11.重い扉の前

あれからすぐ、わたしの退院の日がやってきた。あの日からお母さんは他人行儀で、わたしと目を合わせようともしない。話しかけても聞こえないふりか、はいはい、と生返事。時々、"話しかけるな"と言わんばかりにため息を吐かれ、鬱陶しそうな顔をされてしまうこともある。

唯一の味方だと思っていた身内から受ける仕打ち、あんなに優しかったお母さんの豹変ぶりに、わたしはだんだんと自分の中にある何かを諦め始め、徐々に押し黙るようになっていった。

誰に何を言っても、上から無駄だと蓋をされる。抵抗しても周りから固められて身動きできないほどに縛られる。

まるで、わたしの感覚が間違っているかのように、周りから振る舞われてしまう。


「…あ」
「……」


退院手続きを済ませたお母さんは、無言でわたしの荷物を手に取った。背を向け病室のドアに手をかけ、わたしの方を一度振り返ってひどく冷たい視線をよこした。


「………」


さっさと出なさい。という意味だろう。

有無を言わせない目つき。なにをしても無駄だ。視線が物語っている。

ここから出たら、また別の意味で出られなくなる。だけど、どこに行けばいい、どこに逃げたらいいのかわからないまま、松葉杖に手をかけ、わたしはのろのろと立ち上がった。

一歩、また一歩と進むごとに獄門へと近づいてゆく。


「お世話に、なりました…」
「まだ通院がありがますが、一先ずおめでとうございます」
「……」


病院の入口前で、お世話になった先生と看護師さんに、それぞれ頭を下げた。この先、まだお世話になる山南先生の柔らかいにこやかな笑顔も、今は辛いだけでしかない。無言で頭を下げ、用意されたタクシーに、これから処刑される囚人のように、項垂れながら乗り込んだ。

気持ちが重い。家に帰っても、いずれ総司さんのもとに連れて行かれるだろう。

あの人は嫌だ、それだけじゃダメなのだろうか。一生の伴侶となる人なのに、愛しているのかも分からない人と、わたしは死ぬまで一緒に生きなければならないのか。
 

「………」


この結婚には、当人同士の意思以外の何があるのだろうか…。
お母さんは、あれからわたしの結婚について、何も言おうとはしない。

さっきタクシーに乗り込むとき、囚人のようだと思ったけど、本当に、その通りだ。

わたしは総司さんという冷たく硬い鉄の檻に、これから閉じ込められるんだ。一生。

わたしの意思も何もかもを無視されたまま…。

総合病院から家まで、車で20分ほど。大した距離ではない。あっという間に、まず家という第一の牢獄に到着してしまった。

お母さんが料金を払っている間に、タクシーの自動ドアが開き、降りようと視線をずらしたその先に、男の人脚と、革靴が目に入った…。


「おかえり」
「……っ」
「支度、できてるよ」
「…した、…く…?」


総司さんがいつものにこやかなほほ笑みをたたえ、わたしの家の門の前に立っていた。

わたしが戸惑っている間に、お母さんが反対側のドアから降り、総司さんのもとに足早に駆け寄った。少しの談笑の後、持っていたわたしの荷物を手渡し、にこにことわたしにとって久しぶりの笑顔を総司さんに向けている。

微笑ましい二人の光景を、付いていかない頭でぼんやりと見つめる。
ぺこりとお母さんにお辞儀をした総司さんが、何故か今までお母さんが座っていた席に回ってきた。

バタン。と両のドアが閉められる。

その音で、わたしはぱっと弾かれたように我に返った。


「えっ?…え?!」
「じゃ。運転手さん、出してください」


小さなメモを渡された運転手は“かしこまりました”と言って、振り返りもせずに車を走らせた。


「…っ!?」
「………」


驚き焦るわたしと正反対に、総司さんはゆったりとシートにもたれ、相変わらずにこにこと笑顔をたたえている。
後ろを振り返って、家の方を見ても、もうとっくにお母さんは家の中に入ってしまっていた。

何がどうなったのか、全くわからない。
まるで、事故の後目覚めたような混乱だ。

だけど、聞くのが怖い。
今までを考えたら、もう出される答えは見えているから…。
せめて家に戻れば、何かが掴めるかもしれない、何かが思い出せるかもしれないと、それだけが唯一の希望だったのに…!

わたしは最後の牢獄に、一気に連れて行かれるんだ…!


「ユイちゃん、この前のことは…、許してあげるよ。」
「っ!!」
「足は、ゆっくり治そうね…」
「……ぃ…ゃ……!」
「……」


ずっと黙っていたからか、張り付き、痙攣した喉からでた言葉は、掠れてか細くて。


──誰にも届くことは、なかった。


─────
2016/01/22


ALICE+