君はリリーを知っているか?


「引き渡すとするか。病人も、悪人もな」

「う、ん……ありがとう、リリアン……」

 男の瞼がゆっくりと下がっていく。ドリーが身を乗り出して口を開き、リリアンが彼女の動きを手で制した。

「大丈夫。呼吸はしてる。安静にしとこう」

 ドリーもジャッキーの胸が上下していることを確認して大きく息を吐き出す。彼女はそのまま肩の荷が下りたようにヘナヘナと床に座り込んだ。野次馬たちの表情も安堵に変わる。今まで周囲を支配していた緊張感が少しだけ緩んだ。
 リリアンは周囲を見渡し、ミックと彼の友人たちが見あたらないことに気づく。西野隆弘が人混みの向う側にいた。背が高いので非常に目立つ。

「おい」

 隆弘が入り口に立ちふさがっていた。誰かに声をかけている。立ち上がったリリアンの視界に金髪の編み込みが見えた。ミックと友人たちがいつのまにか人混みをかきわけ、避難していたらしい。隆弘が声をかけなければそのまま逃げられていただろう。

「ダチがあんなことになってるってぇのに、テメェらはそのままトンズラする気か?」

 タバコを咥えた隆弘が男たちを睨む。道をふさがれた彼らは焦ったように目配せしあい、隆弘を避けるようにして少しずつ距離を取った。

「い、いやぁ、きゅ、救急車がさ……来たら、すぐ、誘導できるようにさ……」

 ミックの言葉を聞いて隆弘が鼻で笑う。

「そうかい。俺がかわりに行ってやるから安心してジャッキーの傍にいてやりな。そのうち、警察もくるだろうぜ」

 ミックの肩が揺れた。男たちは再び目配せをしあい、隆弘のほうを睨みつける。
 そして、駆けだした。

「このクソ野郎!」

 隆弘を押しのけてでも逃げるつもりのようだ。数人の男に突進される形になった隆弘が咥えたタバコに歯を立てた。ブチリと音がして火の付いたタバコが床に落ちる。
 彼はポケットからティッシュを取り出して口元を拭う。突進してきた男たちの足をすくうように蹴り飛ばした。大きな音を立てて男たちが転倒する。痛みに呻いているミックの腹に隆弘の足が乗った。

「手間ぁかけさせやがって」

 ミックが咳き込むように呻く。

「ぐぅうっ!」

 そのまま腹を踏みつけられた男は脱力して動かなくなった。彼が気絶したことを確認し、隆弘は近くに倒れていた男の頭をサッカーボールよろしく蹴り飛ばした。首がおもちゃのように揺れ、こちらも小さいうめき声とともに動かなくなる。それから這いずって隆弘を距離を取ろうとしている男の背中に足を乗せた。

「逃げられると思ってんのか? 痛い目みたくなかったら大人しくしときな」

 店の外からサイレンが2つほど聞こえてくる。

「ちょうどどっちもご到着だな」

 隆弘は噛みちぎってしまったタバコの変わりをとりだし、火を付けた。それを一口楽しんでからニヤリと人の悪い笑みを浮かべてみせる。

「引き渡すとするか。病人も、悪人もな」

 警察と救急隊が同時にフロワへ入ってきた。リリアンとドリーはストレッチャーを持った救急隊の元に駆け寄り、眠っているジャッキーの元へ誘導する。
 リリアンがジャッキーの状況を説明した。

「今は自発呼吸してますけど、一度心肺停止状態になってます。多分テーブルの上の薬物が原因だと思います」

「ご協力ありがとうございました。あとは私たちにまかせてください!」

 ジャッキーがフロワから運び出され、救急車に乗せられる。
 一方で、隆弘に気絶させられた男たちが警察にたたき起されていた。

「おい、起きろ!」

 ミックの頭が揺れる。脱力しきった彼の隣で警官に肩を貸された男が小さく呻いた。

「ぐぅっ……」

 その様子が少し変だったので、リリアンは小さく首を傾げる。近くにいた警官もテーブルの上にあった薬の捜査をやめて男たちを見た。
 今まで気絶していたミックの目も開く。3人の身体が硬直したようにピンと張り、全員が同時に低いうめき声を吐き出した。

「うっ、ぐぅうぅぅぅぅううっ!」

「がぁぁっ、あっ、あぁあああっ!」

「ひぐっ、ぐぅぅ、ううううっ!」

 硬直した身体が大きく痙攣を始め、肩を貸していた警官が膝をつく。ミックの身体が再び地面に転がって、身体が大きくのけぞった。

「ぎゃあっ、ぎゃぁあああああ! あぁあああぁあっ!」

 肌に不自然なほど赤みが差し始める。こめかみや喉に血管が浮き出て、目も充血しはじめたようだ。
 尋常ではない3人の苦しみ方に警官が叫ぶ。

「だっ、誰か! 救急隊をっ!」

 しかし救急車はジャッキーを乗せて病院に行ってしまった。店員が受話器を取って病院に電話をかける。
 けれど救急車が再び到着するより、3人の容態が急変するほうが当然ながら早かった。

「ぎゃヴぉえ」

 妙な嗚咽の音と共に、ミックの口から血が噴き出す。ゴポリと音を立ててあふれ出した血に野次馬が悲鳴をあげた。

「きゃああああぁああっ!」

 ミックの横で丸まっていた男の目尻から血があふれ出し、もうひとりは鼻と耳から出血していた。警官が慌てふためき、男たちのすぐ近くにいた西野隆弘の顔が青ざめている。野次馬たちが我先にとフロワから逃げ出す中、ミックが目を見開いて喉をかきむしった。

「げぇっぷ」

 笑い袋を押したような間抜けな音だった。直後生レバーのような血の塊を吐き出して、ミック・カーシュの身体が血溜まりの中に倒れる。あとのふたりも同様にしてドシャリと重い水音を立てた。
 3人を連行しようとしていた警官が無線で指示を仰ぎ、ドラッグの捜査をしていた警官が西野隆弘に離れるよう告げている。
 リリアンは血だまりに沈む3人の姿を、ただ茫然と見ていることしかできなかった。
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