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▼2023/10/30:世界を救った事の無い名前も無きヒーローへ

古くからのブログ仲間に、文房具や手帳について語るのがお好きな方がいる。彼女はブログ内で色々な手帳やそれの活用術について話していて、読んでいる私も来年から手帳にこだわってみる事にした。私自身、画材が大好きなので文房具には縁がある方だ。地元では一番大きな文房具店で沢山の商品から吟味して、王様のブランチとペイジェムと言う企業(違うかもしれないけど此処では仮称として企業と呼ぶ)がコラボレーションしたらしい手帳を購入して、書く内容も決めた。
私は去年の六月くらいから『接客記録ノート』と『心の美容ノート』をつけている。接客記録ノートとは文字通り『日々の接客に就いて記録する』ノートだ。一日の終わりにその日の自分の接客やそのほかの業務について振り返り、自分自身を俯瞰して次の日をより良くする目的で記録している。印象的なお客様について購入商品や会話の内容を元に『他のケースとの類似点』『他のケースとの相違点』『何故この結果に至ったのか、その要因』を書き記している。基本は読み返した時の為にうまくいった内容を記す事が多いが、今一つな時にも記録する事がある。
心の美容ノートは大好きな漫画の『メンタル強め美女白川さん』の主人公白川桃乃さんが作中でしたためているものを真似させてもらった。白川さんは作品タイトル通りとてもメンタルが強めで、社会人生活で周囲から受けるストレスを跳ね返し強く美しくチャーミングに生きている女性である。私も彼女の様に可愛くて最強の女の子になりたいと思って真似させてもらったのだ。悪口を言われても、笑顔でいるだけでなく自分の肥やしにも出来てしまう彼女にはとても憧れる。と同時に『自分も意外とこういうところあるな』と思わせてくれる漫画だ。

さて、手帳の話に戻ろう。私は元々、日記を書こうとすると続かないタイプだ。誰かに提出しろと命じられたわけでもない文章を書いて(それも趣味の小説とは全く違う文章)毎日毎日ペンを握るのも面倒くさいと思うタイプなのだ。しかし去年の六月、職場の研修で憧れの先輩が接客の記録の為に手帳をしたためていると知って、つい真似したくなった。それが意外と面白くて今でも続けているので、興味のある分野について記録するのは実は好きなのだと気付いた。それが『日記』と言う義務的な名前だったから続かなかったのかもしれない。
そして、来年の手帳には週ごとに詳しい予定を書き込む為に設けられたのであろうちょっとしたスペースがある。其処に短い日記を書いてみようと思うのだ。接客に関していても、していなくても良い。忘れたくない嬉しい出来事や勉強になった事例、これからやりたい事、思い付いたお洒落についてアイディアなど、兎に角記録しておきたい事を記録していこうと思う。
それらの他に一日の中で一つだけ、最もうれしかった事を書く。出来るなら、読み返して明日が楽しみになるようなものが良い。生きていて幸せな事ばかりじゃないし、死にたくなる日の方が多いけれど、それでも生きているのはとても楽しいから、その気持ちを失わない為にもきちんと書き記しておきたいのだ。
統合失調症と診断されてから十五年ほど経つ。その前からずっと死にたい気持ちを抱えて生きてきたけれど、生きてて良かったと思った事も沢山あった。第一、死んだら自分の死を喜ぶことも出来ないのだ。死んでよかった≠ニ自分自身の死を喜べる存在はいないのだと最近ようやく思い至って、取り敢えず死ぬまで生きてみようと思う。
因みに今日は精神科の通院日で、相変わらず希死念慮が強めだと言われ『無理はするな、頑張らなくていい』と言われまくり、通院同行してくれた支援員にも『矢野さんは本当に頑張ってますもんね』と言われ、頑張っているらしい本人が一番自分を追い詰めているのだと言われている気持ちになった。まあ、無理させ続けてきた自覚はあるんだけども。
そんな私を無理させず正当に評価する言葉にもなるかもしれないと思い、手帳を購入してみた。元々スケジュールは紙で記録する派だ。それに付随した形ならどこへでも持って行くし、どこででも書ける。自分の人生は一度きりだ。過ぎた時間は戻らない。これが永遠に続いてくれたらと言う喜びは確実に終わる。ならばせめてそれを思い出す縁になる文字を綴ってみたい。

話はかわるが、つい先日、観葉植物を鉢で購入した。ウォーターマッシュルームと言うたっぷりの水と陽射しが好きな可愛らしくユーモラスな葉っぱの植物だ。昨日セットで購入した植木鉢に移植した。今も同じ机の上で青々としている。切り花を買う事も多かったのだが、切り花だといずれは萎れて枯れてしまう。何より私の世話を必要とする何かが欲しかった、と書くと少々不健全だろうか。このウォーターマッシュルームは、私が世話をしないと枯れてしまうし、きっと私を裏切る事はないだろう。そんな存在が欲しかったのだ。死にたくなっても、私以外に世話できないこの子の為に生きる気持ちが湧いてくるかもしれない。だって、本当は死にたくないんだから。

