覆水盆に返らず(前編)


※ルーク視点


ルークにとってキムラスカという国は紛れも無く母国であり、そして懐の深く温かい…まさしく忠誠を捧げるに相応しい国だった。

レプリカの身である自分を廃棄することなく引き取ってくれた。
道具のように使い捨てにされてもおかしくない状態だったにも関わらず、ファブレ家に本物のルークの弟として新しい名と共に迎えてくれた。
更にゆくゆくは政治に関わるであろうからと、貴族の男としての教育まで与えてくれたのだ。

キムラスカから出奔したルーク…アッシュの代わりにルーク・フォン・ファブレとして振舞わなければならない時も多々あった。
しかし返しきれないほどの大恩を受けた身としては少しでも恩が返せるのならとその役目も進んで引き受けたものだ。

両親は謝ってくれたが、それが両親のため、ひいてはキムラスカのためとなるのならば、少しでも恩を返すために喜んで引き受けると素直に言った。
そうしたら、アナタは私たちの子供なんだからそんな事考えなくて良い、親が子供を育てるのは当たり前なのだから、と逆に諭されてしまったが。

だからあの何か企んでいる髭の妹が家を強襲して誘拐された時も、礼儀を知らない自称和平の使者に不敬三昧をされた時も、後でダアトとマルクトをゆする材料ができるのだからと怒りを堪えた。
その礼儀知らずの似非軍人共に温室育ちのおぼっちゃん扱いされたが、それだって我慢した。
本来ならば傷一つ付けたら死罪にされてもおかしくないというのに、それを解らない馬鹿軍人達に前線に立たされても剣を取った。

そうして何とか帰国したキムラスカ。
方向は違えど何か頑張っているのは解ったので、導師の顔を立てマルクトとダアトに借りを作るという名目の元、腹立たしい軍人もどき達を城へと送り届けてやり、溜まっていた仕事をやろうとした矢先父上たちに呼ばれた。
聞けば、マルクトからの和平申し込みの中にアクゼリュスの救助が盛り込まれていたという。

アクゼリュスと聞いてすぐに連想したのは、キムラスカに入り浸っている大詠師モースだ。
アクゼリュスで俺を殺せば未曾有の繁栄が訪れるなどと抜かした大阿呆。
ではどのように繁栄しいつまで続くのかと陛下が訪ねたところ、そこまでは解らないと素直に答えた大間抜け。
まるで預言を知っていたかのようなその内容に陛下と父上達は散々悩んだ後、一つの決断を下したのだという。

即ち、ルーク・フォン・ファブレを親善大使としてアクゼリュスに派遣する、という。

マルクトの和平の真意を探り、二度と内政干渉などできないよう教団を押さえ込む。
この二つを同時進行し、可能であるならば教団を潰すところまでいきたいらしい。

また"ルーク"として振舞わせることになることを謝罪されたが、コレがうまく行けばキムラスカはより磐石な国となる。
この身に受けた大恩を返す絶好のチャンスとして、謝る父に首を横にふり一も二も無くその役目を引き受けた。

どれだけ腹が立とうと、ストレスが溜まろうと、恩人である彼等のためになるのであればいくらでも耐え抜こう。
そう決意して。


















和平の使者としてやってきた帝国軍人ジェイド。
自分には兄を止める義務があると勝手についてきた髭の妹ティア。
この際利用してやろうと連れてきた駄目使用人ガイ。
導師の救助を手伝って欲しいという非常識な導師守護役アニス。
王命を無視して勝手についてきた殿下ナタリア。

以上の5名のおかげで、胃壁はギリギリまで磨り減り、いつ貫通してもおかしくない状態まで追い詰められていた。
それでも何とかイオンを救出して辿りついたケセドニア。
事前の打ち合わせではココでマルクトに対する決定を伝えられる筈だと、勝手に行動するなと喚くティアを無視してキムラスカ側の領事館へ向かう。

「ルーク、珍しいのは解るが団体行動の輪を乱すのは良くない。ココは屋敷じゃないんだぞ」

「ルークさまぁ、どちらに行かれるんですかぁ?イオン様を休ませてあげたいんですけどぉ」

したり顔で説教してくる使用人と、わざとらしすぎる甘ったるい声の導師守護役の言葉も無視。
文句を言いながらだろうが後を追ってくるなら良いだろうとさっさと領事館を目指す。
バチカルを出るときに決意はしたものの、いい加減彼等の相手をするのにうんざりしているのだ。

「ルーク、一体どちらに向かうつもりですの?一刻も早く救助に向かわなければいけないというのに…」

「お、居た居た。セシルしょうぐーん。わりぃ、遅れた!」

不快そうに顔を顰めるナタリアも無視。いちいち耳を傾けていたらきりが無いし、最早傾ける気もサラサラ無い。
なのでようやく見つけた深紅の軍服に身を包んだ女性の名を呼び大きく手を降る。
何故セシル少将がココに?と全員が疑問の視線を向けてくるが、それもやっぱりスルーした。

「ルーク様!ご無事でしたか!」

「悪いな、寄り道してたせいで予定より大分遅れちまった。で、結果は?」

「予想通りです」

「あー…まぁそうだよな…」

「ちょっ、寄り道ってどういう意味…ですか!?」

導師守護役が的外れな噛み付き方をしてくる。
セシル少将が許可も無く発言をしたアニスに剣を抜きかけるが、密かにそれを制止して仕方なく視線だけは向けてやる。
自分の視線に含まれる嫌悪や侮蔑が読み取れなかったのか、アニスは呆れたように声を上げた。

