沖田さんの奥手っぷり事情
沖田総司は、非常に女性に奥手だったそうですね。
拙作・「黒い猫」での沖田さんの台詞のように、島原で酒を飲むことはあっても、どうやら女郎を買ったことは無さそうだとのこと。
「沖田」という新撰組隊士がある女郎と馴染みになり、子を生ませたという記録が残っているようです。ですが、新撰組にもう一人、沖田姓の隊士がいたそうです。
なので、恐らくそちらの沖田さんの子だろう、ということらしいです。
彼は恋愛もしたようですが、最後までプラトニックだったとか。想い合っていたのに事情によって結ばれない悲恋だったみたいですね。
女性の方が自殺未遂をしたそうです。その後、その女性は近藤勇の世話で余所へお嫁に行ったんだとか・・・。
江戸の人達って、現代では考えてられないくらい性についてオープンだったそうです。もちろん手も早かったとか。
もともと娯楽が少ないし、あわよくばタダでできるし、なんて具合で。スポーツ感覚なのか?!
江戸の人口の一割が梅毒だった、なんて話も聞きます。うっかりデキてしまっても、里子に出せばいいじゃーん、くらいの考え方もあったとかなかったとか。凄いです。
そもそも、処女崇拝も明治に西洋文化が入ってきてからのことらしいですが、それにしても凄い。
我が家の沖田さんは、わたしがそれらの資料を読んで作り上げたものです。なので、本物はどうだかわかりません。けれど、それでも記録の中の沖田さんの奥手っぷりは、当時の事情の中でも、きっと群を抜いて凄まじかったものと想像します。
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