こんな物騒な文章を書いていても社会人として立派に働ける。幾つものペルソナを持つ私は、明日も『善き店員』のそれを被って口角を上げながらお客様に挨拶するのだ。


▼2023/10/08:初秋はご機嫌な足取りで

気温も湿度も下がり、秋本番といった様相の北海道札幌にて、今日も仕事に励んでいる。
つい先日インテリアコーディネーターの一次試験を終えてきたが、現在は受けられるかもわからない二次試験の勉強をしている。例年だと十月の半ばに一次試験が行われていたのだが、世界中に跋扈する流行り病の影響もあり今年度から試験の形態が変わった。以前は受験生たちが決まった日時に会場に集まっての筆記試験だったのが、受験生任意の日時にテストセンターと呼ばれる施設に赴き、パソコンで回答をする形式になったのだ。なので、設定された期間内なら自由に会場を選べるし、時間も調整が効くようになった。私は九月中に受験して二次試験への準備期間を多くとる作戦に出て、それに合わせて勉強してきたのだ。但し、一次試験の結果が出ないと二次試験を受けられるかはわからない。故に受けられないかもしれない試験の勉強をしている訳なのである。
まあ、一次試験の自己採点が間違っていなければ多分受かっているであろう手応えはあった。あまり期待し過ぎると後で痛い目を見るかもしれないので、自分の力を過信しないようにはしている。二次試験の内容は図面の作成と小論文である。こんなブログサイトを十年以上続けている私は、文章を書く事には抵抗が無いしむしろ大好きだし、趣味で二百話以上の小説を綴ってきた。なので小論文の方はあまり心配していない。問題は図面の作成だ。試験ではインテリアコーディネーターの自分にクライアントからの依頼が来たとの設定で部屋の図面を描く。このサイトに以前から通ってくださる方ならば、私が美術学生だったことはご存じかと思う。しかし、私が得意なのは人物画や静物画なので、部屋の様子を正確に時間内で(しかもオリジナルで家具をデザインしたり、着彩も含まれる)描くと言うのはあまり経験がない。某ユーキャンで対策をしつつ、一歩一歩前に進んでいる感じだ。
それでも全く美術に親しんでいない人よりはアドバンテージがあるだろうとも思う。今日も三時間ほど勉強して実際に図面を描いてみた。漫画家を目指していた頃の私は兎に角背景を描くのが苦手だったが、試験で求められるレベルの画力はあると思われる。後は数をこなして図面を描く事に慣れていくしかない。幸い体調が安定してくる季節なので、調子は悪くない。
この資格を取れたら、私は正社員になる道をもう少し速足で進めるだろうか。実務も二年目を終えようとしていて、気付けばレジ業務も覚えて毎日そこそこに楽しく働いている。お客様には『貴方とても素敵ね』『お人形さんみたい』と微笑まれ同僚には『普段から丁寧だけど、レジにいる時はもっと丁寧で良いですね』と評され、上長には『今の笑顔超良いよ!』と褒められている。楽しい。お洒落な格好をして、お洒落で可愛い物を販売したり提案する仕事は、大変な事は有れどとても楽しい。
正直、再就職がなかなか決まらず悩んだことも少しはあった。でも今思うのは、多少時間は掛かっても自分にぴったりな職場を見つけられたのだから、あの時間も思いも無駄ではないと言う事。今でも定着支援では『矢野さんはかなりのレアケース』と評される。普通の精神障害者はこんなにも接客業を楽しめないし、私が有するくらいの商品知識を身につけるのも難しいらしい。まだ試験には受かっていないが、お客様のお部屋をコーディネートするお手伝いはさせて頂く事がある。お客様のツボに嵌まる商品や色遣いを見つけていく作業はとても楽しくて遣り甲斐がある。『この組み合わせとても可愛い! 買います!』と言われた時の快感や達成感は堪らない充足を齎してくれる。
今私は障害枠で勤めているが、健常の人達と同じ正社員の枠を目指せる実力があると評価されてもいる。もしそれが実現したら、通っていた就労移行支援事業所でも初のケースになるらしい。普通の人として生きるのではなく、ハンデを持ちながら働いて普通の人と同じくらいの実力を発揮できれば、この病気に『勝ち続けている』と言えるのではないだろうか。
死にたい気持ちは、成りを潜めているように見えてもふとした瞬間顔を出す。でも、死んだら出来ない楽しみたちが私の腕を引っ張るのだ。もっと楽しんでいこうぜ、私。



▼2023/09/18:希死念慮をコーティングした生命維持本能

前回は完全にマイナス思考の塊な記事を書いてしまい申し訳ない。あの時はなかなかにメンタルが落ちていた。今も若干の希死念慮めいた思考があるが、その薄膜を剥がすとこれから待っているであろう楽しみに対する欲求が出てくるのだ。私は未だに芯の部分が大人になり切れていなくて、思う通りにならない現実に自分の命を人質にして脅迫を仕掛けている。本当にガキだなぁと我ながら思う。普段はよくできた大人の仮面を被って仕事をしているが、中身は赤ん坊を漸く抜け出したくらいだと思う。所謂魔の二歳児くらいだと思う。

さて、メンタルはそこそこに回復したのでいつも通りよしなしごとを書いていこうと思う。最近、来年の手帳を購入した。去年の六月くらいから私は接客に就いてノートにしたためているのだが、ふと他の日常の事も記録しておきたい欲求が生まれたので、来年の手帳は日記としても使えそうなものを選んでみた。日記と言っても一ページ丸々書くわけではない。ほんの二、三行とかでも良いし、もう少し長くても良い。その日にあった嬉しかったり楽しかった事、問題があれば今後どうして行けばよいと思うのかを記録してみようと思った。
中学生の頃から文章を書く事を趣味としているが、継続は力なりと言うように、今の私は言語能力や文章能力に長けた人間だ。脳内で纏まらない思考を取り敢えず書き出してみたら、意外な解決案が浮かぶ事も多々ある。文章を書けることはきっと当たり前じゃないのだろうとも思うし、それを趣味として何年も続けているのはもっと当たり前じゃない筈だ。
そんな考えのもとに手帳を選んで購入し、早く書き始めたいと思いつつ資格試験の勉強をしている。インテリアコーディネーターの一次試験はいよいよ今週だ。この前職場の先輩に教えていただいた教本兼問題集も解き終わった。点数を鑑みるに、私の成績はB判定。合格圏内ではあるが、楽観していられる成績ではない。あと数日の過ごし方で合否が決まってくると感じた。ぶっちゃけ高校受験よりも力が入っている。あの頃周囲の大人達が繰り返し言っていた『勉強は大切だ』と言った意味合いの言葉の意味を理解できたのはごく最近の話で、今中学生や高校生の自分にアドバイスができるなら『今のうちにもっと勉強しなさい』となるのだろう。私も(先述の言葉には矛盾するが)大人になったのだ。
正直、働きながら勉強も趣味もするのは結構大変だ。私の場合、家事を担ってくれるおばあちゃんが居るから如何にかなっているのだろう。来月にはおばあちゃんの誕生日が来るので、何をプレゼントしようか考え中である。
試験の日とその前日にはお休みを頂いているので、全力を尽くして挑む心算だ。周囲の人達には『本当に努力家だよね』とか『勉強とかこの歳で良く続けられるね』などと言われるが、一度『取りたい資格を見つける→勉強する→資格試験に挑む→合格する』が快感になってしまうと逆に止められない。仮に合格しても次はこれを取りたいとか学びたいとかが出てきて、本当に時間が足りないしからだも足りない。もしインテリアコーディネーターに合格出来たらそれに関連する社内資格も取りたいし、英会話も勉強したいし、TOEICも受けたいし、手話も勉強してみたいし、色彩検定にも挑戦したい。やりたい事も知りたい事も尽きないのだ。

