それはあまりにも穏やかな罠


私は昔から物静かで淑やかな子だねって言われてきた。表情に考えてることが出にくくて、大人っぽいとも言われてきた。それは高校生になった今でも変わらないらしく、平凡すぎる落ち着いた高校生になった。
友達はある程度いるけど、昼休みは基本的に図書室に居る。図書室の一番奥の人目に付きにくいテーブルが私のお気に入りだ。皆表のテーブルで本を読むし、滅多に奥になんて人は来ないから誰にも邪魔されず本の世界に入り込める。


……はずだった。


いま、私の目の前に居る三白眼が見た目に愛らしい男はきょとんとしながら私を見ていた。しかし一方、私は恐怖に震えながら男を見つめていた。ただの男じゃない。そいつは松野兄弟の一人だったからだ。松野兄弟は六つ子だ。名前は覚えてないけど、顔も見分けとかつかないけど、六つ子だ。松野兄弟に震える理由は六つ子だからとかそんな感動して震えたみたいな穏やかな理由じゃない。彼らは喧嘩にめっぽう強いのだ。しかも人間離れした噂が学校中を飛び交っている。

『目を合わせたら喧嘩売られる。』
『喧嘩したら骨の、1本、2本は覚悟しろ。』
『目をつけられたら終わり(色々な意味で)』
『喧嘩売ったら……【ピー】』

なんせ物騒なのだ。
そんな物騒な噂が絶えない松野兄弟の1人がいま目の前に居るのだ。震えずになにをすると言うのだ。脳内を恐怖に支配されながらもわたしの頭の中はいかに生き残るかを導き出すため必死にフル回転していた。

ここで立ち上がり走り去るのは失礼か。「んだよ俺が来たことが気にくわねーのかゴラァ!」みたいにキレられてTHE END
どうぞ、と私が表の机に移動するのも失礼か。「ふーん、俺と一緒の机にはつけねーってか。ア"ァン?」で、THE END
このまま見つめ返しているのも実は失礼か。いや、でも目を逸らすのも失礼か。
考えれば考えるほど分からなくなって結局行き着く先はすべて人生終了ルート。ああもう無理泣ける。


私がこうしてぐるぐるしている間、男は時折困ったようにそわっとしながら持っている本をぎゅっと握っていた。あ、私の好きな作者さんだ。……じゃなくて。
もう唸りそうなレベルで考え込んでいると、痺れを切らした男の方が控えめに口を開いた。


「あの、相席してもよろしいでしょうか?」
「え!ん"、あ、はい!!どうぞ!!」


ちょっと待って、思ってたより超声が優しい。しかも物腰柔らかい。喉に異物が詰まったような感覚になり変な声が出てしまったが、男が怒らなかったところを見ると私は癪に障ることはしていなかったようで安心した。私の了承を得ると男は私の向かいに座った。
ここからが戦いだよちよこ。いかに平凡に本を読めるかが生死を分けるからな。下手に動くなよ、落ち着けちよこ。
若干本を持つ手は震えている気がするが問題はないと思う。こんなにデンジャラスな読書は初めてだ。


相席し始めて数分後、松野兄弟の1人である男は顔を本から上げて口を小さく開いた。


「あ、あの。……もしかして、僕のこと怖がってますか?」


もしかしなくても怖がってます。……しかも僕?!俺じゃなくて僕なのか……?!怖いのは変わらないけど、なんか図書室来てるし僕だし物腰柔らかいし……ジーニアスっぽい。


「えっと、まぁ、噂とか……色々聞いちゃってるので……。」


私も本から顔を上げて恐る恐る返答すると、男は困ったように少し笑った。


「その、喧嘩するって感じの物騒な噂の大半は長男と次男絡みなんだよね。2人はよく喧嘩するけど、僕から下はあんまり喧嘩とかしないよ。長男と次男に間違えられて喧嘩ふっかけられてやるくらいだから。」
「えっと、三男さん……なんですね。」
「うん。僕は松野チョロ松。あいつらの中だったら一番常識的だと思うよ。」
「な、なるほど。私は梅田ちよこです。家は、一人っ子です。」
「一人っ子かー、なんかちょっと羨ましいな。……あれ?その、梅田さんが今読んでる本の作者さんって……」
「はい!!そうなんですよ、松野くんが読んでる本の作者さんと同じです!この作者さん好きなんですか……?」
「うん!好きだよ!と言ってもまだ手を出し始めたばかりなんだけどね。でも、文体がすごい好きだな。独特で!」
「ですよね!」


……って、なに馴染んでんだよ私!!でも、この作者さんが好きな人を見つけれたのは少し嬉しいかも。どの友達にも理解してもらえなかったから落ち込んでたんだけど……じゃなくて!いいのか。これでいいのか私?!
あ、ちなみに好きな作者さんの名前は『赤塚』さんである。


「あの、その、松野くんってちょっと分かりにくいからチョロ松でいいよ。」
「へ?!あ、」
「あ!!ごめん、馴れ馴れしいかったよね?!嫌ならいいんだ!」
「あ、いえ!!もし松野くんが良ければチョロ松くんと呼ばせていただきます。……私のことも気軽に呼んでください。」
「そ、そっか!!ありがとう!!……その、もしかして、明日も図書室来たりとかする?」
「あ、はい。」
「僕も、来ていいかな?……いや!その!本について語りたいと言うかオススメとか知りたいし!……いい?」
「もちろんです。」


松野くん……いや、チョロ松くんは案外ウブだった。私に視線を合わせながらもキョロキョロと目を泳がせる。耳まで真っ赤にして時折言葉をつまらせながら私に話しかけるのだ。服装もきっちりしていてたまに喧嘩すると話してくれたけど、そんな風には到底見えなかった。


「じゃあ、明日。」
「うん、明日ね!」


昼休みが終わる頃には私の恐怖の8割は消えていた。残りの2割は警戒心だ。いい人だけど、松野兄弟という得体の知れないものへの警戒は忘れてはならないぞ、というなけなしの理性から生まれた警戒心だ。友達から「あんたはいい人すぎ。何処ぞの田舎のおばあちゃんなの?現代を生き抜くには警戒心持ちなさい。」と言われたのを思い出してのことだ。




友達に、仲良くなったチョロ松くんと明日も会うの。って話したら、きっと青い顔して必死に止めてくるだろうし、図書室にも行っちゃだめって言われるだろうから私だけの秘密にしておこう。

何故か、お母さんに悪戯を隠している子供みたいな気持ちになってクスリと笑ってしまった。私は、今までにないドキドキとワクワクでいっぱいだった。



これはきっと、神様が私の人生を変えるために仕掛けた穏やかで優しい罠だったのだろう。
チョロ松くんと図書室でもう一度会う約束をした時点で私はきっと、神様の思惑通りその罠にまんまと引っ掛かってしまっていたに違いない。



20160330

- 1 -

prevnext

ALICE+