リビドーの混沌 - 春風
各々へ訪れる変革期

魚住拓也

ある日の俺は、ついに見つけてしまった。


「(アレが、噂のオメガの野郎か…)」

雪のように煌めく白い肌に、花の花弁のように赤く色付いた唇。制服の上からではあまり分からないけれど、体躯は見るからに小柄だから、きっと身体も細くて女みたいなんだろうと軽く予想が付いた。


自分の学年にオメガがいるという噂が広まったのは、入学して一ヶ月くらい経った頃の一年の時だった。けれど、噂のソイツは俺とは同じクラスではなく、更には隣のクラスでもなかったため体育などの合同授業がある訳でもなく、そしてこの広い鮫柄では廊下で偶然に出会うなんてこともなかった。それに部活も違っていた。放課後に探すという手もあったが、何せ当時一年だった俺は、毎日部活で忙しくて部活終わりもそのまま寮に戻る生活のルーティーンで、そんな暇もなかったのだ。


「……」

──似鳥がオメガだと知らされたのは、つい先日のことだった。

正直、似鳥は普通にベータだと思い込んでいたから、これはかなりの衝撃だった。けれど、似鳥は同じ部の仲間だし、そんな目で見ることもなかったから、改めて意識することは特になかった。言われてみれば確かに小柄だな、くらいの認識だ。それに対しての偏見は皆無だった。


しかし、このタイミングでの出会い。これは何らかの運命なのかもしれないなんて、らしくもないことを考えてしまったのだ。

胸同士を軽くぶつけて、ソイツと軽く言葉を交わして、俺のことを認識してもらおう。要するに、少しお近付きになっておいて、…なんていう、ほんの軽い下心だ。
そう意気込み、俺は少しだけ足を早めて廊下を再び歩き始めた。幸い俺の姿は、廊下が混み合っているせいで、ソイツからは丁度死角になっている。


向かい来る少しの衝撃に、軽く身を固くした。
しかし。


──ドォンッ!!

「ッ?!」


思わず息が詰まる程の衝撃。
オメガというのは総じて華奢だと思っていた過去の俺を、どうしようもなく馬鹿だと罵りたい気分になった。


「(この硬ぇ体のどこがだよッ…?!)」

──宙を舞いながら、俺はさっきまでの愚か過ぎる自分の考えを心から後悔した。


「お、おい、大丈夫かよ!」
「今ソイツ飛んでいったよな…?」

ざわざわと騒めく周囲。暫く廊下に倒れ込んで、今起こったことに頭が追い付かないでぼんやりとしていると、男にしてはやけに澄み渡ったアルトボイスに、顔を上げた。


「すまん!大丈夫か?」
「あ、いや!そんな、俺の方こそ余所見してたから…!」

正直めっちゃ痛い。床のリノリウムに打ち付けた尻は当然だけれど、何よりも真正面からぶつかった胸板が超痛い。けれど──目の前の整った顔にこちらを覗き込む少し吊り目気味なグレーの猫目を見ていると、そんなことがどうでも良く思えてしまったのだ。


「あの、さ」
「?なんだ」
「お、お前、東雲泉だよな?空手部で有名な!」
「……有名かどうかは知らんが、確かに俺は東雲だ」

第一印象に反してかなり素っ気ない喋り方だったが、それすらも魅力的に思えてならない。


「俺、水泳部の魚住拓也!仲良くしてくれよな!」
「あ…うん」

ベータである俺は、きっとコイツとはそーゆー仲にはなれねぇけど、それならコイツの友達になることぐらいはできるだろう。どうせなら親友の座くらい築き上げてやる。
この時はそう意気込んでいた俺だったが、その後予想を遥かに上回る泉の人に対する無関心さに手を焼くことになるとは、想像だにしていなかったのである。

- 2 / 5 -
春風