泥に沈むことを選んだのはボクでした(U)


あれ以来、女もといルビアはボクの師匠だ。
不本意だし、今だどこか釈然としないところはあるけれどルビアは強く、そして博識だった。

ダアトから離れた小さな集落の、更に外れた場所にぽつんと立ってる小さな小屋。
一般人の場合、温泉がついている以外こんなところに住むメリットは殆どないその場所で、ボクは日々ルビアにしごかれている。
ヴァンの言うとおり、ルビアはボクが学ぶべき全てを持っていて、ボクは日々のその大半を学習に費やしている。
ただ、唯一不満なところは、

「だから!人の!尻を!撫でるな!!」

「鬼さんこちら、手のなる方へ!」

「この変態!」

「ありがとうございます!!」

「褒めてない!!」

とにかくセクハラが酷かった。
殴るふりをして尻を撫でる。太ももを撫でる。いつの間にか背後に回ってきたかと思うと脇から伸びてきた手に羽交い絞めにされて首筋のにおいを嗅がれた。
少年の匂い!と言うルビアに一撃を入れられなかったのが今でも悔やまれる。
アレから二週間、みっちりぼこぼこにされて何度も生死をさ迷ったボクは何とか正式に弟子と認められたらしい。
今はルビアに一撃を入れる、という課題を元に鬼ごっこを繰り広げている。

最初こそあの変態に一糸報いんと攻撃を繰り出していたのだが、これがちっとも当たらない。掠りもしない。
殴るどころか殺すつもりでやっているのに当たらなくて、苛々してくると途端にスプラッシュを食らって濡れ鼠状態だ。
頭を冷やせという言葉は決して物理的に身体を冷やすわけではないと知っていながらこの暴挙、もう三回くらい死ねばいい。

「んん、ちょっと腹筋ついた?」

ぞわり。
宙返りの要領でボクの背後を取ったルビアが、背後から抱きついてきたかと思うとボクの腹をさわさわと撫でる。
途端に駆け上がった悪寒に背後に向かって蹴り上げたのだが、ルビアはあっさりと避けるのだから本当にむかついて仕方がない。

「セクハラを、やめろ!痴漢!」

「えー。だって触らないと解らないしー」

「こんだけ動いてんだからつくに決まってるじゃないか!見れば解るだろ!」

「え?じっくり裸を見て欲しいって?」

「死ね!!!!」

どこをどう曲解したらそんな台詞が出てくるのか。顔面めがけて蹴りを繰り出すも最低限の動きだけで避けられる。
連激をしかけようとしたものの、足首を掴まれたせいでそれは叶わなかった。
どころか足首を持ったまま高く掲げられ、後ろにひっくり返りそうになって慌ててバランスを取る。
もう片方の手でふくらはぎを揉まれ、怒鳴ろうとしたところをちょっと休んだほうが良さそうだにゃーという台詞を聞いて無理矢理飲み込んだ。

「若いからねー。筋肉つくのは早いだろうけど短期間でやる分反動も大きい。休憩するよ。
お湯に浸かって手足をマッサージ。出たらストレッチを一通り。それと」

「水分はしっかりとれ、だろ。解ってるよ」

今度はセクハラじゃなかったらしい。ボクの台詞に満足そうに頷いたルビアはさっさと足首を離し、小屋へと向かっていった。
ため息をつき、予め準備しておいた着替えとタオルを持ってボクは小屋の外についている温泉へと向かう。
たっぷりと汗を吸った服を脱ぎ、かけ湯でざっと汗を流してから温泉へと身体を沈めれば身震いするほど気持ちがいい。
はあああ、とため息とはまた違う感嘆の息が自然と口から漏れた。

「おーい、水ココ置いとくよー」

「……ん」

「一緒に入ってあげようかー?」

「馬鹿じゃないの!?」

けらけら笑うルビアに温泉気分を台無しにされながらも、持ってきてくれた水差しに手を伸ばして一気に水を煽る。
温まった体の中を通っていく冷たい水が気持ちよかった。全身に水分がいきわたる感覚は結構好きだ。
数度に分けて水差しの中身の大半を飲み干した後、ぐ、と伸びをしてからボクは手足のマッサージを始めた。

今思い返せば、最初の鬼ごっこは多分試験のようなものだったのだろうと思う。
この小屋に来る前に小耳に挟んだのだが、ルビアの弟子を希望する者はボク以前に何度も居たらしいのだ。
けれど、あの最初の鬼ごっこで皆根を上げた。故にルビアは自分の後継を探すのを半ば諦めていたらしい。

「それじゃあボク弟子第一号じゃないじゃん」

なんて言ったものだが、ルビアから言わせればあの程度のしごきで逃げ出すのは弟子として認めるわけにはいかないので、やっぱりボクが第一号でいいらしい。
あの鬼ごっこに耐えなければ弟子になれないのだから、第二号を迎えるのは一体どれだけ先になるのやらと思う。
ボクを弟子に迎えたと聞き、やってきた奴ら全員に「じゃあ君は今日から弟子二号だ!」と言って鬼ごっこをして逃げられているのだから、余計にそう思う。

全身を丁寧にほぐしたところで温泉から上がり、水差しの中の残りの水を飲み干す。
服を着て空になった水差しと一緒に小屋へと戻れば、ルビアが食事を作ってボクを待っていた。

「ご飯なに?」

「メインはブウサギのしょうが焼き、後は玄米入りの白米と大根と油揚げのお味噌汁に、かぼちゃの煮物。後シンクが前に漬けてくれた白菜!」

「解った。ストレッチしてから食べる」

「ところでどうよスパッツ、動きやすいでしょ?ジャストフィットでしょ?ラインが出てとってもいやんなかんじがまたよさげでしょ?」

「ボクのご飯大盛りにしてね」

「風呂上りなのにとっても冷たい!!」

温まった身体を冷やさないように更に着込んでから、マットの敷かれた暖炉の前でストレッチをする。
今は一人でしているが、ルビアとやるときもある。開脚前屈でべったりと床に体がつくことができるルビアほどではないが、それなりに柔軟さはついたと思う。

最初こそふざけた指導だと思っていたが、この場所に着てからは結構真面目に指導してくれている。
強さは一日にあらず。健全な肉体こそ全ての基盤と言って、ボクの年齢と体力に合わせたメニューが組まれ、日々食べて寝て鍛えてを繰り返している。
時には無理も必要だが、適度に休まねば継続した戦闘はできない。長期任務に体力は必須で、健全な肉体がなければ体力はつかない。
そんな感じで色々と教えてくれている。本当にセクハラさえなければ言うことのないのに。

ストレッチを終える頃には食事の準備も終わっていて、水を追加で飲んだボクは空腹を主張する腹の音と共にテーブルに着いた。

「できましたよー!ルビア師匠特性ブウサギのしょうが焼き定食!さあさあ味わって食べなさい!
私を崇め奉りながら一口一口噛み締めて、」

「いただきます」

「シンクちゃん超クール!!ねえお願い師匠の話を聞いて!」

あともうちょっと静かになればいいのに。


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