厳しめSS詰め合わせ(墜落)


恐らく、アニス・タトリンの人生の崩壊はその時に始まった。

ヴァン・グランツ討伐。
そしてその二年後、死亡したと見られていた英雄の一人、ルーク・フォン・ファブレの帰還。

これを機に世界は大きく動いた。
後にエルドラント事変と呼ばれるその事件の後、導師守護役であるアニス・タトリンは各国に存在する英雄の一人──ことの最中に不幸にも命を落とした導師を献身的に支え続け、その敵を討った導師守護役──として教団に所属していた。
並ぶのはユリアの子孫にして大譜歌の使い手、世界を護るため涙を呑んで兄を討った聖女メシュティアリカ・アウラ・フェンデだ。
ちなみにマルクトにおいては英雄一行のブレインとも言える稀代の天才ジェイド・カーティスと、ホド崩落後身を隠しながらも英雄を育てる一助となったガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
キムラスカからは民衆からの絶大な指示を得るナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディア、そしてヴァン討伐の任を果たしたルーク・フォン・ファブレ子爵である。

ルークの帰還を喜んだアニスは、再会を思う存分堪能した後、少しだけイオンを思い出し涙ぐみながらも仕事もあるからとダアトへと帰還した。
名残惜しそうにルークと話すティアはその場で別れた。導師を目指すという目標がある以上、あまり時間は取れなかったのだ。
恐らくアニス自身はその時は想像だにしなかっただろう。共に旅をした者達と顔を合わせるのが、それが最後になってしまう、なんて。

ダアトに帰還後、半年もしないうちにアニスを含む教団員及び神託の盾兵に告げられたのは教団の規模縮小のため、現在所属している者達をふるいにかけるための試験を行うというものだった。
つまり能力の無い者達をリストラすると、堂々と宣言したのだ。まさかそのように宣言されるとは微塵も思っていなかった下の者達は告知されたないように唖然としていたが、皆仕方ないと諦めを抱きその試験を受け入れた。
当然だ。預言からの脱却を各国が決めた今、教団の経営は非常に厳しいものになっている。一番の財源である預言を詠む度に貰っていたお布施がなくなってしまったからだ。
それに伴いマルクト及びキムラスカからの寄付金も大幅に減額されており、ケセドニアからの税金で何とか体裁のみ保っているというのが現状であることを、団員達は正しく理解していた。
アニスもまた正しく理解していた人間の一人であったため、文句を言いつつもその試験を受け入れた。自分は受かるだろう、と心の奥底で確信しながら。

「……え、うそ」

墜落の一手がかかった。アニスの確信と裏腹に、アニスは導師守護役の試験に見事に落ちた。
アニスは忘れていた。自分はモースがコネで無理矢理ねじ込んだ導師守護役であった、ということを。
かつて幼年学校しか出ていないことを馬鹿にされ、同僚達に蔑まれていたことを。

本来導師守護役とは神託の盾の中でも若い女性、その中でもエリート中のエリートで構成される軍団である。
導師の私兵という側面があることにはあるものの、基本的には血の滲むような努力を重ねた者のみが到達できる軍団なのだ。
そこに求められるのは単なる戦闘能力だけではない。そもそも前に出て戦う能力と、貴人を護るための力というのは似ているようで大きく違う。
それに加えて一定の器量、各国の貴人と出会うのだから礼儀作法は当然のこと、そして導師に諫言するための知識を必要とされる。
それらは全て、幼年学校と士官学校で最低限の学習しかしていないアニスにはもち得ないものばかり。落第というのは当然の結果であるといえるだろう。

自分は英雄なのに。
心の中だけで呟くものの、しかし現実は無情に流れ、アニスは神託の盾から除隊を命じられた。
自分は英雄なのに。
つい先日まではあれほど誉めそやしてきた人間達が、アニスをいないものとして扱うのが耐えられなかった。
自分は英雄なのに。
その本音を押し殺し、ごめんなさいと呟く。イオンの後を継ぐ、という目標は今この時を持って叶わないものとなってしまったから。

冷たい視線と現実に溢れ出そうになる涙をぐっと堪え、アニスはすぐに次の職を探し始めた。
当たり前だ。オリバーとパメラはいまだに借金癖が直っておらず、タトリン一家の家計は火の車だった。
導師守護役の給料はそれなりに良い物だったから家族を養うことができたがこれからはそうもいかないだろうとアニスは考える。
次の職を見つけることができても、同等の給料を貰えるなんてことは絶対に無いだろうということも。

そしてアニスの想像通り、タトリン一家は困窮を極めた。
規模を縮小した教団が自治権を取り上げられ、パダミヤ大陸がキムラスカに返還されたのも困窮に拍車をかけていた。
別段キムラスカが重税を課したとか、そう言うわけではない。児童福祉が充実したせいで、アニスが働けなくなってしまったのだ。

