後悔の先(後悔の先X)


キムラスカ崩壊のカウントダウンは、一体いつ頃から鳴り出していたのだろう。
きっとそれは音に聞こえずともあちこちに跡を残していて、目ざとい人間はそれを見ては逃げ出していたのだろう。
そして目の前で凄い速さで分厚い本に目を通している旦那は、その跡を見つけながらも放置していた人間の一人だ。

「キムラスカから流出してくる難民の多さに、マルクトも困っています。
ルグニカ平野に新たな村を作り開墾させていますが限度というものがありますし、村人を守り魔物を討伐するための兵士も足りません。
勿論兵士に従事させるという手もありますが、訓練するのに時間がかかりすぎます」

「それで?」

「また、小規模ではあるもののキムラスカで革命を望む声が上がり、それに伴い暴動も頻発しているそうです。事実、シェリダンではキムラスカ兵が追い出されたようです」

「それで、何が言いたいんですか」

「……キムラスカ上層部の一部からのリークを得て、マルクトはこれに介入することを決定しました。
既に侵入しているスパイが革命を望む市民を煽り、それを受けて一つにまとまった市民達はバチカルに集結。その規模は革命軍と呼んでも支障が無いほどのものだそうです」

つまり、マルクトはキムラスカの導火線に火をつけたということか。
たった一つファクターを加えてやるだけで、シュプレヒコールは暴動へ、そして革命へと変わる。背後でマルクトが動いている以上、キムラスカは終わりだろう。
母と弟を呼べなかったのだけが残念だった。
国に殉ずると二人からの手紙を貰った時、やはりそうするかという諦めしか浮かばなかったが。

旦那は本を閉じると、それを脇に置いて私を見る。
その瞳は相も変わらず血色をしていて、未だに見慣れるということが無い。

「恐らくこの後、キムラスカで大規模な革命が起こります。多くの血が流れるでしょう。
私は無辜の民を保護し革命に伴う無益な殺生を避けるため、第三・第五師団を率いて鎮圧するよう陛下より命を下されました。
一部のキムラスカ上層部は知っていることですから…まぁパフォーマンスですね」

「パフォーマンス、ですか」

「はい。今の政治上層部を排除し、市民を加えた形で新たな政治体制を築きたいそうです。
勿論一朝一夕にできるものではありませんから外部からの援助が必要ですし、援助を得られずとも外部に敵を作ることは好ましくありません。
マルクト軍に鎮圧・市民の保護を任せる事でキムラスカ・マルクト間の距離を縮めて市民達にも隣国との仲の良さをアピールし、且つ自軍にそれをさせないことで軍体制の見直しを図ろうとしているのでしょう」

「勿論……マルクトに利権はあるんですよね?」

「当たり前です。でなければマルクトがこの話を受ける筈が無いでしょう。
私はこれだけのことしか知らされていませんが、恐らくもっと複雑で面倒な話が詰められている筈ですよ」

なるほど、確かに旦那の言うとおりパフォーマンスだった。
市民による革命も、マルクト軍による保護と鎮圧も、その後の政治の舵取りだって全て一部の政治家のシナリオ通りというわけだ。
勿論、革命に参加した市民たちにそれを知らされる日は来ない。
無性に笑い出したい気分になったが何とかそれを堪えて旦那に続きを促す。
彼は無意味に仕事の内容を私にベラベラと話したりしないから、口にしたのには何か意味があるのだろうと思ったからだ。
案の定、旦那は私を真っ直ぐに見据えて言った。

「長く家を空けることになります。それで…貴女がよければですが、貴女も来ますか?」

「……は?」

「おや、貴女がそんな反応をするのは珍しいですね。余程意外な一言でしたか?」

「えぇ、行軍するのに女連れで行こうという貴方の神経が信じられなかったので」

「私はただのお飾りですから。実際の指揮はそれぞれの師団長がしますし、私の仕事は書類にサインをすることと、あちらの上層部と繋ぎをつけること…そして過去の英雄達を処断することです」

