残酷で美しい

「…あ、」

女は、ふと昔のことを思い出していた。うつらうつらと揺れる船の中。潮の香り漂うこの海上はずっと自分たちの居場所である。

「サンジぃ!なにやってんだてめぇは!」
「あ?!なんか文句あんのか?!」

「お姉さん、…注文してもいいかい?」
「はーいお決まりですか?」
「このレストランは賑わってるねえ」
「すみませんこの船内、少し騒がしいんです」

料理長と副料理長の喧騒さえこの船では日常であって、それを気にする客に平謝りをして接客をすることも"習慣"であった。柄の悪い料理人達が多い中、一人、華を持つ彼女を見て客は心が踊る。それを理解しているのであろうか、その視線に適当に愛想を贈るシナは、賢いというか思わせぶりというか。

「でも、料理の腕だけは確かなの。ごゆっくりお過ごしあれ」

繁盛したフロアは彼女の手によって上手く熟されていた。海賊王が死んでからどこかいつも落ち着けない世界になったこの界隈では、こういうレストランは唯一のオアシスである。とりわけ文句のない容姿の女が、丁寧に対応してくれる。一つの楽園に近い感覚を、それぞれ客は呼び起こしているようだった。

「へいお待ち、メインの魚のポワレです…!」

そんな思想を牽制するように、駆け足で料理を運んだ。これでも食えと言わぬばかりに出したメインディッシュからは、香ばしい匂いが立ち込めて、客は邪念を払われるように料理を見つめる。それでも眉間にシワを寄せる表情は未だに変わらない。それを感じ取ったのか後ろからはシナの視線を感じる。

「うちの看板娘には手を出しちゃあ問答無用で追い出す対象になりかねますのでご注意を…っチ、」
「ちょっと、サンジ…!お客さん、」
「…ん、ごめん。気が立ったみてえだ、はは」
「もう、怖がられるわよ」
「シナが可愛すぎて輩が釘付けになってるみたいだから、」
「はいはい早く厨房で料理作って?みんな待ってる」
「へいへい」
「ちなみに、わたしも待ってる」
「!、片付いたら特製のスープ作ってやる」
「ありがとうサンジ」

潮風は俺らの居場所である。
大海原を今日もたくさんの船が行き交う。





「…胸騒ぎがする」
「?どうかした」
「…いいえ、少し寒気がしただけ」
「風邪でも引いた?」
「そういうことじゃないわ、気にしないで」

その時、ドーンと大きな爆撃音と共に、船体が大きく揺れた。震源に行くと天井が半分消え、聞けば砲丸らしきものが飛んできたとゼフが言う。ゼフは動じる様子もなく、さすがは船長だと感心した。どうやら麦わら帽子を被った青年が誤って射ってきたらしく、正直に話す青年に、ゼフは1年間のタダ働きを命じていた。

ーーー先程感じた胸騒ぎの原因はこれなのだろうか。腑に落ちない傍ら、カランカランとレストランの扉が開く音に、いけない、と急いでフロアに向かう。そこには珍しく3人の若者が立っていた。

「いらっしゃいませようこそ海上レストラン・バラティエへ」
「なぁ、この船に麦わら帽子被った男は来なかったか?」
「あら、知り合いかなにか?」
「まあ…知り合い、というか…」
「彼ならオーナーの命令で1年間のタダ働きをすることになったみたいだけど」
「は?!1年間?」
「まあオーナーも気まぐれだからどうにかなるとは思うわ。…どうぞ座られて。ごゆっくり」

なにやってんだあいつ。ため息をつく3人は、見ていてどこかこの状況を楽しんでいるようにも感じる。船長が捕まったというのに、と不思議に思いながらサンジ特製の女性限定メニューを運ぶ。可愛いお嬢さんだから仕方ないが、特別今日は腕によりをかけている気がする。

「いただきまーす!」
「う、うまーーーっ」
「おっいいじゃねえかこれ。酒にも合う」
「ふふ。お楽しみ下さい」
「お姉さんは、ここで働いているの?」
「ええ、住み込みで働かせてもらってるの」
「女一人なのね…わたしも気持ちはわかるわ」
「そう。あなたも?」
「ええ…こいつらといったらもう、」
「…お互い苦労してるようね」


