それを愛と呼ぶならば、(02)


「なんと言うことだ……っ!」

抗いきれない現実を前に、トリトハイムは自分の執務室で声を荒げた。

預言というよりどころを失い、身内から多くの犯罪者を出したダアトは2年間の間に経営不振どころか存続すら危うい状態に追い詰められていた。
求心力を失い、かつてマルクトやキムラスカから送られていた多くの寄付金も今ではゼロに等しい。
そんな中、ダアトは世界を救った英雄二名を教団の目玉として押し出す事で何とかやりくりをしていたのだ。

涙を呑んで世界のために実の兄を討った、かつての聖女の末裔ティア・グランツ。
最後まで導師を守り抜き、幼い身体でその敵を討った導師守護役アニス・タトリン。

この二人を前面に押し出すことで保たれてきた教団の体裁は、キムラスカが発表した事実によりコナゴナに砕かれた。
聖女の末裔に関しては、不法侵入、傷害、王族誘拐、戦闘及び殺人の強要、軍法違反、そして不敬罪。
導師守護役は導師誘拐、軍事機密漏洩、テロ行為の手引き、護衛破棄、そして導師殺人の幇助と不敬罪。

キムラスカは彼女達の犯した罪を世界に晒したのである。
教団は慌てて否定しようとしたが、それもすぐに無意味だと悟った。

本来公式声明を発表する場合、国より発布された内容を役人が民衆に対して声高に説明し看板を立てる。
しかしキムラスカは各地で説明させるのと同時に、ティアとアニスの姿絵を着け、更に誘拐されたルーク・フォン・ファブレの姿絵まで見せたのである。

王族の顔を民衆に晒すなどありえないことではあったが、既にルークは世界を救う旅の間に素顔を全国で晒している。
今更、とでも思ったのだろう。
キムラスカは隠すことなく堂々と晒した。

そして人々は知ってしまったのだ。
2年前に見たあの一行こそが、罪人とその犯罪の被害者だったのだ、と。
これを知った民衆の衝撃は、まさに言葉にできないものだと言っても過言ではないだろう。

現在、教団には多くの民衆が詰めかけている。
2年前を髣髴させるような、暴動一歩手前の域に達している。

そんな中、トリトハイムは同時にキムラスカによって送られてきた密書をぐしゃりと握りつぶした。
迷っている暇は無かった。今のダアトは危うすぎるのだ。
多くの命を救うには、選択肢は一つしかない。

「大詠師!大詠師トリトハイム!これは一体どういうことです!?」

そんな中、甲高い声を上げながらノックもせずにティアが部屋へと突進してきた。
トリトハイムは一気に重くなった身体を何とか動かし、無作法な元聖女へと顔を向ける。

「ティア・グランツ……事実は全て日の目に晒された。まさかこのような事実を隠していたとは…的教団としては非常に頭が痛いよ」

「私は罪など犯していません!こんなありもしない罪で責められるなんて、何かの陰謀に違いないわ!
こんなこと許されるはずがありません!すぐにキムラスカに抗議すべきです!」

「身に覚えがないと言うのかね?」

「当たり前です!」

「……では、2年前、キムラスカのファブレ邸に眠りの譜歌を用いて侵入したことも、ルーク様と擬似超振動を起こしたことも、ルーク様と共に戦ったことも事実ではないと?」

「シュザンヌ様にきちんと謝罪しましたし、屋敷から連れ出してしまったことはルークを無事送り届ける事で許されました!
だいたい何故今更そんな昔のことを……!」

声を荒げるティアに、トリトハイムは失望を隠すことなくため息をついた。
彼女は今、罪を認めたのだ。本人がそのことに気付いているかは別として。

「衛兵。彼女を捉えなさい。キムラスカに引き渡す。譜歌を使えぬよう猿轡をつけるのを忘れるな」

ティアが飛び込んできたことによって開いたままになっていた扉に向かって、トリトハイムは疲れの見える声でそう命令した。
飛び込んできた神託の盾兵が手際よくティアを捉え、手足を拘束して猿轡を噛ませる。
暴れるティアに対し暴力を振るっていたが、それを止める気にもならなかった。

「アニス・タトリンはどうしている」

「既に衛兵が捕らえました。ご命令も無いまま勝手なことをした責は後ほど」

「構わん、不問とする。どうせ同じ命令を出していた。二人の身柄は拘束し、そのままキムラスカに引き渡す。
二人を罪人として引渡し、パダミヤ大陸を明け渡すのならば教団の存続だけは許してくれるそうだ。マルクトの同意も得ているらしい」

「では……」

「そのうち執政官が送られてくるだろう。
教団の規模縮小は避けられぬだろうが、幸い住民はそのまま暮らしてくれて構わないと言っている。
ダアトに住まう人間を守り、教団の歴史を存続させていくのならばこの誘いを断るわけにはいかん。
教団が取り潰しにならないだけ、ありがたいと思わなければならんのだろうな……」

瞳を伏せて深々とため息をつくトリトハイムに対し、衛兵は深々と頭を下げた後もがくティアを引きずって部屋を出て行った。
微かに音を立てて閉まる扉を背後に、トリトハイムは先程握りつぶした密書を再度開く。