「英雄達の、処断…?」

「えぇ。既に時代は歩み始めている。過去の栄光にしがみつくだけの英雄達は必要ない。それがキムラスカ・マルクト上層部の共通の見解です。
あとは…嫌がらせでしょうね。かつて仲間だった者たちを、私の手で殺させようという」

議会の老人達の考えそうなことですと一人ごちながら、旦那はそこでようやく視線をそらした。
そういえば、最近こうして真っ直ぐ見つめられることが増えた気がする。
下がってもいない眼鏡のブリッジを押し上げて、表情を隠そうとすることも減った。
一体どういう心境の変化があったのだろう。

「それで、どうしますか?一人で留守番をしたいならそれでも構いませんが」

「行きます」

「ほう?」

「貴方のお父様とお母様が煩いんですよ。孫はまだかって」

「……口を出さないよう釘を刺しておきます」

「ええ、お願いします」

視線をそらす、というよりは明後日の方向を見つめる旦那に少しだけ笑みを漏らしつつ、私は故郷に思いを馳せる。
私が歩いた石畳も、軋んだ音を立てて動いていた天空客車も、革命がおきればきっとなくなってしまうのだろう。
革命には、暴力が付き物だから。
そう思うと少しだけ胸が痛んだ気がした。





   ■ □ ■ □





旦那の言うとおり、旦那が戦場に出ることはもう無いようだった。
私は安全な場所で報告を聞くだけの旦那の、更に奥でぼうっとしているだけ。
キムラスカに入った後もそう。いつの間にかバチカルに辿り着き、何故かバチカル王城に招待され、酷く歓迎を受けて……唖然としている間に終わった。

市民達に刺される心配も無さそうだった。
城の中だというのに何故か子供が走り回っていて、市民が闊歩していた。
私の隣を歩いていた旦那は何故か何度も何度もお礼を言われていたから、もうマルクト軍がうまーく革命軍を押さえ込んだ後なのだろう。

革命に参加していない一般市民からすれば、いくら腐った政治体制を立て直すための革命軍とは言えどただの暴力集団に過ぎない。
集団真理と暴力に麻痺した心は一般市民にすら危害を加えるときがあるから。
それを押さえ込んでくれたマルクト軍はどうやらキムラスカ市民にも受け入れられているようだ。

「おやおや、複雑そうな顔をしていますが、どうしました?」

「自分の祖国の民が言いようにあしらわれているのを見て笑顔で居られるとでも?」

「笑顔で居てください。そんな複雑そうな顔をしていたら不安を与えてしまいますから」

「……仕事の一つだと思っておきます」

「そうですね、その認識で間違いはないと思いますよ」

「その替わり貴方に八つ当たりさせていただくことにしましょう」

「おや、どんな八つ当たりをしてくれるのでしょうねぇ」

「貴方の名前でピオニー陛下へ恋文を書いて、あえて王城の廊下に落としておきます」

「私に確実にダメージがいくような方法を取るのはやめてもらえませんか」

そうして宛がわれた部屋に着いてからの会話。
こうしてふざけた会話をすることも増えた。つまり、私と旦那の距離が縮まったということなのだろう。
安寧な生活を得て、私のルーク様への思慕が薄れているのは事実だった。
現に、旦那を責めることも減った。多分、旦那もそれに気付いている。気付いているだろうに、何も言わない。

「それで、久々の故郷はどうですか」

「やはり荒れていますね」

「はい。それは仕方ありません。後ほどファブレ家へ行きますが、貴方も来ますか?」

「……いえ、やめておきます。あそこには、今となっては辛い思い出がありすぎますから」

私の応えにそうですかとだけ言って、旦那は荷物を広げ始めた。
といっても書きかけの書類だったり、キムラスカ側に渡す資料や書類だったり、そういった類のものだ。
ここに来る道中に聞いたのだが、革命を後押しした上層部というのは何とファブレ公爵家だったらしい。
ルーク様を犠牲にして成り立っている現在だと知っていながら、そこから目を逸らしどんどん堕落していく今の新国王と女王に我慢できなかったようだ。

