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▼2024/04/13:朗報を待つるは文字書きの性

小説を書き始めたのは中学生の頃だ。現在はほとんど二次創作ばかり書いているが、本当の初めは一時創作小説から書き始めたと記憶している。当時の私は所謂設定厨と言うタイプで、書きたい小説の登場人物設定ばかり書いては本文まで書くには至っていなかった。二次でも一次でも設定を練るのが好きだった。故に書きたい設定ばかりが増え、本文を書く前に頭の中で完結させてしまって実際には書かないタイプの良くいるオタクだったのだ。
本文を書けるようになったのは高校生の時で、自分用に購入して貰った携帯電話で手さぐりにホームページを作成して載せた時は達成感でいっぱいになる。反応が貰えればとても嬉しく、まさに飛び上がるかのようだった。しかし、書き上げて少し経ってから読み返すと、まあ、粗が多いし文章が下手だし展開に無理があり過ぎる。これは創作あるあるだと思うのだが、書き上げた瞬間と少し時間を置いて見返した瞬間だと作品の出来の見え方が全然違う。
書き上げた瞬間、小説ならば書き上げて読み直した瞬間は『またとんでもない傑作を生みだせた!』と思えるのだが(一種のハイなのだろう)、三か月後とかに読み返すと『あ゛あ゛〜!!』と叫びたいくらいに下手に思える。これは時間が経過すればするほど酷くなるのは私だけだろうか。
しかし、その下手だと思う作品を書き上げたおかげで少なからず文章力は成長したとも思うので決して無駄ではない。書き上げた直後だけでも『最高!』と思える作品だから、誰かに読んでほしいと投稿できるのだし。現在は自作ホームページではなくSNSに投稿しているが、あるネタを使った小説を書いた頃から自分の筆の力が上がったと感じた。苦手な人も居るかもしれないが、『オメガバース』だ。初めは人に見せられる作品に仕上げる自信がなくノートにアナログで書き記して満足していたのだが、やっぱり勿体ないからとパソコンで書き直して投稿するに至る。そうしたらイイネ!も感想も沢山送られてくるので驚いた。人気のある設定なのは知っていたが、これほどに求めてくれる人が居るなんて! と感動して続きを執筆する。そしてまた投稿すればイイネがひゅんひゅんと飛んでくるのだ。楽しくて仕方なかった。
その後はオメガバース以外にもポメガバースとかダブルパロディとかDomSubバースとか、興味の赴くままに調べては書き散らかし投稿している。現在の界隈に来てから遂に6年が経過し、作品数は大分前に100を超えた。今となっては或る意味大御所なのではないだろうか。自分の作風の売りや、得意なジャンルも分かってきて、本当に書くのが楽しい。
フォロワーの皆さんはどんな作風を好むのか知る術は主に、イイネの数とコメントの数だと思われる。勿論、数だけに囚われる心算はない。ただ、読んで貰えてるなぁと思うとやはり嬉しい。なので私が読み手の時は積極的にイイネとコメントを贈る。これからも書いて欲しいと言うエールだ。
学生の頃から周囲には書き手であり読み手≠フ友人ばかりが居たので、『ある作品のファンが沢山いたとしても、それで二次創作をするに至る人はほんの一握り』と知って結構驚いた。高校では漫画研究部に所属して、専門学校が美術系だった所為か、書き手じゃない友達を探す方が大変な環境に居た故だ。以前某青い鳥のSNSで書き手は貴重と知り、ほとんどの人は書かないし、書こうと思う事も少ないとも知った。就職してからの周囲にも物語やイラストを描こうと思った事がある人は居なかった。なので少々珍獣扱いも受けたし、自分の趣味があまりメジャーではないのだなと知るに至る。自覚が大分遅い。

このブログの前身サイト『斜陽』は高校二年生の時に開設しており、移転ののちに今に至るが、矢野薊と言う名前は、実のところ本名よりも長い付き合いである。今使っている本名は家の事情で成人してから名乗り始めたのだ。故にもう一つの作品執筆に使う名前も本名より長い付き合いだ。中学生の時分、ペンネームを考えたのが始まりである。もう二十年近く使っていると思うと感慨深い。

今の界隈には、6年前に作品が放映された後直ぐに飛び込んだ。最終話まで楽しく鑑賞し、ある夜に寝床で好きな音楽を聴いていたら急にネタが降って来たのが書き始めたきっかけで、それ以来コンスタントに投稿している。専門学校時代講師陣から評価されていたのは『作業の速さ』だった故なのか、スピードだけは誰にも負けないと思う。ネタを見つけた時の瞬発力や、作品に盛り込む情報、文字量の多さも同じく。時事ネタや流行の設定(オメガバ、花吐き病など)を自分なりに解釈して書きまくり、評価されれば嬉しく励みになるし、大親友と言えるフォロワーさんや書き手の皆さんと出逢えた。或るフォロワーさんは私の作品達を『宝の山』と言ってくれた事があって、本当に嬉しかったし、筆を折らずに書いてきて良かったと心の底から思える。
仕事が原因の抑鬱状態で少し前まで書く事が出来なくなっていたが、大分回復して昨日も作品を投稿した。創作が出来る自分で居ないとメンタルの状態がますます悪くなる、と書くと少々不健全かもしれない。でも書きたいものが浮かんだら回復してきたサインなのだ。私にとっては分かりやすい指標である。今書いているシリーズは、元々は読み切りの心算だったのだが、大親友のフォロワーさんに『続きを楽しみにしてる』と言われてしまい、それを読んだ瞬間にストーリーが最後まで見通せたので書く事にした。丁度良い執筆BGMもあるので書くのが本当に楽しい。この趣味があって本当に良かった。自分の脳内に渦巻く妄想を、後からいつでも読み返せる形で残す事が出来るのだから。

