本物と偽物

 崩落の騒動が落ち着いて、ナタリア達は『ルーク』ではなくアッシュを揚々と連れ帰った。
 ナタリアは「彼が本物のルークなのですわ!」と、満面の笑顔でルビィに告げた。

 周りを囲むのは、三流芝居染みた展開に涙を潤ませる犯罪者達。
 彼女達は正に道化役者。
 煩わしい。道化役者はサーカスに戻って、舞台で愚かさを嗤われていればいいのに。
 何より煩わしいのは、その横でこちらを伺っている、鮮烈な赤い髪の青年だった。

「何故ですの伯母様!」

 声を張り上げるナタリアに、ルビィは耳を塞ぎたくなったが。夫人として表情に張り付かせた笑みを絶やさずに相対した。

「その話ならもう済んだではありませんか」
「いいえ…いいえ! 私は納得していません! どうしてアッシュと、ルーク話をしないのですか!」
「分からないですわね。あれは『ルーク』ではありません。私の可愛い子ども、『ルーク』はただ一人です。それは鮮血のアッシュでしょう」
「目を覚まして下さいませ! 伯母様が7年間見て来たのは偽物ですわ! 伯母様の本当の息子はここに居るのです!」

 何度も続く押し問答に、焦れたナタリアの言葉は最初の説得より荒んだものになっていた。
 今までこそ同情に訴え、懇願したりの安い演技だったのが、次第にルビィの態度に傷ついて行くアッシュを見ていられなくなったのだろう。
 しかしその言葉にまた、ルビィの態度も変化していった。

「偽物。あなたがそれを言うのですか。弟と血が繋がらず、事実は市井の出自だったあなたが、どの口で偽物などと言うのです」
「そ、れは…」

 血の繋がり、そして容姿がコンプレックスのナタリアにとってその言葉は刺々しいものだった。

「そもそも、騙されていただのと…。あなたは私を侮辱しているのですか」
「え…?」
「あらあら。婚約者だと散々『ルーク』に主張してきたと言うのに、あなたは気づかなかったのかしら。七年前と後の『ルーク』がルークでないことに」

 ルビィの言葉に、ナタリアのみならずアッシュまで驚愕した。

「そ、んな…。まさか伯母様…」
「その様子だと、本当に気づかなかったようね。ふふ、クリムゾンといいあなたといい、弟といい。だぁれもあなたと『ルーク』の違いに気づかなかったのね。ああ、可哀相。可哀相ね、アッシュさん?」

 他人行儀に呼ぶ名前が、明らかな拒絶であり、アッシュは表情を顰めた。

「何故…どうして…!」

 アッシュは絞り出すようなか細い声で呻いた。

 何故、自分を拒絶するのか。
 何故、自分を認めてくれないのか。
 どうして、あいつなんかを認めるのか。
 どうして…、優しかったあの母が!

 何故どうしてと自問自答をしながら、アッシュは答えに辿り着いていた。
 自分の赤い髪の劣化した、朱色の髪を持つ存在に。

 あいつが悪いんだ。
 あいつが居たから俺は戻れなかった。
 あいつが俺から居場所を、母を奪ったんだ。
 全部、全部、全部、あいつのせいだ!

「失礼します」

 しとやかなノックの後に続いた声に、ナタリアとアッシュは再び驚いた。ルビィの了承の声に開いた扉から出てきたのは、紛れも無く『ルーク』だった。
 アクゼリュスの崩落のすぐ後に、ユリアシティで姿を消した『ルーク』。
 犯した罪から逃れた大罪人。

「テメェ!今までどこに居やがっ」
「『ルーク』。どうしたのですか」
「いえ。シュバルツ伯爵からの伝言がありまして、お知らせに来ました。例の件、全て議会から承認が降りました。これがその書類です。そして今日の四半刻の後には『全て』を終わらせるとのことです」
「そう…。ご苦労様、『ルーク』

 ルビィは『ルーク』を傍に寄せると、にっこりと笑い掛けた。
 その表情はナタリアも、アッシュでさえも一度も見たことのない満面の笑顔だった。

「あなた…伯母様から離れなさい!」

 アッシュのためと言う意識から、真っ先に声を張り上げたのはナタリアだった。

「アクゼリュスから姿を消して……一体何処に逃げたのかと思っていたら。まさか、伯母様もあなたが騙したのですか!」

 ぎっと睨みつけるナタリアの視線を受けて、『ルーク』は肩を竦めた。人の話は聞かない、推測を事実と決め込むのは相変わらずか。

「もう、いい加減にして下さいませんかしら?」
「伯母様!聞いて下さいませ! そのレプリカはアクゼリュスを崩落させた罪人で、」
「いい加減にしなさいと言っているのです! この痴れ者が!」

 ヒステリックな怒号に、ナタリアはひ、と息を呑んだ。
 それは今まで声を荒げたこともないルビィの怒りだった。

「どこまで、どこまで私の息子を馬鹿にすれば気が済むのですか。人の言葉を聞きもしないで、相手の事情を知りもしないで。私の息子は立派に使命を果たしました。救助の依頼は私自ら飛ばしたので、住民は全て避難済み。この子は利用しようとするヴァンに抗い、そして討ちました。大地が崩落したのは事故ですわ。誰の手によるものでもありません」