その一番下には新たなファブレ公爵夫人の名が書かれていて、顔も知らぬその夫人を思いトリトハイムは再度ゆっくりと息を吐いたのだった。




















「ルーク!一体何を考えておりますの!?」

「何をって、そうだなぁ。今考えてるのは追放と死刑のどっちが良いかなってことかな」

「あらあら、ルーク様はお優しいのですね。私なら死刑一択ですわ」

牢の柵に縋りつくナタリアと、いつも通りのルーク、そして穏やかな微笑みを浮かべながら一番酷いことを言っているルビア。
ルビアの我侭を受け入れたルークは、マルクトとダアトに密使を送った後内部粛清に王手をかけていた。

元々預言に傾倒していたキムラスカだ。
預言離れを始めたもののうまく行くはずがなく、ルークとルビアはそこに目をつけた。
有望な人材を次々とヘッドハンティングし、ファブレ家という後ろ盾の元政治に参加させ、彼等が力をつけたところを見計らって議会を乗っ取ったのである。
それは正攻法を使った、完全な下克上だった。

預言を失った今議会の老人とインゴベルトは新勢力を抑えられるほどの力は既に無い。
最早ルークが王位に着くのは間近と言って良い。
そして最後の詰めとして、ルークとルビアはナタリアを牢に入れたのだ。

「でも"民にお優しいナタリアさま"を処刑したら暴動起きないか?」

「既に手は打っております。2年前殿下が脱走した際にクビになったメイドと警備兵は取り込んでいますし、公式声明に伴い殿下の罪も今頃彼女達が広げてくれていることでしょう」

「あぁ、下から突き上げたわけか」

「はい。彼女がマルクトのためにキムラスカを放棄したことは既に反響を呼んでいますし、後は2年前を知る者たちが勝手に話を広めてくれるでしょう。
それに税率の調整とガーネット家とファブレ家が提携し大規模な公共事業を展開します。彼女の施しが無くても暫くはやっていけるはずですわ」

「議会は?」

「7割が新体制に移行、残りの3割も3ヵ月後には存在しなくなるかと」

「そこは残しとこうぜ。多少内部分裂してもらっとかないと、外部を攻撃されちゃたまらないし、対抗心を煽るのも一つの手だ。
徹底的にやるのは良いけど、完璧すぎるのがルビアの悪い癖だな」

「まぁ。ルーク様ったら……いつの間にかそんなご立派になられて……」

「その言い方やめろよ!」

指が白くなるほど柵を握り締めたナタリアは、会話を続けるルークとルビアを見て絶句していた。
特にルークだ。政治に興味の無かった彼の発言とは思えなかった。

「ルーク……貴方は、貴方は本当にルークですの?」

「あぁそうさ。ナタリアが偽者呼ばわりして、変わってしまいましたのねって捨ててったルークだよ」

「わ、わたくしは捨てたわけでは!」

「偽善ぶっても事実は変わらないぜ?偽者だから捨てたんだろ?
ティア達と違ってナタリアが責めたのは昔と変わったことだけだった。
皮肉な話だよな、ナタリアも偽姫だったのにさ」

「し、しかし!私はお父様に認められましたわ!」

「そのインゴベルト陛下にも、もうナタリアを庇うほどの力は無い。
元々議会は奇麗事しか言わないナタリアを厄介払いしたかったんだ。
議会は今分裂してるけど、王家の血を引かない姫を処分することに関しては反対は出ないと思うぜ」

ルークの言葉にナタリアは唖然とし、その瞳に既に情が無いことにやっと気付く。
それでも今起きている事実を認めたくないのか、はたまたルークの変わり様を信じられないのか、ナタリアは柵の隙間からルークへと手を伸ばした。

「ルーク!貴方、一体どうしたというのです!?そこの女のせいなのですか!?
何故私に対しこんなことを!馬鹿なことはお止めくださいませ!」

「馬鹿なことじゃないだろ?お前がやったことをオレもやってるだけだぜ?」

「わ、私のしたこと?」

ルークの言っている意味が解らないまま、ナタリアは震える声でルークの言葉を復唱した。
纏まらない頭で考えてみるものの、その答えは出ない。

「ナタリアは、オレを偽者だから捨てたんだろ?
だったら偽姫のナタリアをオレが捨ててもおかしくもなんとも無いよな?」

ルークの言葉にナタリアは頭を殴られたような衝撃を受けた。
ルークが先程言った言葉が脳裏を霞め、それでも何とか現状から逃れようと言い訳を口にする。

「それでも、それでも貴方は言ってくださったではありませんか!
例え血は繋がっていなくとも、共に過ごした歳月があると!それは偽者ではないと……!」

「でもさ、ナタリアは七年間幼馴染で婚約者だったオレを捨ててるだろ。
それってつまり自分は捨てられたくないけど、自分が捨てるのは構わないってことだろ?」

「違っ、違いますわ!そのようなことは決して……!」

「だからオレも同じことをする。オレはナタリアを捨てる。オレにはもう、ルビアが居る。
キムラスカのことは心配するな、オレとルビアと、集めた仲間たちと一緒に頑張って切り盛りしてくからさ」

「ルーク様、そろそろ議会のお時間ですわ」

「あぁ、行こうか。今日の議題は何だったかな」

「新エネルギーに関しての議題です。何でもメジオラ高原に吹く突風を利用したエネルギー開発を行いたいとシェリダンから……」

「待って、お待ちなさい!待ってくださいませ!ルーク!ルークーー!!」

別れの言葉すらないまま、ルークはナタリアに背を向ける。
既にナタリアのことは思考の片隅にすら存在しないとでも言いたげに。

ナタリアは柵の隙間から必死に手を伸ばした。
しかしその手は何処にも届くことなく、ただ虚しく空を切るだけだった。


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