「そのまんまだけど?」

「アンタ…馬鹿ァ!?」

「ルーク、私も今のは思い上がった発言だと思うわ。イオン様はこの世界に無くてはならないお方なのよ?」

「そうですわ。イオンが居なくなれば調停役が居なくなってしまいます!この和平は両国がイオンに敬意を払っているからこそ成り立っていますのよ。それなのにそれを寄り道などと…」

憤る女性陣に対し、最早嫌悪の感情すら沸かない。
特にナタリアなどは王室での教育を受けているというのにコレだ。
確かに表向きの教育しか施されていないのだから理解できないのはしょうがないかもしれないが、それでもいくらなんでも酷すぎだろうと何度目か解らないため息が漏れる。

「お前等さ、もう頭悪いのは解ったから口閉じろ」

「な…っ!」

「イオン、お前はこっちな」

屈辱に顔を赤くする三人を無視し、俯いているイオンの手を取ってセシル少将に引き渡す。
セシル少将は俺に頷くと、どうぞと言ってイオンの手を取った。
戸惑うイオンの視線を感じ、そっと頭を撫でてやる。

「もう良いんだ。これからはただのイオンとして生きれば良い」

「! ルーク…何故…っ!?」

「結果は出た。キムラスカはダアトを許さない。けどお前はある意味被害者だからな…情状酌量の余地は充分にある。暫く行動を制限されるだろうけど、その後は一般人として生きていけるよう俺も手を貸すから」

「ルーク…」

「形になってるかどうかはともかくとして…イオンが和平のために頑張ってるのも解ったしな。何かおかしいのも周囲の教育のせいだろうし、うん」

「ルーク…僕は、僕は…」

「後で話せるよう時間調整してみるから…とりあえず休め。たくさん歩いて疲れたろ?あとココから俺は公人として動かなきゃいけなくなる。けど、全部終わった後もまた友達って言ってくれると嬉しいよ」

「待ってください、和平はどうなるんですか?ルーク、それだけは今、」

「それじゃセシル少将、後は頼む」

「は。お任せを」

教えてください、と続いたであろうイオンの言葉はあえて無視した。
多分今答えを教えてもイオンの心を抉るだけだから。

イオンは公人としては駄目駄目でも、個人としては優しい少年だと思うし結構気に入っている。
感情で政治を行う気は無いが、本人に言ったように酌量の余地はあるのだ。
だから少しでもイオンのためになる判決が下れば良いと願った。

「ちょっと!イオン様を何処に連れてく気!?」

涙目になったイオンの縋るような視線を感じながらも、喚く導師守護役に無意識のうちにため息が漏れた。
もしかして俺の幸せってこいつ等に吸い取られてるんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら一緒に旅をしてきた連中を振り返れば、ガイからは訝しげな視線が向けられ、ジェイドは眼鏡のブリッジを上げて何も話そうとしない。

イオンの後を追おうとするアニスを、キムラスカの兵士たちが行く手を阻む。
どきなさいよと喚くアニスに槍が向けられ、ようやくそこでアニスも口をつぐんだ。

「お前等はこっちだ。喜べ、旅はココで終わりだ」

そう告げればどういうことだと再度姦しく喚いたが、返事をしないまま俺はキムラスカの領事館へと足を進める。
姦しい彼女たちは文句を言いながらも周囲をキムラスカの兵士に囲まれているため、渋々後をついてきた。

「…和平の使者を捕虜の如く扱うとは、キムラスカは余程戦争がしたいようですね」

「はァ?お前何言ってんの?和平なんてお前のせいでとっくに潰れてるっつーの」

「……どういう意味です」

「そのまんまだよ。人のこと散々見下してたんだ、無駄によく回る頭で考えたらどうだ?」

「ルーク!そういった態度は良くないわ。大佐に失礼でしょう」

「失礼って…言葉の意味解ってるのかお前。ホントに脳味噌入ってんの?」

怒鳴り散らすティアに対し、思わず本気で聞いてしまう。
しかしティアは俺の言っている意味が解らず、やはり甲高い声できゃんきゃんと喚くだけだ。
そんな中領事館に足を踏み入れれば、強烈な日差しが遮られたせいでひんやりとした空気が身体を包んだ。
心地よさに気を抜きそうになるものの、最後の詰めが待っていると領事の待っている部屋へと向かう。

そして一際広く豪奢な部屋に足を踏み入れれば、そこには予定通りの人物が二人と、予想外の人物が一人、俺を待っていてくれた。

「ルーク…慣れぬ長旅でさぞ苦労したことでしょう。お疲れ様でした」

劣化した俺とは違う深紅の髪と、母上を髣髴させる垂れ気味の翡翠の瞳の持ち主。
柔和な微笑みは慈愛に満ち溢れ、身体を包む紅色のドレスがとてもよく似合っている。
背後でナタリアがわなわなと震えているのが解ったが、そんな事どうでも良かった。

本来ならば王城に居る筈の存在。
19年前、ダアトに暗殺されかけて以来秘匿されてきた存在。

本物のナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディア王女がそこに居た。


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