そんな私を精神科の主治医は『統合失調症でもかなりの躁寄り=xと評する。鬱症状への薬も飲んではいるが、躁に寄っているし、寧ろ鬱寄りじゃないからこそちょっとの鬱状態に敏感になるのだろうか。最近の傾向として『仕事が上手くいく→仕事楽しい!生きてるのって素晴らしい!みたいな状態になる→ちょっとした出来事で鬱になる』みたいな流れがあるなと気付いた。もしもバランスを取ろうとしているのであれば、ちょっと極端だと思う。以前、発達障害の人の傾向で『物事に白黒つけないと気が済まない』と言うのがあると聞いた事があるが、私も発達障害の傾向があるらしいので、何事も極端なのはその辺に関係しているんじゃないかなと考える事がある。
この仕事に就いて早二年。色々と悩み泣いて喚いて難しい案件にはメンタルをやられてバックヤードでは号泣してきた私だが、割りと楽しく仕事をしている。対応できない案件には代わってくださる方も居るし、皆頼りになる仲間だ。精神障害と生きながら接客業を楽しめるのは幸運だと思う。おまけに『接客が上手いし、直ぐにお客様と仲良くなれる』とか評価されるとかなりうれしい。今の私はお客様に声を掛けられても焦らずに対処できるし、焦ったとしても表には出ない。落ち着いた店員の仮面を被る事が出来ているのだ。まあ内心では大海原に浮き輪なしで飛び込む感じなんだけども。
昨日、職場で月一の定例面談があった。予てより私は、『就業三年目には正社員になりたい』と思ってきた。そして、出来れば『障害枠の正社員』のポジションに就きたいとも思っていた。しかし店長と話して、その考えが少し変わりつつある。健常の人と同じ正社員のポジションを目指しても良いかもしれないと思い始めたのだ。
私が正社員になりたい一番の理由はお給料だ。身もふたもない発言だが金が全ての世の中、人生を愉しむには金が要る。趣味にもお金がかかるし自分自身の見た目を良くする為には金に糸目をつけない人間なので。コスメもお洋服も鞄を始めとした小物も大好きだし、最近だとアクセサリーにもお金をかけている。この前、大好きなケイトスペードで鞄とブレスレットを購入した。本当は年末に自分へのご褒美で買う心算が、我慢できなくなって買ってしまった。だって可愛いんだもん。貯金がある方で良かったと思う。しかし今年は結構羽目を外してしまっているし、物が増えすぎたのでメルカリとかを利用して不用品(ときめきを感じないお洋服とか鞄とか靴とか)を売ってお金にしようかなと思っている。たまーに失敗したなぁと思う買い物もあるので。
そして、来年の今頃には一人暮らしを始めたいので少しずつでも節制していこうとも思う。正社員になりたい理由は此処に関わっているが、もっと言うなら自立したいのだ。もう三十路を過ぎて一年経つ。色々と大人になりたい今日この頃だ。


▼2023/09/04:過去の自分は殺せなかった

統合失調症と診断されたのは、十七歳の時だ。それ以前からも私は多分、精神的におかしいところがあったんだと思う。
初めて死にたいと思ったのは五歳の頃の話だが、それとほぼ同時期からの私は、私と言う別の人間を演じているような気分を抱えて生きてきた。前に此処でも書いた事があると思う。自分に起きている出来事でもまるで外側から(若しくは内側から)眺めているような気分になるのだ。それは何かをしている時、ふと訪れる違和感のようなもので、瞬間瞬間に『これは本当の私なんだろうか?』と疑問に思う。鏡に映る自分を見ている時も良くこの状態に陥る。特にお風呂場ではそれが顕著だ。『今此処に居る自分は本当に自分なんだろうか』『私は何処に居るんだろう。これは私じゃない別の人間の人生なんじゃないだろうか』と思い始めると一度思考を止める事にしている。深呼吸をして自分の手を見る。この角度で掌を見る事が出来るのは私だけだからと思えるのだ。
過去に二回本格的な自殺未遂をしているが、その直後はそれどころじゃなかったのか、自分が自分じゃない気分に陥る事は無かった。ただ、自分が現実に生きていないまるで夢の中みたいな感覚は続いた。

この思考の始まりは何処だったんだろう。そして、あれだけ死ぬような思いをして生き残ったのに、なぜまだ死にたいのだろう。

ぶっちゃけ、今の人生は楽しい。仕事もプライベートも充実している。まあ、最近趣味の方面で使っていたSNSに危機が訪れたりしてその趣味が出来ない状態なのはストレスだが。けれども多趣味なので、他の趣味や資格試験の勉強でそこそこに忙しく時間が足りない日々を送っている。自分磨きもお洒落の研究も楽しみながら続けている。コスメ関係で月に幾ら使っているのか考えるのは怖いので遠慮したいが。

