愛に殉ずる聖焔の話(二)


またルビアと出会う時のために。
そしてまた二人の手で、より良いキムラスカを作っていくために。

その為にルークは動き始めた。
歩行訓練をこなし、体力を作り、勉学に励む。
家庭教師たちは突然勤勉になったルークに驚いていたが、かつてのルーク様に戻られたのだと解釈してどんどんルークに知識を詰め込んでいった。
既にルークの知っている知識も数多に存在したが、ルークはそれでも貪欲に学んだ。
知識に貪欲なルークに着いていけず、家庭教師の方が次々に切り替わったほどだ。

同時に、ルークは邸宅に勤める騎士やメイド、使用人たちとも交流を深めていった。
お喋り雀という言葉があり人の口に戸は立てられぬと言う様に、彼等彼女等の話はルークにとって貴重な情報源だったのだ。
そしてまた、情報を拡散するのにも彼女たちは非常に役立った。

「…ふぅ」

「お疲れでしょうか?何か甘いものでも…」

「あぁ、いや、そうじゃないんだ。ただ少し、」

中庭にテーブルを広げ、午後のお茶を楽しむ時間。
身分の差はあれど気さくに接し、他の貴族たちのようにメイドを道具のように扱うことも無い。
それどころかよく勤めているメイドにはこっそりプレゼントを贈ることもあるルークは、メイドを含めた使用人たちに人気が高かった。
かつてのようにルークに対し陰口を叩くことも無く、殆どのメイドはルークを慕っている。
ルークはそれを確信した頃、お茶の時間に僅かに憂いを含んだ顔でぽつりと零した。

「殿下のことで…な。努力はしているんだが、かつての約束を未だに思い出せない自分が不甲斐ないんだ」

「ルーク様…」

「殿下が公務や勉学の時間を割いてまで訪問して下さる度に、約束のことを口にする。
それは今の俺がどれだけ努力しようとも手に入らないものだ。
医者からも聞いているだろうし、殿下もそれは解っていらっしゃるだろう。
それでも思い出して欲しいと言うということは、殿下にとって余程大切な約束に違いないだろうから…それを思い出せない自分が情けないんだ」

記憶障害の患者に、かつての記憶を取り戻せというのは非常に酷なことだ。
それは足が動かなくなった患者に、以前のように走ってくれと言うのと同じこと。
ナタリアもそれを医者から聞いているにも関わらず、未だにルークに約束を思い出してくださいませとねだってくる。

ルークのけなげな言葉にメイド達はおかわいそうに、と同情を覚えた。
同時に医者から言われているにも関わらず、最初に思い出すのがその言葉なら運命的だろうと、それだけの理由で思い出して欲しいとねだるナタリアに嫌悪を覚える。
勿論口に出すことはしないが、ナタリアの無理難題にも必死に応えようとするルークを見れば見るほどナタリアに対する悪感情は高まっていく。

「殿下は…いつになったら今の俺を見てくれるんだろうな」

「…ルーク様、宜しいでしょうか」

「ん?何だ?」

「私のようなただの一介のメイドが口にするのはおこがましいことなれど、ルーク様は素晴らしいお方だと思っております。
私だけでなく、この屋敷に勤める殆どの者はルーク様の努力とお人柄を身近に見ております。
血の滲むような努力をされているルーク様を否定するものなどこの屋敷にはおりません。
ルーク様は王族の務めをまっとうしようと、日々研鑽されているのを私達を知っております。
今のルーク様は決して過去のルーク様に劣ることなどございません。むしろはるかに素晴らしい方だと、私達は確信しております」

そのメイドの言葉を聞いた他のメイド達も、ルークを見て力強く頷く。
ルークは少しだけ驚いたような顔をした後、一瞬だけ泣きそうな顔をしてから、すぐに微笑みを浮かべた。

「…そう、か。…ありがとう。そう言ってもらえて少し楽になったよ。
あ、父上には俺が弱音を吐いてたって内緒な?ばれたら睨まれちまう!」

「畏まりました」

決して泣き顔を見せないルークに尊敬の眼差しを送り、そして父親にばれたら大変だと慌てるルークに今度はくすくすと笑みを零すメイド達。
それを見てルークは内心唇の端を上げるだけの笑みを作った。