 それは二人が知る事実とはあまりに掛け離れていた。
 ナタリアもアッシュも、二人はぎっと『ルーク』を睨んだ。

「レプリカ、テメェ」
「やっぱり嘘を言いましたのね! そんなの全部デタラメに決まっていますわ!」
「デタラメ? 何を根拠に言っていますの?」
「ですから、崩落はレプリカのせいですわ。ヴァンに利用されて、パッセージリングを」
「その根拠を、と聞いているのですよ。何か証拠はお有りなのですか?」
「そ、それは…」

 そんなもの、あるはずもない。
 確たる証拠どころか、現場さえも見ていないのだ。
 ただアッシュの言葉のまま、それが起こったのだと。それが事実なのだと錯覚しているのだ。

「この子には全ての証拠がありますのよ」
「そんなはずありませんわ! だって、ルークは、レプリカで」
「原因とされている超振動の確認はなし、これはベルケンドからの資料。マルクトの救助の手順の資料。そして、この子が持ち帰ったヴァンの首は城に謙譲されていますわ」

 そんな、うそ、と呟くナタリアに、それ以上の言葉は無かった。
 全ての証拠はある。それでも信じないのは、信じる気が無いと言うことだ。

 ようやく黙り込んだ二人だったけれど、ルビィの気は収まらなかった。
 この二人は、私の目の前で、大事なこの子を侮辱したのだ!

「アッシュさん。知らない方が幸せだと思っていたから黙っていたけれど。どうやらあなたは知らなければならないようね」
「何を…」
「17年前から10年前。この屋敷に居た公爵子息のルーク。私はその子を愛したことは、一度たりともないわ」

 冷たい表情で告げられたのは、冷徹で残酷な真実だった。

「…ぅ、そだ…」

 その余りの冷たさに、アッシュは凍りついた。

「思い出しなさい。私は一度でも、ルークの頭を撫でたことがあったかしら。その身体に指一本触れたことがあったかしら。優しい、心からの笑みで微笑んだことがあったかしら?」
「うそだ、嘘だ!」

 否定しながらも、アッシュは思い出していた。
 自分に向けられた笑顔と、『ルーク』に向ける笑顔の違いに気づいてしまっていた。
 自分に向けられたのはいつだって、仮面のように張り付いた穏やかな微笑。
 『ルーク』に向けられていたのは、心からの輝かしい笑顔。

「無いわよね。だって、私は一度だって愛したことがないんですもの」
「嘘だあぁぁぁぁ!!」

 悲鳴に近い声を上げて、アッシュは膝を折った。
 絶望に打ちひしがれるアッシュを見下ろし、ルビィは続けた。

「クリムゾンと婚儀を交わす前に、私達は約束したの。私はその血筋と、権威を与えること。そして私は、決して人を愛さない。クリムゾンも、生まれてくる子も、誰も決して愛さない。―私が愛するのは、可愛い人形たちだけだと」
「人形…」
「そう。そしてクリムゾンは私に人形たちを与える代わりに、王家の血筋と権威を得た。私は愛しい人形に囲まれて幸せで、そんな時にこの子が現れたの」

 微笑みかける『ルーク』は、無表情にその笑顔を甘受していた。
 その表情の無さは、正に人形そのもの。

 ―はっ、まるで人形だな。
 アッシュはいつか、自分が吐き捨てた言葉を思い出す。

「分かったかしら。私は、『ルーク』だから愛するのよ。そしてルークだから、愛さない」

 そう、二人の説得は根本から間違っていたのだ。
 ルビィは本物ではなく、人形(レプリカ)を愛するのだった。

「そんなの…、そんなの可笑しいですわ! 偽物だから愛するなんだそんな!」
「それをあなたが言うのですか。自分の子でないと知りながらあなたを受け入れた弟と私。何が違うのかしら?」
「そ、れは…。ですが、!」
「あなたの価値観を私に押し付けないで欲しいわね。私の思いを、あなた如きの言葉で捻じ曲げられるはずもないでしょう。さぁ、私のお話はおしまい。そして、『全て』が終わったわ。―衛兵!連れて行きなさい!」

 瞬間、部屋に突入してきた騎士たちによって二人は取り押さえられた。

「な、何をするのです!私は王女」
「あなたはもう失脚しているわ」
「え…」
「アクゼリュスへの同行、王の命に背いたとして議会が可決しました。あなたの王女の地位も、継承権も全て剥奪です」
「そんな……! そんなこと、お父様が許すはずありません!」
「そのお父様も、今頃はもう居ないはずよ」
「どういうことですの…」
「崩落の件、そして預言の件を知った長老と重鎮達が許さなかったのよ。今まで散々蔑ろにした挙句、ダアトの部外者を我が物顔で居座らせていたことで、ただでさえ不満を抱えた者が沢山だったのに。弟は繁栄と言う甘い言葉に踊らされて、全てを見ぬ振りした。その報いが起こったのよ。そして、次代にと重鎮たちは私を引き抜いた」
「そんな…。実の、弟を…」

 ルビィにとっては弟だからこそ、だ。
 あれだけ固執した王座に就いた途端の堕落。
 身内から出た錆であるからこその決断。
 けれど、それは僅かな割合であり、本当の理由は。

「それから鮮血のアッシュ。あなたにはカイツールの襲撃、王族の襲撃、タルタロスの襲撃。数々のテロ行為の罪状が上がっています。大人しく裁きを受けなさい」

 アッシュは既に気力を無くしており、返事は無かった。
 部屋を連れ出されていく際に、ふとアッシュの視界に映ったのは。

 ―ざ・ま・あ・み・ろ。
 機械のように動く、『ルーク』の口元だった。
 その表情は正に人形。
 なのにアッシュには、見下し嘲笑し、そして勝ち誇ったような表情に映ったのだった。