そんな楽しくて充実している日常を送れているのに、ふとした時死にたくなる。これはきっと思考の癖だ。それも悪癖であり、なのに呼吸と同じくらいに馴染みのある行為。手首を切ろうとも高い所から飛び降りようとも思わないが『死んじゃおうかな』『あー、死にたい』と心の中では呟いてしまう。主に職場でそう思うのは、少なからず仕事がストレスの源になってしまっているからなのか。自分でやりたいと感じた仕事な上、とても恵まれている職場なのに。
前々から感じていた事だが、私は私自身の命を人質にとって、思う通りにならない現実(主に周囲の人達)を脅迫している気がしてならない。なんて幼稚なんだろう。そうも思うから、一度も口に出した事はない。ただ、私は自分の命を軽く見過ぎている気もする。周囲の命も同じくらい軽く見ている。嫌な態度を取られると『死んでしまえば良いのに』と簡単に思う。これは本当に良くない癖だ。本気で死ねと思う訳ではないけれど。
最近、このブログでは書いてこなかった話題だと思う。此処での私は精神病を抱えながらもそこそこ明るく前向きに振る舞ってきたから、読んだ人は驚くかもしれない。でもこれも私だ。死にたいと願いながら、他者にも死ねと思う。私にとって死は常に身近で、隣人にも近い存在だ。一度向こう側に行こうと本気で実行してしまったら、逃げられなくなった。いつだって死は私に手招きをする。その手を取るつもりは今のところはないけれど、また絶望が訪れた時、私はそれを振り払う事が出来るのか、あまり自信がない。
積極的に死にたいのではなく、死にたいような消えたいようなぼんやりとした不安に纏わりつかれるのは、メンタルを病んだ人間にはあるあるなのだろう。その手を取ったとして、残された人達はどう思うのかを考えられるうちに縁を切りたい。でも、死にたいと願わない私になれる自信もなかった。この先、幸せな事と苦しい事、どれくらいの割合で訪れるのか、せめて知りたい。この世界にさよならを告げた方が良いのか判断がつくから。

やりたい事も知りたい事も食べたい物も尽きないのに、誰にも疎まれていないのにこんなにも死にたいのは、結局のところ、これ以上傷つきたくないからなのだ。傷ついて苦しくて辛くてどうしようもなくなる前に、それを味わう前に死んでしまいたい。
だって、私は弱いから。笑っちゃうくらいに弱くて、傷ついたらすぐに立ち上がれなくなるから。死ねば、楽しい事もないけど辛い事もないもんね。

▼2023/07/06:鮮緑は薬指に収まった

先月、一人で東京の友人の所へ遊びに行ってきた。昨年末くらいから計画を練ってきた旅行で、初めて自分一人でホテルや飛行機の手配をしたのだが、とても楽しい旅行となった。
東京とは言っても、どのあたりに行くのかでどれくらいの軍資金を用意するのかは結構変わると思う。今回は友人と相談して、銀座と新宿を中心にお買い物とお食事に重きを置いた日程にしてみた。現在私は、月の収入から二万円ほどをご褒美貯金≠ニ言う名目で貯金している。ご褒美貯金とは、誕生日と年末に少し金額が大きい物を自分にプレゼントする為の貯金だ。誕生日は六月なので、年末とはちょうど半年くらい離れている。そうなると単純計算では十二万円ずつ貯金が貯まるので、結構いい感じに自分へのご褒美が買えるのだ。今回の旅行はその資金にプラス十万円ほど貯金を軍資金にしてめいっぱい楽しんできた。
社会人になって初めて東京に行ったので、こんなにも楽しい街だったのかと驚くとともに、自分がこんなにもブランド志向な人間だったのかとも驚いた。一緒に遊んだ友人には『最初からそうだと思ってる』と言われたが。写真を撮るだけ撮ってインスタグラムにも上げていないが、ものの見事にブランド物ばかり購入している。
お買い物は何処でしても楽しかったが、特に楽しかったのは銀座のケイトスペードニューヨークだ。路面店で、一階から三階まで総てがケイトスペードのお店と言う、このブランドが大好きな私にはたまらないお店である。腕時計を見ていた時に声を掛けてくれた店員さんがたまたま私と同じようにオタク界隈の方だったのもあり(友人もオタク)、ジャンルは違えど一気に打ち解けて一時間半ほどずーっとお喋りしていた。店員さんのジャンルは地下アイドル、友人のジャンルは某スポーツ漫画、私のジャンルは某医療系ドラマで、ベクトルも次元(オタクは2次元と2.5次元と3次元のように対象によって次元が変わる)も違うけれども持っている情熱の度合いが同じくらいだったため、オタク特有の1.5倍速の喋りで色々な事をお話しできて、本当に楽しいお買い物だったと思う。結果、腕時計とワンピースを購入。楽し過ぎて色々余計な事を口走っていないか若干心配である。
お食事も友人のおすすめのアボカド料理専門店や、生牡蠣が食べられるイタリアンレストランで美味しい物ばかり食べてきた。勿論体重は増えた。これから減らそうと思う。銀座シックスと言う商業施設ではディオールとラデュレのコラボカフェでアフタヌーンティーを頂き、ホテルの近くに成城石井があったのでちょっとお高い朝食を買ったり、お土産も美味しそうなものを大量購入してしまったので、帰りの荷物が増えに増えて大変だったが後悔はない。

さて、今回の旅行で実感した事がある。多分、私は運が良い人間だ。
旅行の初日に友人と向かった百貨店で、友人はクレドポーボーテの化粧下地を見たいと言うのでついて行ったのだが、私もクレドのリップがずっと欲しかったのに買えていなかった。札幌のお店は軒並み売り切れで、いつ入って来るかもわからなかったのだ。しかしその百貨店のサンプルには入荷待ちのシールが付いておらず、聞いてみたところ在庫があると言われる。即行タッチアップをして貰って購入した。ピンク色のラメがぎっしり入った可愛すぎるリップで、まさか変えると思わず内心小躍りである。しかもそれはその日に入ってきたうちの最後の一点だったという。
次に、ノワールドプーペと言うジュエリーショップで天然の宝石が付いた指輪を購入した。モルダバイトと言うその宝石は、厳密に言うと石ではなく天然のガラスの一種なのだが、まあそこは置いておく。初めはアメトリンやピンクトルマリンやロンドンブルートパーズなどのメジャーな宝石を買おうかなと考えていたのだが、淡いグリーンのモルダバイトが目に入り、「可愛い色だな」と思って試着してみる。薬指に嵌めると何となくしっくりくる。石の名前を訊いて『モルダバイト』との名前は初めて知った。一度外して別の石も見てみたが、友人にどれが似合うと思うか訊くとモルダバイトじゃないかと彼女は言う。私もそう思ったし、何か、買わないと後悔しそうな気がした。結果、その指輪を購入。それも最後の一点だったそうで、その時は「良い買い物をしたな」くらいにしか思わなかった。その日の夜、ホテルで写真撮影をしてから左の薬指に嵌めてみる。淡いが鮮やかなグリーンは肌馴染みも良く、森の深緑を思わせた。
その後も旅行はとても楽しく、大満足な休暇を終えた私は、こんな感じで毎年六月に旅行をして自分にご褒美を用意しようと考えている。

