月といましめ(裏)

 物事は全て順調に進んでいた。ケセドニアの商人たちの反応も良かったし、交渉事も上手くいった。
 一安心とばかりに皆でお茶をしていた時である。とんでもない知らせがルークの元に飛び込んできた。


  月といましめ(裏)



 「何だと?ナタリアがケセドニアに来ていると?」

 聞いていないぞ、とルークが問うと、ケセドニアのキムラスカ領事から「私も王女が此方に来るという報告を受けておりません」との返事が返ってくる。

 「はい。どうやら偽名を使っておられたようで。偶々顔を知っていた兵士が気付き知らせてきました」

 顔色を無くしたキムラスカの書記官がルークに告げた。余りの事に全員声が出ないでいる。
 しかし呆けている場合ではない。王女の身勝手な行動とはいえ早急に事態を収拾しなければ、回復し始めたケセドニアでのキムラスカの評価は再度地に落ちる。

 「早急に兵士を向かわせて王女を保護。ここに連れて来てくれ。俺の名前を出せば殿下も大人しく従うだろう。騒ぎにならないように、といってももう無理かもしれんが。兎に角頼む。後、バチカルに鳩を」
 「はっ」

 領事と書記官は真っ青な顔をして部屋を出て行った。

 三十分程経った頃護衛担当の兵士が部屋に入ってきて、「ナタリア様がお着きです」と知らせてくる。そしてナタリアが見つかった時の状況と、それまでの彼女の行動がどの様なものであったかの報告を受けた。その内容にルークの顔が歪む。

 今回のナタリアの行動は、とんでもない事態を引き起こしてしまったようである。これからはルークだけでなく、キムラスカのインゴベルト国王もマルクトの皇帝も眠れない日々が続く事だろう。

 暫くしてナタリアが入室してくる。「大層お怒りのご様子です」とでも説明を受けたのか、自信に溢れたその瞳は不安げに揺れ、顔色も悪く、いつもの溢れんばかりのオーラは微塵も感じられなかった。

 「ルーク、私の話を「ナタリア、お前自分が何をしたのか分かっているのか」」

 ルークはナタリアの話を遮った。女性の話を最後まで聞かず遮るという事は、貴族としてもっともやってはいけない事の一つである。

 「自分でも無茶な事をしたとは思います。お願いです、ルークご理解下さいませ」

 その口から真っ先に出る言葉は謝罪ではなく、説得か。
 ご理解?冗談ではない!今回彼女が引き起こした不始末の後片付けに、一体どれだけの人員と労力と時間が費やされることか!

 自分の犯した罪の重さに全く気付いていない、というのがまた情けなくて泣けてくる。

 「それにこれは必要な事だったのです。城には書き置きを残してきましたし。きっとお父様も許して下さいますわ。ですからルーク」
 「・・・・・・・・・・・・」

 他人から非難、もしくは指摘される時ナタリアは「きっと○○も許して下さいます」という言葉を免罪符のように口にする。だがそれは、自分勝手な己にとって都合の良い思い込みだ。許した覚えも無いのに、勝手に名前を出されるなど迷惑以外何者でもない。

 「お前が勝手に城を抜け出した事で、お前付きの侍女と騎士は何らかの罰を受けているだろうな。下手すれば今頃牢屋か」

 「え?」

 このナタリアの、王の許可なしに城を出奔する事は今回が初めてではない。しかも。

 「ナタリア。母上から話がなかったか?王女たるもの、その立場に甘える事無く周りの事を考え、常に己を律せねばならぬ、と」
 「叔母様からですか?ええ。何故今その様な分かりきった事を言われるのか不思議に思いましたけれど・・・。王族として当然の事でございましょう?」

 私は常にそう心掛けておりますのに、と言葉が続いた。

 きょとんとした顔をして首を傾げながら話す、という事はシュザンヌの言いたい事はナタリアに全く伝わっておらず、その行動は無駄だったと証明されたようなものだった。彼女の絶叫したくなるような理解力の乏しさに、ルークは頭を抱えてしまう。

 「・・・母上はお前にケセドニアに行くな、と言っていたんだ。お前の頭では理解出来なかったようだな」
 「どういう事、です?ルーク、理解出来ないなどあなたは私を馬鹿にしているのですか」

 ルークの言葉を屈辱に感じたのか、ナタリアの顔が赤くなる。何故自分を責める言葉にはこうも敏感なのだろう。これでよく外殻降下作戦が完遂出来たものだ。“彼女”の苦労が偲ばれる。

