愛に殉ずる聖焔の話(三)


「父上!」

「ルーク…そのような大声を出すな」

「すみません。その、お疲れのところを申し訳ないのですが、父上に見ていただきたいものがあるんです」

帰宅した途端走りよってきた息子。
一度重度の記憶障害と診断されながらも勤勉さを忘れることなく神童の名に相応しい優秀さを発揮している息子から、クリムゾンはそっと目をそらす。
見て欲しいものがあるという息子にいつものように今は忙しいと言いかけたものの、先日シュザンヌにたまにはあの子の話を聞いてあげて下さいなと言われたのを思い出し、己の心に鍵をかけてから息子へと向き直った。

「何だ」

「あの、これなんですけど…以前書架の閲覧許可を父上からいただいたでしょう?
そこにあったのを基にして、家庭教師のサリバン先生と一緒に改定案を出してみたんです」

おずおずとクリムゾンへ差し出されるノート。
なので書斎へと場所を移してからそれに目を通したクリムゾンは、ルークに気付かれないように驚きの息を漏らした。
政治にはまだ関わっていない筈の息子が出してきた改定案は、まだまだ荒削りながらも充分に今の政治にも通用するものだ。
そこには将来優秀な政治家になるであろうということを垣間見せるものがあり、同時に悔しさがクリムゾンの胸の内にこみ上げる。

このようにまだ政治に関わっていない今でも将来キムラスカを支えてくれる片鱗を見せている息子を、犠牲にしなければならないという事実。
国の繁栄ためとはいえ、鳥篭のような屋敷に閉じ込められながらも才能溢れる息子を捧げなければならないという現実。

息子を見れば緊張した面持ちを見せており、自分の判断を待っているのが解る。
なのでクリムゾンはノートを閉じて返した後、悔しさを表に出さないよう気をつけながら口を開いた。

「…まだまだだな。これは一人でやったのか」

「いえ、サリバン先生にも手伝っていただきました」

「そうか」

クリムゾンがどこが良くてどこが悪いかも告げないのは、将来この才能が潰されると知っているからだ。
ルークはクリムゾンが細かい指摘をしてくれないことに僅かに落胆しているようだったが、それでもクリムゾンの瞳を真っ直ぐに見上げていた。

クリムゾンは正直な話、ルークのこの瞳が苦手だった。
その翡翠の瞳に何もかも見透かされそうな気がするからだ。
だから部屋を出て行くよう言おうとしたクリムゾンだったが、それよりも先にルークが口を開いた。

「父上」

「…何だ」

「父上は何を恐れていらっしゃるのでしょうか」

ルークの質問に、今度こそクリムゾンは目を見開いた。
しかしルークはすぐに俯いてしまったため、クリムゾンの反応は見えていない。
すぐに自分の失態に気付いたクリムゾンは表情を取り繕うが、ルークは俯いたまま呟くように語り始める。

「父上にこのようなことを言うのはおかしいのかもしれませんが…俺、最初は父上に嫌われてるのかなって思ってたんです。
けど父上は俺のこと見てくれなくて…だから、父上に俺のこと見て欲しくて頑張ってきました」

「……」

ルーク、と。クリムゾンは名前を呼びそうになった。
愛してしまえば後々自分が辛くなると目を反らしていた息子は、いつの間にかこんなにも聡明に育っていたのだと、そして同時に、自分のエゴのせいで息子を傷つけていたという事実にようやく気付いたのだ。
しかしルークは俯いたままで、クリムゾンの後悔する顔には気付かない。

「でも最近、父上が俺のことを避けてるのは俺のことが嫌いだからじゃなく、むしろ何かを怖がっているって言うか…そんな風に感じたんです。
といっても父上が怖がることなんて思いつかないんですけど…。
でも、俺に関係することなんじゃないかなっていうのは解って…だから、父上」

ぐ、と何かを決意した瞳でルークが顔を上げた。
クリムゾンは必死に顔を引き締めながら、王族と呼ぶに相応しい息子を見下ろす。

「俺はまだまだ子供ですから、父上のお力になれることなど殆ど無いと思います。
けど俺も王族の端くれです。俺の心と身体は、髪の一筋に到るまで国のために存在します。
国のためとあらば俺は喜んで身を捧げましょう。
だから何か俺に力になれることがあれば、遠慮なく言って下さい。
例え死ねと言われても、俺は国のためとあらば迷うことなく剣を胸に突き刺しましょう」

