「今度買ってやるよ、700ml」 くぐもった声がまたリリアンの背中にゾワゾワとした感覚をつれてくる。気がつけばリリアンは完全に押し倒された状態になっていた。隆弘の手はリリアンを完全に拘束しているが、腰のあたりをゆるゆると撫でるだけで他の場所に触れる様子は見られない。ただ白い歯が耳朶に押し当てられ、舌が外耳道を蹂躙する、その繰り返しだ。もともと酒で体温の上がっていた身体が、さらに熱くなったように感じる。隆弘の舌が蠢くたびリリアンのすぐ耳元で水音がした。まあ耳を舐められていれば当然だな、とぼんやり考えたリリアンは、もしかしてこの状況は大変よろしくないのではと思い至る。 「おい、たかっ……やめろっ!」 「聞こえねぇな」 男の声がやたらと近い。今までリリアンを拘束していた手が反対側の耳をなぞるように動き始めた。明確な目的をもって舌と手がゆっくりと両の耳を蹂躙していく。 骨張った親指が耳の裏をなぞり、人差し指が外耳の輪郭を撫でていく。首筋と生え際にも稀に手の感触が落ちてきて肌が粟立った。 「ふ、ぅっ……!」 リリアンの片足がソファから落ちた。力が入らない。 「ねえ、やめっ……」 なんだか全身の感覚が敏感になっていくようで、腰にまわされた腕だとか足の間にある筋肉の付いた身体だとかが異常なまでの存在感でもってリリアンの肌を嬲り始める。まれに腕に触れる服までもが彼女の背筋に妙な感覚を連れてきた。動いているのは耳のあたりにある口と手だけだ。じんわりと集まってくる熱にリリアンはピクリと大きく身体を揺らした。 「マジ……ヤバイって! やだっ、隆弘ぉ! や、ぁ、だっ……!」 後半はもはやきちんとしゃべれていなかった。喉から溢れ出る妙な声を無理やりおさえつけたものだから、結局変な風に裏返った声が余計に無様な形でもって部屋中に響く。触られていたのは耳のはずなのに、違う場所が痙攣している。リリアンは思わず唇を噛んだ。足に力が入らない。 舌が耳の裏を舐めあげて、女の身体が仰け反った。 「ひっ、ぃっ……! あぁああっ!」 仰け反った身体が筋肉の壁にぶちあたり、そのせいでまた肌が粟立つ。身体の感覚がいつもの数倍になったような感覚だ。 身体に籠もった熱が、ふわふわと周囲を漂っているような気がした。リリアンの耳元で隆弘が笑う。 「だからとって食いやしねぇっていったろ」 このくらいにしといてやるよ、と言った男の肌は赤かった。少し汗ばんでいる。いつも使っている香水の匂いが多少強くなった気がした。明らかに欲情した表情で、コバルトグリーンの瞳だけがいやに冷静だ。鮮やかで、油断すれば喉元に食らいつかれそうな迫力がある。 とって食いやしないって? 嘘つけ、隙あらば喉元食いちぎりそうな顔してんぞ。 喉まで出かかった言葉は、しかし恐怖なのか別のなにかなのかよくわからないものにつっかえて出てこない。かわりに、すぐ近くにあったタテゴトアザラシのぬいぐるみが火を噴いた。 「そうかいありがとよ!」 正確に隆弘の頭部へ直撃したタテゴトアザラシは、ポフンと間抜けな音をたてて男の視界を奪い、リリアンはその隙にソファの牢獄から脱出する。 「シャワー浴びてくる!」 言ってシャワールームへ駆け込んだあと、これはもしかして一番選んではいけない選択肢だったのではないかと、酒に殺されたリリアンの頭が最後の理性的な言葉を吐き出した。 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |