さよなら恋ときみ


「鋭児郎、ごめんね。」


体が上手く動かないせいで、鋭児郎は離れていく私を繋ぎとめることは出来なかった。ぱくぱくと口元が僅かに動いているが、その喉は空気を振るわせられない。

なにかを言いたげな鋭児郎に背を向けて、部屋の隅に積み上げられたチラシを一枚手に取った。裏の白いそのチラシにさらさらとメモを残していく。

背後では鋭児郎が必死に動こうとしているのか、時々布同士の擦れる音がする。さすがは鍛えているヒーロー。ボスのことだからそれなりに強力な薬であるはずなのに、僅かとはいえ動けるのか、と感心すらする。

チラシの裏に簡易的な地図を描きあげる。それは、鋭児郎が私にくれた真っ直ぐで純真な愛に対するせめてものお返しだった。


ボスに知られれば、殺されるかもしれない。

けど、それでもいいと思えた。

私はもう止まることは出来ない。だったら、せめて鋭児郎に止めてほしかった。

欲を言うなら、捕まるときは鋭児郎に捕まえてほしいな。

鋭児郎はヒーローだから、私を殺すなんてことはしないだろう。だから、死に場所を幸運にも選ぶことが出来るなら、鋭児郎を守って死にたい。


描き終えた地図はそのまま机の上に、ボールペンを重しに置いた。振り返って鋭児郎を見れば、まだ口をぱくぱくと動かして何かを伝えようとしている。

頑張れば、なにを伝えたいのかわかるかもしれないけれど、それをする勇気はなかった。きっとそれは私が聞きたくないものだから。

鋭児郎に視線を合わせないままベッドへと近付いて、鋭児郎の隣へと腰を落とす。ギシリ、と2人分の体重を受けてベッドが軋む音がした。

そして、鋭児郎の頬を撫でながらようやく鋭児郎を見る。鋭児郎の最後を目に焼き付けるためだ。


「朝が来たら、午前9時。」


自分がいったいどんな表情をしながら言葉を紡いだのかわからなかった。

ボスを裏切って後悔している顔?それとも、鋭児郎を愛してしまって後悔している顔?あぁ、鋭児郎をこんな風にしてしまって後悔している顔かもしれない。


「1時間くらいは動けないと思うけど、しばらくしたら動けるようになるわ。」


鋭児郎の顔には不安の色が見える。大丈夫、ヒーローは続けられるよ。そう意味を込めて、薬物の効果時間を告げる。

その表情からそういうことが聞きたかったんじゃないんだろうなということは伝わってくるが、それは無視して体を傾けた。

鋭児郎の耳元に唇を近寄らせる。口付けてしまうんじゃないかと言うほど寄せれば、
ひどく小さなか細い声が喉を伝った。


「鋭児郎、嘘ついてごめんね。愛してる。愛してくれて、ありがとう。」


それだけ告げれば体を起こした。鋭児郎の指先が私の体を支える腕に触れたけれど、薬で力の入っていない指先は簡単に剥がせた。


振り返るな。私は敵。彼はヒーロー。

決して寄り添いあうことのない運命。


背中を向けて、玄関先へと向かう。さよなら、私の恋と鋭児郎。この気持ちをここに捨て置いて、虚無だけが待つ真っ暗闇へと落ちていきます。

あなたと過ごした3年間、本当に幸せでした。



助けて、私だけのヒーロー。

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