ナミはゾロとウソップに目配せをして、深いため息をついた。それからタダ働きしてる船長も、と付け加えて苦笑いを浮かべるナミは、無邪気で可愛らしい。

繁盛した騒がしいレストラン内。突然、がしゃん!と食器を打ち付ける音が部屋中に響いた。視線は一気にそちらに集中し、例外なく自分もそっちに目をやった。

「おい姉ちゃん!」
「…はい、なにか」

あまりよくないことであるのはなんとなく雰囲気で分かった。テーブルに男が4人。声を荒らげた男の周りでは、にたりと笑みを浮かべる輩がジロジロと視線を向けており、とても居心地は宜しくない。

「なにか?じゃねえ…良くもまあ腐った飯を出してくれたじゃねえか!」
「…さて、どういうことでしょう?」
「しらばっくれんなよ?見ろこの飯!!こんなクソまずい飯に金なんて払えねえな!」

気性の荒い客。このレストランに限ってそういうことは有り得ないことくらい熟知しているので、ただの言いがかりであることはすぐに分かった。身寄りのない自分を助け、こんなにも無慈悲に可愛がってくれるオーナーやサンジ達の料理が不衛生であったり、ましてや不味いなど、どうやっても考えられない話なのだ。

「あいにく、うちは衛生管理には手を尽くしております。…味が気に食わないのでしたらどうぞほかのお店へ」
「謝りもしねえのか?!あ?」
「ほかのお客様のご迷惑になります粗相はお控えください」
「おいおい俺達も客だぜ?…ちゃんと相手をするべきじゃあねえのか?姉ちゃんよ」
「…離してください」
「サービス業だろ?こんなことも、…」
「ーーおい、やめろ」

男の太い手が身体をなぞっていく。ざらざらとした手の感覚といやらしい目つきに吐き気がする。仕方ない、と護衛用の銃に手を触れた瞬間、ひゅっという音と共に1本の刀が頭の横に降りてきたのが見えた。視線を辿る先には3本の刀を揃えた緑頭の男。そのシルエットはイーストブルーにいる大半の人間であれば"賞金稼ぎのゾロ"だと認識できるものだった。

「なんで、てめえが…!くそっ…か、帰るぞ」
「どうぞ。忘れ物なく」
「お、おお、覚えとけよ!」

「…負け犬の遠吠え」
「あァ、そんな感じだな」
「ありがとうございます、助かりました」
「いや、別に…酒が不味くなりそうだったからよ」
「…意外と優しいのね」
「そんなんじゃねえ、」
「ーーーちょいちょいちょい、なんだてめぇうちの看板娘に手を出す気ですかコラァァ?!」
「ちょっと…サンジ、」

器用に何皿も重ねて運んできたサンジは、フロアの雰囲気が変わっていることに気づいた。よく見てみると刀を持った男に頭を下げるシナ。一瞬、和やかに見えたのがなんとなく気に食わない。料理をさっさと配膳した後、駆け足でその場に向かう。手を伸ばして細いシナの腕をこちらへ引くと、驚いたようにこちらをみる彼女。3年間一緒に過ごしているというのに、何度見ても綺麗な顔だと思う。咄嗟に喧嘩口調で緑頭につっかかろうとすると、シナの声が制止する。

「違うわサンジ。この人はお客様に絡まれた私を助けてくれただけ」
「そうか?、こいつの目はお前を狙っている目だぞ。俺にはわかるこいつには下心がある、」
「サンジ失礼よ」
「まぁ、…確かに悪くはねェが」
「(かっちーん)ほらな?!お前ちょっと外に出ろ!」
「いい加減にして」

激昴する口を、一瞬でシナの手で塞がれた。あ、と思った時には既に至近距離であって、自覚した途端身体の動きは止まる。どこか頬が熱い。ごめんなさい、と一礼をして2人で厨房まで引いていくと、平穏に戻った船内は、また段々と口数が増え、先程までと変わらない賑わいを見せていた。

「…美人だわ、あの子」
「あぁ…そうだな」
「それにさっきーー全く動じてなかったわ」
「多分慣れてるんだろな、あぁいうことにも」
「…いや、ただのウェイターがあそこまで余裕があるのは鼻につくがな」
「そう、かしら」

ナミは少し遠い目をして女の後ろ姿を見ていた。異質な黒スーツを着た男のラブコールを会釈で返しながら、どこか謎を持つあの女を、ぼんやりと眺めていた。












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