パダミヤ大陸がキムラスカに返還され、統治のためにダアトの街には貴族の執政官が送られてきた。
幸いにも貴族は民衆に優しく、過度な税を強いることもなく、信者達は胸を撫で下ろした。
教団が定めた自治法からキムラスカの法が適応されるようになったことにも、多くの者達はそれほど苦慮しなかった。

──未成年(二十歳未満)のものの労働を禁ずる。
ただし、十六歳以上のものは一日八時間以内の労働は許可するが、週二十一時間を越えてはならないものとする。

それがアニスの、ひいてはタトリン一家の足枷となるなど、貴族も予想だにしていなかったのだ。
ようは未成年者は勉学に励め、ただし十八を越えた時点である程度のアルバイトは許可するという内容で、キムラスカやマルクトでは珍しくもない。
しかしようやくありついた職場にて、新しい法が適応されるようになるからもう雇えないと言われた時、アニスは自分の血の気が引いていく音を聞いた。

このときアニスは週六日勤務、一日十時間労働というキツい職についていた。しかし文句は言わなかった。
そうしないと家族を養えなかったし、それでも導師守護役の時の給料より低いくらいだったから。
それが無くなる。それは生きていくなと言われるのに等しい。アニスは何とか雇ってくれないかと食い下がったが、雇い主は首を縦に振らなかった。
どうやら新しい統治者はかなり真面目な貴族らしく、法に違反する者にはかなりきつい罰則を食らわせているらしい。
本来ならば民衆を護るためのそれは、確実にアニスの首を絞め始めていた。

「どうしよう……このままじゃ、暮らしてけないよ……」

いっそ農業の盛んなエンゲーブにでも避難するか。あそこなら労働条件などあってないようなものだ。アニスもまた働けるだろう。
そう思案するが、すぐにアニスはかぶりをふった。無理だと結論付けた。両親がこの街から動くはずが無いし、何より高利貸し共が自分達一家を見逃す筈がないからだ。
パダミヤ大陸の玄関口はダアト港のみ。そこを抑えられている以上、逃げ出すのは実質不可能に等しかった。

もう給料は低くて良いから、違法なスラム街等で働かせてもらおうか。そう思ってアニスは裏路地に入り込み、何とか非合法で雇ってもらえそうな場所を探す。
ダアトからはかなり人が流出したから、どこも人手不足に喘いでいる筈。そう当りを付けて職を探したのだが、しかしすぐに諦めた。やはり原因はキムラスカの貴族だった。

パダミヤ大陸は肥沃な土地だ。マルクトのエンゲーブ付近に比べれば負けるが、シェリダンやベルケント等乾いた土地の多いキムラスカからすれば喉から手が出るほど欲しい程度には肥沃である。
故にキムラスカは各町から開拓民を募り、パダミヤ大陸に次々に新しい村を作っていった。お陰でダアトには大量の人が流れ込み、働き手を求めるどころかあぶれる事態になってしまったのである。
開拓民を対象に新しい商売を始めるもの、農業から逃げてきたもの、増えた人間に押し上げられて静かだったダアトは次々に改築されていく。
単純な労働力が供給過多状態であるならば、今度必要とされるのは手に職を持つ者だ。戦う事と家事全般に秀でている以外に能力の無いアニスを非合法で雇ってくれる人間は現れるはずもなかった。
せめて顔が知られていなければ非合法の護衛などの仕事もあったかもしれない。しかしアニスは戦力としては優秀でも顔が知られすぎている。裏向きの仕事にこれほど向かない人間はいないだろう。

この時アニスがキムラスカ側の人間に誰か相談する、という手をとっていれば未来はまた変わったかもしれない。
子供の労働を制限するのと同じく、キムラスカの法には貧民を救済する法もまた存在したからだ。
労働力の確保という意味において必要最低限の暮らしを保障しつつ大人に仕事を斡旋するという保護施設のようなものもあった。
また、見習いという形で専門職──お針子や技師等──の元勉学に励みつつお小遣い並みの給料を貰うという職業形態も存在し、ダアトにもじわりじわりとその手の工房は増え始めていた。
しかし貧困ゆえ周囲を見渡す余裕がなく、それに思い至ることの無かったアニスは更に墜落していく。

八方塞となってしまったアニスは日々飢えるようになり、ひもじい思いをしながら何とか日々の食事を探すようになった頃、アニスは両親の元から無理矢理引き剥がされた。
児童虐待をしていると、タトリン一家が通報されてしまったのである。
両親から引き剥がされそうになったアニスは自分は虐待などされていない、きちんと愛されていると訴えたが、アニスを保護しに来たキムラスカ兵達はアニスの訴えを聞き入れなかった。
虐待された子供は大人が気紛れに与えた玩具を大切に扱う。そして自分は愛されているのだと自分に言い聞かせる。愛されていないという現実から目を背け、自分は幸せだと自己暗示のように口にする。
アニスもまたそれと同じ状態であると判断されたのである。