地元に帰って来て、と言うか、六月に入ったくらいから程良い調子のよさが続いている。服用している鬱の薬が倍量になってからしばらく経ち、良い感じに効いているのだろうと思っている。そんな日々の中、『実は私って運が良いんだな』と実感するようになった。米津さんのライブの席はアリーナ席の最前列だし、銀テープも取れた。旅行はとても楽しく欲しい物は全て買えた。顔や体形など、見た目も自分がある程度満足できるレベルを保てているし、自分の好きな服装やメイクが似合うと言われる。ずっと通いたいし髪の毛をお任せできる美容室も見つかったし、ネイルサロンも睫毛サロンも同様。仕事はお客様に恵まれているのかそこそこに楽しい毎日だ。自分にとっての弱みを強みに変える方法も何となくわかってきた。
そんな感じで丁度いい自分でいられる時間が増えてきて、資格試験の勉強もまあまあ順調だ。このままのペースなら無理なく試験に挑める。
今日、ふと思い立って東京で購入したモルダバイトについて調べてみた。天然石の勉強をしていた時期があり、或る程度の事は分かるのだが、初めて聞いた名前なので興味が湧いて検索してみる。チェコのモルダウ川近くで発見されたのが名前の由来で、上記の通り天然ガラスの一種なので厳密には石じゃない、けれども強いエネルギーを持つ宝石と言われていて、人気のあるパワーストーンなのだそうで。そして、この石はしばしば『持ち主を選ぶ』と言われているらしい。石が持つエネルギーがとても強く、相性の良くない人は持っていると体調を崩す事があるとか。また、相性が悪くなくてもモルダバイトフラッシュと呼ばれる一時的な症状が現れたりもするらしい。そして、この石に選ばれた人は『初めは購入する心算じゃなかったのにどうしても欲しくなった』『この子を連れて帰りたい』『一目見て心惹かれた』などと思うと言う。私もそうだった。何でか、この石が気になり、連れて帰ろうと決めた。友人に似合うと言って貰えたのもあるが、上記の通り、買わないと後悔する気がしたのだ。実際、買ってよかったと思う。
この石には、持ち主の思考を現実化させる力があると言う。と言う事は、私の様々な目標達成の手助けをしてくれるのではないかと思った。購入する時にはただ可愛いという理由で手に取ったが、もし私がこの石に呼ばれたのだとしたら、この先良い事が沢山起こるのかもしれない。最近調子が良いのはそのおかげだとしたら。普段あまり考えないスピリチュアルな事を書いている自覚はあるのでツッコミは受け付ける。しかし、本当に最近の私は運に恵まれている。こう素直に思えるのも幸運の一つだろう。初めて聞いた名前の宝石は、今日も私の左薬指に収まって、深い森の鮮やかさを持って輝いている。


▼2023/05/21:今年一番の幸運を

昨日は大変に良い一日だった。何年かぶりに米津玄師さんのライブに参戦してきたのだ。以下、ライブの演出等でネタバレに当たるかと思うので追記にさせて頂く。
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▼2023/04/17:宴への準備は出来たか?

米津さんのライブが近づいてきた。有給休暇の申請は既に済ませている。米津さんのライブは基本デジタルチケットが発行されるのだが、当日にならないと席番号が分からない仕様となっている。前回のライブではアリーナ席のかなり後ろの方だったので、今回はせめて真ん中より前がいいなあと願いつつ、徳を積む為に毎日いい人間で居ようと努力している。当日に着るお洋服やアクセサリーも調達し、今日はライブ用のコスメも購入してきた。此処の読者の皆様なら私がどれだけコスメが好きで美容オタクなのかをよくご存じだと思うが、家族や友人には『薊ちゃんはコスメを買うハードルが低すぎる』と言われ続けてきた。コスメの種類やブランドにもよるのだが、一応使い続けられる価格帯のものしか買っていない心算なのに、である。まあ普通8800円の化粧水を毎月一本買うとか、クレンジングは5500円とか、美容液も5000円とか、ありえない話なのかもしれない。それでも毎月貯金をして家にお金も入れているので、許して欲しいのが本音だ。
今日お買い物したお店で話したのだが、私の金銭感覚は結構ずれているらしい。コンビニエンスストアで飲み物を買うのは無駄遣いだと思う癖に、コスメになら簡単に諭吉以上平気で使う。ドラッグストアで日常に必要な洗顔料や歯磨き粉を買う際に気になるコスメがあったら多少迷っても大体は購入するのに、ゲームへの課金は無駄だと感じる。数量限定販売のコスメが売っていてそれがなかなかに良かったとして、お腹が空いたのでタピオカでも飲もうかと思っていたのを辞めてコスメにそれ以上のお金を使う。生活の総ての消費活動の最優先事項がコスメと美容なのだ。
今日も新しいファンデーションを購入してきた。NARSのクッションファンデーションは一度チークを購入した際一緒にタッチアップをして貰って、非常に良かったので購入を決めている。NARSは私が信奉してやまない資生堂の系列だし、仲良しのBAさんが居るのでしょっちゅう通っている。特にチークのORGASMと言う色が本当に使える。一見するとイエベ向きの色だが、ゴリゴリのブルベと言われる私でも似合った。BAさん曰く、総ての肌色に似合う色でもあると言う。
さて、最近ジバンシィのBAさんに(上記の方ではない女性)に言われた嬉しい言葉を此処で自慢したい。
或る日いつものクレンジングを取り置いてもらう序にリップアイテムのタッチアップをして貰ったのだが、その際自分ではあまり買わない色のリップアイテムにしてみた。するととても可愛い仕上がりになり、それだけでも嬉しいのに、もっと嬉しいことを言って貰えた