 貴族は物事を遠まわしに表現するのが礼儀とされている。誰だって図星を指されれば腹が立つ。良かれと思ってした事なのに・・・と後々トラブル、最悪殺し合いにまで発展する場合がある。だから傍目から見ればイライラするような陰険この上ない、勿体ぶった言い方をするようになったのだ。
 だがそれは然程難しいものではなく、大体パターン化されているので誰でも直ぐに慣れる。

 シュザンヌは、インゴベルト王の異母妹ではあるがファブレに降嫁したという事もあり、現王女であるナタリアの方が身分は上だ。シュザンヌそれを考慮し、婉曲な―だが貴族であるならば誰でも理解出来る―表現、言葉を使って王女を諌めたのだ。

 しかしそれはナタリアに通じなかった。王宮で育ち王族として教育を受け、あれだけどっぷり貴族社会につかっているというのに、シュザンヌの意図を、そして願いを読み取る事が出来なかった
 つまり今回のナタリアの言動は、王族というだけでなく貴族としても不適格、失格だと自ら証明したのと同じなのだ。

 それを説明する気をとうに失せたルークは、冷たく彼女に言い放つ。

 「王女殿下をバチカルへ。陛下もさぞご心配されている事だろう。後は頼む」

 ルークは、領事に後の事を託しナタリアに背を向ける。挨拶もなく、しかも名前ではなく王女殿下と言った事でようやく目の前の婚約者が今までになく怒っている事を悟り、ナタリアは慌てて彼に追いすがる。

 「ルーク!私はガイとシアの為を思ってやった事です。お願い、話を聞いてくださいませ!!」

 必死になって恋人を引き止めようとナタリアはその腕を掴んだが、触れるのも嫌だと言うかのように乱暴に振り払われ、ルークは無言で部屋から出て行った。その後、王女の悲痛な叫びが領事館に響き渡った。




 暫くしてバチカルから届いた返事は「王女を直ぐに帰国させろ」だった。当然といえば当然である。

 ケセドニア側にはさっき代理の者を詫びに向かわせたが、明日改めてルークの方から謝罪をせねばならないだろう。これで暫くの間、キムラスカはケセドニアに頭が上がらなくなった。

 当の本人であるナタリアは、ちょっとそこまで程度の認識だったのだろう。前のアクゼリュス行きと違って、王の反対を無視して出奔したのではないのだから(この時彼女が無罪放免となったのは、キムラスカがゴタゴタ続きで罰する時期を逃した事に加え、王が許したというのが大きい)。

 彼女一人で行動しているのならまだ良かった。いや一人ではなくともケセドニアの町をうろついているくらいならどうにか誤魔化せた。だが―――。

 報告によればキムラスカの王女は、年若い男性と談笑しながら市場を物色し、しかもその後その男性とホテルに入っていったという。しかもその男性の髪は赤でなく金だった。

 マルクトの若き伯爵、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスである。

 二人の姿は多くの民に目撃されていた。
 先の戦いの英雄である、二人の顔を知っている人間はケセドニアに大勢いる。特にガイは“彼女”関連でケセドニアにしょっちゅう来ていた。人違いという可能性は限りなく薄い。

 二人はまるで結婚を控えた恋人同士のようだった、と彼らを目撃した人間は皆こう言う。友人というには雰囲気や口調が余りにも艶かし過ぎ、男女の関係だと考えた方が納得出来ると。それを裏付けるかのように二人はホテルに入っている。

 こうなると二人が「ガイと“彼女”との結婚準備とその相談の為」に会っていたのだと幾ら主張しても、ホテルに入っただけで何も無かったし部屋にも行っていない、誤解だと声を大に叫んでも誰も信じない。
 二人の間に何も無かった事を証明するのはもはや不可能に近い。証言してくれる第三者がいないからだ。

 ナタリアが一人だったのに対し、ガイは従者を一人連れてきてはいたのだが、生憎従者の証言は証拠として採用されない。何故なら主の命令で嘘の証言をしている、もしくは庇っていると考えられるからだ。

 従者が主を庇うのは当然と誰もが考えているし、主の為に偽証しても罰せられる事は少ない。例外はあるが、大抵が厳重注意で終わる。

 ちなみに主を庇おうとせず、馬鹿正直に証言した場合は従者として失格、裏切り者の烙印を押され、世間から爪弾きに遭う。当然ながらまともな職に付く事は出来ず、彼らの残された道は犯罪者となるか、野垂れ死ぬか。だから皆主を庇い、それが出来ない場合は黙秘するのだ。

