6.変化(悪戯)
「総司くん、暫く家に居る事になったからね」
「え……」
黙々と夕飯を進めていた箸が、思わず止まる。
「宜しくね、ユイちゃん」
私の向かいに座る総司くんはとてもにこやかに頬づえをついている。
「……な、んで…」
「引っ越し予定だった寮が、更新手違いで入居出来なくなっちゃったんですって。今まで住んでたアパートも、寮に引っ越すつもりで退去手続きしちゃったもんから、今週中に部屋を明け渡さなきゃならないのよ。行く宛ても無いし、暫く家で預かってくれって、姉さんから頼まれたの。」
総司くんに二杯目のお代りをよそいながら、母がざっくりと説明をした。
総司くんの実家はうちから車で三時間はかかる程離れているが、総司くん自体はうちの近くの大学に去年から通っている。
金銭面の事も有るし、寮の方を希望していたものの、空きが無く今迄アパート生活をしていたという。
やっと開く筈だったひと部屋も、管理会社の手違いでその学生の退室がひと月程先延ばしになった。
要するに、大学の寮が開くまで、母の姉の息子、つまり私の従兄にあたる彼を、大学近くに住む私達に面倒見て欲しい、
という事だった。
「また新しいアパート探すでもお金かかるし、僕は学生の身だからね…」
綺麗に魚を解して口に運びながら、さも“困った”と言う風に肩を竦めた。
「卒業まで家に住んじゃえば?息子が出来たみたいで、おばさん嬉しいわ」
「………ッ「流石にそんな、甘えれられないですよ。……頑張ってお手伝いしますから、寮が開くまで宜しくお願いします」
とんでもない母の提案を、慌てて否定しようとする私の言葉を遮って、総司くんは見事なまでに優等生を演じて見せた。
喉が詰まった様な感じがして、食欲がスーッと引いていく。
「ごちそうさま…」
「あら、もういいの?」
「うん、平気」
自分の食器を片付け、部屋に戻ってベッドに横になる。
(うちの近くの大学って…、まさか……、)
背後に迫る不安に暗くなる心。
何かに縋りたくて枕元に置いた携帯に手を伸ばして開く。
「…………」
大して使わない携帯の画面。
待ち受けも、キャラクター物やカメラ機能を使って貼り付け物で無く、初期設定のままの画面。
メールの受信画面に切り替えて、一君からの受信履歴の一つだけを開く。
“時間はあるか?”
甘い一文なんかじゃないって事なんて、良く分かってる。
一君が、ただ私を抱く為に呼び出す一文だという事くらい。
だけど何かが、しこりとなって淀みの様なものが私の心の中を濁らせる。
それが今の私の中を支配をしていて、そんな一文にですらしがみ付きたい位に私は不安でたまらない。
「………」
終了ボタンを押し、画面を待ち受けに戻す。
時刻の秒数の処だけが点滅を繰り返し、私はこれからの事を思うと気が重くなって、そのまま突っ伏したまま瞳を閉じた。
─────────
「…、ちゃん、 ……、ちゃん…」
「…、……ん」
「ユイちゃん……」
ゆさゆさ、と私を誰かが揺さぶる。
乱暴でないその手付きは、優しく私を起こそうとする…。
その暖かい掌と、優しい揺さぶりに、私はゆっくりと眠りから覚める事が出来た。
「………、んー…」
少し寝ぼけて、ゆっくりと身を起こしてきょろきょろと部屋を見回す。
「………ッ!!」
「やっと起きたね」
目の前には髪の濡れた上半身裸の総司くん。
腰にタオルを巻いてはいるが、突然の事に私の頭はまだ働かない。
「な…、…ッ」
声を引き攣らせて慄き、がば、と身体を起こして後退る私に、総司くんはゆっくりとした動作でベッドに手を着き、身を乗り出して私の唇に人差し指を充てる。
自分の唇にも反対の手の人差し指を充てて、囁くように、低く。
「し―…」
「………」
指示通りに黙り込んで、こくりと頷いた私に満足した総司くんが、そっと唇から指を離し、にっこりと微笑んで徐に立ち上がる。
「…………、っ」
惜しげも無く晒された総司君の上半身が驚くほど逞しくて、私は思わず目を逸らして赤面した顔を隠す様に俯く。
肩に掛けたタオルで頭をがしがしと拭きながら、でもきっと総司くんは私のこの行動にほくそ笑んでるに違いない。
「お風呂、空いたよって言いに来たんだけど、返事なかったから、さ」
「あ…、そっか…、ありがと…」
なるべく見ない様に、と俯いたままベッドから脚を下ろし、総司くんが部屋から出るのを待つものの、なかなか気配が消えない。
頬の赤みも落ち着いたのが分かったし、少し慣れたから、私はあえて顔を上げて総司くんを見た。
「総司くん…?」
「…ん?」
「…………」
何で自室に戻らないんだろうと思ってる事なんて分かってるくせに、呑気に腕組をしながら総司くんはときどきこういう悪戯めいた意地悪をする。
総司くんは面白いから、という理由でそうやって私をからかうけれど、私はこういうのが本当に苦手。
真に受ければどんどん面白がって、いつまでも終わらない。
ふう、と一つ溜め息をついた後立ち上がり、もう気にしない様にして寝衣と下着を用意し、部屋を後にする事にした。
「部屋の電気、消しておいてね」
「はぁい」
上手くかわせた、と内心安堵して、私はそのまま自室を後にした事を、後々後悔するなんて分かる筈も無く…。
「…………、」
階段を下りた時、携帯がメール着信を知らせた。
まだ私の部屋に居た総司くんが、画面に映った“斎藤一 ”という文字に目を止めていた事なんて気付かずに……。