7.変化(悪巧)
迂闊な事に、私の携帯は閉じたままでも着信相手は解るようになっていた。
本当に、迂闊だったとこれ程思った事は無い。
一君の名を登録する時も、普通に“斎藤一”と、登録してしまっていたから。
そしてそれを見て、総司くんの片眉が上がる事になるなんて…。
ピピ、と単調な音を鳴らし、携帯がメール着信を知らせた。
その音の元に視線を送り、僅かに沖田は目を見張った。
「さい、とう……はじめ…?」
“斎藤一”と表記した携帯のディスプレイが暗転して、チカチカとメール着信を知らせるランプの点滅のみになった時、沖田はその名を呟く様にゆっくりと復唱した。
暫し何か考えを巡らせ、口角を上げ
「ふぅん……」
意味深な返事を、一人ごちた。
「…………」
お風呂から上げって、若干の警戒をしながら自室へ向かう。
「………」
もう、自室に人の気配はない。
少し肩の力を抜いて、肩に掛けたタオルを下ろし、まだ髪が濡れたままだったので、髪を押さえながらドアノブに手を伸ばした途端、
「……っ、きゃ……!」
総司くんが後ろから抱きついて来た。
「!ちょっ……!」
ちゅっと音を立てて、首筋に吸い付くなんて事をするもんだから、私は慌てて身を引き剥がし、口付けられた首元を押さえて警戒を巡らせる。
「なにす……」
「良い匂いなんだもん」
私の抗議の視線なんてお構いなしに、総司くんは私の腰に腕を絡める。
ぎゅう、と抱き締められて身体と身体がぴったりとくっついてしまい、ますます私は慌てた。
お風呂あがりだったから、ブラなんて付けていない。
何とか胸をくっつけない様に、自分の腕を挟んで総司くんから離れようとすれば、更に総司くんの悪戯な目が光った。
「僕、今日程この身長で良かったと思った事無いよ」
「??」
「ふふ、良い眺め」
「……!?」
総司くんの視線が私の胸元に注がれている…。
胸を押し付けられない様、腕を挟んで庇った結果、胸元のシャツが少し左右に開いてしまい、僅かだが谷間が露わになってしまっていた。
「やだ、っ、もう、離してよ!」
「そんなに怒らないでよ」
するりと解かれる総司くんの腕。
私は一歩、大げさに下がって
「……っ」
飄々とした総司くんの笑顔に力が抜けて、何も反論する気も、抗議する気も失せて、私は自室のドアを開けて無言で部屋へと身を滑り込ませた。
「おやすみ、ユイちゃん」
「………」
総司くんがこれ以上私に悪戯する気が無いのは解っていたけど、私はドアを開けられない様、身体で押さえ、ノブをしっかり握っていた。
パタ、パタ。と総司くんの足音が遠のいて、私は漸く全身の力を抜いて、その場にへたり込んだ。
「…疲れる……」
今日は厄日だ…、早く寝よう、と這う様にベッドに手を掛け、その時初めて携帯がメール着信を知らせている事に気付いた。
「…………」
自分は簡単な人間だな…。
と、半ば呆れながらも、メールの差出人の名を見て少し心が緩む。
短い文面はいつもと同じ内容。
“会えるか? 時間を教えて欲しい。”
短い一文だけど、一君に会う事が出来る事に、少なからず私は喜びを感じる様になっていた…。
ぱち、と閉じた携帯を胸元に抱き締め、身体中の力を抜いてベッドに寄り掛かり
もう一度携帯を開いて、一君に明日会える事と時間を告げるメール返す。
髪を乾かしてからゆっくりとベッドに身を沈め、もう一度一君からのメールに目を通した。
「ほんと、短いメール…」
あの風邪の日以来、全く連絡も無く、会ってもいなかったからだろう。
虚しい事と分かっていても、心は勝手に弾んでしまう。
本当は色々話をしたりしたいけど、きっとまた会話なんて無いんだろうな…。
何度考えても、私と彼はそんな甘い関係じゃないから。
頭では、そう理解している。
でも、心がついていかない。
逢瀬を重ねる度に、私の心が少しずづ持って行かれている感覚に襲われる。
「…………」
何度も何度も、考えても仕方ない事を巡らせたまま、私の意識は眠りに沈んで行った…。
─────────
ふぅ、と小さい溜め息を吐いて、暖かいミルクティーのカップに手を伸ばす。
いつもの待ち合わせ場所。
地元から二駅程離れた所にある静かなカフェ。
私はいつもここで一君を待つ。
暇つぶしに持って来た文庫本を開いたところで、カフェのドアが開く音と店員の“いらっしゃいませー”と言う声。
「ユイ、待たせたか?」
「っ、ううん…」
慌てて本を閉じ、バッグに手を伸ばした所で
一君はさっさと会計伝票を持ってレジへ向かってしまう。
「待って…」
「ああ、」
会計を済ませた一君が、私の方を振り向く。
いつもの、いつもの行動。
先に出た一君の半歩後ろを歩き、
「ごちそうさま」
とさっきのミルクティーの礼を言う。
「ああ」
そしていつものホテルへ向かう。
いつもの、いつもの行動。