トラウマ


私のお母さんの個性は炭素を結晶化させるものだった。極めて限定的な状況でしか使えない個性ではあったものの、その強さは人を簡単に殺せてしまう力だった。

そんな個性だったから、お母さんは使ってこなかった。まるで無個性であるかのように振舞って、個性を隠して生きてきたらしい。

事実、私もあの事件があるまでお母さんのことは無個性だと思っていた。


「お母さんっ、見て見て!」


私はまだ発現したてだった個性を使って遊んではケガをしてを繰り返していた。その日もいつもと変わらず遊具にテグスを巻き付けてぶら下がって遊んでいた。


「また落ちてケガするからあんまり高いところまで行っちゃダメよ。」


「はーい!」


いつも通りお母さんは日陰のベンチで、私を見ながら幼稚園で使うための小さな巾着袋を作ってくれていた。その頃の私は個性を使うことが本当に楽しくて仕方が無かった。

遊ぶのに夢中だった私は、私に向かってきていた魔の手に気付かなかった。


「きゃああ!」


意図しなかった方向へと、体が引き寄せられる。体は大きく禍々しい手で掴まれていた。もがいてももがいても、体をすっぽりと覆ってしまうほど大きなその手から抜け出すことは出来なかった。

私の悲鳴を聞いたお母さんが顔を上げたときに見せた真っ青で絶望の色を乗せた顔は今でも忘れられない。

私を捉えた手の持ち主は、どんどんお母さんから離れて逃げの一手をとっていた。あとから聞いた話では、ちょうどその日その時間帯に2つ隣の市で大規模な暴動が起きていたらしく、近隣の市のヒーローもほぼ総出で対処に当たっていたらしい。

そんなこともあったせいで、ヒーローは現れる気配すらなかった。このまま手をこまねいていても、ヒーローが来る頃には見失ってしまう。そう思ったであろうお母さんは、自身が罪に問われようとも私を助けようとした。

しかし、普段からひた隠しにしてきた個性はそう簡単に操れるものではなかった。更には、人に対して使うという恐怖がお母さんを襲った。

個性を他人に向けて使うこと。それだけでも罪だというのに、お母さんの個性は簡単に人を殺せてしまう個性だ。万が一にも私をさらう犯人を殺してしまうようなことになったら。

一生犯罪者として目を向けられるのはもちろん、私に犯罪者の娘としての烙印を押してしまうことになる。

けれど、手遅れになってしまえば私が殺されてしまうかもしれない。

意を決したお母さんは、犯人の前方に空気中の炭素を結合させた壁を作り出そうとした。

した、つもりだった。

意を決したとはいえ、様々な不安がお母さんを取り巻いていた。その不安が、お母さんの思考を蝕み、個性使用の判断を迷わせた。

その結果、範囲として選ばれた炭素は空気中ではなく、人体に含まれる炭素だった。

お母さんの個性の標的となったのは、犯人。私を掴んで走っていた犯人の動きは、お母さんの個性発動とともにぴたりと止まり、私の目の前で体の中から現れた結晶に貫かれて命を落とした。

私を掴んでいた手は、犯人の個性の影響なのか、炭素含有量がなかったのか、少なかったのか、皮膚を突き破るほどではなく私にケガはなかった。

私はわんわん泣きながら力の失われた手から抜け出してお母さんのもとへと駆け寄った。

しかし、お母さんは恐れていた個性での人殺しでパニックを起こしていた。


「お母さん……?」


私の声も届かないほどパニックに陥っているお母さんに私の駆け寄る足も鈍くなっていた。それは、間違いでもあり、正解でもあった。

不安が大きすぎたのだろう。お母さんはそのまま個性を暴走させてしまい、自身の体を貫いて私の目の前で命を落としたのだ。

お母さんの体を貫いた結晶は、反射的に伸ばした手の平を僅かに傷つけていた。それ以上近付いていれば、私もケガではすまなかったかもしれない。

私は愕然とその場に座り込むことしか出来なかった。最愛の母が、目の前で死んでしまったのだ。

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