身から出た錆(身から出た錆01)


障気。
それは人類の存続を脅かす忌々しい毒。
鮮血のアッシュは一万人のレプリカを犠牲にして、その障気を中和する術を見つけたという。
そしてそのレプリカを"消費"する代わりに残りのレプリカを保護して欲しいと、そう記した手紙を王に送りつけたのだ。

そのため開かれた三ヶ国合同会議では、死霊使いと呼ばれる男が更に残酷な答えをはじき出していた。
即ち、被験者ではなくレプリカであるルークによる障気中和。
重苦しい沈黙が支配していた空間。
それをぶち壊すかのように、荒々しく観音開きの扉が勢いよく開かれる。

各国の重鎮が集まる場、障気中和という世界にとって重大な話をしている中、それを邪魔する愚か者を咎める声は残念ながら上がらなかった。
いや、正確には上げられなかったという方が正しい。
扉が開くことによって室内に投げ入れられた存在は、間違いなく話題の中心だった鮮血のアッシュ張本人。
誰が思うだろう。その青年が縄で縛り上げられた状態で室内に蹴りいれられるなど。

「てめぇ…シンク!何しやがる!」

「煩いよ。初対面の癖になれなれしく名前を呼ばないでくれる?」

「んだと!?テメェついに記憶まで劣化したか!?」

「ハッ、何かとつけばすぐ劣化扱い。他人だとは一欠けらも思わないわけだ?それとも被験者様はそんな思考回路すら存在しないのかい?」

唯一自由を奪われていない口で罵倒されているのは、アッシュを蹴りいれた張本人であり敵であるはずの烈風のシンク。
ただ、何かがおかしい。彼が身に纏っているのは六神将の団服ではないのだ。
緑を基調としたそれを知る人間は一人としていることなく、僅かな疑問を覚えた人間は微かに眉を顰める。

しかしそれに気付いているだろう仮面をつけた少年は身に受ける視線を気にも留めず、鼻を鳴らすだけで終わらせてしまった。
そして扉をゆっくりと開けると、その脇に移動してその場に跪く。
高位の存在を迎える時にする最敬礼に全員の視線が扉の先に注がれる。
ブーツの音を響かせながら現れたのは、穏やかな微笑みを讃えた黒髪の少女だった。

「お話を中断してしまい申し訳ございません。両陛下におかれましては御前を失礼致します」

丁寧な口調でゆったりと歩く少女の手に握られているのは、金色の音叉の杖。
ダアトの最高位のみが持つことが許された杖に幾人かが目を見開いたが、少女は気にすることなくシンクを従えて二ヶ国の国王の前に立ち会釈をするだけ。

「お初お目にかかります。私は論師ルビア。ローレライの要請を受け、平行世界より参りました」

その口から放たれた言葉に、何人かが息を呑んだ。
どういうことだと視線が突き刺さる中、全てを存在しないものとして扱うルビアは唇を閉じたまま国王たちを見つめている。
そんな中一番最初に口を開いたのは身の程を知らない愚か者だった。

「アンタ誰よ!いきなり現れて、総長の仲間!?」

アニスの甲高い声が天井の高い室内に響き渡り、数名が眉を顰める。
ルビアは礼儀にのっとりその場に居る最高位の者に挨拶をしたというのに、アニスはそれを遮ったのである。
しかしルビアはまるでアニスの声が聞こえなかったように、瞳を揺るがすことも無く王達を見つめていた。
その意図を悟ったピオニーは重々しく口を開く。

「我が名はピオニー・ウパラ=マルクト九世。マルクト帝国皇帝である。
論師、といったか。平行世界からというのはどういうことだ?」

ピオニーが口を開いたことに言葉を失っていたインゴベルトも我に帰る。
そして肘掛をぎゅっと握り締めて、それに続くように口を開いた。

「余はキムラスカ国王、インゴベルト六世である。
ローレライからの要請といったな。詳しく話してもらおうか。論師とやら」

「はい。順を追って説明させて頂きます。
まず、平行世界についてから」

そう言ってルビアは平行世界について説明を始めた。
完全に無視をされたアニスは屈辱に歯噛みしていたが、誰もそれを気にも留めない。

オールドラント、という世界がある。
その世界の根幹は同じでも大樹から伸びた枝が無数にあるように、どこかが違う平行世界というのもまた無数に存在する。
ローレライからの要請を受けたルビアは自分の守護役であるシンクを伴い、そこからやってきたのだ。
つまりルビアに従っているシンクはアッシュ達と敵対しているシンクとは別人ということで、アッシュは先程のシンクの台詞の意味を理解して、屈辱に歯噛みした。

「そして私のいたオールドラントでは、教団に論師という地位がありました。
私はその論師の地位にあり、教団の運営に関わっておりました。
シンクは論師守護役部隊特別顧問兼第五師団師団長、私の補佐のようなものでもあります」

「つまり敵では無いんだな?」

「両陛下がローレライの敵でないというのであれば」

ルビアの返答にピオニーは僅かに眉を顰める。
つまり裏を返せばローレライの意に沿わぬ選択をしたら敵に回る、ということだ。
ピオニーが厄介な存在が乱入してきたものだと内心舌打ちをしていると、馬鹿馬鹿しいという声が室内に響いた。

