▼▲
対話



殺伐とした空気の中、静かに語り始めた彼の声は淡々としていて、極力感情を抑え込んだ堅い声だった。


「まず、結論から言うと…前の奴は、失踪した。俺達を置いて…。」


敢えて、皆が居るこの場にて話すのだ。

多少、言葉に気を遣わねば、抜刀沙汰になるやもしれない。

よって、慎重に言葉を選び、口にする清光は重く口を開いた。


「前の審神者は、アンタと違って男だった。そもそも、審神者という役職柄、男が多いらしいんだけど…前の奴も、恐らくアンタと近い時代からやって来たんだと思う。最初の頃は、本当にまともな奴だったし、本丸もごく普通のホワイト本丸だった。俺が初期刀として選ばれて顕現して、それ以来、ずっと奴の側で色んな物を見てきた。出陣で敵を討ったり、誉を取ったり…遠征で各地へ調査に行ったり、資材確保…。内番では、変わり交代当番やって、畑耕したり…。時には、演練に出掛けて、他の本丸の刀剣男士達と試合したりとか、その他諸々…。何処の本丸とも同じような事をこなしながら、皆との絆を深めていったんだ。」


そこで、一度言葉を区切ると、それまでは堪えていた感情を滲ませるように、表情を歪めた清光。

膝で握り締めている拳が力を増し、黒いズボンに濃い皺が出来る。


「でも…そんな平凡で穏やかだった生活も、とある事がきっかけでガラリと一変したんだ。ある演練に参加した時の事…。偶々、対戦相手になった相手側のメンバーに、三日月宗近が居たんだ。ソイツは、奴が、この本丸に勤め始めてからずっと欲しいって言ってた刀だった。三日月宗近ってのは、天下五剣の内の一振りで…この世で最も美しいとされる刀ね。で、その喉から手が出る程欲しがってた刀が目の前に現れて以来、奴の人が変わった。」


ピシリ、何かが砕けるような、ヒビが入ったような音が聞こえた。

一瞬、横に構える薬研がピクリと反応するも、話は続けられた。


「三日月宗近はレア中のレア刀で、滅多に手に入らない刀とされてるんだ。つまり、幾ら鍛刀しようとも、簡単にはゲット出来ない訳…。だから、人が変わってしまったアイツは、無理な出陣を重ねるようになって、鍛刀した刀が三日月じゃなければ、折って破壊した。資材が無くなると鍛刀出来ないから、また無理な出陣を命じる。敵方から手に入れた刀も、気に入らなければ、その場で折ってた。出陣すれば、当然傷を負うけど、手入れに使う資材が勿体無いとすれば、中傷でも出陣させた。酷い時は、重傷の状態でも出陣させられて、御守りも無かった俺達は、刀装が壊れてしまえば、後は折れるのを待つだけだった。そんな状況に反抗する刀が出てくれば、殴ったり蹴ったりの暴力を振るった。そして、気付けば居なくなってた。何の痕跡も残さずに…。だから、奴の居場所については、誰も知らない…。」
『……なるほどね…。だから、初めて逢った時からボロボロの傷だらけ状態だったって訳ね。そんなん続けてりゃ、逆に自分の命が危ないだろうに…。』


嫌悪を露にした表情を浮かべた律子は、更に顔を顰めさせた。


『例え、自身に従えし者が人の成りをしていようと…刀剣男士等が付喪神である事実は変わらない。況してや、神を愚弄しぞんざいに扱うなど、笑止千万。当然の如く、神より怒りを買うのは必然と言えよう…。神の怒りとは、即ち天罰。下手をすれば呪い殺されていたかもしれないのに…余程の命知らずか、馬鹿なのか…。』


律子は、重い溜め息を吐き出すと同時に、軽く目を伏せる。


「傷も癒えぬまま、なぶられ続ければ、やがて限界が来る…。そうやって、何振りもの刀が折られたんだ。俺の相棒だった安定も、そう…。アイツに、碌な手入れもされなかったせいで、顕現して間もなく死んでいった。錬度が低い奴は、皆折れてった…。刀の俺達は、本体である刀が折れれば、死ぬ。死ぬって言っても、分霊が本霊に還るだけで、人との死とは根本的に違うんだけどね…。」
「…僕の大事なお小夜も、その内の一振りさ…。主あるまじき暴力を振るわれて、小さな身体のお小夜は…っ、お小夜は……っ!」
「お小夜は貴方の物ではありませんけどねぇ…。僕達の弟ですよ…?歌仙。」
「ぼくとなかよしだった岩融も、まえのあるじさまにおられました…。」
『え…っ!?岩融って、簡単には折れない薙刀だろう…!?それを、折ったっていうのか…!?』
「それだけ、前任は酷い奴だったって事だよ、大将。」


衝撃の事実を聞かされ、言葉を失う律子に、薬研がそっと言葉を告げた。

今剣は、辛い事を思い出したせいか、今にも泣きそうになるのを堪え、顔を俯けた。

どう言葉を返してやれば良いのか解らず、茫然と彼の頭を引き寄せ、撫でてやる。

すれば、彼は縋るように抱き付いてきた。


『辛い内容だから、無理にとは言わないが…念の為、軽く把握しときたいから…。他に折れた者が居るなら、教えて欲しい…。』
「それじゃあ、僕から…。」


小さく手を挙げたのは、新撰組刀の脇差である堀川だった。

彼は、視線を下に向けたまま、静かに語り始めた。


「ウチには、新撰組刀が長曽祢さん以外は揃ってたんですけど…。僕と同じく、土方歳三の刀だった兼さん…和泉守兼定っていう打刀が居たんです。でも、兼さんは、錬度が低かったから…っ。無理な出陣を重ねた結果、戦闘中に破壊されたんです…っ。」


