君はリリーを知っているか?


「騒ぐんじゃねぇぞ」

 騒動から一夜明けてそろそろ正午という時刻。警察の事情聴取を終えたリリアンがハイストリートを歩いて行く。

――いやぁ、貴重な体験したなぁ

 事情聴取なんて20年生きてきて初めての経験だ。少し気疲れしてしまったが、良い話のネタになるだろう。
 昨日吐血した3人はすぐに死亡が確認され、薬物中毒と判断された。もともとジャッキー・ボーモントの救命措置をしただけだったリリアンは事情聴取に大した時間も要さず、こうして帰路についている。
 生憎の曇り空で、湿った空気の匂いがした。太陽は灰色の雲で隠れており、昼間だというのに薄暗い。
 赤い二階建てバスが通り過ぎるのを見送って道路を横断し、チョコレート色の外装が目を引くスイーツショップで立ち止まる。ウインドウに色とりどりのスティックキャンディが飾られていた。ブリキのバケツに入ったキャンディは生花のように見える。目に楽しいディスプレイをしばらく眺めてから、彼女は人ひとりがギリギリ通れるくらいの通路に入っていった。道と言うより建物と建物の隙間といった感じだ。ただでさえ太陽の光があまり入ってこないうえ、今日は曇り空なので余計に薄暗い。正午なのに夕刻のような影ができている。錆び付いた排気パイプを頭上に見上げてくたびれたレンガの隙間を通っていく。向かい側からスーツを着た男がふたり並んで歩いてきた。イタリア人のようだ。観光客だろうか。
 リリアンは少し迷ってから、男ふたりが道を通れるようにギリギリまで左に寄った。はずみで左手の甲がレンガに触れる。ざらざらとした感触が残った。男たちはリリアンが道を譲っても仲良く横一列に並んで歩いている。このままでは左側の男とリリアンが正面衝突してしまうだろう。

――ちくしょう仲良く並びやがっておまえらホモかよ。

 リリアンがその場で立ち止まる。男たちはまったく気にした様子もなく狭い路地を直進してきた。彼らの目線が路地の向う側ではなくリリアンに向いているようだ。けれど彼女がおかしいと思ったときには、すでに男の1人が女の腕を掴んだ後だった。
 険しい表情の顔を思いきり近づけられ、リリアンは思わず声を上げる。

「えっ」

 ガチャリと金属音がした。脇腹に硬い感触がする。顔をリリアンに近づけた左側の男が低く呻った。

「騒ぐんじゃねぇぞ」

 ウソだろ、とリリアンは思う。
 オックスフォードはイギリスでも治安の良い場所だ。そもそもイギリス自体が銃の携帯には非常に厳しい。路地裏で銃をもった男2人に脅されるなどハリウッド映画の中だけで充分だ。
 女の脇腹に銃を突きつけた男が、彼女の耳元に口を近づける。
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