▼2024/04/05:能動的に殺せるなら、間接的に生かせられないかな

先月の下旬から休業中な訳だけど、早めに快復してしまって暇を持て余す日々を送っている。すぐ下の記事で書いたような希死念慮は全くと言って良いくらいになくなった。今は取り敢えず何らかの仕事をしたい。働かないと一日が長すぎるし、日常のメリハリが無いと小説や運動が捗らないのだ。とは言え今の職場には心を折られてしまったので戻る心算はあまりなく、何故なら『仕事への不満』が『遣り甲斐』を上回ってしまったので。主に賃金が原因だが、それでも以前の私は満足していたのにこの心境の変化は如何に、と自分でも思う。でももう無理だと思ってしまった。此処に欠ける内容でない理由もあるのでその辺は口を噤んでおく。『沈黙は金雄弁は銀』なので。
次の仕事を探すにあたり、某イン〇ィードや転職サイトを見ているが、幾つか働いてみたい職場は見つかった。どれも接客販売の仕事だ。私のこれまでの経歴的に事務系でもいけなくもないのだが、私はやっぱり接客販売の仕事をしたい。お客様の笑顔が目のまえで見られるからと書くときれいごとのように思えるが、素直に言うとそれなのだ。お客様が笑顔になる提案をして、受け入れて貰って『ありがとう』と言われるのが嬉しくてたまらない。
今の仕事だとお客様のライフスタイルや好みをヒアリングして自分の知識や商品情報を元に幾つかの商品を提案したり、組み合わせへのアドバイスをして、それを元にお客様は商品を購入するか決める、と言うパターンが多い。しかし、その接客スタイルをするのは今の職場では私くらいなようだ。一応職場の規則として一時間に一回を目安にお客様に声掛けをしよう、とされているが、私は多い時は一時間に五、六人に声を掛ける。売り場を前に悩んでいそうな人、両手に商品を持ち辺りをきょろきょろ見回している人、明らかに何かを探している人、等を見つけたらすぐに声掛けに行く。真っ先に行くのは両手に商品を持っている人の元だ。挨拶をして買い物籠を渡し、その行為でお客様は私が店員だと気付いて質問する事も多い。明らかに何か探している人はそれを見て声を掛けてくる時も多く、売り場で悩んでいる人には『こんにちは。何か気になる事ございましたら、いつでもお声がけください』と伝える。初めに短い挨拶をしてから時間を置いて声を掛ける事も多い。
以前、上長に『私の接客スタイルってどう思いますか?』と訊く機会があった。上長は『すごくお客様に対して親身になってると思うよ』と仰った。その接客の結果お客様が笑顔になってくれるととても嬉しいと思うと言えば『そう思えるのは貴重な事だね。なかなか居ないよ、矢野さんみたいな店員って』と笑って話していた。
私は精神障害を持ち発達障害の疑いもある人間だが、それでも接客販売を楽しくて遣り甲斐のある仕事と思えている。なるべく多くの人と関わる仕事をしたいし、流動的な環境が好きだ。
以前『HSP』と言う単語を見かけてその記事をクリックした際、ハイリィセンシティブパーソンと言う言葉を知った。直訳するなら『繊細過ぎる人』だが、要は色々な刺激に敏感に反応してしまい、一般的な人よりも人生に必要なエネルギー量が多い人、と私は捉えた。そしてそのHSPの中にもいくつか分類があり、私はその中の『HSS』ハイリィセンセーションシーキングと呼ばれる、『敏感過ぎて生きる事や他者と関わる事に疲れやすいのに、刺激が大好きで自ら追い求める人』なのではと思った。HSSはとても繊細で敏感な感性を持ち、新しい事や刺激が大好きなのに、それらに関わる事で非常に疲れる人々だ。詳しく読んでいくとそのまま私だった。興味がある人はぜひ調べてみて欲しい。
つまり、好奇心が旺盛なのに身体や心がそれについて行き切れないのだろう。私は体力がある方ではないので、好奇心の赴くままに行動する日々が続くと反動を起こして休日を一日睡眠に費やしたりしている。全体的なエネルギーが足りていないのだ。筋トレが趣味の割にひ弱なのである。

休職の為の診断書には一ヶ月は休むようにと書かれていたが、人間暇すぎると碌なことを考えないなとも思っている。死にたいとか消えたいとかでなく、荒唐無稽な妄想をしてしまうと言う意味で。現実には叶えられない事を妄想で埋めている私には、余計な時間を与えると時折とんでもないエラーを起こす事がある。具体例を出すと身バレするので書きはしないが、察してくれたらうれしい。

ちなみに、最近ロリィタになると決めて可愛らし過ぎるものを集める日々を送っているが、インスタグラムに戦利品を載せているので良かったら見てみて欲しい。北の大地でも可愛いものを手に入れる手段はあって、ちょっとずつちょっとずつ宝物を集めている。さくらんぼモチーフのピアスとネックレス、いちごモチーフのピアスとベルト、鉱石モチーフのジャンパースカートに、薔薇のレリーフ模様が可愛いスカート、フリルトレースたっぷりのブラウス、モルフォ蝶のモチーフが素敵なリボンカチューシャ。もっともっと可愛くてお砂糖で出来たお人形に近づく為に毎日努力している自分が好きだ。そう、私は私が大好きだ。大切にしてあげたいし、理不尽からはなるべく遠ざけて守りたい。
だから死にたかったのかなと今は思う。この理不尽すぎる毒ばかりの世界から守りたかったのかな。この世界じゃない場所なら生きられるとか思ったんだろうね。拍手からメッセージ下さった方、ありがとうございます。今は取り敢えず生きていたいです。だって、誕生日にBURBERRYのスカーフかサマンサベガのバッグ買いたいし。やりたいネイルデザインもいっぱいあるし、着たいお洋服も沢山あるし、見たい映画も何本かあるし、気になるコスメだって尽きないんだもの。この世界は辛くて大変な事と同じくらいに楽しい事がいっぱいあるって事、やっとわかってきた気がするんだ。まだ勿体ないよね、もうちょっと先で良いでしょ。
いつか、もっと歳を取ったら。この癖毛はグレー混じりの白になって、それをアレンジしたり帽子を被せたりして、シフォンのブラウスにオパールのブローチを留めて、チュール素材のプリーツスカートを靡かせて、ジバンシィのランテルディを薫らせながらコツコツヒールを鳴らして街を歩くんだ。ハンドバッグは大好きなケイトスペード、日傘はサンバリアのフリルがたっぷりなそれを差して、今よりも物を丁寧に扱えるようになっていたら嬉しい。そして、眼鏡はウェリントンか丸眼鏡が良いな。腕時計はバッグと同じくケイトスペードで、コスメはゲランとかにも挑戦してみたい。皺が目立つようになってもメイクは止めないの。もっともっと似合うメイクには変えるけど。一見近寄りがたいのに笑顔が可愛くて、読書が好きなおばあちゃまになりたい。『ご趣味は?』と訊かれて『読書と映画鑑賞とお料理。あとは筋肉トレーニングを少々』とか、笑って言えたらいいと思うんだ。
そんな未来を妄想しながら、明日も生きる事にしようね。今日はもうちょっとで終わるから。

▼2024/03/27:「一度折れるとさ、その前には戻れないよね」

死にたくて仕方なかった。十年以上ぶりに腕を切ろうと思った。毎夜自殺の方法を検索した。誰も助けてくれなかったし、解かってもくれないだろう。だって皆『自殺はだめ』と異口同音。死にたくなる私の心は置いてけぼりなのか。毎夜『安楽死 方法』『安楽死 スイス 幾ら』等検索して気を紛らわせていた。現在日本では安楽死が認められていない。もし安楽死したいなら海外へ行く必要がある。国内で誰かに殺してもらうのはだめだ。その人に迷惑が掛かる。殺人なんて他の人にさせてはいけない。背負うのは自分一人じゃなきゃいけないのだ。
何か嫌な事があったと言うより、生きるのに疲れてしまった、と言うのが正しいように思う。私が必死で生きてきた過去を無駄とは思わない。でも、もう無理だと思った。大好きだった仕事も、楽しかった趣味も、美味しかったご飯ももう全部無理になった。何も感じない。ただ、全部を終わりにしたくて、でも死んじゃいけないのは解かってる。失敗したらどんなに辛い日々を送る事になるかも知ってる。

だって一回やってるもん。あの時程には辛くないでしょ?
いいや、辛いよ。もう終わりにしたいよ。
死ぬのって大変だよ? なら生きてようよ。
生きるのだって大変だよ。だから死にたいんだよ!

