愛に殉ずる聖焔の話(五)
「あのな、導師が直々にチーグルの森に行ってどうすんだ!」
「あ、え…いや、導師だからこそ、僕が解決しなければ、と」
「部下派遣しとけって話なんだよ。それこそ神託の盾の仕事だぞ、これは」
「で、でも…」
食い下がるイオンにルークはもう一度ため息をつくと、適当な空き箱の上にイオンを座らせる。
今だチョップされた驚きが引かずに素直に座ったイオンの隣にルークも腰掛け、イオンにもわかるようゆっくりと順序を踏んで話し始めた。
「あのな、確かにチーグルは教団の聖獣だ。だがココはマルクトだ。
マルクトの事件はマルクトが解決すべき事案であり、教団が首を突っ込むのは筋違いなんだ。
それでも教団が首を突っ込んだら、それは内政干渉とか越権行為って言われてもおかしくない。ここまでは解るか?」
「あ………は、はい。わかり、ます」
しゅんとうなだれるイオンにルークは一つ息を吐いてから、今度はイオンの頭を豪快に撫でてやる。
髪飾りが少しばかり邪魔だったが、それでも髪の毛がくしゃくしゃになるほどに頭を撫でられ、イオンはまた目を白黒させてルークを見上げた。
「イオンのチーグルのことを何とかしたいっていう優しい気持ちは解ったよ。
けどイオンは教団って言う大きな組織のトップだから、勝手な行動はできない。しちゃいけないんだ。
イオンが何かすれば、その責任は周囲が取らなきゃいけなくなる。
同時に教団員が何かしでかした時には、トップってだけでイオンが責任を取らなきゃいけないときもある。それだけイオンは大きくて、大切な存在なんだ。
けどトップって言うのは責任を負う代わりに、その分権力も与えられるからな。
その権力をうまく使って、自分の下に着いている奴を導いてやらなきゃならない。
だから俺はチーグルのことは部下を使えって言ったんだ。これも解ったか?」
「はい…はい、解り、ました。僕、間違ってたんですね…」
再度項垂れるイオンの頭を、ルークはもう一度わしゃわしゃと撫でた。
これから覚えてけば良いんだとルークがいえば、イオンは泣きそうになりながらも笑顔を浮かべる。
「不思議ですね。ルークとは初対面のはずなのに、なんだか懐かしい気がします」
「イオンもか?実は俺も」
ルークが笑顔でそう答えれば、イオンは撫でられた頭に手を当てながらふわりと笑う。
まあルークの場合、実際に懐かしがっているのだが。
それはさておき、じゃあどうしたら良いだろうと首を捻るイオンに、ルークはアドバイスを送ることにした。
こうして話せば、イオンは解ってくれるのだ。
だったら少しずつ覚えていけばきっと良い為政者になれるだろう。
けど最初からできる人間など居ない。ルークとてルビアから教えられた。
だからイオンには自分が教えてやれば良いとルークは思ったのである。
「確かさ、神託の盾には幼獣の二つ名を持つ…えっと、」
「アリエッタですか?」
「そうそう、幼獣のアリエッタだ。確か、魔物と話せるんだろ?
だったらアリエッタを呼んで、チーグルから事情を聞いてもらえば良いんじゃねえ?」
「成る程…」
「ことの次第によっちゃチーグルを庇えなくなるかもしれないが…そこは盗まれた野菜に対する被害の補填を教団側から申し出たりして何とかするしかない。
教団の運営は詠師達がしてるんだよな?アリエッタに調査を命じる場合、ことの経緯を詠師達に伝えるよう指示しておくのを忘れるなよ。
それとマルクトへの弁明だな。
聖獣チーグルが関わっていたことと、丁度神託の盾に魔物とコミュニケーションが図れる団員が居ること、それと村民たちが切羽詰っていたこともあってコチラで動かせていただいた。
事後報告で申し訳ないが、結果は後ほどきちんと報告させて頂きます。エンゲーブの被害は教団ができうる限り補填させて頂きます、ってとこか」
「マルクトへの弁明…そうですね。え、と…普通ならマルクトに調査を申し出てやった方が良いってことでしょうか?」
「そうだな。マルクト軍にアリエッタの存在を伝えて、聖獣チーグルが関わっているようだから調査に協力させてくれって頼むのが筋だろうな」
「ありがとうございます!とても参考になりました。
あ…でも、」
「今詠師達に連絡するのは無理か?」
ルークの問いかけにイオンは緑の目を見開いた。
自分とは違う優しい緑色にルークは一瞬だけ目を細めたあと口を開く。
どうしてそれを、と言いたげなイオンに答えをあげるためだ。
「俺の剣の稽古は神託の盾騎士団のグランツ謡将っていうんだ。グランツ謡将から導師イオンが行方不明って聞いていたからな。
けどイオンは行動が制限されているようには見えない。導師守護役が周囲に居ないのも気になるが、誘拐って訳じゃないんだろ?
と、なればイオンが自分の意思で家出してきたってところかなと思ったんだが…」
「は、はい。その通りです…」
「やっぱりか。じゃあ余計に詠師達に手紙を送った方が良いだろうな。
マルクトに居るって時点でマルクトが導師を誘拐したって勘違いされるぞ」
「え!?ぼ、僕は自分の意思で出てきたんです!誘拐されたわけじゃ…」
「勿論俺はそれをイオンから聞いて知ってるけど、詠師達はどうなんだ?
