その怪物を抱きしめたい

東の海。その中の一つの島。そのさらに一つの酒場は、まだ昼間だというのに大勢の男たちで賑わっていた。

「なぁシャンクス!次の航海俺も連れてってくれよ!」
「まだ言ってんのか〜?お前はまだガキ!駄目だ!」
「シャンクスのケチ!俺はガキじゃない!」

屈強な男達の中で、甲高い少年の声が響く。周囲の男達の中で少年は彼だけであり、その存在を一等際立たせる。
少年、ルフィはシャンクスと呼ばれた赤髪の男に次の航海への同行を強請るが、それを悉く跳ね除けられむくれながら向かって行く。それに心底愉快そうに笑いながら対応するシャンクス。周囲はそんないつも通りの光景を肴に酒を流し込んでいた。

「薄汚い手で彼に触れるな」

それが崩れたのは刹那の時。シャンクスが向かってくるルフィの頭を掴んで止めている時に、唐突にその場に響いた声。それと同時にシャンクスの首元には刃物が突きつけられていた。
シャンクスの背後には、腰まである黒髪を揺らす一人の女。今現在この酒場には赤髪海賊団しかいない。当然扉付近にもクルー達がおり、誰かが入ってくればすぐに気がつく。けれど、この女が入ってきた瞬間を誰も見ていないし、自分たちの頭の元へ害するであろう存在が近づくことをそう簡単に許すはずがない。にも関わらず、今女はシャンクスの背後におり、その命を刈り取る一歩手前まで来ている。言い知れぬ恐怖が彼らに湧き上がった。彼らは突然現れた襲撃者に一気に戦闘体勢に入るが、襲撃者から放たれる殺気に下手に手を出せない。水を打ったような静寂。

「こら理央!シャンクスさんに何しているの!?」

カウンターから身を乗り出しながら、マキノが女に静止の声をあげる。けれど女は目線をマキノに向けるのみで刃物をおろさない。

「マキノ。彼らは海賊。ルフィを害する者と仮定した」
「確かにシャンクスさん達は海賊だけど、ルフィを害そうとした訳じゃないのはわかるでしょ?」
「是。故に仮定。なれど今現在この男はルフィの頭部を握りしめている。否定するには根拠が弱い」

「あー!?理央!おめぇ何してんだよ!!」

マキノが困ったように女を説得するが、聞く耳を持たない。その会話の中で何故ここまで警戒されているかの答えがあり、ならば今すぐルフィの頭から手を離せばいい。だが少しでも動こうとすると女の手に力がこもり、それも叶わなかった。
さて、ならばどうするか。悩んでいるところで、ルフィの声が響いた。

「ルフィ。この男は君の敵?味方?排除した方がいいだろうか」
「シャンクスは俺の敵じゃねぇよ!」
「そう」

ただ一言。たったそれだけで刃を収め、何事もなかったかのようにルフィを抱き上げ、カウンターに座る女。ルフィを隣に座らせ、周囲の殺気や警戒の視線にもなんの反応も示さない。まるで無いもののようにマキノにルフィの分を注文していた。

「お前ら、殺気をしまえ」
「お頭……だがな」
「いいから」

先程までルフィの頭を掴んでいた掌を見ながら、シャンクスがクルー達に声をかける。それにベックマンが反論しようとしたが、有無を言わさない声色で殺気をしまう。
シャンクスは驚いていた。気配も感じず背後を取られ、急所をおさえられていたこともそうだが。女がルフィを抱き上げた時にまったく違和感がなかったのだ。本当にいつの間にかルフィの頭が掌から消え、女の腕の中にいた。得体の知れないものに、久々に恐怖心が沸き起こった。だがそれ以上に興味の方が強い。

「なあ、俺はシャンクス。あんたは?」

隣に座り、自己紹介をするシャンクスに周りがギョッとする。そんな空気を無視し、ワクワクと楽しみと興味を隠しもせずに女の反応を待つシャンクス。

「ルフィ。飲み物は何がいい?」
「オレンジジュース!」
「マキノ。頼みます」
「ふふ。分かりました。支払いはいつも通り?」
「是。ルフィの分は私が払おう」

しかし、そんなシャンクスに一切視線も意識も向けない女。シャンクスとは反対方向にあるルフィの方に身体を向け、ご飯を頬張るルフィを見ている。その反応にさすがのシャンクスも頬を引きつらせた。