そんな思考の堂々巡りだ。死んだら私が悲しいとか、死んだら全部終わりだとか言われても、全部知ってるんだよね。それを解かった上で死にたいんだよね。でも死んだらダメな事も知ってるから苦しいんだよね。
と言うかそもそも、外国で認められている安楽死も、恐らくは私には適用されないし。身体的には若干肥満気味だけど健康体だし、毎日逃れられない身体的な苦痛に悩んでるわけじゃない。頭痛も肩凝りも鎮痛剤で何とかなる。生理についても婦人科の薬で完全にコントロール出来てるし。こんなに死にたいのは多分私のメンタル疾患の所為だ。
実は今長期で休職してるんだけど、診断書には『抑うつ状態』との記載があった。鬱病まではいってないけど、その手前くらいと言う意味だろうか。その日からまずは一ヶ月休職する事になった。
去年の末くらいからずっと辛かった。旧Twitterに若干不穏なつぶやきもしたし、職場の信頼できる上長に異動が決まったりとか、試験に不合格だったとか、色々な事が短期間に重なった所為もあると思う。生きる事が楽しくなくて、死んでも後悔出来そうになくて、それでもたった一つ『自分が死んでも自分で死ねて良かった≠ニ思える事はない』と言うのを理由に生きていた。死んで良かったと思えないなら死にたくないとか言う、屁理屈みたいな理由だ。誰も自分の死を事後では喜べないし悲しめない。当たり前のことだけど、これだけが私をこの世に繋いでいた。
必死でしがみ付いていた仕事から少しだけ離れてみて、他にはどんな仕事があるのかと検索してみたら、楽しそうな仕事がたくさん見つかったし、もしかしたら現職場に戻る事も出来るかもしれない。一昨日は友達と会ってたくさん話したし、四月と六月は予約している可愛いロリィタのワンピースがお店に届く。それを着ないで死ぬのは勿体ない気もする。
そして、さっき、一番好きな書き手さんが新作をアップしていた。久しぶりにこの人の作品を読んで、まだ死ねないなと思えた。私もまだまだ書きたい作品があるよ。本当は、生きるのを辞めたくないよ。どうしてこんなに辛いんだろう。一回折れた心って、元通りにはならないのが悲しいね。
誰でも良いから、私のこと、治してくれないかな。

▼2024/03/05:今日も身繕い、白粉の前に整えるうわべ

下の記事では最近のメンタルについて書いたので、今度は見た目について語ろうと思う。
私はジバンシィのコスメが大好きだ。ベースメイクはほぼほぼジバンシィのものを使っていた。仕上がりは美しく均一な肌状態もそれが最高だと思っていたのだが、最近出逢った或るドラコスに乗り換えたら、昼間の化粧直しがほとんどいらなくなると言う奇跡が起きてしまった。おまけに、元々愛用していたアイテムの5分の1くらいの価格である。最早価格崩壊している。ちなみに変えたのは化粧下地とファンデーションだ。下地に関しては以前愛用していた資生堂マキアージュの『ドラマティックスキンセンサーベース NEO』で、SPF50+PA++++である。色はヌードベージュで、ラベンダーやミントカラーもある。肌の色や悩みに合わせて選んであげると仕上がりが底上げされてお薦めだ。そしてファンデーションは最近新発売されたメイベリンの『メイベリン SPステイ ルミマットリキッドファンデーション』である。SPF12PA+++の色番はC20を使っている(一番ピンク寄りの色)。憧れのユーチューバーさんが動画内で紹介していたのをきっかけに購入したが、まあこれがすごい。何がすごいって、昼休みの化粧直しが浮いた皮脂をティッシュで吸って、リップの塗り直しだけで済むようになった事。ジバンシィでベースメイクを仕上げていた頃には鼻の部分は一度オフして初めからやり直していたのに、である。件のユーチューバーさんも一日外出して帰って来てもほとんど崩れないと絶賛していたのでつい購入してしまったが、これは正解の買い物だったと思う。本当に崩れない。これはどうなっているのだと不思議だ。因みにこのファンデーションの価格は税込みで3000円弱。前使ってたのは16000円くらい。ガチで5分の1だ。
まあ、フェイスパウダーに関してはジバンシィのままだ。何だかんだ物が良いし化粧もちにはこれも関わっているだろう。あと、この組み合わせにしてから少し乾燥するようになったので、朝のベースメイク終わりには資生堂のエリクシール『ルミナスグロウミスト』をたっぷり吹きかけている。なので、手順としては↓

1.スキンケアを終わらせて5分以上経ってから下地と毛穴を埋める部分下地を塗る。
2.一分経過してからメイベリンのファンデーションを目元から塗る。
3.ヴィセのレッドトリックアイコンシーラーとカバーマークのソリッドファンデーションで肌のノイズを隠す。
4.ジバンシィのフェイスパウダーをたっぷりパフにとって全体に優しくたたき込む。
5.アイブロウとチークを入れ、シェーディングとハイライトを入れる。
6.エリクシールのミストを全体にたっぷり振りかける。

と言った感じだ。この工程に辿り着いてからは、昼休みの化粧直しが二分で終わるようになった。多少パウダーははたくが、それでもう朝の仕上がりに元通り。リップは食事の度に塗り直す習慣があるし、苦にはならない。
ドラックストアは元々大好きだが、無意識にプチプラを避けがちな所があった。しかし今は本当に『値段は関係ない』と思うようになった。よっぽど安すぎたりとんでもなく高かったりしなければ、選択肢は本当に幅広いのだ。とか言ってるけど、今ナーズの限定アイシャドウ(約10000円)を予約してるけども。高かろうが安かろうか、私に合うコスメを購入して楽しみたい、と言う気持ちである。

コスメの事を考えている時間は至福だ。お洒落についても同じこと。以前ある友人に『ルッキズムの権化』と評された時、嬉しくてたまらなかった。半ば冗談だし、本来の『ルッキズム』とは少し意味が違うのだろうけれど。私はあまり推し活をしないオタクだが、或る意味で『自分オタク』だ。自分の見た目をいかに満足いく状態で保つかに命を懸けている。見た目を整える事が=自分の精神を整える事だと理解しているから。私の推しは私だ。
別の友人には『矢野ちゃんはお洒落好きとか、美の権化って感じだけど』とも評されてそれも嬉しかった。私は私以外の人間の見た目が損なわれていようとどうでも良いので。友人になろうと思う相手の見た目もまったく気にしないし。
スキンケアはメイクの一部と考え始めて何年か経つけれど、毎日努力しなくともルーティーンをこなせるのは幸運な方かもしれない。面倒くさくて適当にしてしまう、と言う事はほとんど無い。苦にならないのだ、本当に。運動の方が辛いし面倒くさくなってしまう。ヘアケアは運動よりは楽。でも毎日は少々面倒。スキンケアは毎日やらないと逆に苦痛だ。肌が不快な状態だと総てが嫌になる。メイクを落とさず寝るなど一度もやったことが無い。酔っぱらった状態で帰宅してもメイクを落とし洗顔とシャワーは欠かさない。
これは美意識と言うのだろうか。美意識と言うのは少し堅苦しいもののイメージがある。私は私自身が不快にならない状態を保つ事へ尽力しているだけだ。やはり、自分に対してルッキズムを懐いているんだろう。他人に押し付けないならそれで良いと思う。お陰で体調管理も出来ているし、お肌の状態も悪くない。