緊張気味に唇を引き結んで入るものの、その決意の瞳は揺るがない。
まさにこの子供は真の王族だと、クリムゾンは泣きそうになる。
預言に詠まれただけの不確定な繁栄などに、この優秀な息子を差し出す価値などあるのだろうかと疑いたくなってしまう。

「…ルークよ、お前が王族としての自覚を持っているのはよく解った。
だが、親の前で死ぬなどと軽々しく言ってくれるな。
確かに我等は王族だ。だがその前に…私はお前の父親なのだから」

「父上……す、すみません!俺、そんなつもりじゃ…っ!」

もしかしたら、死を望まれているのだとどこかで理解しているのかもしれない。
そんな事を考えながら慌てた様子を見せるルークを見てクリムゾンは悲しげな笑みを浮かべる。
そしてもう一度ルークからノートを受け取ると、もう寝なさいと言って部屋を追い出した。

もう一度ノートに目を通せば、そこには荒削りながらも光るものがある。
それを見て息を吐いた後、クリムゾンは一つ決意をした。

明日、インゴベルト王に進言するのだ。ルークを政治に関わらせたいと。
数年後には居なくなるのだからと最初は渋られるだろうが、それまでに成果を出してくれるのであれば国のためになると言えばインゴベルトは頷くだろう。
そうしてルークの有用性と将来性を示唆すれば、もしかしたら預言に抗う術も見つかるかもしれない。

「……そのためには教団の失脚も、考えねばな」

己の息子の命と比べれば、預言を順守しろと言うだけの教団など、軽いもの。
例え預言が外れたとしても、ルークさえ居ればキムラスカは更なる発展を迎えるだろう。
シュザンヌの協力も得られれば、古参の重鎮達も幾人かは抱きこめる。
これからの予定をつらつらと考えながら、クリムゾンはラムダスを呼ぶために鈴を鳴らした。

逆にクリムゾンから部屋を追い出されたルークは、ラムダスとすれ違うことなく私室に向かい、ベッドに転がってこみ上げそうになる笑い声を堪えるのに必死だった。
父が案外情に脆いのは知っていたが、ここまでうまくいくとは思っていなかったのだ。

少しでも惜しいと思わせれば万々歳というのがルークの目論見だったが、まさかノートを持っていくとは!
ガイの証拠を掴むための手駒を借りるためだけに父を懐柔するつもりだったが、たった一度深く言葉を交わしただけで情を移すとは思ってもみなかった。

「ま、でなきゃセシル将軍を愛人にしたりしねーか」

くつりと喉を鳴らし、前髪の隙間から覗いた父の泣き出しそうな顔を思い出す。
この調子ならば預言の年にも何かしらの変化が訪れるかもしれない。
そうなれば前よりも早くルビアに会えるかもしれない。

「焦るな…怪しまれないよう、確実に…」

逸る気持ちを抑えながら、自分に言い聞かせるように呟く。
早くあの細く柔らかな身体を抱きしめ、二度と離さないと呟きたかった。
そうすればルビアは恍惚とした顔で名前を呼び、しなだれかかってくるのだろう。
それを夢想するだけでこみ上げてくる愛しさで胸を満たし、ルークはベッドへと潜り込む。

もう少し、もう少しだ。
そう自分に言い聞かせながら、ルークは夢の中へと落ちていく。

ND2015の、ルークが15歳となる少し前の事である。












「なんと言うことだ…っ!」

「父上…?」

珍しく声を荒げる父親に、ルークは造りではない訝しげな顔をした。
父に言われ政治に参加するようになって早1年。
16歳になったルークは、父と共に執務室で執政を行うことが増えていた。
議会へ参加するためだけではあるものの、登城する許可も出ている。
そのせいで城でナタリアの突撃にあうことも増えたのだが、鬱陶しくはあるもののそれはそれで構わなかった。
ナタリアが約束を思い出してくれと囁けば囁くほど、その非常識さが周囲に知れ渡るのだから。

それはさておき、父が滅多な事で声を張り上げる人間ではないことをルークは知っていた。
なのでどうしたのですかとルークが聞けば、クリムゾンはため息をつきながら報告書をルークへと手渡してくる。
そこには、ガイ・セシルとペールがダアトの人間ではないこと、それどころかかつてのホドの領主の息子である可能性が高いということが書かれていた。
それを見てルークは唇の端が上がりそうになるのを堪え、悲痛な顔を作って浮かべる。