「あー……もしもし?聞こえているか?」
「ルフィ。食事は逃げない。ゆっくり食べなさい」
「むぐぐ!もぐもぐもぐ!」
「頬に米粒がついている」

まったくの無関心。ルフィは気がついていないし、マキノも女の反応に慣れているのか苦笑しているだけ。若い女性に無視されるのはなかなか堪える。

「なぁ!おーい!………」
「………理央?シャンクスさんが可哀想だから答えてあげて」

何度も何度も声をかけ、無視というか存在自体気にかけてもらえないシャンクス。さすがに不憫に感じたのか、マキノが女にとりなした。それに、女はマキノの方を向きシャンクスへ視線を動かす。



その瞬間のことを、シャンクスはきっと未来永劫忘れないだろう。
何もうつしていない深海よりも深い闇の色。
こちらに向いたことで靡く瞳と同じ色の髪。
例え今ここで自分が突然死んだとしても、彼女に攻撃したとしても。何もなかったかのように視線を外し先程までの空間の続きを過ごすだろう。そう確信できるものが彼女にはあった。
その無機質な存在に釘付けになり、刹那の時でも見ないことを惜しむように視線を外しことができない。



衝撃で硬直するシャンクスに、女はマキノへの義理立てで見ただけなのかすぐにルフィに視線を戻してしまった。その目から自分が出ていったことに腹の中がモヤモヤし、その視界を独占するルフィにどす黒い感情を向けそうになる。自分の突然湧き出る感情に困惑しながらも、シャンクスは笑みを浮かべた。

「せっかくこっちを向いてくれたのに反応しなくて悪い。俺はシャンクス。あんたの名前は?」

もう一度言えば、今度はこちらを見て反応してくれた。とは言っても視線だけだが。それでも、たったそれだけでシャンクスの中にあった黒いモヤモヤはなくなる。

「お前がルフィを害さないことは理解した。だがそれだけ。名を伝える必要性はないと判断する」
「そんなことないぞ?さっきまでもそうだったがな、ルフィは俺の船に乗りたがっている。てことは、ルフィは俺を認めているか憧れているってことだ。そんな存在に名前を伝えないのはお前としてはどうなんだ?」

そう言えばこちらをじっと見つめたまま考える彼女。やはり先程までの態度から見て彼女の中ではルフィが基準となっているようだ。彼女にとって絶対のルフィを引き合いに出すことで選択肢の一つとして出せる。そう考えたシャンクスが咄嗟に考えたことをそれらしく口に出したが、効果はあったようだ。

「………有間理央」

しばらく考え込んだ後、小さな声で名乗った。それにシャンクスは表情を輝かせた。

「理央か!いい名だ!」

しかし、名前を伝えただけで用が済んだと判断したのか。すぐにルフィの方に向き直ってしまう理央。せっかく名前を知れたのに、あくまでも最優先はルフィという姿勢にやはりいい気はしない。

「なあ理央#は何だ?」
「質問の意味が不明。"何"は抽象的であり、それのみを判断材料に明確な答えを返すことは不可能」

ルフィを引き合いに出していないのに、視線だけだがこちらに向いた理央。どうやら、先程言ったことでこちらへの関心が少しだけ出たようだ。食いついてきたことに自然と口角が上がった。

「ああ、言い方が悪かった。すまん。いやなに、理央のルフィへの対応がどうも引っかかってな。どんな関係なのか気になったんだ」
「それをお前に伝える必要性は?」
「ない!」

笑いながらきっぱり言い切ったシャンクスを理央は正面から見据える。真顔でシャンクスの内心を探るように見る理央。時間にしたら数秒だったが、見られているシャンクスからしたら長かった。

「ルフィは私の命の恩人。故に何においても優先させるべき存在」

簡単に教えた理央に、僅かに目を開き驚くシャンクス。反応を気にしていないのか、理央は淡々と話していく。

「私は元暗殺者。ルフィのお陰で今がある。ルフィのお陰で命がある。あの日のルフィに救われてから私の全てはルフィの為に使うと決めた。ルフィの害は取り除く。ルフィの前に立ち塞がる者は排除する」

突然情報が多く出され、シャンクスは少し混乱する頭でなんとか整理していく。
つまり理央は元暗殺者で、死にかけていたところを何故かルフィに助けられた。だからルフィの下でルフィの為に働くということか。元暗殺者ならばあの話し方にも少しだけ納得する。恐らくはそういう家系か、幼い時から組織に属していたのだろう。ルフィは分かった。では何故マキノにも僅かにだが従っているのか。