「あぁ、それと……貴女に手紙です」

「私に、ですか?」

「はい。ファブレ公爵夫人からです」

その言葉に自分が目を見開いたのが解った。
恐る恐る手を伸ばし、微かに震えながら手紙を受け取る。
そこには久方ぶりだという挨拶から始まり、かつて解雇してしまったことへの謝罪と結婚を祝う言葉、そして私がよければルーク様の墓参りにきて欲しいと言う言葉が綴られていた。
病弱ながらも優しかった奥様を思い出し、じんわりと目頭が熱くなるのを感じる。
それを察したのだろう。黙ってハンカチを差し出してくる旦那に私は顔を挙げ、無言でハンカチを受け取ってからそっと目頭を押さえる。

「……やっぱり、私も一緒に行っても良いでしょうか」

「えぇ、歓迎してくれますよ、きっと」

そうしてファブレ公爵邸に行くことを決めた私だったが、旦那はすぐにファブレ公爵と執務室に引っ込んでしまったために、私の相手はかつての仕事仲間と奥様がしてくださった。
かつての仕事場で紅茶を振舞われる側になるというのは酷く緊張することだったが、奥様が許可をしてくださり、今回限りは無礼講という事でメイドも使用人も交えてのお茶会となった。
ラムダスさまが渋い顔をするのではと思ったものの、何も言わずに元気で良かったと言ってくださったことに再度目頭が熱くなったのは内緒だ。

「あの一件で貴女達が居なくなってしまったことを、あの子はずっと気にしていました。
でも……ふふ、今の貴女を見たらきっと目をまん丸にして驚くのでしょうね」

「そうですね、私自身も彼と結婚するとは夢に思っていませんでしたから」

「最初はどういうことかと思いましたが、死霊使いと呼ばれた彼も今ではマルクトの重鎮。過去の栄光に縋るだけの彼らとは違うということは私にも解ります。
そして彼だけが、私の息子の死を本当に悼んでくれているということも。
きっとあの子は驚きながらも貴女を祝福してくれますよ」

どこか遠くを見つめ、懐かしそうに目を細めながら言う奥様。
それだけでこの人の中ではまだルーク様が生きているのだと言うのが解った。

「…私は、あの子が別人ではないかと、うすうす気付いてはいたのです。
でも確信が持てなかった。言い切れなかった。それだけで私は口を噤みました。
それに…あの子も、可愛かったのです。アッシュを忘れたわけではありませんが、ルークもまた私の息子だと…」

「…はい」

「泥だらけになりながら見舞いだといって花を持ってきてくれたのも、ぶっきらぼうな物言いをしながらも私の身体を心配してくれたのも、あの子です。アッシュではありません。
それなのにあの子の存在を亡き者にしようとすることに、私は耐えられないのです」

「……奥様、ルーク様のお墓は…」

「中庭にあります。あの子はあそこが好きだったでしょう?手を合わせてやってくださいな。
ガイなどは中身の入っていない箱に手を合わせるなど冗談ではないと言っていましたが、お墓とはもとより死者の供養と残された者への慰めです。
貴女が手を合わせてくれたら、あの子もきっと音譜帯で喜んでくれるわ」

そう言って花のように微笑む奥様に、今度こそ私も涙を零してしまう。
やはりこの屋敷は私には辛い思い出が多すぎるのだ。かつてルーク様あそこで何をしていたとか、これをしていたとか、そんな思い出ばかりが募ってしまう。
見れば昔の同僚も何人か鼻を啜っていて、みんなルーク様を慕っていたのだとよく解る。

奥様に一言断ってから、中庭へと向かう。
案内は必要なかった。だって昔働いていた場所だから。
そうして墓に向かえば先客が居て、誰かと思えば旦那だった。
どうやら話が終わってから真っ直ぐコチラに来ていたらしい。

