当たり前でしょうが。むしろ、あなたが平然としすぎているのよ。
 答える代わりに、すっかり気分を逆撫でされた様子の男に向かって声を張る。
「聞いたでしょうビノールト。この男、あなたのことを"奴隷"だと言った上で更に侮蔑を重ねたのよ? わざわざ"奴隷"や"犬"呼ばわりするなら当然、この私が"主人"だと認識してのことよね? ならばそれは、このなまえ=苗字への侮辱に他ならない」
「ハァ? 何言ってやがるこのアマ──」
「あら無自覚? でも残念もう遅い。優しい私が足りない頭でもわかるように教えてあげる。"奴隷"ってのは"主人"のものなの。"あるじ"が選んで認めて所有することに決めた、大事な大事な財産なの」

 謂わば先程の男の行為は、持ち主の前で調度品を貶す行為だ。それを選び、傍に置くことにした選択自体を嗤い、あまつさえ踏みにじり、唾を落とした。例えるなら、無理やり上がりこんできた不躾なセールスマンに家を嗤われ、カーテンで泥をぬぐわれ、テーブルクロスに唾を吐きかけられたようなものとでも言おうか。



(2016.11.22)(タイトル:いえども)
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