前回の生ほどではないが、ガイとはそれなりに親しくしていた。
年が近く、屋敷に来たばかりの不自由な頃に世話役をしていてくれたとなれば親しくしない方が不自然だからだ。
同時に、親しくしていた方がガイの異変をクリムゾンに相談しやすかったというのもある。
相談してからは徐々に距離を取り始めていたのだが、ようやく出た結果にこれまで我慢していた甲斐があったとルークは満足していた。

「ガイが…マルクトの…」

「ルーク…」

「父上…これは、本当のことですか?」

「…以前住んでいたというダアトでも調査を行ったが、そのような人間が居たという事実は無いそうだ」

「では、もしやガイのセシルという姓は…」

「ああ、恐らく母方のユージェニー・セシルから取ったのだろう。
つまりガイの正体は…そこに書いてあるとおり、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」

その言葉を聞いて、ルークは唇を噛み締める。
クリムゾンが僅かに眉根を寄せていたが、ルークは何かを堪えるように瞳を閉じた後、数分の時間をおいてからゆっくりと目を開いた。

「…父上、この報告ではまだ確定ではないのですね?」

「そうだな…まだ疑いの段階だ」

「では調査の続行をお願いします。もしガイが真実ガルディオス家の人間ならば、これはマルクトに対し非常に有利な状況に持っていけるチャンスです」

瞳を閉じている間に、友を切り捨てる覚悟を決めた。
クリムゾンはそう受け取ったのだろう。勿論、ルークがそう見せたのだが。
クリムゾンは息子の決意に僅かに胸を痛ませたようだが、それに重々しく頷いた。

「それと…グランツ謡将にも調査をつけるべきやもしれません」

「グランツ謡将にか?」

「はい。ガイとペールはグランツ謡将の推薦でこの屋敷に入ったのでしょう?
何も知らなかったとは思えません」

「確かに。導師の動向しか探らせていなかったが、そちらも気にかけるべきかもしれんな。
よし、謡将も探るよう密偵に連絡を入れよう」

「俺の方からも剣の稽古の合間に少し探りを入れてみます」

「ルーク、あまり危険なことは…」

「解っています。しかしグランツ謡将は俺が謡将を慕っていると信じて疑っていません。
油断して何か零すこともあるでしょう。探ってみる価値はあります」

「……解った。だが警戒を怠るな」

「はい」

クリムゾンの言葉に頷くルーク。
だがルークの中では、ヴァンがルークに対し何かするとは思っていなかった。

かつては気付かなかったが、ヴァンの笑顔は実にうそ臭い。
必要な手駒だからこそ優しく接しているのだろうが、その瞳の奥が冷え切っていることにルークは気付いていた。
そしてその中にある、侮蔑にも。

今ダアトではオリジナルイオンの死を迎え、レプリカへ摩り替えるためにモースとヴァンが動いている筈だ。
その尻尾を掴めれば、死の預言を迎えたにも関わらずレプリカを据える教団に対しクリムゾンは更に懐疑的になるだろう。
クリムゾンとシュザンヌが密かに作っている反預言派の派閥も煽られるに違いない。
インゴベルトにいたっては期待していないが、多少なりモースに疑問を抱いてくれれば万々歳といったところか。

頭の中で反預言派の動きを予測しながら、もう一度報告書に目を通す。

ああ、そう言えば…と、ルークは報告書を見るふりをしながら、かつての友、七番目のレプリカイオンの存在を思い出す。
今度は救ってあげたい。そういった想いが胸の内にあるのは否定しない。
しかし正直な話、公人としていただけない部分が多すぎるのも確かだ。
最も、政治に関してろくな教育もされずにダアトに軟禁されていたとなればそれも致し方ないという気もするが。

だがイオンも馬鹿ではないのだ。
きちんと教えればオリジナル同様の優秀さを持ってダアトを引っ張ってくれるだろう。
レプリカであるということは、その才能も確実に受け継いでいるということなのだから。

預言の年まであと2年。
ルークはキムラスカ最上層部から出ることなく網を張り、いくつもの手を打ち、その年を迎える。


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