灰かぶりの夢を見る(ガラスの靴を捧げましょう)



思えばわたくしの人生は、親の敷いた石畳の上を歩くだけの、安全でありながら酷く単調なものでした。
均された道のりは障害らしい障害もなく、苦しいことも悲しいことも片手で数えるほどしかない。身を切り裂くような苦しみなど、知らぬまま少女の時代を終えていたのです。
甘いクリームの中で溺れているような、甘く優しい生活。しかしそれもまた、わたくしが十八の年齢を迎える際に終わりを告げたのです。

目の前に居心地が悪そうに座っていらっしゃるのは、キムラスカ、ファブレ公爵家のご子息であらせられるルーカス・L・フォン・ファブレ様。
いずれ父の跡を継ぐための夫を迎えその方を支えながら一生を終えるであろうと思っていたわたくしの、夫となられるお方です。
先の英雄にして王位継承権第二位を持つ、本来ならばわたくしなどがお会いできる筈もない尊いお方だと聞き及んでおります。
緊張に震えそうになりながらもわたくしが挨拶と自己紹介をすれば、彼は少し照れたように頭をかきながら翡翠の瞳を細めて優しい声音でわたくしに告げました。

「ルーカス・L・フォン・ファブレです。どうかルークと呼んでください」

その優しい声音と瞳に、わたくしの緊張がゆるゆるとほぐれていくのが解ります。
キムラスカで、いえ、オールドラントにおいて最も素晴らしい偉業を成し遂げた尊いお方であるにも関わらず、ただの青年のように見えてしまうほど。
驕ることなく、それどころか彼もまた少し緊張している様子。
なので共通の話題にと陛下の新しいブウサギの名前について話題を出してみると、ルーク様は唇を尖らせて恥ずかしそうにそっぽをむかれてしまって……。
話題選びを失敗した筈なのに、そのお姿が余りにも可愛らしく、わたくしはついくすくすと笑みを零してしまいました。

「そんなに笑わなくても……」
「あ……申し訳ございません。気分を悪くされてしまいましたか?」
「いや、そんなことは……あー、でも、ルビアさんの笑顔が見れたから、まあ良いかな?」

少し乱暴ではあるものの、親しみのある口調で微笑みながらそのようなことを言われて照れぬ女など居るのでしょうか?
頬を赤らめるわたくしを微笑ましいといわんばかりに瞳を細めるルーク様は少し意地悪なのかもしれません。
そうして雑談をしていると、共に婚約相手として選ばれたメシュティアリカ様がアシュレイ様と共に部屋を出て行かれました。

……ああ、お二人は先の英雄ですもの。事前に顔見知りであるならば、こんなに早く二人になられるのもおかしくはありませんね。
もしかしたらアシュレイ様とメシュティアリカ様のご婚姻は、わたくしとルーク様の婚姻よりも先に内々に決められていたのかもしれません。
早々に二人揃って退出してしまったことに驚きながらもそう納得していると、ふとルーク様が改めて背筋を伸ばされ、真剣な顔でわたくしを見つめておられます。
何やら真剣なお話があるのでしょう。わたくしもまた背筋を伸ばし、笑みを消してルーク様に向き合います。

「親や国に決められた婚姻は、ルビアさんにとって当たり前のことかもしれない。だからこんなこと改めて言うのはおかしいかもしれないけど、どうか聞いて欲しい」

「……はい」

「俺の口調から解ると思うけど、俺は貴族としての教育が遅くて今もまだ勉強している最中だ。けど俺はもう領地も貰ってるし、勲章と一緒に子爵位も貰ってる。
父上に教わりながら全部手探りでやってる最中で、俺の奥さんになる人はそんな俺をサポートしてくれる人を選んだって言われた。
そのことに関して俺は文句を言うつもりはないんだ。けど、ルビアさんにはとても苦労を強いる事になると思う。俺は貴族社会というものをよく知らないから」

ルーク様にお話に、お恥ずかしながらもわたくしは目を開いて驚いてしまいました。
誰が公爵子息として育てられた方が、教育不足で成人間近ながらも勉強中などと思うでしょうか。
本来ならば醜聞としてなんとしても隠さねばならぬ事態です。しかしそれを正直に口にする時点で、ご本人の仰るとおりルーク様は貴族社会というものをよくご存知でないのでしょう。

「だから、だからその代わりになるかは解らないけれど、俺はルビアさんのことを精一杯愛したいと思う。
たくさん大変な目に合わせてしまうだろうから、せめて家の中でも安心して過ごせるように、これから先ルビアさんだけを愛していくと誓う。
大切な奥さんとして、必ず俺が護るから。だから……俺の、奥さんになって下さい」

