後悔の先(後悔の先Y)


ほんの一欠けらでもいい、私の愛情が欲しい。
これほど旦那に似合わない言葉も、存在しないと思う。
私の頭は言われた言葉の意味が理解できず、返事をすることも無くぽかんとした顔で旦那を見上げて固まってしまっていた。
多分物凄く間抜けな顔だっただろうに、旦那は笑うことも茶化すこともせずにただ黙って私を見下ろしていた。

そして20秒ほどかけて言葉の意味を咀嚼し終えた私は、その真っ直ぐな瞳に真摯な光りが燈っていることにようやく気付く。
混じっているのは僅かな不安と恐怖。そしてかすかな緊張が伝わってくる。
そして何よりもあるのが切なさだ。
それを読み取った私は旦那は楽になりたいから言ってるわけじゃなくて、本当に私のことを愛しているのだと嫌がおう無しに思い知らされてしまった。

「ぁ……わ、たし……は」

喉がからからに渇いていた。
ごくりと生唾を無理矢理嚥下した私の頬に旦那の手が添えられる。
そしてゆっくりと近付いてくる整った顔。
口付けられると思ったその瞬間、バタバタと近付いてきた足音に旦那は不機嫌そうに顔を上げた。

「カーティス少将!!」

「どうした、緊急事態か」

「脱獄です!投獄されていた罪人が、牢番を手に掛けて脱獄しました!」

「なに?詳細は」

「はっ。
脱獄者は全員で五名。前国王ルーク・フォン・リツ・キムラスカ=ランバルディア、同じく前女王ナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディア。
マルクトから亡命者、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
ダアトからの亡命者、アニス・タトリンとメシュティアリカ・アウラ・フェンデ。
超振動とユリアの譜歌を用いて牢番二名を殺害、逃走を阻害しようとしたキムラスカ兵七名、一般人十二名、マルクト兵三名に重軽傷を負わせました」

「解った。クリムゾン公爵には伝えてあるな?」

「共に知らせに走ったキムラスカ兵より知らせを受け、キムラスカ軍の中でも信を置ける者達に対し、緊急会議に出席するよう連絡を走らせていました。少将にもおいで願いたいとのことです」

「解った。各師団長も呼べ、伝令を走らせるんだ。かつての英雄とはいえ既に一般市民へ危害も加えている。教団を通じて市民への警告も忘れるな」

「はっ!」

先程までの空気がぶち壊され、一転して軍人の顔になった旦那に再度間抜け面を晒してしまう。
しかし今度は旦那はが私の手を取ってきたために、すぐに覚醒することができた。
そして私が展開に着いていけていないのを解っているだろうに、旦那はいつものように言葉を重ねる。

「ルビア、そういうわけですから私は行かなければなりません。
恐らく彼等は自分達を絶対正義だと信じ、再度上層部に乗り込んでくるでしょう。
出入りが自由になってしまっている王城よりも、白光騎士団が守護しているここの方が安全な筈です。
公爵には話を通しておきますから、貴女はここでお世話になってください」

「え……」

「貴女は戦う力を持たない。そして私は貴女を守ると約束しました。
居心地は悪いでしょうが身の安全には変えられません。我慢してくださいね。

そしてできれば、事態が落ち着いてから先程の返事を聞かせてくれればと思います」

そう言って私の手に口付けを落とし、旦那は近くに居た白光騎士団の人に私を預けて颯爽と行ってしまった。
私の意志は丸っと無視された形になるわけだが、この場合は仕方ないと諦めるべきなのだろうか。
旦那の背中を呆然と見送った私の肩にぽんと手を置いたのは、私を預けられた白光騎士団の一人だ。

「まあアレだ、がんばれ」

そう言った男の声には聞き覚えがあり、それがかつて仲が良かった騎士団員の一人だと解ったとき、私は嫌がらせと久しぶりだなという挨拶の意を込めて、昔のように兜の房を思い切り引っ張るのだった。




   ■ □ ■ □




かつての英雄達は一夜にして犯罪者に成り下がった。

国王だったルーク・フォン・リツ・キムラスカ=ランバルディア。
一時は鮮血のアッシュとして稀代の大犯罪者ヴァン・グランツの配下として暗躍し、あのタルタロス襲撃事件の一員にしてカイツール軍港襲撃事件の黒幕だったらしい。
私にとってはルーク様の残した軌跡を掠め取った卑劣漢でもある。

女王だったナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディア。
王家の血を引かず預言によって王女となった、預言に支配されていた時代を髣髴させる女王だ。
慈善事業に力を入れてはいるものの、それらは独善的で自分の価値観に合わないものは排除しようとする上、犠牲を省みない上っ面だけの性格の持ち主だと言う。