必死に堪える堀川は、肩を震わせて拳を握り締めた。

堀川に続くように、それまで黙っていた大倶利伽羅も、おもむろに声を上げた。


「伊達の刀である彼奴も…っ、日々の無理な出陣に、手入れの受付無しでの重傷に心身の疲労困憊、おまけに強制的な審神者命令で参加させられる夜伽が重なって、戦闘時に刀剣破壊という結果だ…っ。クソ…ッ!」
『伊達の刀で彼奴って…。』
「伽羅坊の言う彼奴とは、光坊…燭台切光忠っていう刀の事さ。この本丸の中でも数少ない太刀だったんだが…顔が良かった分、前の審神者は無理矢理従わせて、夜伽に付き合わせていたんだよ。幾ら、重なる出陣で疲れ切っていようともな…。」


夜伽という単語を聞いた途端に、思い切り顔を顰めた律子。

その反応に、「まぁまぁ、落ち着け?」とでも言うような表情で彼女を宥めすかす彼。

ブラックには有りがちだとは思っていたが、やはりと言うか、此処までとは…。

前任の奴は、根っから腐り切った奴だったらしい。

性根腐り果てた奴が審神者を勤めていたとは…、政府とやらの選ぶ基準というものが全く解り得ない。

どういう神経をしたら、そんな糞みたいな脳味噌した奴を審神者と選ぶのか。

皆目見当も付かない。

話には、まだおまけがあった。


「折られた刀は、言えば他にもあるんだが…一先ず、それは置いといてだな。夜伽云々についての件には、まだ続きがあるのさ…。」


貼り付けたような歪んだ笑みを浮かべ、その顔を彼女に至近距離に近付け、言う。


「奴には、好いてる女が居たんだ…。それも、現世のな。奴は、あろう事か、その女をこの本丸に連れ込んでいたのさ。俺達付喪神が居わす空間である隠世にな。な…?飛んだ馬鹿だろう?頭の螺が外れちまってると思わないかい?」
『まぁ、普通の思考回路なら、そう思うわな…。で…?それを、わざわざ脅かすような態度で教えた理由は、何だ…?』


睨むような視線で下から見上げると、然も可笑しいように嘲り笑った鶴丸。

再びその身を彼女に近付けると、大仰な身振りで表した。


「君が、前任と同じような事をしないかどうかを確かめる為さ…っ!俺達は、既に人間へ向ける信頼を失っている…。信用ならないのさ。人間という存在が。だから、問いかけてるんだよ。君という、新しく就く俺達の主に、な…?」


すらりと刀を抜く代わりに、するりと首へ伸ばされた腕。

白き袂から覗く腕は、細くとも男のそれで、刀を握る分、ただの人間よりも鍛えられてるだろう。

補足すれば、彼は神様だ。

人一人…それも、女一人捻り殺す事等、造作もないだろう。


「きやすくあるじさまにふれるとは…!ぶれいきわまりないですよ!鶴丸国永…っ!!」
「即刻、その首にある手を離してもらおうか…っ!」
「おっと…、そういきり立つなよ、二人共。別に、殺すつもりはないって言ってるだろう?」
「ならば、なぜあるじさまのくびにてをかけたりしているのですか…っ!!」
「さぁな…?俺にも解らんさ。だが、まぁ…一つ言えるのは、それだけ人間が憎いって事さな。」


一瞬だけ、ギリリと込められた力に、僅かながらだが絞まる頸部。

しかし、律子は彼から目を逸らさずに、真っ直ぐに見据える。


『それで…、少しは気は済んだか…?』
「驚いたな…。微塵も恐がらないとはな、その据わった肝…御見逸れいったぜ。」
『ちっとも恐くない訳じゃないさ…。ただ、アンタ等の怒りは相当なものだと理解している。なら、それ相応の覚悟は要るってモンだろう?況してや、これくらいの挑発…否、軽い脅しにビビってちゃ、これからが勤まりやしないしな。薬研も言ってたろ…?“これくらいでビビっててどうするんだ?”ってな。』
「確かに言ったが…、アレは今とは別の意味でだな…っ。」
『とにかく、今はお互い争うべきではないし、話し合うべき場だ…。それに、俺は、アンタ達に酷な事を言い付ける気は無ぇよ。前任が命令した非道な事は、一切命じる気は無い。そもそも、そんな必要も無いからな。もっと気を楽にして欲しいというのが、今の俺からの願いだよ…。信用しろとは言わない。だけど、もう少しだけ、警戒を解いてくれると嬉しいな…。』


未だ、手をかけられていても尚、律子は微笑みを浮かべて、彼を見た。

完全に動揺した鶴丸は、掴んでいた手の力を緩め、その隙を逃さなかった薬研が彼を突き飛ばし、長谷部より後ろ手に拘束される。

今剣は、彼女に危険が及ばないよう、本体の短刀を構えて、臨戦体勢を取った。


『待って…っ!彼を攻撃するな。刀を下ろしてくれ。』
「しかし、あるじさま…っ!」
『良いから…!刀を下ろせ、今剣。そして、鞘に納めろ。他の奴もだ…っ。武器を下ろして、仕舞え。』


鋭い声が、彼等を制する。

緊迫した体勢だった皆は、固まり、ぎこちない動きで各々の本体を納めた。


『これ以上、荒れて欲しくないんだ。話は、大方解ったよ。金輪際、アンタ達にそんな事が起こらないよう、誠心誠意努めてみせるよ。それに、俺は女だが、そういう事には疎いし興味も無い。よって、前任みたいな気を起こす事も無いから、安心してくれ。』


些か、不安の残る幕開けだったが、彼等との初めての対話を終えるのだった。


執筆日:2017.11.05