以前飛び降り自殺を敢行して大怪我を負ってから嗅覚を失ったが、それでも毎日香水をつける。エチケットであり、見えないお洒落としてだ。最近発売されたジバンシィの『イレジスティブルオーデパルファム ヴェリィフローラル』やシャネルの『ガブリエルシャネル エッセンスオードゥパルファム』やディオールの『ミスディオール オードゥパルファン』の三つからその日の気分や服装にあわせて選んでいるが、勿論私にはそれがどんな薫りかは分からない。しかし、知識として身につけた薫りの情報や嗅覚があった頃の記憶を頼りに纏っているのだ。最近これを『概念を纏っている』と思うようになった。私は薫りを感じられない自分をそれでも良い薫りがする女性としたいから、薫りの概念を纏っているのだ、と。まるで、産まれた時には色が見えていた人物が後天的に色覚障害となって色が分からなくなったのに、別の感覚と見えていた頃の記憶を頼りに絵具を売るかのように。私にはもうわからないけれど、知識は身につける事が出来る。きっとこんな薫りだろうと概念を纏うのは、それはそれで楽しい。
化粧品検定を受けたのはもう何年か前だけれど、その時得た知識は現職でも活かされている。うちの店ではフレグランスディフューザーを幾つも販売しているが、それらの薫りを総て知識として身につけて接客をしている。お陰で店では一番芳香剤を売るのが巧いらしい。時には自分の障害をオブラートに包んで話す事もあるが、いつも『知識が正確なので驚いた』と言われるくらいには的確らしい。
努力で総て如何にかできるとは思わないが、報われた人は大体努力していると思う。だから私は努力が好きだ。努力できるのも才能と言うなら、私はそれに恵まれている。見た目の素地だってあるし、地頭と言う言葉もあるけれど。勉強したら報われるとは限らないけれど(実際この前試験に落ちたし)、見た目をよくする努力は大抵報われる。同時に楽しい。自分の見た目を自分の思う通りに近づける試行錯誤やトライ&エラーを、これからも楽しむ為に生きようと思う。



▼2024/03/05:肝要なる天秤、傾くは欲望故

メンタルが落ちてから回復し、一度は躁になって今度は鬱の方へ傾いた。相変わらずジェットコースターのようなメンタルだ。私は躁に寄るとやる気があり自信にも満ち溢れてしまうため、普段ならばしないような行動に至る事がある。また、鬱に寄ってもストレス発散と称して普段ならばかかるストッパーが外れてしまう事がある。今回は躁と鬱が瞬時に入れ替わり、自分にかかる筈のストッパーが壊れてしまった。何をしたかと言うと、買い物三昧だ。結構ヤバい額を使ってしまった。貯金と国からのお小遣いが無かったら本当にヤバかったと思う。
しかし、行為そのものに後悔はしても、購入したお洋服やアクセサリーはやっぱり可愛いし、身につけるとテンションが上がるし、もっと可愛くなるためにお金をかけずに努力しようとも思える。相変わらず、出来事の渦中を過ぎれば自分で解決策に辿り着けるくらいには生きる事に慣れてきたらしい。
約十年ぶりくらいにロリィタに戻ってきたが、当時よりも化粧が上手くヘアアレンジやコーディネイト構築も上手になったため、以前よりも可愛らしい仕上がりになれた。後はダイエットである。元々ロリィタのお洋服はふくよかさんに優しい作りではあるが、それでも私はもっと痩せたい。もっと痩せたらもっと可愛く着こなせると知っているし解かっても居るからだ。躁に寄るとダイエットが捗るが、鬱に寄ってしまうとついつい食べてしまう。実のところ鬱の薬が半分になってしまい、少々困っている。やる気が出ないのだ。そもそもやる気頼りのダイエットは宜しくないのだろうが、やる気がないと『頑張りたいのに頑張れない』状態になりやすい。かと言って鬱の薬を元に戻したら躁が激しくなりまた浪費してしまうのでは、と言われると反論が出来ない。
浪費とは言っても、自分のお金だけで如何にかできているのでまだマシか。貯金もしているし。友人知人には『錬金術師』と言われるのにはだいぶ慣れた。最近だとメルカリも覚えてますます錬金術師に近づいている。

一度メンタルが落ちに落ちて死にたくて仕方ない希死念慮マックスな時に、働く時間を一時間減らして貰った。そうしたらだいぶ楽になり、しかし収入が減ってしまう事を考えると一人暮らしが実現できるのか不安になってしまった。正社員登用どころでもない。それも不安だった折、支援員の方に『今どき正社員にこだわる必要はないし、副業するのはどう?』と言われた。副業。うちの会社では厳密には禁じられていないが、副業で暮らせるほど稼げるのだろうか? と問い返すと『今は色んな副業があるし、矢野さんには特技がいっぱいあるじゃない』と言われた。
特技。私の場合イラストや文章を書く事だろう。小説を書き始めて十五年以上も経つが、数年前に出来たイラストレーターの友人には『矢野さんは文章で食べていけるよ』と評された事もあった。加えて、最近だとお洒落や健康の知識もあるし、資格も持っている。それらを活用して書きものの仕事へ応募してみるのもアリかもしれない。折角努力して得た知識たちだ、放って置くのは勿体ない。今はまだメンタルが回復しきっていないので直ぐには動けないが、無理なく働き副業をすると言う選択で夢を叶えるのも許されるなら、それはそれで楽しそうだ。このブログも移転する前を含めれば十五年ほど続いている。ブラインドタッチも覚えた今なら、もしかしたら『書く事』を仕事に出来るかもしれない。

そんな風に考えると、躁ゆえの衝動も鬱ゆえのやる気のなさも落ち着いた。或る種のデトックスなのかもしれない。自分の思いを書いて吐き出す事が、一番心が回復するのだ。



▼2024/02/19:氷砂糖から孵化する翅は

つい一昨日、ロリィタになろうと思い立った。心が傷ついて、辛くて、苦しくて死にたくて仕方ない。号泣しながらYouTubeの『お文具さん』のアニメ動画を見て、『自殺』『安楽死』と検索した結果を読んで泣き続けて日付が変わっても眠れない。翌日はどうにか仕事に行って働けたけれど、死にたさも辛さも消えなかった。
こんなにも辛いなら死んでしまおうかと思いながら、それでも死にたくなかった。やりたいのにできていない事、書き切れていない小説やイラスト、追求したいメイクもある。そして沸々と『可愛い女の子になりたい』気持ちが湧きあがってきた。そうしないと死んでしまう気がした。次の日はたまたま休日で、紀伊國屋書店に赴いて目に留まった本──川野芽生さんの『かわいいピンクの竜になる』の表紙を開く。文体は初め『読み易い』以外の感想が無かったのだけど、数行読み進めてふと感じる。

これは、私の為に書かれた本だ。

ロリィタや可愛らしいもの、綺麗なものたちについて紡がれる文章はどうしたって素敵でしかない。私がずっと求めていたものが目の前に現れたと感じたから、迷わず会計に持って行く。
私は死にたくて仕方ない時や苦しくて辛くて耐えられない時、書店に向かう事にしている。書店は私が衝動買いを自分に許す唯一の場所だ。死にたいけれど死ぬのは怖い。やりたい事も行きたい場所も見たいモノも沢山ある。痛いのも苦しいのも嫌だ。涙が止まらない夜は何回あっただろう。今こんなに辛くて、私はいつになったら強い大人になれるのか。

仕事を辞めてしまおうかとも思った。でも、こんなにも居心地が良くて優しい人達ばかりの職場よりも良い所なんてあるか分からない。

こんなにも死に近い場所に居るのは久しぶりだ。戻ってきたと言っても良いかもしれない。だからこんなにもレースやフリル、リボンが恋しいのだ。薔薇の花弁めいた繊細な布を見ていると少しずつ心が癒される。十字架やお花や星々のプリントも愛おしいし、ふんわりと膨らんだスカート、チュールのパニエ、パフスリーブの袖も可愛くて仕方ない。暫くの間私は所謂一般的なお姉さんの格好をしていた。Vネックのワンピース、チャコールグレーにオーロラカラーのロゴが素敵なスウェットも嫌いになったわけじゃない。でも、今の私はアンシャンテリックアンシャンテリーの菫柄のワンピースやMILKのグラフィック柄スカートやさくらんぼモチーフのネックレス、星箱worksの星座モチーフスカートを身につけたい。どうせいつか死ぬなら、自分が本当にそう在りたい姿になっておきたい。
だから、まだ死ねない。もしも私が死んだら、この脳内に渦巻く素晴らしい物語は何処に行くのだ。あの魅力的な個性を持つキャラクターは生きる場所をなくすし、あの、歪みながらも美しい情景もどうなるのか分からずハラハラする場面も、使ってみたい取って置きの台詞が消えるなんて嫌だ。まだ死んではいけない。
それを思い出させてくれたこの本は、きっと私の為に書かれたのだ。