『矢野さんは、マスクを外した方が可愛いね』

新型コロナウィルスが跋扈しマスクをするのが当たり前となった頃から囁かれ出したのではないかと思うのだが『マスク美人』と言う表現がある。人は誰かの顔を見る時、その一部が隠されていると自分の都合の良いように頭の中で補正を掛けた素顔≠予想するのだ。しかしマスクを外した際にそれとは違う顔立ちだとがっかりする事もあるらしい。故にマスクを着けていた方が美人に見えてしまうのだと聞いた事がある。勝手に予想して妄想してがっかりされても困るのだが、そういう現象があるのだ。
BAさん曰く、私はマスクを外した素顔の方が可愛くて美人で、肌も綺麗だし隠すのは勿体ないねとのことだ。私自身、早くマスクの要らない世の中になって欲しい。折角メイクが上達したのにそれを隠さなければならないストレスと縁を切りたい。
それと、この前同居のおばあちゃんがニキビの治療薬を貸して欲しいと言うので久しぶりに取り出したところ、使用期限が切れてしまっていた。そもそも医薬品の外箱に記載された使用期限は未使用の場合にのみ当て嵌まるので切れていなくてももうヤバい場合もあるが、それはそれとして、私はもう何年もニキビ治療薬を使っていない事になる。肌荒れしたのも何年も前だ。それを仲良しのBAさんに話すと『毎日のスキンケアを徹底して続けているからですね』と言われた。加えて、自分に合った物を使い続けているのもあるだろう。総てが高級品とはいかないが、要所要所でお金をかけるべきアイテムにはかけている。謂わば、自分の見た目に課金し続けているのだ。美容オタクの課金対象は大体が自分自身である。
今日もネイルサロンで爪を新しくしてきた。爪が綺麗で可愛いとテンションが上がる。最近会得したタッチタイピングも冴える今日この頃だ。後は痩せられれば、最高の自分で夏を迎えられるんだけどね。


▼2023/04/09:ポリクロームの空気

春である。漸く札幌の雪も溶け切った場所が増えてきた。つまりは薄着の季節の到来だ。ダイエットが全然進んでいない私にとっては由々しき事態である、と知り合いや職場の皆に言うと決まって言われる。

「矢野さんは痩せる必要ないよ」

違う。健康上は痩せる必要が無くとも、理想の自分であるために痩せたいのだ。私の身長は158センチだ。そして、一番痩せていた高校生の頃は45キロ無かったのだ。その頃に戻りたいとまではいかなくとも、せめて40キロ台になりたい。つまりは今現在50キロを超えていると言う事だが、四捨五入すると50キロなので、今のうちに(痩せづらい年齢になる前に)痩せたいのだ。年々感じる加齢問題の重大さを考えると発狂しそうになる。それなのに何故夜食を食べてしまうのだろう。昨夜はカップのワンタンスープ(豚骨味)とローストアーモンド(塩味)を食べてしまった。食べている間はエンドルフィンがドバドバ出ているのか非常に美味しく感じるし、ほんの一瞬はかなり満たされる。けれど、食べ終わった途端に後悔しかなくなる。いい加減学びなさいよ私。
しかし、その食生活を続けていても如何にか許容範囲内の体型で居られているのは趣味の筋トレの習慣があるからだろう。最近だと一日に100回スクワットをする事を自分に課した。あるデータで一日に100回のスクワット(所要時間3分と少し)を8週間続けると体脂肪率が4,5パーセント減るらしいと知った。見た目は細身だが体脂肪率がヤバい私にはうってつけの運動じゃないかと筋トレに導入した。今のところ毎日続けられている。以前の筋トレの内容もブラッシュアップを重ねながらスクワットと有酸素運動、ストレッチ。これを週に5〜6回はやれている。これが無かったらもっとヤバかったのだろうと心底感じている。
……まあ、まずは夜食を辞めるのが一番だと理解しているが。
どうして夜中に食べるお菓子やナッツは美味しいのだろう。元々ナッツ(特にアーモンドと胡桃とペカンナッツ)は大好きだし、お菓子は言わずもがなだ。そもそも好き嫌いがほとんど無いし。好物はチョコレートケーキやマカロン、鶏のから揚げやポテトチップスとかハイカロリーなものばかりだ(特にピザポテトかカルビーのコンソメパンチ。美味しいよね)。
家庭科の勉強が得意だったので自炊もそこそこする。今日の夕食は長ネギとジャガイモと鶏肉とパセリのスープ、鮭の柚子胡椒煮、小松菜と人参の和え物を作った。栄養価とカロリーと安い食材を使う意識をした。家族に好評だったのでまた作りたい。これでも家庭科は五段階評価で五だった。今のところは食べたいもので摂取カロリーを抑えられるメニューを作り、緑黄色野菜と淡色野菜とタンパク質、ミネラルを意識して献立を作る理性はある。とんでもないハイカロリーの料理は作らない(仮に作っても同居の祖母が食べられないので)。ならばさっさと夜食と縁を切れば良いのだ……寝る前の薬、もう少し早いタイミングで飲もうかな。