「私たちは子供のお遊びに付き合っている暇は無いのよ。ごっこ遊びは他でやって頂戴」

どこまでも上から目線の物言いに、流石のピオニーやインゴベルトも顔を顰める。
確かにルビアの話は荒唐無稽そのものだったが、いくらなんでもその言い方は無いのではないだろうか。
しかし言葉を投げかけられた張本人であるルビアは、涼しい顔をしてピオニーとインゴベルトを見ているだけだった。
アニスの時と同じように完璧な無視をしているのである。

「ちょっと貴方、聞いてるの?」

その反応が気に食わなかったのか、ティアはハイヒールの音を鳴らしながらルビアへと近寄った。
そしてその肩に触れようとした瞬間、ティアの身体は思い切り投げ飛ばされる。
これまでの旅の間後衛のままだった彼女は受身すら取れないまま、硬い床に叩きつけられることになった。

「たかが一兵卒の分際で論師の御身に触れるな、身の程知らずが」

「シンク」

「は。申し訳ございません」

吐き捨てるように言ったのは、ティアを投げたシンクだ。
しかしルビアが宥めるように名前を呼べば、シンクは膝をつき謝罪を口にする。
ルビアはシンクに背中を向けたままだというのに、最低限の言葉だけで意思のやり取りをする様は二人の深い信頼を垣間見せた。

「私がローレライの要請を受けた証拠であれば両陛下にお目にかけることは可能です」

ティアほどではないが、ルビアの言っていることは信じるに値しない。
そう思っていることを悟ったらしいルビアはそう言って手をかざした。
高濃度の第七音素が収束する感覚に第七音素の素養を持つ者達が身構え、ルビアの手の中に現れたものに今度こそ目を見開く。
それは美しい流線の描かれた、第七音素を凝縮して作られた契約の鍵。
アッシュが持っているはずのローレライの剣と、寸分違わず現れたそれ。

「これは私の世界のローレライと契約をした証として渡されたもの。
アッシュのものを奪ったわけではありません。彼のものは彼の腰に差されています」

疑問を口にする前に、答えがもたらされる。
無意識のうちに全員の視線が縛られたアッシュの腰に行き、全く同じものがその腰にささっているのを確認していた。

「今一度宣言させて頂きます。
私はローレライの要請を受け、平行世界より参りました」

「…それで、ローレライの要請とは?」

「端的に答えるのであれば、断罪と、救済です」

ピオニーの質問に、ルビアは言葉通り端的に答える。
だが言葉通り端的過ぎて誰も理解できなかったのが解ったのか、ルビアは少しだけ小首を傾げて未だに痛みに顔を顰めているティアの周囲に群がる者達を視線だけで指した。

「ローレライは己と存在を同じくするものを軽んじる人間に遺憾の意を示しております。
そして同時に被験者が原因であるにも関わらず、レプリカにその尻拭いをさせようとする姿勢にも」

その言葉に何人かの肩が跳ねた。
つまりルークが障気中和を行えば、間違いなくローレライは怒り狂うと言うこと。
ルークではなくアッシュが行ったとしても、一万人のレプリカを犠牲にした時点でローレライの怒りを買うだろう。
即ち救済とはレプリカを使用する障気中和の阻止。
それを理解したピオニーとインゴベルトは想像以上に厄介なことを持ち込んでくれたことに頭痛を覚えて額に手を当てる。

「つまりレプリカを使っての障気中和はできぬということか」

インゴベルトが思わずもらした言葉に僅かにルビアの瞳が細められた。

「レプリカを"使って"、ですか。つまりインゴベルト陛下はレプリカを人間として認めていない、ということで宜しいですか?」

「い、いや…それは言葉の綾だ!認めていないわけではない!」

「ではキムラスカはレプリカの人権を認めているのですね?」

「無論だ!」

インゴベルトの断言を聞いたピオニーは内心ため息をついた。
彼は今、まんまと論師の口車に乗せられたのである。
これではもう、確実にレプリカのみを使った障気中和は望めないだろう。
そしてレプリカを人間として認めるのであれば、

「ではルーク様は間違いなくキムラスカ王家の人間であり、王位継承権を持つキムラスカの王族であるということですね?」

「そ、それは…」

「陛下は先程レプリカも人間なのだと仰られたではありませんか。ルーク様の被験者は鮮血のアッシュ、陛下の異母妹であるシュザンヌ様と国の重鎮であるクリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレの息子です。
即ちルーク様もアッシュと同等か、兄弟と呼んでも良い存在。
間違いなく、キムラスカ王家に連なる者でしょう?」

「う、うむ…そう、だな」

インゴベルトの額に汗が伝った。これで更にルークに障気中和を頼む道が塞がれたことになる。
王家の人間ならば世界のために命をかけろといえるかもしれないが、鮮血のアッシュは現在キムラスカを出奔している上、カイツール軍港襲撃という不祥事を起こしているせいで次代の国王として相応しくない。
となると跡継ぎ問題で頭を悩ませている以上、ルークを押し上げる以外の道が消えてしまうのだ。
流石に教団やマルクトも時期国王に命を捨ててくれと言うわけにもいかず、頭の回る何人かは見事にルークの手による障気中和という道を塞いだルビアに舌打ちをもらした。
ルビアはインゴベルトの言葉に満足げに頷いていたのだが、そこに待ったをかける馬鹿が居た。




インゴベルト、呆気なく罠にかかる。


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