インテリアコーディネーターの二次試験に不合格だと判って、私の中で何かが崩れた。それまで如何にかやり過ごしていた日常がますます色を失くし、毎日死にたくて仕方なかった。過去形で書いているが、今も辛い。死なないとは決めたものの、生きている事がこんなにも辛いのは久しぶりだ。何をしても楽しくなくて、生きる意味を問い始めてしまって、ふとした瞬間涙がこみ上げる。色々と辛い事が重なってしまったのが要因の一つではあるものの、私は随分と無理を続けてしまったようだった。『これが普通なのだ』と自分に言い聞かせて必死に歯を食いしばり職場へ向かって、結局また折れてしまった。八時間労働は私にはまだ早かったらしい。
職場の皆さんにも、『矢野さん大丈夫?』と思われていたようだ。先月からずっと辛かった。苦しいし、生きているのがもう無理だと思いながら接客したって楽しくない。毎日、生きるのが苦痛だった。それでも自暴自棄にならなかった事は褒めて欲しい。それでも、毎夜号泣してから眠りに就く事が続くと普通に限界だ。
職場の上長には休職を勧められた。私もそうした方が良いように思えた。自殺するよりはマシだろうと。でも収入が途絶えると同時に私の趣味の幾つかは諦めなくてはならない。帰宅する途中、スマートフォンで傷病手当金について調べたのも無理からぬことだろう。私はお金がかかるタイプの女の子だ。如何にかやりくりして貯金しつつも好きなものを購入してきたのが本当に救いだったのだ。髪の毛を切って好きな色にするのにも、素敵なネイルアートを施すのにもお金が必要。コスメもお洋服もアクセサリーも時計も、タダでは手に入らない。だから働いてきたのに。

こんな病気になんて、なりたくなかった。けれども、此処で死んだら病気に負けたと認める事になる。

戦ってやろう。負けて堪るか。この脳内で絶えず生まれる物語を書き尽くすまで死んでなんてやらない。死神の大鎌を持つ腕に蹴りをかましてやろう。どうせ骨格しかないんだから直ぐに折れるでしょ。私は死んでなんかやらないし、そうそう簡単に倒れて堪るか。これは宣戦布告だ。何処の誰か知らないが、私は一筋縄ではいかない女の子だ。

みたいに思った影響なのか、一昨日くらいからロリィタになりたくて仕方ない。ふわふわのフリル、シフォンの袖やきゅっと結ばれたリボン、繊細に編みこまれたレースを纏って街を歩きたいのだ。過去にゴシックロリィタだったこともあるが、今は玄よりもパステルカラーやダスティカラーのふわふわした色遣いやイチゴやさくらんぼのモチーフに心惹かれる。天使とか、お人形とか、エルフとか、ユニコーンとか。可愛らしいものを自分に許せるようにもなったし、今までなら可愛すぎて敬遠していたものを『可愛すぎ。欲しい』と思って昨日は買い物三昧だった。戦利品の写真は後でInstagramにアップする予定。
ロリィタになると決めてから、年齢も急に気にならなくなった。今年三十二歳とか、お洋服や装いに関係ないしただの数字だ。誕生日は私の製造番号。単なる記号でしかない。だって、私が可愛い格好をしていても誰にも迷惑をかけないのだ。寧ろメンタルが悪化して休職する方が迷惑だと思う。
私は自分を救うために可愛くなるのだ。金平糖みたいに甘くて、蜂蜜みたいにツヤツヤで、重なり合う花弁みたいに瑞々しい装いこそが相応しい。決めた。私はロリィタとして生きていく。