「マキノの作るデザートは絶品」

シリアスだったのが一気に下がった。何故そこだけ理由が普通に懐くものになる。うんうんといったように頷く理央に張り詰めていた空気が霧散するのを感じた。

「はあ!?なんでそこだけ普通に餌付けされてんだよ!!」
「餌付けではない。当時私は心と肉体両方が限界まで疲弊していた。そこで差し出されたものに縋り、それで満たされるのは当然のこと。私の心はルフィによって満たされ、肉体はマキノの食事によって満たされた」

真顔でそれっぽい事を言っているが、中身は明らかに餌付けの事だ。なんだかさっきまでの異様さも目の前の女への恐怖心もどっかへ飛んでいってしまった。
自分たちの船長へ何かしないかと見張っていたクルー達も、もう理央への警戒心などなくなってしまった。ため息を吐き出しそれぞれ酒盛りを再開させる。
つまりルフィを害そうとしなければ、理央は手を出してこない。そしてそれ以外ならばむしろ無害と言えるだろう。

「食とはこの世で最も尊ぶべきもの。海に住まうお前達にはその有り難みが身に染みているだろう」
「いや、まあ確かにそうだけどよ」
「ならば私の言い分も理解できるだろう」
「ならよ!俺んとこのコックの飯も食ってみろよ!上手いからぜってぇ気にいるぞー!」
「拒否。食とは別の感情がマキノの食事にはある。どこでもいいわけではない。空腹は最大のスパイス」
「あー!?やっぱ餌付けじゃねぇか!!空腹時に差し出されたんならなんでもいいんだろ!?」
「餌付けではない。マキノの食事だからこそ浸透した」

子供のように「餌付けだ!」「餌付けではない」と言い争う二人。片方はもう意地でやっているし、片方は大真面目だ。どちらもふざけていないのだから、側から見ているとかなり面白い。
最初のギスギスした空気がどこに行ったのか、和やかな空気が漂っていた。

「な〜理央!話終わったのか?」
「終わった。待っていてくれたのか。ルフィは偉いな」
「おいまだ終わってねぇぞ!」
「まぁな!メシ食ってたし!」
「そうか。デザートは食べるか?」
「食う!」

隣で喚くシャンクスの事は綺麗に無視して、理央とルフィはデザートをマキノに頼んでいる。いつも頼んでいるのか、少しすればすぐに 出てくるケーキ。理央の前にはワンカットのショートケーキ。ルフィの前にはワンホールでチョコケーキだ。

「理央はショートケーキが好きなのか?」
「是。マキノの料理は美味しいが、中でもデザートは格別。この白い中で一点輝く赤い苺はもはや神の作ったもの」
「あ〜……苺が好きなのか」
「是」

黙々とショートケーキを大事そうに食べる理央。無表情だが、背景に花が見えるほど幸せそうだ。皿の端には苺が置いてあり、最初がなんだったんだと言いたくなるほどこちらへの警戒心もなくなっていた。理央が一つ食べている間にルフィはワンホール食べきってしまったのか、暇そうに足を揺らしている。

「理央。なんで苺を端に避けてんだ?」
「この至福のときに最後を彩る物」
「?……なるほど」

理央の言葉は面倒だ。わざとではないことは分かるのだが、いかんせんきっぱりと言わず回りくどい言い方をする。
返答が一瞬何を言っているのか分からず首を傾げたが、すぐに理解できシャンクスは頷いた。

「なあ理央!遊ぼうぜ!」
「否。例えルフィといえどもこの至福のときを阻害するのは許さない」
「でも俺もう食べ終わった!理央食うの遅ぇよ!」
「否。ルフィが早いだけ。もっと味わうべき」

完全に飽きてしまったのか、理央に遊びをねだるルフィ。けれどルフィよりもデザートの方が大切なのか、理央は全く取り合わない。それにふくれっ面で抗議するルフィ。

「なー理央ー!なーってば!」

ガチャン、ベチャ。

「…………」
「…………(汗」

誰も何も言わない。いや言えなかった。皿を持ち椅子から僅かに身体を乗り出した体勢のまま微動だにしない理央と、その理央の横腹に体当たりしたような体勢で冷や汗をかいているルフィ。理央の椅子の下には、残り僅かだったスポンジや生クリーム、そして転がる苺。
黙っている理央が逆に怖い。
ゆっくりと。だが隠す気がないのか理央から殺気が漏れ出る。最初の時シャンクスに向けていたものとは段違いのものに、ルフィの顔が真っ青になった。ゆっくりと体勢を戻し皿を置くと、脱兎のごとく走り出したルフィが逃げないように襟首を掴んだ。