 今更何を言っても仕方が無い。下手に庇えば余計に騒ぎは大きくなる。
 人の口に戸は立てられない。噂はあっという間に広がる。この話をケセドニアで知らぬ人間はもういないだろう。ひょっとしたら、キムラスカの王女はルークではなく、マルクトの伯爵と結婚するのだという事になっているかもしれない。

 ガイとナタリアは、先の戦いで寝食や生死を共にした仲間であるし、何より気心の知れた幼馴染でもある。彼らにしてみれば何の他意も無く、いつもと同じ通りに行動しただけなのだ。以前と違う点を挙げるなら、傍に嘗ての仲間は誰もおらず二人きりだという事である。

 大方買い物で疲れているだろうから、休憩がてらお茶でもどうだとガイがナタリアを誘った、という所が真実だろう。

 だが、仲間だろうが何だろうが二人は適齢期を迎えた男と女であり、第三者がいない状態で面会するべきではなかったのだ。男女間においての必要以上の親しさは、周りに誤解を与えかえない。彼らはそういった配慮が徹底的に欠けていた。

 しかも彼らは何の学も知識も無い庶民ではなく、それなりの知性と理性と礼儀を兼ね備えた、キムラスカの王女殿下とマルクト皇帝の覚えめでたい伯爵様なのだ。子供ではないのだから「気が付きませんでした」などという言い訳は通用しない。
 しかもナタリアは周りの静止を振り切ってケセドニアに来ているのだ。しかも、ルークの母、近い将来姑となるシュザンヌの説得を無視して。

 あのナタリアには甘すぎるほど甘いインゴベルト国王も、此度の事は流石に庇いきれないだろう。

 ナタリアに非はなく「ガイに誑かされたのだ」と決め付け責める事も出来るが、そうなると多大な犠牲を持って結ばれたマルクトとの和平に亀裂が入ってしまう。何より誑かされた、というにはナタリアの行動に矛盾がありすぎる。バチカルからわざわざ遠く離れたケセドニアまで行き、その町に公務の為滞在している婚約者ルークに会いに行く事をせず、偽名まで使いガイと行動を共にし、彼の泊まっているホテルまで行ったのだ。誤解するなと言う方が無理だろう。

 この際彼の部屋に行ったとか行っていないなど関係ない。談笑しながら二人きりでホテルに行ったという事実が拙いのだ。

 二人がその様な仲でない事ぐらいルークには分かっている。だが彼女のこの行為は余りにも軽率すぎた。ただでさえナタリアは、王家の血を引かない事で風当たりが強いのに。

 (俺とナタリアとの婚約は白紙撤回されるかもしれないな)

 ルークは別にして、ファブレ夫妻がどう出るか。それにナタリアの王籍剥奪を要求する貴族も出てくるだろう。婚約中にも拘らず、他の男を噂になるような女性など誰もが軽蔑する。
 ましてやそれが次期キムラスカの王妃となる人間だとしたら・・・。

 「・・・ガイ。まさかお前を憎む日が来るとは思ってもみなかったぞ」



 その時、不運にもルークいる部屋の前を通りかかった書記官は、彼の放つ殺気に耐え切れず這いずる様にしてその場を立ち去ったという。






 「○○○号室に泊まっていた、ナタ・・・いやミズオークランドに会いたいんだが」

 翌日、夕べの出来事を全く知らないガイはナタリアの宿泊していたホテルを訪ねてきた。

 「オークランド様は昨夜チェックアウトなされました」
 「え?今日約束があったんだが、急に立ち去らなければいけない理由か何か聞いていないか?」
 「何でも急な用事が出来たとかで。それ以上はお客様のプライベートに関わりますので、お教え出来ません。申し訳ございません」
 「そうか・・・ばれたかな」
 「は?伯爵様?」
 「いや、何でもない。有難う」

 それだけ言うと、ガイはそそくさとホテルを後にした。

 「・・・思ったより早かったな。まあ仕方ないか。俺も引き上げるとしよう」

 ルークからホテル関係者に口止めされた可能性に気付かず、そして自分たちの犯した罪にも気付かずガイは、のんびりと自分の荷物を纏めるべく泊まっているホテルに向かった。