16.燈火

*私の中で刻は止まったままなのに、現実は残酷に時を刻んで行く。


「一君ねぇ、家を出るんですって」
「……ぇ」


ご飯をよそいながら、まるで天気の話でもするかのように表情も変えず母は話す。
いや、ご近所さんのことだから当然なんだろうけれど


「福島の方で就職が決まったって。3月末には出発するみたいよ。斎藤さんちも寂しくなるわねぇ。」
「…………」


あの日からもう一年以上経った。
総司君も仕事が決まったってこの前メールくれたっけ…。

もう、そんなに経ったんだ…。

近所、だというのに
あれから、あの日から一君に会うこともなく日々が過ぎていった。

私も寂しさを埋めるために一人、二人と男の人と付き合ったりもしたけれど

あいも変わらず“つまらない女”って三ヶ月も持たずに捨てられる。

そのくせに悲しくもなく、寂しさは埋まることもない。


「…………」


どんなに願っても、連絡もなければ会うこともできなかった。


そしてこれからもそれはきっと叶わない。


一君がここから他県へ行ってしまうのだからもう希望なんて微塵も残っていないだろう。
私から行動なんて出来ない。


未だに消していない一君のメールアドレス。
何度連絡をしようか、と迷ったこともあった。
でも…、拒絶なんてされてしまったら、それこそ私は…。

そう迷っている間に、気が付けば一君が社会人になってしまう程に刻は経ってしまっていた。

己の意思の弱さを嘆いた所でそれも今更。


「……………」


心の中にポッカリと開いた穴は、無言で口を開いて獲物を待つ魔物のように真っ暗な闇をたたえている。

そしていつか埋まるだろうと思っていたその穴は、決して埋まる事など無く開きっぱなしで闇を色濃くしてゆくばかり。





「…………。」


ホームを出て夜空を見上げる。
母は今日も夜勤で帰らない。

誰もいない真っ暗な寒い家に戻るのも憂鬱で、私は近くのコンビニに向かった。

小さなカップラーメンとおにぎりとチョコレート。
それから週刊誌を買って、ちょっと立ち読みして時間を潰す。 

そんな事をしたって変わるわけじゃないけれど、自分の中で折り合いをつけて読んでいた雑誌を棚に戻し、コンビニを後にした。

コツン、コツン、とパンプスの音が乾いた空気の中で響く。

季節は一巡して、また冬がやって来た。

はぁ、と夜空に向かって息を吐き立ち昇り消える白を眺め、マフラーで口元を隠しながらあの日の夜を思い出す。

私が残業の時、駅に一君がいて、並んでこの道を歩いて。
そしてキスをされて欲のままに求められて…。

ここには一君との思い出が多すぎて、ふとした時にこうして思いだしてしまう。
囚われていちゃだめだと打ち消しても、消えることなく鮮明に今でも覚えている。

瞳の色も、髪の感触も、声も香りも温もりも…!

どれも、どれも私の身体余すところなくすり込まれて

消したくても消えない。
消えることなんて無い…。

だから、前に進めない。
あの日から私の時間は止まったまま。


「………ぁ」


ひらり、空から白い雪が舞い落ちる。

どうりで冷え込むと思った。

そういえば天気予報でも言っていたっけ。
夜半から雪が降り始めて、未明まで降り続くって…。


早くお風呂に入って温まろう。
私は少し歩くスピードを上げ、家路を急いだ。



「……!」


角を曲がって視界に入った電信柱から人影が見える。

いつもそこに人なんて居ないから、少し驚いて脚が止まってしまった。

ううん、止まったのは必然なのかもしれない……


「………っ」


街頭を背にしているから、逆光で誰かわからない…筈なのに…

私の心臓は大きく跳ねて、ずくずくと痛い程に高鳴っていく…。


そんな、まさか


だってもうここに居ないはずの人、なのに…!

願望が見せた都合のいい幻なの?


そんな、まさか、でも…!


カツンと乾いた靴音を立てて振り返った人影は、徐々に灯りを纏ってはっきりと輪郭を照らしだす。


「…ユイ」
「…………っ!!」


その人の口から紡がれる私の名前


低く、だけど私の胸を締め付けるその声は…

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