「わぁー!離せ!!」
「マキノ。少々席を外す。代金はここに置いて置く」
「ええ、分かったわ。………あんまりきつくしないであげてね?」
「それはルフィ次第」

どうにかして理央の腕から逃げようとルフィはもがくが、一切力が入っていないように見えるのに微動だにしない。
このやり取りもいつもの事なのか、マキノは動揺せずしかし少しだけ困ったような笑いながら諫めた。けれどそれに理央は無表情で答え、未だ暴れるルフィを抱え酒場から出ていった。

「なあ、理央はどこに向かったんだ?」
「多分滝ですね」
「滝?」

口も手も出せる雰囲気ではなかったので黙っていたシャンクスがマキノに聞けば、返って来た答えに首を傾げた。

「理央はルフィの行動のことでは大抵のことは許容してしまうんです。だけどデザートに関してだけは絶対に許さなくて、その度にルフィを滝に吊るしに行くんですよ」
「滝に吊るす!?」

詳しく聞いたが、全く分からない。なんだ滝に吊るすって。しかもあれほど大切にしているようなルフィに対してなんて、どれだけ甘い物が好きなんだ。
頭が混乱しているが、シャンクスは酒と一緒に流し込んだ。理央はそういう人物なのだと理解しよう。

「しっかし面白い奴だな〜」
「お頭、随分気に入ったみたいだな」

カウンターの隣にベックマンが座り、酒瓶を片手に言ってくる。最初の理央を見れば、例えその後の態度がどうあれ警戒してしまうのは仕方がないだろう。しかもどうやら自分たちの頭が気に入ってしまったようで、嫌な予感がする。

「まさかとは思うがお頭、あいつを仲間にするなんて言い出すんじゃないだろうな」
「ん〜?なんだ反対なのか?」
「当たり前だ。………最初の態度を見ただろ。あいつがこちらと敵対しない理由はルフィだけだ。そんな不安要素を船に入れるわけにはいかない」

険しい表情で睨みつけるベックマンに、シャンクスは意にも返さず楽しげに笑っている。全く自分の言葉が意味をなしていないことに眉をひそめ、さらに言い募ろうとした瞬間。シャンクスの表情に口をつぐんだ。

「欲しいなぁ……」

細めた目は獲物を狩るそれ。漏れ出た言葉はベックマンのみにしか聞こえず消えていったが、確かに欲が含められていた。冷酷な海賊の顔をするシャンクス。時たまその表情をするのは見たことがあるが、会ってまだ数時間も経っていない女相手に向ける表情じゃない。
これは何を言っても聞かないなと判断したベックマンは、これから先ある面倒ごとを思い浮かべ大きくため息をついた。



一目惚れかどうかなんて知らねえ。ただあの怪物を手に入れたいと思った。俺は海賊だ。欲しいものは手に入れる。我慢なんてしねぇ。あいつがルフィのみしか目に入っていないというのなら、無理やりこっちに向けさせればいいだけだ。

シャンクスは先程までいた理央を思い出し、自然と口角が上がる。どうすれば彼女を手にすることができるか。それを考えながら、酒を流し込んだ。



その怪物を抱きしめたい




「!?ルフィの奴本当に滝に吊るされてやがる!!?ダッハッハッハ!」
「ちくしょー!シャンクス笑ってんじゃねー!あー!理央〜もうしねぇから降ろしてくれよ〜!!」
「否。前回も同じことを言っていた。ルフィは反省すべき。勝手に降ろしたらその当人も同様の目にあわす」

「はぁー笑った笑った………なあ理央。俺の船に乗らねぇか?」
「拒否」
「即答かよ!しかも"否"じゃなくて"拒否"って所がまた確固たる意志を感じるな」
「ルフィが海へ出るというのならば付いて行く」


(ルフィが海へ投げ捨てられ、海王類に喰われそうになった)
(理央は間に合わなかった。その場にいなかった。ずぶ濡れで泣くルフィを見て、理央もまた無表情で涙する)
(そして目線は俺の腕に向かう)
(ルフィを守って失った左腕)
(その目に確かに違う色が灯ったことを見た)
(ルフィを守ったことは下心ではないが、これはこれで結果オーライというやつだな)


失った左腕に手を伸ばす理央を見ながら、シャンクスは海賊の顔で笑った。
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