マルクトからの亡命者ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
ここではガイ・セシルという名前の方が通るだろう。ホドの遺児にして復讐者、しかもヴァンの協力者だったというではないか。
人当たりのいいあの態度は演技だったのだろうというのがもっぱらの噂だ。

元導師守護役にして導師殺しの罪を犯したアニス・タトリン。
預言のためならば導師の命も厭わない元大詠師モースに対し、金で導師を売った導師守護役。
口も態度も悪い割には男に媚を売ることだけは人一倍得意だったと風の噂で聞いた。

そして元聖女の子孫、メシュティアリカ・アウラ・フェンデ。
大罪人ヴァン・グランツの妹にして、兄が人類滅亡を企んでいたにも関わらずそれを告発することなく見逃していた。
しかもファブレ邸へと眠りの譜歌を用いて襲撃し、一人息子だった公爵子息を誘拐した犯人でもある。


ファブレ家に匿われることになった私は、かつての同僚から入ってくる情報に目をぱちくりさせることしかできなかった。
かつての、という枕詞が着くものの彼等は間違いなく英雄だった筈。
にも関わらずこれだけ悪評が出回っているということは、情報操作がされているのだろうと嫌でも解った。

恐らく新体制を築きたい人々にとっては丁度良かったのだろう。
憎しみのはけ口を作り、ある意味過去の象徴でもある彼等を処刑する事で過去との決別をアピールできる。
そのためにはかつての英雄象を覆す必要があり、実際は悪であったと証明しなければならないのだ。
その点、汚点を抱えてた彼等は非常に都合が良かったのだろう。

「そうね、その中にお腹を痛めて産んだ息子が混じっていることに何も思わない訳ではありません。しかしあの子は道を間違えました。
私達が導いてやれなかった、と後悔するにはあの子は既に年を取りすぎています。
最早庇えきれるものではなく、また庇う気もありません。

……それでも、後悔先立たずというけれど、本当だったのだと思う自分もいるのです。
あの時ああしていればと考えることが今でもあって、あの子達も分かり合えた上で、この家と国を支えていってくれた未来もあったのではないかと、そんなことも考えてしまうのですよ」

公爵夫人とお茶をしながらそんな事も話した。
しかしたらればの話など無意味なことだし、私はそんな未来なんて想像もつかなかった。
そもそもカイツール軍港を襲撃させた時点で国に仕える資格など無いだろうが、あえてそれは口にしない。
ファブレ公爵邸にお世話になり、また屋敷から出られない私は必然的に公爵夫人と過ごす時間が長くなり、そんな話を幾度もした。
私が知らなかったルーク様の新たな一面も知ることが出来たのは嬉しい誤算という奴だ。

そうしてお世話になっている私の元へと、旦那は一日に一度は必ず顔を見にきた。
目が回るほど忙しいだろうに、ひょっこりと顔を出してはもう少しかかりそうだとか包囲網は完全だからそのうちかかるだろうとか、そういう当たり障りがない範囲内で私に現状を教えてくれる。
それはきっとずっと屋敷に居て息が詰まってしまいそうな私への配慮でもあったと思う。
そしてもう一つは、旦那が懸念していたことがあったからだ。

自分達を絶対正義だと信じている彼等は、自分達を捕らえた新体制とそれに協力しているファブレ公爵家とマルクトを悪と見なし、正すために突撃してくる可能性がある。

故にいくら白光騎士団に守られているファブレ公爵邸でも絶対に安全とは言い切れないらしい。
勿論白光騎士団の腕を信頼していないわけではないし、王家への忠誠も無く市民を守ろうとする気概も無いキムラスカ兵が詰めている王城よりは遥かに安全ではあるものの、相手は腐ってもかつての英雄だ。
あのヴァン・グランツを倒した実績は疑いようが無く、実力だけはあるからタチが悪いのだと旦那は言う。

だから白光騎士団すら退けて彼等が襲撃をかけてきた時も、なるほど言った通りになったと、どこか冷静な自分が妙に納得していた。

「……ルビア、貴女は奥へ」

「奥様、」

「わかっています。私も共に避難しましょう。ですが貴女は今、我が家がカーティス少将よりお預かりしている客人の身。
例え以前ここでメイドをしていた身であろうと、私を守ろうとしてはいけません。
メイドも使用人も貴女と私を守りますが、貴女が守るべきは貴女の身一つだけです」

微かに聞こえる歌声、ガラスや食器が割れる音、怒号と悲鳴が響き少しずつ減っていく。
かつてルーク様があの女に誘拐された時を彷彿するような現状に私は自分の血の気が引いていくのを感じながら、公爵夫人の後に続いて廊下を走っていた。

私の周りにはかつての同僚達が各々武器を持ちながら護衛をしてくれている。
更にその使用人やメイドを守るように白光騎士団が囲んでくれていたが、それでも不安は拭えなかった。
事実、あの魔女の呪歌のような譜歌からは……前だって、誰も逃げられなかったから。