そう言ってルーク様は深々と頭を下げます。伸ばし始めたばかりの赤い髪が、さらりと肩から零れるのがとても綺麗でした。
なんということでしょう。ルーク様がわたくしなどに頭を下げ嫁に乞うなど、あってはならないことです。
困ってしまった私は部屋の隅に立っているキムラスカ側の文官やマルクト側の文官に視線をやりますが、彼らは真剣な表情でわたくしたちを見ているだけ。
ルーク様を諌める者はこの場に誰一人としておりません。

そこでわたくしは悟りました。わたくしが諌めねばならないのだと。ルーク様の妻になる者として、ルーク様のサポートをするとはそういうことなのだと。
それが今できるのか、わたくしは今試されているのでしょう。ならばわたくしがせねばならぬことは一つなのです。
この英雄でありながら、貴族社会に見合わぬほどお優しい方を、私は支えていかねばならないのだと自分に言い聞かせます。
それはとても怖いことです。だってわたくしが間違えてしまえば、ルーク様の未来は闇に閉ざされてしまうのですから。

「ルーク様、どうぞ頭を上げてください。貴方様はキムラスカ王家の血を引く尊きお方。わたくしに頭を下げるなどしてはなりません」

「う……はい」

わたくしにできるでしょうか。わたくしは今まで、とても緩やかな道を歩いてまいりました。苦労など知らぬまま、今まで生きてまいりました。
けれど……思うのです。これからどれだけ苦難の道のりが待っているかは解りませんが、その分わたくし一人を愛してくださるとルーク様は仰います。
それは貴族として生きてきたわたくしには一生縁のなかった言葉。けれど幼い時分に夢見ていた、幸せなお話のようではありませんか。

勿論現実の世界では、おとぎばなしのようにめでたしめでたしで終わる訳ではないと箱入り育ちのわたくしも解っております。
しかし夫となる方がわたくしだけを愛してくださると、たったそれだけのことではありますが、それだけのことで女というのは頑張れる生き物だと思うのです。
だってそれは、普通の貴族の女ならば絶対に手に入らない『幸せ』ではありませんか。

「将来、わたくしたちの子がキムラスカ王家を背負うことになる以上、わたくしも此度の婚姻には全力で当たらせていただきたいと思っております。
……本音を言うと、少しだけ怖かったのです。そのような大役を、わたくしがこなせるのかと。ですからルーク様、ルーク様もまた、わたくしを支えてくださいませ。
子を産む母は心が不安定になると聞きます。けれどルーク様が居れば、きっと大丈夫だと思うのです。

その分、わたくしもルーク様を支えます。共に支えあいましょう。共に歩んでいきましょう。
これからわたくしもルーク様だけをお慕いし、ルーク様と共にあると、今ここで始祖ユリアとローレライに誓わせていただきますわ」

「! ああ、ありがとう……!俺もルビアさんのこと、大切にするから」

そう言ってとても嬉しそうに、まるで大輪の花が綻ぶようにルーク様は満面の笑顔を見せてくださいました。
この方が今から貴族というものを知ったあとも、この笑顔を見せてくださるのでしょうか。
いえ、この笑顔を守ることこそ、妻たるわたくしの役目なのかもしれませんね。

「はい。それとルーク様、どうぞわたくしのことはルビアと呼んでくださいませ。それと頑張って話し言葉のお勉強も致しましょうね」

「わ、わかった……。ところで俺とルビアの子供が王家を背負う、ってどういうことだ?
王家はティアとアッシュが継ぐんだろう?」

ルーク様の言葉に思わずキムラスカ側の文官に目をやります。
文官は恭しくわたくし達に近づいてくると、膝をつき申し訳なさそうにわたくしに謝罪を口にしました。

「申し訳ございません。まだ教育が追いついていないようです。
『披露宴までには何とか間に合わせたいと思っております』とシュザンヌ様からお言葉を預かっております」

「敢えて黙っていたのではないのですね?」

「本来ならばご自分で気付かねばならぬことだというのがシュザンヌ様のご意向です。私からも謝罪を告げさせていただきます」

「解りました。根本的な考え方の改革からとなるとお時間がかかるのも当然のこと。謝罪は結構です」

「ありがたきお言葉。未来の公爵夫人の慈悲深きこと、必ずやシュザンヌ様にお伝えさせていただきます」

「わたくしはルーク様の未来の妻、夫を支えるのは唯一の妻として当然のことです。
それに未来のお義母さまとは親しくさせていただきたいと思っております」

「ルビア様のお言葉を聞けばシュザンヌ様もお喜びになるでしょう。
また何かありましたらお呼びくださいませ」

そう言ってまた恭しく頭を下げた文官は、以前の位置に戻っていきました。
流石はキムラスカ、文官の教育がとてもよく行き届いています。わたくしの言葉も間違いなくシュザンヌ様にお伝えくださるでしょう。

「えーと……」

「ご安心くださいませ、わたくしから説明させていただきます。夫を支えるのが、妻の役目ですから。
一緒に学んでいきましょう」

わたくしがそう言うとルーク様はホッとしたように肩から力を抜き、それは嬉しそうに頷いたのでした。


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