▼2024/02/13:今日も余裕で後ろ向き思考。

最近のよしなしごとを語る。
相も変わらずコスメ好き且つ美容マニア且つお洒落が大好きだ。そして、一般的な人とは金銭感覚に大分ずれがある。この前友人とサロンデュショコラへ行ってきたのだが、その日私は二万円以上使ってチョコレートをたんまりと買ってきた。友人はサロンデュショコラ初参加だったため、こんなにも沢山のメゾンが参加してお客さんも押しかけていると言うのにとても驚いていたのだが、多分彼女は私の買いっぷりにも驚いただろうと想像に難くない。二人で興味のあるメゾンを回っていったのだが、私は気になるショコラを見つけて金額と見合うと感じたらほぼほぼ即決で購入していた。彼のマイケルジャクソンみたいに『This,This,This』と指差してポンポンポンポン購入して紙袋を増やしていった。ちなみに一人で食べたしバレンタインデーを前にしてもう食べ終わっている。賞味期限をずらした意味は何処にあったのだろうか。
よく行くファッションブランドの店員さんや知り合いには『そんなにチョコばっかり食べてお肌荒れないの?』と訊かれたが、荒れない。私はあまり食生活が肌に現れないタイプの肌質なのだ。羨ましいと言われるが、体型にはバッチリ現れるので安心してほしい。でも今年は其処まで体重は増えなかった。きっと仕事が忙しいからだろう。任せられる仕事も増え身体を動かす事を厭わない私は、今日も売り場づくりに精を出している。
さて、美容やコスメ好きも変わっていないのだが、結構前に此処に書いた時とはスキンケアやお化粧事情が変わっている。最近の美容について書き連ねていこうと思う。
まず、洗顔料は朝は資生堂の『エリクシールシュペリエル バランシングバブル』、夜は『ロゼット洗顔パスタ 白泥』を使っている。バランシングバブルはジェル状の洗顔料を手に取るとムースのような濃厚な泡に変わるタイプだ。朝早くに洗顔料を泡立てる手間が省けて良い。加えて洗浄力が丁度良く、昼間のテカリがかなり軽減された。ロゼット洗顔パスタの白泥は乾燥肌向けの処方で、此方も濃厚な泡が立つ。夜はジバンシィのクレンジング『レディトゥクレンズ』を変わらず愛用しているが、遂にこの商品の廃番が決まってしまった。ので、次は資生堂『dプログラム』のクレンジングオイルに乗り換える心算だ。使い心地は確認済みなのと、ジバンシィの半額で購入できるのでまあ良しとしている。
続いて化粧水。顔は以前書いた時と変わらず資生堂の拭き取り兼導入化粧水の『オイデルミン(L)』、ボディは菊正宗の『日本酒の化粧水』のセラミド・ナイアシンアミド配合のものを惜しげもなく塗布している。両方とも何回もリピートしている良品だ。オイデルミンのお陰で次に使う化粧水の吸収も良くなるし、落とし切れなかった余分なものたちを落とす事が出来る。日本酒の化粧水は安価で大容量なのに効果が抜群で、これのお陰で乾燥などのトラブルはほとんど起きていない。
続いて顔には『エリクシールリフトモイスト』の化粧水と乳液を塗る。本当はコットンを使うべきなのだろうけれど、お肌へ摩擦を起こしたくないので掌で塗布している。共に肌に合っているのか、最近艶玉が出来ていると感じる事が増えた。そして同じく資生堂のレチノール入り美容液『エリクシールスポットクリアセラム』を適量塗ってからジバンシィのアイクリーム『スキンパーフェクトアイ』を塗ってお肌は完了である。これは夜用のケアだ。この他にマジョリカマジョルカ『ラッシュジェリードロップEXプレミアム』と言う睫毛美容液も使ってから寝る準備に入るのが毎日のルーティンだ。時折これに『oneskin シカフェイスマスク』が加わる。
朝用のケアはもう少し簡単だ。洗顔の後のオイデルミンとエリクシールリフトモイストの化粧水までは同じで、乳液の前にビタミンC入り美容液の『ダーマL ウルセラC』を鼻を中心に塗り広げ、日焼け止め成分入り乳液の『エリクシール ブライトニングデーケアエボリューション WT』を重ねてUV対策をする。ボディ用日焼け止めはスキンアクアの『スーパーモイスチャージェルc』のSPF50+でPA++++をしっかりと塗り込む。紫外線対策は重要だ。最近シミが目立って来たので、中学生くらいまでは日焼け止めを塗らなかった自分をぶん殴りに行きたい時が結構ある。
あらゆる美容は紫外線対策と保湿が欠かせない要素だと思っていて、何故なら老化の原因の80%は紫外線だと言うし、保湿はあらゆる肌悩み解決の原点だと感じているからだ。1年365日日焼け止めを塗るようになって何年も経つが、あの時始めておいてよかったと思うので。
しかし、化粧品だけで解決しようとしてもできない事だって多いのではないだろうか。或る方がスキンケアを見直そうと思うが、その前に生活習慣だよねと仰っていたのに激しく同意だ。私は現在、毎日入浴はしても洗髪までするのは面倒で、翌朝筋肉トレーニングの後でシャワーを浴びる序に洗ったりもする。仕事をする時間帯が変わって、夜遅くまで外にいる事が増えたためだ。八時間労働を始めて三ヶ月程経つが、それなりにハードなので帰った頃にはクタクタになり如何にか顔と身体を洗えても髪までは手が伸びない事も多いのである。しかしそれを気に病んではいない。朝食後にトレーニングをこなし、そのままの勢いでシャワーを浴びて髪を洗うのも乙なものだ。トレーニングのメニューにはいくつかのパターンがあるが、大体はラジオ体操第一第二の後でスクワットやボクシングめいた身体を捻る運動、背筋を鍛える運動(両腕を曲げたり伸ばしたりする)、プランク(ツイストプランク1分、その後普通のプランクを1分半。30秒ごとに休憩を10秒入れるので3分で終わる)や腹筋を鍛える運動(好きな音楽を聴きつつ4種目程)の後で有酸素運動として踏み台昇降運動を20〜30分行う。この為に専用の踏み台を購入したが、良い買い物だった。同居の祖母も愛用している。
私は元々大の運動嫌いで体育の授業が苦痛で仕方が無かったのだが、今では自分にあったトレーニング方法を見つけて寧ろ体を動かすのが好きになってきた。特に踏み台昇降運動はYoutubeの好きな動画を観ながらできるのもあって週に5回はやれている。最近よく見る動画は『KER』と言うチャンネルのもの。アメリカで生まれ育った日本の血を引く男性とその友人二人(一人はIQが140の日本育ち、もう一人はトライリンガルでフランスへの留学経験ありの人)で色々な企画をしていて序でに英語の勉強にもなるのでおすすめである。
他にも踊ってみた動画や歌ってみた動画が好きなので、それらを観ようと思ったらまず踏み台を用意するのだ。好きな事をしながら同時に身体が引き締まるとか嬉しい事しかない。
食習慣は……夜食を辞めるのがなかなか難しいが、それ以外は比較的健康的な気がする。大根おろし入りホットヨーグルトも続いているし、毎日野菜と果物を摂るようにもしている。お米にはもち麦を混ぜるし、お弁当は彩りよく作るし、休日の作り置きも同じくだ。発酵食品も良く食べる。菓子パン好きがなかなか治らないので、最近『ベースフード』と言う完全栄養食のパンを箱で買ってみた。朝ご飯にはそれと大根おろし入りホットヨーグルトとバナナが定番だ。果物は時期にもよるが、バナナを食べる機会が一番多い。カリウムが摂れて浮腫みを防いでくれるし、含まれている糖質が多種なのでエネルギーに変わるスピードが丁度良いのだ。秋は柿や葡萄を食べ、春から初夏は苺やさくらんぼも良く食べる。梨とか蜜柑も好きだ。
料理はまだまだ趣味レベルだけれど、最近だと長谷川あかりさんと言う料理研究家さんのレシピを作る事が多い。調味料は最小限なのに素材の旨味を引き出すのがお上手で、どのレシピも簡単でとても美味しい。セロリと鶏ひき肉の塩焼きそばや緑の夏野菜を使ったスープ、アサリの缶詰を使ったお素麺が特にお気に入りだ。
人は誰でも老化するし、身体はだんだんと衰えていく。しかしそのスピードを遅らせることはできると思う。今年で三十二歳になる私は、今から『奇跡のアラフォー』と呼ばれたいと努力する事に決めた。今のところ実年齢より若く見られる事も多いので、それを維持したい。歳を取りたくないと言うより、自分の納得いく容姿でいたいのだ。これは女だからと言うより、『美しくいたい』と言う欲ゆえだ。嘗て容姿を馬鹿にされ続けた過去への復讐である。私の見た目を貶してきた奴等への復讐だ。こんなにも美人で可愛くなったぞざまあみろ! と言ってやるのだ。

まあ、一番は可愛く美人でつよつよ女子になりたいんだけども。メンタルの弱さはもうどうしようもないので、見た目だけでも強くしたい。だから今日もスキンケアを頑張るし、ネイルを長持ちさせるべくハンドケアもしっかりとする。ネイルオイルで3000円近いものを使うようになるとは思わなかった。
自分の見た目を磨いていると、自然と自信が伴ってくる。自分の人生で最後まで一緒なのは自分だけだ。だからその自分を納得のいく状態に整えておきたい。

メイクアップコスメを買う欲も止まらない。最近友人のお母さまからディオールのサンククルールと言うアイシャドウを頂いたのだが、これがもう可愛くて使いやすくてお気に入りになってしまった。ナーズのアイシャドウも粉質が良くて、仲良しののBAさんに会いたいのもあってついついカウンターへ足を運んでしまう。ファンデーションにも良い出逢いがあり、ジバンシィの『ソワンノワール セラム ファンデーション』とカバーマークのソリッドタイプファンデーションをダブル使いしているのが一番いい肌状態になる。フェイスパウダーはジバンシィの『プリズムリーブル』でチークはナーズのクリスマスコフレ……本当にデパコスばっかり使ってるな私。だってコスメって値段と効果がある程度は比例するんだもん……
ちなみに、アイシャドウは韓国コスメを使う事も多い。色遣いが絶妙なものが多く、マットな質感なものが多いのが使いやすいのだ。マットなアイシャドウで瞼にグラデーションを作り、大粒のラメやパールを乗せるのが一番好き。アイラインはキスのプラムカラーや3650と言うアイライナーのグレーを使うと抜け感があって良い。最近、マスカラ以外に黒を使わなくなった。アイブロウはケイトの新作アイブロウマスカラがとても優秀だ。リップもジバンシィを使う事が多い。次点でディオールとナーズだ。
以前書いたと思うが、私は過去の怪我の所為で嗅覚を失っているのにも関わらず、デパコスブランドの香水を愛用している。自分ではわからなくても『良い匂いの人』でいたいからだ。ジバンシィにディオール、シャネルやフローラノーティスジルスチュアートを気分やなりたいイメージに合わせて使っている。お陰で店で会う人に『すごく良い匂いする』と評される事も多い。
美人で、可愛くて、良い匂いで、いつもお洒落な店員さんでありたい。最強に可愛くて素敵な女性でありたい。過去への復讐とは書いたが、これは自分自身への救済だ。大丈夫、貴女はこんなにも可愛くて美人で素敵な人だよ、と昔の自分に言ってあげたい。それが本当になった頃、私は今よりも泣かなくなるだろうか。