話は変わって、最近職場で上長と面談する機会があり、嬉しいことを言って貰えた。

「これはお世辞じゃなく、矢野さんはこのまま行けばスーパーウルトラ販売員になれると思う」

今の職場で働き始めて一年半ほど経ったが『成長が著しい』と上長は言い、更に「矢野さんはお客様に話しかけるのが苦じゃないでしょ? お客様の為に一生懸命努力するのもそうだよね? それって、そんなによくある性質じゃないんだよ」と言った。100人の販売員が居ても10人程しかいない素質を持っていると。私は普段お客様に話しかけるのは怖くないと思っている。寧ろ、お客様から話し掛けられる方が怖い。何を言われるのだろうと身構えてしまうからだ。しかし話しかける場合にはあまりその恐怖心が働かない。此方から話し掛ける場合、覚悟が決まっているからだ。最近だと高価格帯の商品を販売する機会も多くなり、伝票を書いたりお取り寄せの手配などもこなせるようになってきた。生来焦り性のため内心テンパって動悸はするし、文字を書く手が震えたりなんかもする。しかし、お客様の前ではきちんと販売員≠ェ出来るようになってきたのである。
少し前から、お客様のご要望にお応えする際に『そんな事して貰って良いんですか?』と訊かれる事が増えた。私とはしてはそのサービスをする事は割りと当たり前に近い事なのにな、と思う。私がしている接客は大体が私が客側の時にして貰って嬉しいサービス≠ネのだ。接客はするのもされるのも好きだ。だからつい買い物に出かけては散財してしまうのは直した方が良いのだろうけども。
昨日もある商品のサイズ違いはないかと訊かれ、たまたま在庫が無く別の商品を勧めたところお客様がデザイン違いで同じ色の商品も気になると仰ったため「そちらもお調べしてよろしいですか?」と言えば「お忙しいのに良いんですか?」と問われた。「大丈夫ですよ。少々お待ちいただけますか?」と笑顔で言えた。だって、せっかく足を運んでくださったのに何も欲しい物が買えないのは悲しいだろうと思ったからだ。幸いその商品は在庫があり、無事お客様はお買い上げだったので此方もとても嬉しかった。売れた事もそうだが、お客様にお礼を言われると本当に嬉しい。接客業は、始めてみたらこんなに楽しいのかと驚いている。やりたかった事が自分の特性とマッチしている事実に飛び上がりそうなくらいうれしい。
上長はそんな姿勢を見ていた故に『スーパーウルトラ販売員になれる』と思ったらしい。そしてもう一つ評価されているのは仕事をしながら空き時間に勉強をして仕事に活きる資格を取ろうとしている事らしい。私は現在、インテリアコーディネーター合格を目指し試験勉強をしている。今日もマクドナルドに一時間居座って勉強してきた。某通信講座のテキストで勉強して、何度か添削課題を提出してきた。今のところは合格ラインを超えている。この資格は一次試験と二次試験があり、合格率は30パーセントを切るらしい。結構な難関だと言われるが、何としても一発合格を決めたい。その方が格好いいじゃないか。登録販売者も一発合格だったし。
もしインテリアコーディネーター試験に受かれば、『スーパーウルトラ販売員(インテリアコーディネーター有資格者)』になれるんじゃないかと上長は言い「仕事しながら勉強を継続して結果を出してるのは本当にすごい事だよ」
と言ってくれた。話をしたその日の帰り道、私はルンルンでスキップしたいくらいうれしくて顔がにやけていたに違いない。やりたい仕事に向いていただけじゃなく、私の趣味でもある勉強への姿勢も褒められたからだ。
多趣味故に時間と身体が足りない事も多いが、充実している実感で頑張れる。そして、筋トレも勉強も誰かに強いられる事の無い自主的な趣味の一つなので、頑張ると言うより楽しみの時間だ。だから筋トレの後お風呂で勉強をしているだけでストレス発散にもなる。

この歳になって、毎日が楽しくなってきた。十代の頃、毎日破滅願望に囚われ死にたくて仕方なかった私に、それでも死なないで生きていてくれてありがとう、とお礼を言ってあげたい。貴女は将来こんなに幸せになれるんだよ、って。

▼2023/03/12:掌に載るくらいの幸福が、一番嬉しい

先日、職場の店にいらしたお客様への接客がとても良かったそうで、お客様からお褒めの言葉が書かれたお手紙をいただいた。これはうちの会社でもそんなに滅多にある事ではなく、名指しでお褒めの言葉をいただいたのはこれが初めてだ。
そのお客様の接客を行なっていたのは副店長に当たる先輩の社員さんで、彼女以外に出来ない急な業務が発生したので接客を代わったのだ。詳しい事は書けないが、お客様は副店長の先輩と私の接客に感動してくださったそうで、手書きのお手紙を贈ってくださったのである。休み明けに出勤して先輩社員の一人がニコニコしながら「矢野さん、聞いた?」と仰るので、何のことかわからず「何かあったんですか?」と問えばお手紙の件を初めて知った。そのお客様の事は私も覚えていたので、直ぐに会話の内容を思い出した。うちの店では珍しいタイプのお客様だったのもある。でも、まさかこんなに良く思っていてくださったとは思わなかったのも事実である。私はいつも通り(と言って良いのかは分からないが)接客をしただけだったからだ。私は普段、お客様には『ご来店くださっただけで感謝!』みたいなスタンスで接客をしている。そして私自身が接客を受けるのが好きな客側でもあるので、お客様が何か訊きたそうだったら積極的に話しかけるタイプだ。勿論お客様の気持ちが読み取れず失敗する事も多いが、だからと言って接客が嫌になる事は不思議と無い。『次はこんな風に話しかけるタイミングを計ってみよう』とか『お客様がこの動作をされたら、話しかけても良さそうだ』と学びを重ねる事は純粋に楽しい。この職場に採用されて、そして他の職場に採用されなくて良かったと思うことしきりである。
お褒めのお手紙の件は上(主に本社と社長、役員の皆様)にも伝えられるらしく、恐らくは今月のお客様からの声に私の実名付きで載せられるとの事だ。店長にも滅茶苦茶褒められたし、副店長には『上に報告するからその時の会話の内容を教えてほしい』と言われた。聞くところによると、こんな出来事はそうそう無いらしい。人は自分が客側の時、嬉しい対応をされるよりも嫌な対応をされる方が記憶に残る。嬉しい対応をされたとしても、こうして自分の限られた時間を使って手書きで一筆書いてくれるなんて、本当にそうそう無いし、おまけに郵便料金まで支払ってくださったのだ。

あの時のお客様へ。本当に、ありがとうございます。あの時は私もとても楽しくお話しさせていただいてました。その上可愛らしい柄の手書きのお手紙までいただけて、この仕事をしていて良かったと心の底から思いました。これからもうちの店にいらしてください。またお話ししましょう。

と言う思いを伝えたくて仕方ない。私の仕事で喜んでくださる方がいらっしゃるのだと実感できた出来事だ。
それ以外にも、お客様と仲良くなるのが上手だと褒められたりラッピングが早くうまくなったと言われたり、お客様からのご要望をくみ取った提案をすれば『そんな事して貰っても良いんですか?』と驚かれたりする。時折精神的に落ち込んで就労継続支援事業所で話を聞いてもらう事もあるが、概ね楽しく働けている。環境と職場の皆と自分の努力に感謝だ。
少し前、接客や仕事の仕方に悩み就労継続支援事業所のスタッフさんに話を聞いてもらった際に言われたのだが、私は私が思っている以上に接客が出来ているらしい。こんな事を言われた。

