参謀総長のご飯事情(お惣菜屋〜一挙一動〜そのご)


ごろり。
まだ集合時間に余裕があるからごろごろしてたのに、何故かリグレットがやってきて僕の前に仁王立ちしてきた。

「パンツ見えるよ」
「殺すぞ」

ガツン、とハイヒールで踏まれそうになる寸前に腹筋だけで起き上がって避ける。ざまあみろ。
苛々しているのはお互い様だ。解っているのでお互い謝ることもなく、用件を促せばダアトにひとっ走り潜入して来いとかいうふざけた任務を言い渡された。
何でも回収し切れなかったレプリカ情報がいくつか残っているらしい。その内容を僕に取りに行かせるあたり、ほんといい性格してると思う。

「ディストに任せればいいじゃん」
「彼が静かに回収できるなら勿論頼んでるわ」
「うん、僕が悪かった」

それは確かに無理だ。高笑いするディストを脳裏に浮かべ、すぐに思考の外に追いやってから上っ面だけ謝っておく。
仕方ないので詳しく聞けば特段難しい場所に保管している訳でもないようなので、移動時間も加味して五日ほどでかかると言えば十分との事。
ならばその間師団を頼むと告げ、あてがわれたテントで最低限の荷物を纏めた僕はアリエッタに魔物を借りてダアトへと飛んだ。

ああ、そう言えばルビアはどうしてるだろうか。
飛びながら思い出すのは『一挙一動』の看板娘。玉子焼き一つで頬を緩ませ幸福そうに笑う、何の力も持たない彼女のこと。

結局、あの約束は叶わなかった。
次の定休日が来る前に、導師役をやらせていた七番目のレプリカイオンがダアトを出奔したからだ。
僕の休日はつぶれ、マルクトへと飛ぶ羽目になった。それ以降、怒涛の日々が続いていたお陰で一度もあの店に行けていない。
あの約束をした日が、結局最後に通った日だ。そう思えば僕は二つの約束を破っている。
また、という言葉と、お弁当を持ち寄る約束を。

そこまで考えて、思考を捨てるために頭を振りかぶった。考えても仕方ない。どうにもならない。今更過去には戻れない。
アレはつかの間の平和が見せた幻のようなものだったのだと自分に言い聞かせる。
そうして自分にきつく言い聞かせたのに、ダアトで手早く回収を済ませた後、我慢しきれずに軽く変装をして『一挙一動』へと向かう。
もう閉店する時間だ。会える筈もない。今残っている神託の盾兵とかち合ったらまずいことになる。解っているのに、足は止まらない。

「……ルビア?」

そう、思っていたのに。

「……シンクさま?」

まさか会えると思っていなかった彼女が、ぽかんとした顔で此方を見ていた。
ああ、本当に会えるなんて。形容しがたい感情が胸を満たす。手を伸ばそうとして、ぴたりとその手を止めた。

一体何をする気だったのだ、僕は。
今の僕は謀反人、稀代の悪人ヴァン・グランツと共に世界を壊すことを目論む六神将の一角だ。
近づいてみろ、怯えられるに決まってる。

そう思うと一気に胸が冷える。近寄ろうとしていた足が、根が生えたようにその場から動けなくなった。
それなのに。

「やっぱり!あ……しん……こっち、こっち着てください」

ルビアは僕の名を再度呼ぼうとして慌てて口に手を当てた後、僕が詰められなかった距離をあっという間に埋めたかと思うと、その柔らかな手で僕の腕を掴んで店の裏手へと僕を連れて行く。
そして誰の目がないことを確認すると、無事でよかった、と泣きそうになりながらも笑ってみせてくれた。

「ずっと心配してたんです。騎士団の方々も殆ど居なくなってしまって……ほんと、ご無事でよかった」
「……怖がられるかと思った」

胸を撫で下ろす彼女に、思わずそんな言葉を漏らした。
だって僕の姿を隠したということは、僕が追われる身だとわかっているということだ。
しかし彼女はきょとんとすると、何故かくすくすと小さく笑い始める。意味が解らない。

「怖がったりしませんよ。だってシンクさまですもの」
「……悪人なのに?」
「私に悪意を持っているのなら、こうして話す暇も無くとっくに私は死んでますし……それに、わざわざ変装してまで会いに来てくれたりしないでしょう?」

そう言って柔らかく笑う彼女に、僕の力は一気に抜ける。
確かにその通りだ。何の力も持たない彼女を殺す気ならば、とっくに彼女は事切れている。

「……ごめん」
「それは……何に対しての謝罪ですか?」
「……約束、守れなかった」

ゆっくりと、ルビアの手を取り握り締める。自分のものとは違う、荒事を知らない手は水仕事のせいか荒れているけれど、それでも十分柔らかいと思う。
そのあたたかな手を緩く握り締めながら謝罪すれば、ルビアは小さく首を振った後、僕の手を握り返してくれた。

「偉い方達が何を仰っているのか、私にはよく解りません。けれどシンクさまはシンクさまの譲れないもののために、ダアトを出て行ったのでしょう?」
「……そうだね」
「なら、謝らないで下さい。……もう、戻ってきてくれないのでしょう?」
「……ごめん」
「……ひどいひと」
「……泣かないでよ」
「泣いてません」

段々と震え始める声に、謝らないでと言われたのに謝罪を重ねることしかできない自分がふがいなかった。
嘘をつきながら肩を震わせ泣き始めるルビアをどうしていいか解らず、恐る恐る腕の中に閉じ込める。
肩の辺りで泣かれるのがくすぐったくて、胸の奥がちくりと痛む。ごめん、とまた謝ると弱い力で叩かれた。
ちっとも痛く無いはずなのに、何故か胸がずきずきした。

「……もう、行ってしまうんですよね」
「うん。もう戻ってこないと思う」
「ちょっと待ってて下さい」

ひとしきり泣いたルビアは、赤く瞳を腫らしながら僕の腕の中から逃げ出してそう言った。
離れていった体温を寂しく思いながらも、通報されることはないだろうと言われたとおりに店の中に消えていったルビアが帰ってくるのを待つ。
五分もしないうちに帰ってきたルビアは小さな包みを持っていて、お待たせしましたという言葉と共に僕にそれを差し出した。

「私が作ったお惣菜と、おにぎりです。早めに食べてください」
「……いいの?」
「餞別、というヤツです」
「……ありがとう」

両手で差し出された包みを受け取る。しかしルビアの手が離れない。
顔を見れば今にもまた泣き出しそうな、切なそうな、苦しそうな、そんな顔で僕を見ている。
だから一歩だけ近づいて、また涙が零れそうなその瞼にそっと口付けを一つ。

「……貴方と恋がしたかった」
「……君の隣に立ちたかった」

離れていく指先と震える声を背に、僕達の道は完全に決別したのだと思う。



さよならの言葉だけは、何故か出てこなかった。


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