12.疑念

「ユイちゃん?」
「…総司、くん……」


タクシーが家の前に停まり、降りたところで総司くんと鉢会う。


「おかえり……、目…、どうしたの…?」
「………」


まだ涙の止まらない私は、目もとにハンカチを当て総司君から顔を逸らした。


「一くんのこと?」
「………!?」


どうして、総司君が一君の事知っているの…?


「何で知ってるの? って顔だね。」
「………っ」


総司君は勘が鋭く、重ねて鈍い私はいつも総司君に何かにつけて気持ちを読まれる事が多々あった。
そして私の気持ちを判ったうえで、からかって遊んだり…、時々こうやって見透かして私を揺さぶる。

だから私は総司君が怖い。
纏った上辺も取り繕った嘘も、あっさりと見抜いて心の中に踏み込んでくる。
見ないようにしていたものを突き付けて、甘えるな、といわれているようで総司君が怖い。


「僕、一くんと同じ学部なんだよね」
「………」


嫌な予感はしていた。
家の近くの大学といったら、一君が通っているところくらいしかないから…。


「きのう僕、ユイちゃんの部屋に行ったでしょ?その時に見たんだ」
「………ぇ」


久しぶりに出した声は、自分でもびっくりするほど小さくて掠れていて…
張り付いた喉は、泣き叫び過ぎて腫れてひりひりと熱を持っていた。


「ユイちゃんがお風呂に言った時、携帯が鳴ったんだ。ユイちゃんの携帯、閉じたままでも相手の名前が出るでしょ?それでだよ」
「…………」


携帯を出しっぱなしにしていた事。
閉じていても相手が分かってしまう機能を、今日ほど恨めしく思った事はない。

もし、携帯をしまっていれば
もし、名前表示の機能を解除しておけば…


こんなにも苦しくて、悲しい自分の気持ちに気付かなかったかもしれない


でも、それは結果論だ。


総司君が着信相手を見てしまった事は仕方の無いこと。
私だって携帯の音がすれば、条件反射でその音の元に振り返る。
見ようなんて意思も無く振り返る。

自分がもっと気を付けておけばよかっただけの話だ。

こくん、と唾を飲み込んで、喉を開いて


「そう、…」


そう返事するのがもうやっと。
脚を家の方に向けた時、総司君が私の肩を引き寄せた。


「こんばんは、一くん」
「…っ!?」


総司君と話をしている間に、一君が帰って来ていた。
私の動揺を煽るかのように総司くんは私を自分の方へと引き寄せ、一君の事を張り付いた笑顔で見据える。


「ご近所さんだったんだね、僕、昨日からユイちゃんのお家にお世話になってるんだ」
「…………」


一方的に話をする総司君を、一君は表情も崩さす見据え返す。


「明日は同じ講義の日だね…、一緒に行こうよ」
「遠慮する…」
「残念。じゃあ行こうかユイちゃん。またね、一くん」
「…あっ……」


家の方へ肩を引かれる。
一君の方を振り返っても、もう一君は既に自宅の玄関ドアのノブに手をかけ、家に入ろうとしていた。


「…………っ」


はじめから諦めていた筈なのに…
自分で割り切っていたはずなのに…


一君!とそれでもあなたの名前を呼びたい


もうそれもできず、私は総司君に肩を引かれるまま家へ入っていった。



ガチャン…。



ドアの閉まる音が重く私に圧し掛かる。

靴を脱いで、玄関にへたりこんだ。
総司君が私を見降ろしているのは解っているけど、顔を上げる気になれない。

もう何を言われても、なにも返す気になれない。


「立って」
「………」


腕を引かれて背を支えながら私を立たせてくれたけれど、身体に力が入らない。
項垂れて、壁に凭れ掛ってずるずるとまたへたり込む。


「仕方ないなぁ…」
「………」


“よっ”と掛け声をかけて私を横抱きにし、総司君は居間に向かった。
違う男の人に抱き上げられているというのに、抵抗する気力もわかない。
逆にゆらゆらとした心地が、“これは夢なんだ”と言っているようで…、このまま目を瞑り眠ってしまいたくなる。

ソファにそっと私を降ろし、隣に総司君が座り、徐に私の髪を掻き上げて首元に視線をやった。


「ひどいね、首元キスマークだらけ」
「……っ!」
「明日は首元、しっかりしたもの着ないとね」
「…………」


総司君が私にあんなものを付けたから…!

悔しさや憤り、それから悲しさと疑問が一気に噴き出して張り裂けそうな程に溢れる。


「どうして総司君は私に痕なんて付けたの……」
「………」


俯いたまま、低く、唸るように言葉を吐く。
一気に放った言葉は疑問形ではあるけれど、抑揚を持たず、ただ私は思ったままを声にして吐き出していた。

思いたくないけど、この事さえなければ、私はまだ幸せな勘違いに包まれていた。
今日のこの仕打ちが真実なのは身をもってわかった、けれど…

心の準備も無く一君にあんな仕打ちを受けて、この事さえなければ…!と思わずにはいられない…!


遅かれ早かれ、この関係が無くなる事は分かっていたけれど…、まだ、まだ甘い考えに浸っていたかった…!


ぼろぼろと、また、涙が流れる。
私は顔をくしゃくしゃに歪め、しゃくり上げ、子供になったみたいに泣きじゃくった。
下を向いているせいで、ぼとぼとと涙が落ちて手の甲を濡らす。


「ユイちゃんは、一くんの事が好きなの?」
「………っ」


顔を跳ねあげれば、総司君は困った様に眉を寄せ、悲しげに溜め息を吐いた。


「一くんは、だめだよ」
「………っ!?」


“何で?何で総司君がそんな事言うの!?”

また涙が込み上げる。
余計に訳が分からなくなって、悲しくて、悲しくて…


「ちゃんと言うから、そんな顔しないでよ…」
「………」


何を言われるのか全く予想がつかないけれど

きっと私にとって、良い知らせではない事だけは解った。

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