それはそれは晴れたある日、切島鋭児郎は途方に暮れていた。あー、やめときゃよかった、と後悔しても遅い。それもこれも事の発端は、好奇心だった。
切島は日課のジョギングをしようと外に出て、しばらく慣れ親しんだルートを通る。そこにどこかで見たような猫が道の端で毛づくろいをしていた。どこで見たのか足を止めて考えていると、以前行った名前の家の猫だったと思いだす。こんなところで、散歩だろうか。そして、問題の好奇心のご登場である。飼い主であり、最近越してきた赤黒名前、そういえばこの辺に住んでいたなと。すると猫が俺の目を見てニャーと鳴き、しばらく進むと振り返って再びニャーと鳴く。まるで着いて来いと言っているようだった。

「……なんか楽しそうじゃねーか」

そう思ったら着いて行ってみようと走る道を変えてみたのだ。この猫を名前の家まで連れて行かなきゃいけないし、うん。自分に理由をつけ、誰にでもなく言い訳しながら猫に着いて行く。
すると困ったことに、途中で猫が抱えろと言わんばかりに登ってきたのだ。

「おっ、おい!こら!」

声を荒らげるも器用にジョギングウェアのジッパー部分をこじ開け、中に入り込む。そんなことされてしまったら、俺は腹の下あたりを押さえてこいつが落ちないようにしなければならない。仕方なしに名前の家までこいつを本格的に連れて行かないといけなくなった。しかし、学校からほど近い距離にあるその家は、一度行っただけでは何となくしか覚えておらず、こちらだったか、いやあちらを曲がった記憶がある、なんてやってる内に早い話が迷ったのである。その間猫は穏やかに眠り始めていた。こいつめ。お前のせいだからな。

「あーやっちまったなー……うわ、携帯置いてきてるし」
猫を起こさないよう慎重にガサゴソとポケットを探るが、やはり携帯電話は忘れていた。いつも走るときは身軽で!等としていたが、これは考えの改めが必要かもしれない。
とりあえず来た道を戻ろうとするも、無駄に入り組んだ道に入ってしまったため、もう何処をどう来たのかすら覚えていなかった。仕方ない、男らしくはないが誰か通るまで待っていよう。
そう決め、あたりを見回すと前方から見慣れたシルエットが近づいて来た。

「あれ、やっぱり切島くんだ」
「よかったーー!!」

やはりそれは名前で、出会えた安堵から思わず叫んでしまう。自分の声に驚いたのか猫は突然ぴょんっと腕の中から逃げてしまった。そのまま飼い主の元へと甘えに行く。無事に届けられて良かった。それと、名前の格好。ショートパンツから伸びる脚が眩しい。3つの意味で喜びを噛み締めていると、名前は不思議そうに口を開いた。

「何が良かったかは分かんないけど、何してるの?猫と一緒だし」
「えー……あ、いや、迷っちまって」
「迷子?うちの猫と?」
「はい…」
「ふふふ、じゃあ迷子の迷子の切島鋭児郎くんをヒーローが赤黒警察署までご案内しましょう」
「えっ?」

来た道を引き返そうとする名前に思わず声をかける。赤黒警察署って、もしかしなくても名前の家だろ。

「予想だけどジョギングの途中で猫に会って何となくここらへん私の家近くだったなーって思って迷っちゃったんでしょ」
「エスパーかよ」
「あ、やっばり?見た感じ携帯無いっぽいし、地図アプリも使えないもんね。1回うちの家おいでよ。猫もお世話になったみたいだし。ウェア毛だらけだから、お詫びさせて?」

ケラケラと笑いながら話す名前に、どうしたものかと思う。忠告しておくが、俺達は付き合ってるわけではない。なのに女の、それも一人暮らしのところに男の俺が行っていいものか。だめだろう。倫理?的に?つか、こいつ、俺に襲われるかもしれないとか思わないのか?いや襲うなんて男らしくもヒーローらしくもねぇことしないけど。それかあれか、意外と軽いのか……あ、それはそれでショックだな。何となくだけど、俺らA組男子は名前にまだ少しだけ幻想を抱いているのだ。
悶々と考えていると名前が首をかしげる。

「どうしたの?行かない?」
「いや、流石に俺一人が女子の家にお邪魔するってどうよ」
「あぁ、大丈夫でしょ」
「何が?!」
「だって切島くん、そんな男らしくないことしないでしょ?」

そんな俺を完全に信用しているみたいなこと言われてしまったら、襲うことなんてできないだろ。いや襲わねーけど。俺がどんな言葉に弱いかとか、しっかり把握してやがる。戦闘訓練でも思ったけど、狡いやつだな相変わらず。

ほら行くよ、と前を向く名前。そしてしばらく進むと振り返り、早くと声をかけられる。お前な、その動き、お前の腕の中にいる猫もさっきやってたぞ。そっくりだな。
こうして俺は2度目の好奇心にも負けてしまったのである。



           


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