「十分な食事も与えず、まともな衣服を与えない。育児放棄ですね、これは十分虐待に当たります。
親は子供を産んだ以上、成人するまで養い教育する義務がある。あなた方はこれを放棄し娘を虐待したのだと自覚してください。
無自覚な虐待ほど、救いようのない話はありませんよ」

そう言って、キムラスカ兵はアニスの両親をにらみつけた。
オリバーとパメラは虐待などしていないと言い募ったが、誰もその主張を聞き入れなかった。
周囲にいくら注意されようと借金することをやめず、娘にもその尻拭いをさせていたのだから当然といえば当然だ。

そうしてアニスはキムラスカの保護施設に収容された。
最初こそ両親恋しさに抜け出そうとしたがトクナガを取り上げられてしまった以上、アニスは無力だった。持っていた短杖はお金に困ったときにとっくに売り払ってしまっている。
辛かったでしょうと言う職員は、ココでは貴方が過去の英雄であろうと特別視は致しませんときっぱりと言い、しかしすぐに笑顔になって他の皆と子供らしく過ごしてくれると嬉しいと言った。

お腹いっぱいのご飯と、寒くない衣服、そして高利貸し達が怒鳴り込んでくることの無い平和な生活。
学ぶことを許され、働かないことを当然とされ、余暇には他の子供達と好きなことをして過ごす。
普通の子供ならば当たり前の時間を積み重ねていくうちに、アニスは両親と離された寂しさを薄れさせ、このままココでただのアニスになるのも良いのかもしれないと思い始めた。
それはたった一ヶ月程度のことだったが、間違いなくアニスにとって穏やかで幸せな時間だった。

しかし、現実は無情だ。アニスはそれを再認識させられる。墜落の底は見え始めていた。
職員が強張った顔でアニスを呼びにきた時、アニスは優しい夢が終わることを本能的に悟っていた。

「貴方の過去を調べました」

緊張気味に言われた言葉を、アニスはどこか他人事のように聞いていた。
そもそもはアニスの育児放棄の証拠と記録を得るために始めた調査だったという。

保護したもののアニスの両親はオリバーとパメラだ。
正式に保護施設へと引き取り、そしてアニスがこれからも保護施設で暮らして学んでいけるように、アニスを確実に両親から引き剥がすためにはどうしても必要な調査だった。
次々に出てくる違法労働の記録、オリバーとパメラが借金を繰り返し、その尻拭いをするためにアニスが奔走する話に、調査員は憤りを隠せなかったらしい。

が、それも導師守護役時代の記録を調査するようになると変わってくる。
明らかに実力が足りていないにも関わらず、抜擢されている仕事、浮き出てくる大詠師モースの存在。
不信感を持った調査員はキムラスカ軍の力を借り、更なる調査をする。それは最早アニスを両親から引き剥がすための調査ではなかったが、見過ごせるものでもなかった。

結果、アニスの過去と罪が日の目に晒される。

キムラスカ軍はすぐさまこの情報をマルクトと共有。
アニスの短い平和な日々は、キムラスカ軍による尋問の後にマルクトへの罪人として引渡されるという形で終わりを告げた。

「貴方はこれからマルクト軍へと引き渡されます」

「はい」

「……守ってあげられなくて、ごめんなさい」

震えた声で謝罪を口にする職員に、アニスは緩く首を振った。
恐怖心は無かった。むしろ自分を引き渡すまいと尽力してくれたであろう職員への感謝の気持ちだけがあった。

「自分のしたことですから。今までありがとうございました」

涙ぐむ職員に、アニスは深々と頭を下げる。

この後、アニスはマルクト軍へと引き渡された。
行われた取調べは未成年者であることを鑑みて苛烈なものではなかった上、アニスが黙秘することが無かった為とても穏やかに進んだ。
これによりアニスはタルタロス襲撃幇助の罪に問われる。
本来ならば神託の盾でも裁かれる筈ではあったが、既に神託の盾騎士団は解散しており、現在は教団の所有する自警団としてかろうじて体裁を保っている程度だ。
アニスを裁く権限は既に存在せず、結果アニスが導師の情報を大詠師へと渡していた罪はうやむやにされた。
更に家庭環境や年齢などの背景が考慮され、本来ならば斬首となるところを終身刑となる。

過去の偉業を考え解放すべきとも、戦力としては優秀なのだから罰として服役させるべきとも声が上がったが、皇帝自らが首を振ったためにその意見は通ることは無かった。
その後、アニスは模範囚として長いときを刑務所で過ごすこととなるが、恩赦を受け、釈放。
釈放後はレプリカ保護に尽力したとも両親に復讐を果たしたとも言われているが、正確なことは解っていない。


前へ | 次へ
ALICE+