人の口に戸は立てられない。
これでまずはメイド達に、ルークがナタリアの事で悩んでいると邸宅中に広まるだろう。
邸宅に勤めているメイドはよく城へも遣いに出るから、一週間もすれば話は城にまで広まっているに違いない。
それがインゴベルト王か、もしくはその側近の耳に入ればルークの計画は成功したに等しい。

以前のようにしょっちゅう愚痴をもらしたりもしていないから、効果は絶大の筈だ。
けなげなルークと無理難題を言うナタリアという図を全面に押し出したのだから。
コレならば、人はナタリアを加害者として認識し、ルークへと同情する。

それにナタリアの非常識さと、勉強や公務を放り出しているという事実に憤慨する者は数多に存在するだろう。
特にナタリアは不義の子として疑われているため、虎視眈々と失脚を狙っている者も多い。
まだ福祉政策には乗り出していないため、国民からそれほど人気があるというほどでもない。
ナタリアを王城に閉じ込めるには充分すぎる環境だ。

それから一ヵ月後、ナタリアは王宮への謹慎を言い渡された。
公務や勉強を放り出して行われるファブレ邸への前触れもない訪問。
その頻度も週に一度や二度では済まず、流石に非常識ではないかと声が上がったのだ。

ナタリアは抵抗したようだが、流石のインゴベルトもこれは庇えなかった。
事実、ナタリアは己の義務を放り出し、屋敷に軟禁されながらも勤勉なルークに無理難題を強いているのだから。
このままではナタリアとルークの婚約も流れるかもしれないと話を聞いたとき、ルークは憂い顔を浮かべながらも内心笑みを浮かべていた。

これで偽姫だという事実が発覚すれば、最早誰も自分とナタリアの婚約を推し進めようとはしないだろう。
むしろこのまま抵抗を続けてくれれば、いくら王の一人娘だとしても反感を買うのは必須。
インゴベルトが強行しようとする可能性もあるが、その頃には既に老いている。
いくらでも下克上のチャンスはある、と。

自分の屋敷から一歩も出ることなくナタリア失脚に王手をかけたルークに、誰も気付くことはなかった。
ND2013の、まだルークが13歳の時である。










「母上、コチラも食べてみてください。マルクトのお菓子の話を聞いて、わざわざパティシエに作らせたんですよ!」

「あらあら、ルークったら。そんなに食べられないわ」

くすくすと上品に笑っているのは、ルークの母たるシュザンヌ・フォン・ファブレ。
かつての聡明さを取り戻した息子にシュザンヌは喜び、こうして茶会の席を設けるほどの交流は復活していた。
自分の前だけでは子供っぽさをあらわにする息子にシュザンヌは内心喜んでいたし、ルークもそれを意識しながらシュザンヌに接していた。
つまり全てはルークの策略の内ということである。

「あ、そうだ。ちょっと母上に見ていただきたいものが…」

「あら、何かしら?」

そうして談笑している間、ルークは今思い出したというようにおずおずとシュザンヌに提案し、シュザンヌもまた珍しいルークの言葉にきょとりと首をかしげる。
ルークはメイドに言って私室からノートを取って来させると、それを母に見せながらたどたどしく説明を始めた。

「父上の許可をいただいて、書架にあった過去の政策などに目を通したんです。
それで家庭教師のサリバン先生と話し合って自分なりに改稿してみたんですが…」

少し照れ臭そうなルークの言葉に、シュザンヌは僅かに驚きを覚えた。
ルークの聡明さは耳に入ってはいたが、この歳で政治に興味を示すとは思ってもみなかったのだ。
シュザンヌも今はファブレ家に降嫁し政治からは遠のいたが、かつては王族の一員として政治に関わっていたこともある。
それを知っているからこそまずは厳格な父ではなく己に見せるのだろうと、シュザンヌはルークの注釈を聞きながら改定案へと目を通した。