▼2024/01/04:新年を祝いたいけれど

皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末年始は久しぶりに連休だった。昨年の大晦日は日曜日だったため普段の休みが日曜日と木曜日になる事が多い私は公休だったのだ。元日は元々所属している商業施設がお休みなので二連休と相成ったのだ。
貴重な休みは全力でエンジョイした。買い物や美味しい物を食べる事、めいっぱい冬のお洒落を楽しみ大好きなコスメのお店で年始に発売されるコスメを予約した。これら総て自分に与えられたお金で払っているのだから気分も良くなると言うものだ。ぶっちゃけ罪悪感が無いのは気持ちが良い。
十二月は生まれて初めて一日八時間労働をこなす事が出来た。しかも皆勤だ。酷い頭痛やメンタルの落ち込みは有った。頭痛に関しては痛み止めを飲むしかなく、メンタルの落ち込みはとことんまで落ちてから這い上がるよう心掛けたのが良かったのかもしれない。私の場合、中途半端に落ちるよりとことんどん底まで落ちた方が回復が速い。深夜、遅番の後で疲れを引きずり布団に入ろうとすれば嫌な気分に支配されるときがある。自分で自分を殺したくなる。そんな時はそれを否定せず静かに沈むようにしている。好きな音楽で且つ気分に合うものを大きめのボリュームで聴いて、いつの間にか泣いている事も多かった。でも泣きつくして鼻の呼吸ができるようになった頃には気分が浮上する事が多い。よく言われるのだが、私は切り替えが早い。落ち込んで落ち込み過ぎて自分を傷つけて通院、まで行く事はほとんど無い。大体は自分の力で自分を浮上させる考えが見つかるのだ。
例えば、最近だと自分の認識の甘さや常識の無さ、仕事への配慮の足りなさに気付き全力で落ち込む事が多く、また注意されたり忠告されたり指摘される事が多かった。正直へこむし生きていたくなくなるくらいには辛い。でもそれをする人達は私を傷つけたいからする訳じゃない。自分の仕事の妨げになるのが嫌な時もあると思うが、私がより良く仕事ができるように言ってくれている時もあるし、会社の利益を守ろうとしているのだ。そう考えると『それで死にたいって雑魚過ぎないか』と思えるのだ。皆は私が期待に応えるだろうと思ってくれているから指摘するし指導する。それにマイナスな感情はきっと無い。そう考えられるようになると自分一人の力で浮上できるようになったし、それが普通の人なんだろうなとも思う。なので、落ちる度に『自分はまだまだ病気と闘い続けてるんだな』と実感する。忘れていた病識を思い出す瞬間だ。今年の十月で就労継続支援事業所のサポートは節目を迎え、その後は定期面談は無くなる。若干の不安もありつつ、このまま行けば意外とすんなり一人で社会で生きていける気もしてきた。自分の部屋で夜中に暗くなることがあっても、他人に迷惑をかけているわけじゃない。健康的ではないけれども。
あれだけ死にかけて失敗したのにまだ死にたい自分には驚くのを通り越して呆れているが、多分これは一生続く。死にたいと思いながらでも生きることはできる。死にたいって思っても、本当に死にたかったらもうとっくに死んでいると思うし。
最近ふと思ったのは、人間暇だと余計な事を考えるのだなと言う事。趣味が多くやりたい事が尽きないのは、暇にならないようにする為なのかもしれない。仕事をしながら『死にたい』と思い続けていても仕事は待ってくれないしお客様のご要望には応えないといけない。年末年始は正に関ケ原の合戦の様に忙しく『死にたい』と感じながら『死にたいと思ってる暇が無いな』と思うようになった。私は普段多趣味だと言われる。勉強したい事も沢山ある。そうなると身体と時間が足りなくなるわけだが、それは自分が無意識に余計な考えに陥らないようにしているのかもしれない。一種の自己防衛なのだ。だから普段は何も考えない時間がほとんどないのかもしれない。
話は変わるが、私は聴覚が過敏だ。故に常に自分の好きな音楽を聴くようにしている。それをしている間は何かしらの妄想をしている為文字通り何も考えない時間が無くなるのだ。私は私なりに自分の生き方を自分を生かす方へ近づけているのだろうと思うようになった。これは成長と言って良いのだろうか。それとも逃避? どちらでも良いけれど、もう少し力を緩めて生きてみたいなとも思う。ストイックだとよく言われるし、真面目と言われる由縁でもあるのだろうけど。
今年も死にたいと思いながら、死んだら出来ない事をやりたいから生きるんだと思う。取り敢えず、今月も皆勤を目指そう。主治医には怒られるかもしれないけどね。


▼2023/11/19:爪先に装うは降誕祭の彩り

つい先日、インテリアコーディネーター試験の一次試験に合格した。現在は二次試験の勉強をしている。一次試験は筆記試験だったのだが、今年からやり方が変わり、マークシート方式だったのがパソコンでの選択式になった。合格のボーダーラインは70%らしい。マークシート方式だった時よりも問題数と制限時間が減っての受験で、36問を120分以内に解かなくてはならない。しかし、受験した私は根拠のない自信を感じながら問題を解いていた。受験時間を半分以上残した状態で総ての問題を解き終わり、見直しを三回終えたところで途中退室して受験を終えたのだ。自己採点が間違っていなければ80%は解けたと思う。
そして今月の半ばにメールで結果発表があったのだが、マイページにログインしないと結果を見る事が出来ず、自宅で確認しようと届いたメールを見ていたら、結果発表のメールの前に『二次試験のご案内』のメールが届いていた。当然ながら二次試験には一次試験に合格しないと参加できない。盛大なる出オチである。
そんな訳で第一関門を突破したので自分で自分を褒めたたえた。序でにご褒美としてケイトスペードのピンクサファイアのピアスとクローバー柄のアームウォーマーを購入した。働いていて本当に良かったと思う毎日である。