「矢野さんは、自分がお客側の時に自分と同じくらいのレベルの接客を受けた事ある? あんまり無いでしょ?」

つまり、それだけ私は良い接客が出来ていると言いたかったらしい。確かに、私は私の中で自分がお客側ならこうされると嬉しい¢ホ応をするようにしている。それが間違いなパターンも無くは無いが、少なくとも悪い接客ではなかった筈だ。
私は未だ自分の理想とする販売員にはなれていない。私の理想の販売員は『お客様からのどんな要望にも適切な対応がサラッとできて、何事にも慌てずスマートに仕事をこなす店員』だ。しかし現実では直ぐにあたふたするし、分からない所が出てくれば慌てて調べて落ち着きが足りないし、つい声が大きくなる。
でも、それだけお客様の事を考えられるし、一生懸命仕事に取り組んでいるし、お客様からしたらとても親身な店員なんだそうだ。このまま成長を続ければ『親身で一生懸命だけど、スマートな対応ができる販売員』を目指せる。過去を振り返ればいつ死んでもおかしくなかった頃もあった。それでも今はお客様から褒めていただけるくらいには成長出来ている。これは自分の事を褒めても良いんじゃないだろうか。
以前の職場では『貴方は接客に向いてない。事務職を目指した方が良い』と直属の上長に言われた事もあった。薬局長、貴方の方が間違っていたみたいですよ、と言ってやれる店員でいられるよう、今日も接客振り返りノートを開き、ボールペンを握るのだ。


▼2023/03/05:先の楽しみは、一種の痛み止め

ダイエットを強化して少し経った。良い感じに身体が絞れてきているのでやる気は継続されている。このペースなら五月のライブまでに結構いい体になれそうだ。筋トレに関しては最早趣味と化しているが、栄養管理や健康にいい事を続けるのは習慣レベルと言える。健康にいい事をするのは意外と楽しい。
健康にいい習慣として六年ほど続けているのは、ヨーグルトに大根おろしと蜂蜜とオリーブオイルを混ぜて食べる事。ヨーグルトは無糖で無脂肪のものを選んで、一日70〜100グラムほど食べる。それに大根おろしを混ぜて電子レンジで人肌くらいに加熱してから蜂蜜とオリーブオイルを混ぜるのだ。味は意外と良い。時折辛みの強い大根に当たる事はあるが、ストレスなく続けられる味だ。毎日摂取していると、血液検査の値にも変化が出た。善玉コレステロールがかなり上がったのだ。血液検査でコレステロールと呼ばれる項目には善玉と悪玉が存在して、本来コレステロールは水に溶けない物質な為、善玉コレステロールと悪玉コレステロールと呼ばれる運び屋≠ノよって全身を行ったり来たりするが、悪玉コレステロールが増えすぎたり善玉コレステロールが減り過ぎたりすると動脈硬化などの宜しくない症状が現れるのだ。
では、善玉コレステロールが増えるとどうなるかと言うと、主治医曰く『長生きできる』らしい。末梢からコレステロールを回収する運び屋が増えるからだそうだ。健康でお金に余裕があるならいいけど、そうじゃなかったら長生きは希望しないのは一先ず横に置いておく。
これはオリーブオイルを毎日適量取っているかららしい。大根おろしは生野菜の酵素や食物繊維を摂取する為に加えているが、便秘がかなり改善されたしそれに伴って肌荒れもかなり減った。元々肌は丈夫な方だが、大きく腫れたニキビなんてここ数年見ていない。
この他にも健康に良い習慣を続けていると、昔の自分がいかに不摂生をしていたのか実感する。この前父方の祖父が亡くなり、遺影を用意する事になって家中の写真を捜索したところ、昔祖父母と母と私で写った写真が採用された。そしてその写真に写る私のおデブさ加減に顔から火が出るかと思った。今よりも体重や体脂肪率が高く顔の輪郭は真ん丸、眼鏡が頬の肉に埋もれそうになっている。おまけに当時は自分が肥っていると言う自覚も無かった。紛れもない黒歴史である。
私はいつでもあの頃の自分に戻ってしまう可能性を持っている。これからも筋トレと運動を欠かさないようにしよう。甘い物は大好きだが、この前此処に書いた取り決めを忘れずに楽しもうと思う。

さて、五月のライブ以降にも楽しみが待っている。六月は自分に誕生日プレゼントも兼ねて東京に旅行に行こうと計画しているのだ。飛行機とホテルの予約は済ませている。専門学校時代の友人が東京に住んでいるので、彼女と遊び倒す計画だ。渋谷と新宿でショッピングをして、池袋の猫カフェに行き、銀座でもショッピングをして高級なアフタヌーンティーを味わいたいと話している。私は化粧品ならジバンシィが大好きなので銀座シックスの中のジバンシィに行き化粧を習いたいし、アフタヌーンティーはディオールとラデュレがコラボしたカフェで頂ける品なので相当に美味しくて可愛らしいだろうし、ケイトスペードの路面店にも行こうと話している。ケイトスペードで欲しいのは腕時計だ。アクセサリーも買えたら嬉しい。他にも北海道から実店舗が無くなってしまったジルバイジルスチュアートにも行きたいし、スナイデルとかノワールドプーペとか、兎に角可愛い物を買いまくりたい。プチプラコスメも爆買いしたいな、この為に貯金を頑張ろう、もっと収入を増やしたいから休まずに働こう、と頑張りたい理由が増えている。
私が働くモチベーションとしているのは、やはり買い物だ。欲しい物を買う為に働くのがシンプルな理由で、その次にお客様に喜んでもらう為、と言う理由で努力している。『努力する事は楽しい』と思えるのは僥倖だと思うが、一番は努力したり頑張っている自分が好きだと言うナルシシズムの結果が今の私を形作っているのだろう。私が自分を好きで居る手段が努力する事≠ネのだ。三十年以上生きてきて、今が一番楽しいと思えるようになれた事、少しくらい褒めても良いだろうか。多少の辛い事は先の楽しみを鎮痛剤にして、明日も仕事に行くんだろう。

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