5.
「爽」
ある日、太宰が爽子の元にやってきた。
彼が爽子の処を訪れるのは約2ヶ月ぶりの事である。
彼は此の2ヶ月間、マフィアの支配下にある小さな組織間の小競り合いの鎮圧等に追われていたが為に、余り自由な時間を割く事が出来なかったのだ。
「あ、太宰さん。抗争の方は落ち着いたんですか?」
「んー、大体は、って感じかな。細かい雑務は未だ残っているのだけどね。
其れより爽、君は今日は非番なのだろう?今夜の予定は空いているかい?」
「ええ、空いてますよ。若しかして何処か出掛けるんですか?」
「嗚呼、一寸君に紹介したい人がいてね。ほら、半年前に君を港で発見してくれた私の友人だよ。君は会ったことが無かっただろうから、今夜会わせてあげようかと思ってね」
「!」
―私の、命の恩人さん。
名前は確か、織田作之助、だっただろうか。
「分かりました。楽しみにしていますね」
爽子は太宰に向かってそう答えると、ふわり、と柔らかい笑みを浮かべた。
◇◆◇
其の日の夜、織田作之助は1人で何時もの酒場を訪れていた。
太宰曰く、今日は自分に逢わせたい人がいる、との事。
一体誰なのだろうかと思案を巡らせていたところで、カランカラン、と店の入口でベルが鳴る。
「やァ、織田作」
太宰は何時も通りに織田に向かって朗らかに挨拶をした。
其の直ぐ後ろから現れたのは、何処か見覚えのある少女の姿で。
「……お前、」
「紹介するよ織田作。此方は君が半年前に扶けたあの女の子、有吉爽子だ。爽、此の人は私の友人で君の命の恩人、織田作之助だよ」
「織田……作之助さん」
爽子はそう呟くと、織田の元へと歩み寄る。
「あの、今更なのですが……扶けて戴いて、本当に有難うございました」
「否、礼を云われる筋合いは無い。確かに俺は君を港で見つけてから此処へ連れて来たが、其の後の事は全て太宰に任せ切りだったからな。
其れにしても元気そうで善かった」
織田はそう云って小さく微笑む。
太宰もまたそんな2人の様子を傍で見つめて笑みを浮かべていた。
其れから暫く、3人は並んで座って談笑に華を咲かせていた。
太宰はあの日以来爽子の事を織田には話していなかったようで、織田は彼女が異能力者だという事実を知ると目を丸くしていた。
「そう云えば、太宰さんの異能力って何なんですか?」
爽子は太宰に向き直ってそう尋ねる。
「嗚呼、そう云えば爽には未だ話して無かったんだっけ。なら、実際に見せた方が早いかも知れないね」
太宰はそう云うと、爽子の手を軽く握る。
「爽、其の状態で自分の異能を使って御覧」
「え?でも……」
「善いから」
「……はい」
―異能力、『芝桜』。
爽子は恐る恐る異能を発動させてみるが―
「あれ?発動しない……」
「判ったかい?此れが私の異能力だ。触れた者の異能力を無効化するのさ」
「へえ……」
そんな異能も在るのか、と爽子は吃驚する。
と同時に、何時迄経っても手を離す気配が無い太宰に疑問を覚え、さりげなく自分で手を抜こうとした。
すると、其れを逃さんとばかりに、太宰に手を握り返される。
「あの、太宰さん?」
「何かな?」
「えっと……手が、」
「手?手がどうかしたのかい?」
―此の人絶対態とだ。
太宰の焦げ茶色の瞳が愉しげに揺れているのを見て、爽子はそう確信する。
「太宰さんって、見掛けに寄らず結構意地悪な処有りますよね」
「そりゃどうも」
「褒めてません!」
憤る爽子の様子を見て、太宰は無邪気な笑みを浮かべる。
―此奴がこんな風に笑うだなんて珍しいな。
織田は2人のやり取りを見て目を瞬かせた。
其の時、ピリリリ、と、携帯電話の着信音が鳴り響く。
「嗚呼、如何やら私みたいだ」
太宰は漸く爽子の手を離すと、携帯電話を片手に店の奥へと消えて行った。
其の場には、織田と爽子が取り残される。
「……」
―き、気まずい……
此の状況を何とかせねばと爽子が内心おろおろしていると、「爽」と織田に名前を呼ばれる。
「は、はいっ!」
「太宰の事、宜しく頼む」
「え?」
「彼奴は孤独だ。普段は飄々としているように見えるが、中身は屹度誰よりも淋しがりの子供だ。何処迄も不器用で素直じゃない奴だが、彼奴の事、此れからも見守ってやっててくれないか」
―織田作さん、急にどうしたんだろう。
爽子は思わず織田をまじまじと見つめる。
織田は先刻迄と何ら変わらぬように見えたが、其の瞳は今日一真剣味を帯びていた。
「判りました。織田作さんも……太宰さんの事、見守ってあげてください」
「……嗚呼」
織田はそう云って小さく微笑んだ。
此れが、2人が交わした最初で最後の会話であった。
彼らの内の1人が、その後間も無く―死んだからだ。