「……お仕事は終わりましたか?」

「えぇ。陛下からの話を伝えるだけですから」

墓の前に肩膝を着き、黙って墓石を見つめる旦那の隣にしゃがむ。
そして墓前に手を合わせて、かつてのルーク様に思いを馳せる。
思えば全てはここから始まったのだと思うと、何故かとても感慨深かった。
この中庭でルーク様が誘拐されたのが始まりなのだ。少なくとも、私にとっては。

「……ルビア」

「はい」

「……貴女を妻に迎えたとき、私は貴女に責められたいのだと言いました。
正直、私は楽になりたかった。貴方が責めてくれるたびに、後悔するのと同時に安堵する自分が居ることに気付いていました。
そして思っていたんです。私は何て最低なんだろうと」

「そうですね、貴方は最低です」

「はい。ですが、最近それだけではなくなっている自分に気付きました。
貴女との掛け合いを楽しいと感じる自分が居て、貴女が居ると安心する自分が居るんです。
そしてルークを思ってとても優しい目をする貴女に、恋をしていることに気付きました」

恋。その言葉が旦那に似合わなさ過ぎて、一瞬何を言われているか解らなかった。
思わず旦那の顔を伺ってみるものの、旦那の視線はルーク様の墓石に固定されたままだ。

「貴女がティア達を断罪することを断言できなかった時、それを確信しました。
貴女は普通の女性だ。命を奪うことに躊躇する、その優しさに…惹かれてどうしようもない私が居る。

しかし同時に迷いました。
貴女のその憎しみは優しさの裏返しであり、私はその憎しみの対象です。
それにルークを犠牲にした私が幸せになっていいはずが無いと、そう思ったんです」

「……でも、ルーク様は許してしまうと思います」

「そうですね。ルークはきっとおめでとうと言ってくれるでしょう。
それに先程、ファブレ公爵にも言われました。あの子を犠牲にしたと、そう思うのはやめて欲しいと。
あの子は自分の意思であらゆる選択をして、その結果掴み取った未来が今であると。
それは犠牲ではなくあの子の献身であり、私達はそれを踏み台にするのではなくそれを糧にして進まなければならないのではないかと」

その言葉に更に旦那の顔を凝視してしまう。
あの気難しい旦那様がそんな事を言うとは信じられなかったからだ。
けれど先程奥様が言っていた言葉を思い出す。
きっとルーク様は私達を祝福してくれるだろうという、何気なく言われた言葉を。

「それに、ルークは常々言っていました。自分はたくさんの命を犠牲にした。だからその償いをしなくてはならないと。そして同時にこうも言っていました。
たくさんの命を奪った自分が、幸せになっていいはずが無いと」

「そんな事無いです。ルーク様はたくさんのことを成し遂げました。
それに犠牲を出したから幸せになっていいはずが無いなんて……」

「はい。同じようなやり取りを公爵ともしました。そして言われました。
それは今の自分に対しても、同じことを言えるのではないかと」

旦那の言葉を反芻し、考える。そしてすとんと納得できた。
うちの旦那だって同じなのだ。ルーク様を犠牲にしてるからといって、幸せになっていいはずが無い、なんてことはない。
そこでようやく旦那が私を見る。
あの血色の瞳も変わらないし、その美貌は本当に四十路なのか疑いたくなるほどだ。

「だから、私は言うことにしました。正直な話、今は私はとても恐れています。
今まで体験したことが無いほどの恐怖を感じています。貴女に拒絶されるのではないかという恐怖を。
それでも言います。ルビア……貴女を愛しています。どうか、ほんの一欠けらでもいい、貴女の愛情を、私にくれませんか」

いつからか向けられるようになった、真っ直ぐな視線。
ああ、そうだ。彼を責めることが減っていったのはその視線を向けられるようになってからだと、私はようやく気付いたのだった。


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