「ルーク…これは、本当に貴方が書いたものなのですか?」

「一応…恐らく一人では作れなかったと思いますけど」

自信なさげに呟く息子を見てから、もう一度目を通してみる。
それは荒削りではあるものの、才能が垣間見えるもので…。
特に民に不満を与えないよう気をつけながら国として利益を上げる形を取っているのが、シュザンヌにとって好ましかった。
国とは民が居なければ成り立たない。それを息子はよく理解しているのだと。

まだまだ修正すべき箇所は何箇所かあったが、それは経験不足からだろうと判断してシュザンヌは微笑む。
このまま研鑽を積めば、きっと息子は素晴らしい政治家になってくれるに違いないと。

「とても良いと思います。ですが、ここの数字は少し下方修正を加えたほうが良いでしょう」

「う…やっぱり高すぎましたか」

「そうね。理想としてはこれくらい欲しいけれど、現実はそうはいきません。
そこは実際に現場に触れ、少しずつ学んでいくところですから、恥じることではありませんよ」

「じゃあ、その…父上に見せても、平気でしょうか」

今度は少し怯えた顔でルークが言う。
こんなにも優秀なのに、夫であるクリムゾンはルークにとても冷たく接する。
それは最近のシュザンヌの唯一の不満であり、同時にルークがそれを気にしていることをよく知っていた。
なのでシュザンヌは息子を安心させるように微笑むと、これならあの人に見せても大丈夫でしょうと告げる。
そうすればルークはまるで子供のような笑顔を浮かべ、シュザンヌに礼を言うのだ。
その笑顔を見て、やっぱりまだまだ甘えたい年頃なのだとシュザンヌは内心温かい気持ちになる。

「私からも旦那様に一言言っておきましょう」

「ホントですか!?あ、いや……でも、まずは自分から言ってみます」

「ルーク…」

「先生が言ってました。最初から何でもできる人間は居ないと。
だから駄目だと言われても、また改稿すれば良いだけです。
諦めずに何度も見せれば父上だっていつか認めてくれると思うし…」

「そうですか…解りました。ルーク、頑張りなさい。母はいつもルークを見守っています」

「はい、母上」

それから少し話した後、ルークはもう一度見直してみると言って自室へと戻って行った。
息子の優秀さに満足したシュザンヌもまた、自室へと戻っていく。

部屋に戻ったルークは周囲に誰の気配も無いことを確認したあと、くつりと笑みを浮かべノートの中の案件を見下ろした。
それはルークから見てもまだまだ修正箇所の多い改定案だったが、最初から完璧なものを出してしまえば面倒なことになるを解っているからこそだった。
といっても、これは以前の生で真の仲間達と共に意見をぶつけ合い導き出したものに少しばかりアレンジを加えただけだったが。

ベッドに腰掛け、今日の茶会の席を思い出す。母は完全に"今のルーク"の優秀さを気に入っている。
事実、シュザンヌが今のルークとよく茶会の席を設けるようになってから、ルークの身の回りのものの質は格段に良くなった。

そして病弱で己を哀れむことを好む母ではあったが、根っこは王女として教育された真の王族である。
国の軍港を襲撃するような実子よりも、国民を満足させ国に利益をもたらすレプリカを取るだろう。
勿論、その時は国のために実子よりも偽者の息子を選択する自分に酔うのだろうが…。

「次は父上、だな」

再度、ルークの唇が弧を描く。

「ルビア…もうちょっとだけ、待っててくれな…」

そして愛しい人の名を呟くルークの顔は、どこまでも慈愛に満ち溢れていた。






ちょっと補足。

ルークが勤勉で優秀+滅多に愚痴を零さない
 ×
メイド達からのルークへの同情+メイド達のナタリアへの嫌悪
 ×
ナタリアがまだ国民に人気が出ていない

ナタリア失脚はこの要素が合ったために成り立ちました。
以前のようにろくに勉強もせずナタリアを鬱陶しがってたらできない芸当です。
ルークが人心を把握する力をつけたともいいます。


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