トゥエ レィ ズェ クロア リュォ トゥエ ズェ


それは、美しい歌声だった。
しかし瞼が、身体が重くなり、全身に痺れが走る。
立てこもっていた寝室のドアが破られ、朦朧とする意識の中で憎々しいあいつ等がなだれ込んできた。
悲しげな目をしたナタリアとオリジナルルーク……いや、アッシュを取り囲むようにして、旦那を除いたかつての英雄達が部屋の入り口を塞ぐ。

「おば様……どうしてこんな手段を取ったのですか。
こんなことをせずとも、私達は言葉を重ねて分かり合うことができた筈ですわ!」

「母上、ナタリアの言うとおりです。何故謀反など…」

「謀反?何を言っているのやら……私達は謀反を起こしたわけではありません。私達が起こしたのは革命です。
貴方達にキムラスカを任せるわけにはいかないと、そう思う者が大勢居て、それが肯定されたからこそ革命が起きたのです。
そして既に革命は成りました。国民の殆どはこの革命を受け入れています。
早くこの部屋から出て、大人しく縛につきなさい!」

降嫁したとは言え流石は元王族といったところか。
病弱な身である以上、私よりも遥かに重い症状が出ているであろうに短剣を手に襲撃者たちを睨みつけている。
私もせめて眠るまいと自分の手の甲を思い切り抓って痛みで無理矢理眠気を振り払い、襲撃者たちを睨みつけた。
以前一度で倒れてしまった譜歌を聴いて起きていられるのは、恐らくプラネットストームを停止に伴う音素減少によるお陰だろう。
音素の減少に初めて感謝しつつ睨みつけていたら、あの譜歌の使い手が、かつてこの屋敷を混乱に落としいれ今もまた罪を重ねているあの襲撃犯と視線がかち合う。

「……あの子、何?」

「彼女は……ルビアだ。旦那の所に嫁いだここの元メイドだよ。昔同僚だったし以前王宮で会ったから、間違いない」

私の視線が気に喰わなかったのだろう。
少しムッとした表情で呟いた襲撃犯に対し、ガイが私の説明をする。
途端に横でそれを聞いていた人形士が目をまん丸にして、甲高い声で叫んだ。

「嘘ぉ?マジで大佐の奥さん!?つか、何で大佐の奥さんがここに居るわけ?」

「……もしかして、貴女が奥様や大佐をそそのかしたの?」

「元メイドということは既にファブレをやめているのですね?
……まさか、ファブレをやめさせられたことを逆恨みして!?」

「なんだと?だが確かに可能性はあるな…。
いや、女一人が考え付くことだとも思えねぇ。恐らく黒幕が居るんだろう」

目の前で繰り広げられる勝手な妄想と根も葉もない発言。
何の根拠も無い発言だというのに既に彼らの中でそれは確定事項になってしまったらしく、私は反論することも忘れて絶句するしかなかった。
ルーク様はこんな人間たちに囲まれていたというのか。
こんな人間に囲まれながらも、罪を償おうと奔走していたのか。

「黙りなさい!この子を傷つけることは許しません!」

「おば様、目を覚ましてくださいませ!おば様は騙されているのです!」

「私は黙れといいました。貴方方の妄言はもううんざりです。
口を閉じて大人しく捕まりなさい!」

ふらりとふらつきながらも短刀を構える公爵夫人に庇われる。
そしてその姿に鼓舞されたのか、他の使用人やメイド達も各々に武器を構えて私と公爵夫人を取り囲んだ。
中には血を流しているものも居て、私と同じように痛みで眠気を飛ばしたのだと解る。

しかし彼等はそんな使用人達を哀れむ視線で見ただけだった。
彼らにとってふらつく使用人など敵ではないのだろう。

「抵抗するなら私たちだってそれなりの対応をするわ。それが例え一般人であろうと、武器を持ち私たちの前に立ちはだかるならば容赦はしない。それを理解してるのね?」

覚悟を問うように襲撃犯が言う。
それをお前が言うのかと、私を含め以前の襲撃を知っていて、誘拐されたルーク様に武器を持たせて戦わせていた事を知っている面々の顔に怒りが滲む。
そして私たちの怒りが爆発するよりも先に、彼等が私たちを排除しようとするよりも前に、緊迫した部屋の中に高らかと詠唱する声が響いた。


「天光満つる所に我はあり、黄泉の門開く所に汝あり、出でよ、神の雷!インディグネイション!」


室内に降り注ぐ膨大なエネルギー。それは音素が枯渇し始めている現在では使える人間が殆ど居なくなってしまったという譜術の秘奥義。
強大な力は私たちを避け、襲撃犯たちだけを確実に攻撃していく。

そしてそれが旦那の声だと気付いた時、私は確かに安堵していた。


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