急にイオンが居なくなって、守護役もつけずにマルクトに居るって情報だけ入ってきたら?
マルクトに誘拐されたって考えてもおかしくないだろ?」
「あ……そ、うですね。失念してました…」
肩を下げて項垂れるイオンの頭をまた撫でるルーク。
既にイオンの頭はぐしゃぐしゃだが、ルークに撫でられた頭に手を置きながら少しだけ嬉しそうなのはやはりそういったことに慣れてないからだろう。
「あのな、イオン。世界には色んな人が居る。
そしてその色んな人は一人一人考えがあって行動してる。
まぁ中には考え無しに行動する馬鹿も居るが…俺やイオンみたいな上に立つ人間ってのはな、慎重な行動を求められるだろう?
だから自分がこう動いたら他の人間はどう思うか、どう動くか、その結果どうなるかってのを常に考えながら行動しなきゃいけないんだ」
「相手の考えを予測し、それを踏まえたうえで行動する…ってことですか?」
「そうだ。しかも相手は一人じゃない。複数だ。
ダアト内なら詠師、大詠師、神託の盾騎士団、導師守護役達、一般信者達。
それからイオンが今ココに居る以上、マルクトって国も関係してくる。
イオンは自分の意思で動いただけかもしれないが、イオンが動くだけでこれだけの人間が巻き込まれることになるんだ。今守護役はどうしてる?」
ルークが訥々と語る内容に、イオンは目を見開き顔を青くさせていた。
自分の重要性をいかに理解していないかよく解る表情だったが、ルークはあえてそれを指摘しない。
そしてルークの質問に、イオンは呆然と答える。
「…一人、だけです…」
「なら残された守護役達も罰を受けることになる」
「そんな!」
反射的に立ち上がるイオン。
ルークがまぁ落ち着けとイオンの手を取り再度座らせてから、イオンの目を見る。
イオンの瞳はどうして自分が勝手に動いただけなのに守護役が罰を受けなければいけないのかと困惑していて、ルークはイオンの手を取りながらその質問に答えた。
「例えば、今俺が暗殺者だったら?」
「…え?暗殺者なんですか?」
「いや、違うけど…俺がココに訪れずに、暗殺者が訪れたら?
そんな風にイオンが傷つく可能性ってのは人よりも高いんだ。
イオンが傷つかないようにするための守護役なのに、側に居なきゃ意味ないだろ?
だから罰を受けるんだ。イオンを守れなかったから、罰を受ける。
イオンの身に何かあったら周囲が責任を取らなきゃいけないって言っただろ?
それはそういうことなんだよ」
イオンはルークの言葉に眩暈でも起こしたのか、上半身をふらりとぐらつかせた。
ルークはそれを支えてやりながら、イオンの背中を撫でる。
「僕は…僕は、とんでもないことを…」
「…イオン、俺はイオンが嫌いだから言ってるわけじゃない。それは解るな?」
「…はい」
「だったら俺の言葉を踏まえて、イオンは何をする?」
「ダアトに…至急ダアトに連絡を入れます!
僕が自分の意思で出たことと、守護役達の罰は与えないで欲しいこと…チーグルのことと、アリエッタへ連絡を入れてほしいことと…それに関するマルクトへ連絡を入れて欲しいこと、でしょうか…?」
「ま、それくらいだろうな。
後は勝手に黙って出てきた謝罪も忘れるなよ?」
「はい」
力強く頷くイオンの頭を、ルークはまた思い切り撫でる。
イオンはもう、それがルークが自分を褒め慰めてくれているのだと気付いていた。
だから嬉しさに少しだけ頬を染めながら、髪を手櫛で直してから立ち上がる。
「守護役と合流するまで護衛するよ」
「ありがとうございます、ルーク」
なのでルークも立ち上がり、チーグルの毛を集めてから二人で倉庫を出た。
そして宿屋の主の元へ行き、どうやらチーグルが食料泥棒していたらしいこと、すぐにマルクトへ連絡し神託の盾からも魔物と話す能力を持つ幼獣のアリエッタを派遣することを告げる。
主人はその話を聞いて驚いた顔をすると、罰の悪そうな顔をして頭をかいていた。
何でも、ついさっきやけにぼろい格好をして目つきが悪い女を一人、食料泥棒として捕まえたらしい。
捕まった後は村民たちへの罵倒を繰り返しているせいで、先程簀巻きにされて納屋に放り込まれ、マルクト軍に引き渡そうという話を合わせていたようだ。
イオンはルークは顔を見合わせた後、おずおずと主人に言う。
「あの…犯人じゃないと解ったわけですから、解放してあげてくださいね」
「ああ、そうだな。すぐにローズさんに伝えてこよう」
イオンの言葉に頷いた主人は、そう言って宿屋を出て行った。
二人はそれを見送った後、ルークの部屋で宿屋に備え付けられている便箋を使って手紙を書き上げる。
それをルークがチェックしていくつか修正を加えた後、町の郵便屋に速達でダアトに届けてくれるよう頼んだ。
「ま、これで一安心だろ。で、イオンは何でマルクトに居るんだ?」
「それは…」
「あー。言えないなら良いよ。で、守護役は一体どこに行ったんだ?」
「…どこでしょう」
苦笑するイオンにため息をつくルーク。
そして今度は守護役の仕事に付いて解説するためにイオンを宿の席に座らせ、長話になるからとお茶を淹れ始めるのだった。
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