話はかわって、最近ダイエットが結構うまくいっている。一ヶ月で1.8キロ程体重が落ちたのだ。筋トレと有酸素運動は毎朝の日課となりつつあるが、休まずに仕事へ行くと、週に5日は7時間の立位作業をするので余計なものを食べない限りは痩せるらしい。私は分かりやすくブランド大好きショッピング大好き人間だ。お洋服を購入する機会も多く、この前ココディールと言うお気に入りブランドのウエストがゴムじゃないボトムのSサイズがするっと入ったので、つい嬉しくて購入してしまった。ココディールは比較的に細身のブランドで、基本的にLサイズの物は存在しない、意識を高く持たないと似合わないかもしれない。少なくとも私は肥っていないし肥っていると言われようものなら相手を金属バットでフルスイングするが、まあ、お洋服にも許されたので今後も頑張っていきたい。
一度運動が習慣になるとやらないと逆に落ち着かなくなってきた。体型維持にも言える事だし、スキンケアやヘアケアにも言える事だが、今の自分の肌や体形や髪の毛のコンディションは、過去の自分の努力の結果である。過去の自分にありがとうと言いたいし、未来の自分にお礼を言われるような生き方が出来たら嬉しいし、未来がワクワクするものに変わると思う。元々好きだったスキンケアやヘアケアとは違い、運動は習慣づくまでが大変だったが、趣味にしてしまえばこっちの物だった。
何より、完全私服勤務で皆がお洒落な職場に居ると否応も無しにお洒落でいなければと思うようになる。少しでもお洒落でありたいし、可愛くていつも笑顔がチャーミングな販売員でいたい。だって、今ほどに楽しくて遣り甲斐のある仕事を知らないんだから。
インテリアコーディネーターの資格は、今の仕事にも活きてくる資格だ。私は現在アルバイト従業員だが、いずれは正社員になりたいと思っている。その為にも努力して試験を突破したのだ。主治医含む周囲からは『頑張り過ぎないでね』と言われているので少しだけ手を抜く時もあるが。
休むと怠けるは別物だが、今一つその区別がつかない私は『取り敢えず頑張っておくほうが楽』と思ってしまう傾向がある。頑張り過ぎる≠ニ程良く頑張る≠フ境は何処にあるんだろう? たまには自分を甘やかすけど、何処までだったら許されるのか、今度の受診の時にでも訊いてみようか。
この前支援員さんと受診した際、私は残薬調整をお願いして、メモを元にどの薬が何錠要るかを主治医に伝えたのだが、それは私の病気の患者には珍しい事らしい。私としては薬の無駄を減らす事で医療費の削減を狙ってのことだったのだが、これは完全に前職の影響だろう。今でもドラッグストアや薬局で専門用語がポロっと出る。湿布が欲しいので『ロキソプロフェンナトリウム入りの貼付剤ください』と言ったら一発で医療関係者だったことを見抜かれたことが何度かある。
これも勉強の成果だ。やっぱり勉強は楽しい。楽しいからやり過ぎてしまうのだろう。きっと、大好きな分野や興味が強い分野を学んでいると脳内麻薬が出るんだろうな。エンドルフィンとかノルアドレナリンとかドーパミンとか。
二次試験が終わったら、ちょっとだけお休みしようかと考える休日の夜である。

▼2023/10/30:世界を救った事の無い名前も無きヒーローへ

古くからのブログ仲間に、文房具や手帳について語るのがお好きな方がいる。彼女はブログ内で色々な手帳やそれの活用術について話していて、読んでいる私も来年から手帳にこだわってみる事にした。私自身、画材が大好きなので文房具には縁がある方だ。地元では一番大きな文房具店で沢山の商品から吟味して、王様のブランチとペイジェムと言う企業(違うかもしれないけど此処では仮称として企業と呼ぶ)がコラボレーションしたらしい手帳を購入して、書く内容も決めた。
私は去年の六月くらいから『接客記録ノート』と『心の美容ノート』をつけている。接客記録ノートとは文字通り『日々の接客に就いて記録する』ノートだ。一日の終わりにその日の自分の接客やそのほかの業務について振り返り、自分自身を俯瞰して次の日をより良くする目的で記録している。印象的なお客様について購入商品や会話の内容を元に『他のケースとの類似点』『他のケースとの相違点』『何故この結果に至ったのか、その要因』を書き記している。基本は読み返した時の為にうまくいった内容を記す事が多いが、今一つな時にも記録する事がある。
心の美容ノートは大好きな漫画の『メンタル強め美女白川さん』の主人公白川桃乃さんが作中でしたためているものを真似させてもらった。白川さんは作品タイトル通りとてもメンタルが強めで、社会人生活で周囲から受けるストレスを跳ね返し強く美しくチャーミングに生きている女性である。私も彼女の様に可愛くて最強の女の子になりたいと思って真似させてもらったのだ。悪口を言われても、笑顔でいるだけでなく自分の肥やしにも出来てしまう彼女にはとても憧れる。と同時に『自分も意外とこういうところあるな』と思わせてくれる漫画だ。

さて、手帳の話に戻ろう。私は元々、日記を書こうとすると続かないタイプだ。誰かに提出しろと命じられたわけでもない文章を書いて(それも趣味の小説とは全く違う文章)毎日毎日ペンを握るのも面倒くさいと思うタイプなのだ。しかし去年の六月、職場の研修で憧れの先輩が接客の記録の為に手帳をしたためていると知って、つい真似したくなった。それが意外と面白くて今でも続けているので、興味のある分野について記録するのは実は好きなのだと気付いた。それが『日記』と言う義務的な名前だったから続かなかったのかもしれない。
そして、来年の手帳には週ごとに詳しい予定を書き込む為に設けられたのであろうちょっとしたスペースがある。其処に短い日記を書いてみようと思うのだ。接客に関していても、していなくても良い。忘れたくない嬉しい出来事や勉強になった事例、これからやりたい事、思い付いたお洒落についてアイディアなど、兎に角記録しておきたい事を記録していこうと思う。
それらの他に一日の中で一つだけ、最もうれしかった事を書く。出来るなら、読み返して明日が楽しみになるようなものが良い。生きていて幸せな事ばかりじゃないし、死にたくなる日の方が多いけれど、それでも生きているのはとても楽しいから、その気持ちを失わない為にもきちんと書き記しておきたいのだ。
統合失調症と診断されてから十五年ほど経つ。その前からずっと死にたい気持ちを抱えて生きてきたけれど、生きてて良かったと思った事も沢山あった。第一、死んだら自分の死を喜ぶことも出来ないのだ。死んでよかった≠ニ自分自身の死を喜べる存在はいないのだと最近ようやく思い至って、取り敢えず死ぬまで生きてみようと思う。
因みに今日は精神科の通院日で、相変わらず希死念慮が強めだと言われ『無理はするな、頑張らなくていい』と言われまくり、通院同行してくれた支援員にも『矢野さんは本当に頑張ってますもんね』と言われ、頑張っているらしい本人が一番自分を追い詰めているのだと言われている気持ちになった。まあ、無理させ続けてきた自覚はあるんだけども。
そんな私を無理させず正当に評価する言葉にもなるかもしれないと思い、手帳を購入してみた。元々スケジュールは紙で記録する派だ。それに付随した形ならどこへでも持って行くし、どこででも書ける。自分の人生は一度きりだ。過ぎた時間は戻らない。これが永遠に続いてくれたらと言う喜びは確実に終わる。ならばせめてそれを思い出す縁になる文字を綴ってみたい。

話はかわるが、つい先日、観葉植物を鉢で購入した。ウォーターマッシュルームと言うたっぷりの水と陽射しが好きな可愛らしくユーモラスな葉っぱの植物だ。昨日セットで購入した植木鉢に移植した。今も同じ机の上で青々としている。切り花を買う事も多かったのだが、切り花だといずれは萎れて枯れてしまう。何より私の世話を必要とする何かが欲しかった、と書くと少々不健全だろうか。このウォーターマッシュルームは、私が世話をしないと枯れてしまうし、きっと私を裏切る事はないだろう。そんな存在が欲しかったのだ。死にたくなっても、私以外に世話できないこの子の為に生きる気持ちが湧いてくるかもしれない。だって、本当は死にたくないんだから。

こんな物騒な文章を書いていても社会人として立派に働ける。幾つものペルソナを持つ私は、明日も『善き店員』のそれを被って口角を上げながらお客様に挨拶するのだ。


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