僅かな一歩
相澤先生の話を聞いて、自分の中にある慢心や油断に気付かされた。お母さんの個性だけでヒーローになってやる。そう決めたのは遠い昔のことで、それ以来氷結の個性の鍛錬は怠らなかった。
だが、それは“戦う”ことが前提での強さだったことに気付かされた。
いつの間にか握り締めていた拳を解いて気付かされた課題と向き合った。
バスに戻ると言われてもしばらく考えていたせいで、少し遅れてしまった。急いでバスへと足を向けると目の前で苗字がふらついた。
「大丈夫か。」
ほぼ初めから苗字の戦いぶりを見てきたが、かなり個性を酷使していたようだし、一人だけ遠距離での攻撃が出来るということで誰よりも頭と体を動かしていたような気がする。
咄嗟に支えた体は想像よりも軽かった。
「だ、大丈夫!」
すぐに苗字は離れて走って行ってしまった。俺の後ろにはちゃんと全員が乗ったかを見届けるために残っている飯田だけがいて、待たせていたことに気付いた。
「悪ィ、待たせてたみたいだな。」
「いや、気にすることはない。しかし苗字くんは大丈夫だろうか。」
「怪我はしてねぇみたいだったし、単純に疲れてんだろ。」
バスに乗り込めば、苗字の隣と峰田の隣が空いているようだった。苗字は疲れ果てて窓にもたれかかっている。先ほど逃げられたこともあるし、峰田の隣に座ろうかと思ったが、檻の中での会話を思い出してまたそういう話題をふられたくないと、自然に苗字の腰掛けた。
苗字はよっぽど疲れているのか、こちらを見ようともしなかった。飯田が全員乗車したことを相澤先生に伝えて、峰田の隣に座ってバスが出発した。
さほど揺れていないように感じたが、窓に頭を寄りかからせている苗字からはゴツゴツと鈍い音が聞こえてくる。
「苗字、痛くねぇのか。」
問いかけてはみたものの、返事が返ってくる様子はない。疲れているだけ、というとはあながち間違いでもなかったようで、ひどく眠そうだったが、寝にくそうだった。
窓に寄りかかっている理由はわからなかったが、このままではたんこぶが出来てしまうんじゃないかと心配して頭を離させようと少しだけ引き寄せたら、反動で俺のほうへと倒れこんでしまった。
俺の戦闘服が引っ張られ、起きたかと心配したが聞こえてきたのは規則的な呼吸でどうやら眠ってしまったようだ。
あらためて、じっと見つめる。
誰かと比べたわけではないが、やっぱりまつげが長い気がする。いつも俺を好きだと紡ぐ唇は今は閉じられて規則正しい寝息をたてていて、静かだ。
普段の騒がしい様子をよく知っているから、戦闘中の真剣な眼差しにギャップを感じた。
最初こそいつも通りだったが、時間が経過するごとに軽口は叩かなくなっていた。口を開けばすぐ俺を呼ぶのに、今日は呼ばれなかった。
意外と公私混同はしないタイプなんだな。
バスが止まって揺れが収まる。扉が開いてクラスメイトはぞろぞろとバスを降りていく。
「ありゃ、名前ちゃん寝ちゃったん?」
「俺が来た頃にはもう半分寝てた。」
麗日が苗字を心配したのか声をかけてくれた。が、後ろをせき止めてしまっていたのをせっつかれてそれ以上会話が続くことはなかった。
「苗字、着いたぞ。」
俺にもたれかかる肩を揺らしてみる。が、起きる気配が全く無い。揺らしても、叩いても、少し身動ぎするだけでさっぱり起きなかった。
俺が立ち上がって更に倒れればさすがに起きるかと腰を上げたが、掴まれた戦闘服が下に引っ張られるだけで立ち上がれなかった。
仕方なくもう一度腰を下ろして、苗字の腕を肩に回して担ぎ上げた。寝ている人間は重いというが、気になるほどではない。
「轟、俺が運ぼうか。」
「いや、俺の服握り締められてて離れねぇんだ。気持ちだけもらっておく。」
背後から障子の声が聞こえてきたが、いかんせん離れないから仕方ない。
座っていた狭い座席から、前寄りの開けた席で一度苗字を下ろした。念のためもう一度揺すってみたが、やはり起きる気配はなかった。
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