リビドーの混沌 - 春風
露呈と邂逅は唐突に

松岡凛

「松岡ァ、移動しようぜ」
「んあ?おー」

俺を呼ぶ友達の声に、今まで朦朧としていた意識が一気に現実に引き戻される。つまんねぇ先生のつまんねぇ英語の授業がやっと終わった。次は好きでも嫌いでもない体育だ。


「なぁなぁ、今日ってバスケだっけ?」
「いや、確かバレーって言ってたろ」
「マジかよ!俺バレー苦手なんだよな〜」

金髪に染めてピアスを数個付けた派手で軽いなりをしているけれど、意外なことにもう付き合って三年も続いている彼女がいる友達が大袈裟に顔を歪めて嘆いてみせるのを横目に、放課後の部活の自主トレメニューを頭の中で考える。


「…おい松岡、俺の話聞いてんのかよ?」
「おー聞いてる聞いてる、バレー大好きって話だろ」
「全然ちっげーよ!!」

そんな下らないやり取りをしながら、体育館に繋がる廊下を歩いていた、その直後のことだった。


「ッ?!」

──噎せ返るような甘い香りが、中枢神経を麻痺させる。


「(何なんだよ、コレ…!!)」

中庭に植えられている花の匂いが風で香ってきたのかと思いきや、その匂いは薄まるどころかむしろどんどんとその存在を強く主張していく。まるで平衡感覚が根本から失われたかのような、グラグラとしたある種の気持ち悪さすら感じた。


「…ワリ、先行っててくれ。ちょっと便所行ってくる」
「おう!遅れんなよ〜!」

そう。こんならしくもない行動を取ったのは、本当にたまたま、何となくだった。
このねっとりとした甘く芳しい匂いの正体を、ただ何となく知りたくなっただけで。


匂いの元を探って小走りで向かうと、普段から人気がなくあまり使われていない裏校舎の一階のトイレへと辿り着いた。
すると、その甘ったるい匂いと共に、ガタガタという物音と騒ぎ立てる人の声が聞こえてきた。

「──、─!」
「───!!」


分かってしまった。
──この違和感は、情欲だ。それも、理性の関与と統制の一切を優に凌駕する、暴力的なまでの生体反応。人間の意思のあれこれなんて軽く吹っ飛ばしてしまうような、絶対の力。
そして。

「離して!!離せ!!」

「!!この声、まさか…」


水泳部に入って、最近よく話しかけてくる同室の後輩。随分と華奢な体だとは思っていたが、水泳部にはそんな男は稀にいるため、大して気にしたことなかった。
食い縛った歯の間から苦しげに漏らされている吐息。力なく座り込んだ脚にガクガクと震える腕。


「…似鳥?」

まさか、アイツが。部活の後輩が、同室の後輩が、──オメガだったなんて。

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春風