純黒3


 地上の動きを見張れ。ガヴィへの指示はそんなものだった。
 東都水族館を訪れるのは二度目だ。ジンと訪れた時はやや高飛車のイメージで変装していたが、念には念をということで、今回はガラリと雰囲気を変えた。
 題するならば、一般的なOLの休日。「高いところが苦手なので、観覧車に乗りにいった友人を休憩がてら待っている」という言い訳が難なく通る装いだ。ウィッグやマスクは使っていないが、ヒップホルスターにはしっかりとグロッグが仕込んである。
 筋書きはこうだ。まずパーク内に停電を起こす。名物の二輪式観覧車は、キュラソーを乗せたまま停止するだろう。暗闇に乗じて、ジンたちが空からキュラソーをゴンドラごと回収する。ジンの気分次第で観覧車が爆破される可能性もあるが、キュラソーが回収出来たら爆破の必要もないだろう。爆発なく終われば、爆薬の回収もガヴィの仕事になる。
 地上で控えるガヴィは、キュラソーが観覧車に乗らなかった場合の保険も兼ねている。だが、もしそうなってもガヴィ一人でどうにか出来る案件ではない。せいぜい、後を尾ける程度である。
 髪で隠したインカムからは、ジンとベルモットのやり取りが聞こえている。キュラソーは公安の男とともに観覧車に乗ったので、ガヴィの仕事はほとんど終わったようなものである。 

『キュラソーが収容可能エリアに入ったわ。頂点到達まであと二分、そろそろ始めていいんじゃない?』
『ウォッカ、アームを出せ』
『了解。ハッチオープン』

 ファミレスからサポートしているベルモットが言う。すぐに、ジンとウォッカの楽しそうな声がした。
 自動販売機で買ったアイスコーヒーを誤魔化すように飲む。ガヴィには大きな鴉の姿は見えない。見上げる観覧車は、のろのろと回る。五色のビームライトが左右へ行ったり来たりするのを、なにとなしに目で追うが、電飾で彩られている園内は、ガヴィの目に優しくない。
 インカムから、ベルモットのカウントダウンが聞こえた。『ゼロ』と同時に、園内は闇に包まれる。旧施設である水族館は電気系統が別らしく、唯一明かりがともっていた。混乱するパークにて、変わらぬ顔で陽気に輝く水族館は、不気味に浮いている。
 ガヴィは混乱を装って右往左往しながら動き出した。

「落ち着いてください!走らないでください!」
「ゆっくりと誘導に従ってください!」

 一般客に混じり、係員の指示に従う。客は、広場や、電気が生きている水族館に集められていた。ガヴィも不安な表情を浮かべて、水族館の方へ向かう。人にぶつかり、段差に躓きながら、少しずつ進む。視界の利かない人混みの中で自由に動けという方が無理な話だ。表情や心境はともかくとして、ほとんど演技ではなかった。

『兄貴、キュラソーが乗ってませんぜ!』
『何……!?』

 水族館前までたどり着き、問題の観覧車を見やる。相変わらず暗いせいで何も見えないのだが、何か、予定にない音が耳に届いた。派手な破壊音に、パーク内にいる人々の視線が観覧車に集まる。
 ベルモットの焦った声がする。ガヴィには全く見えないのだが、インカムから聞こえるやり取りによると、一度は確保したゴンドラを捨てたらしい。思い切りがいいにもほどがある。

『キュラソーが消えた。作戦変更だ、キュラソーを始末する』
『せっかちねえ。まだ彼女が裏切ったとは』
『ゴンドラから離れた訳、逃げた以外に考えられるか』

 上機嫌が一転、ジンの声が低くなる。ウォッカにキュラソー捜索を命じたジンは、キャンティとコルンにも続けて指示を出した。その内容から、彼のやろうとしていることが想像出来る。
 流石に黙っていられない。ガヴィはスマホで電話を掛ける振りをしながら、インカムに触れた。ガヴィが口を開く前に、ジンから名を呼ばれる。

『ガヴィ、お前は観覧車に向かってキュラソーを見つけ出せ。可能ならば始末しろ』
「時間は」
『弾の準備が終わるまでだ』
「こんなところでぶっ放したら空自が来る」
『キュラソーを殺せると?』
「……分かったよ」

 ガヴィがキュラソーを見つけられなかった場合。あるいは、殺せなかった場合。ジンは鉛玉を降らせる気満々らしい。
 キュラソーの実力は知っている。正面切って喧嘩を売って、勝てる相手ではない。負けるつもりも毛頭ないが、良くて相打ちだ。そうするとガヴィには、銃撃されている中を脱出するというミッションが追加される。ジンは敵にも味方にも優しくないのだ。
 こうなってしまえば仕方がない。ガヴィは客の動きに逆らって移動を始めた。ぶつかって躓いてを繰り返し、人混みを抜けると、一つため息をつく。動きやすい格好なのは当然だが、キュラソーと対峙する可能性があるのなら、もっと色々仕込みたかった。
 動きながら脱いだカーディガンに、わずかに残っていたコーヒーをこぼす。さりげなく、それぞれをゴミ箱に突っこんだ。カモフラージュで持っていたショルダーバックは、人混みの中に放置している。この混乱だ、スリの残骸にしかならない。

「お客様!水族館の方に、」
「観覧車に並んでた友達を探してるんです!」

 スタッフに声をかけられ、そう言い捨てて駆けだした。客の誘導という仕事があるスタッフは、ガヴィを追いかけてくることはしなかった。たとえ追いかけてきたとしても、追いつけはしなかっただろう。
 観覧車近くには、警察関係者の姿がある。様子を見る限り、まだキュラソーは観覧車の内部にいるらしい。探す範囲が狭いのは何よりだ。爆薬を仕掛けるために一度侵入しているので構造は分かる。暗闇の中、音の反響を頼りに動けるとはいえ、入り組んだ観覧車内部を駆けるのは気が進まないのだが。
 不測の事態に連絡を取り合う警察官の隙をついて、音を立てずに観覧車の内部へと入り込む。効率の悪いことはしたくない。観覧車内部を熱で探っているらしいウォッカにあたりをつけてもらおうと思ったのだが、観覧車内部には複数の人影があるらしい。
 駆けだしながら、インカムに触れる。

『チッ。起爆装置が解除されてやがる。ガヴィ、弾丸の雨まであと一分だ』
「Yes, sir. とりあえず見つけるから、手当たり次第に銃撃するのは止めてくれ」
『てめぇなら逃げきれるだろ』
「嫌な信頼だ」

 ガヴィは銀髪めがけて、キャットウォークから飛び降りた。
 カァン!と綺麗な着地を決めたガヴィに、キュラソーが息を飲んだのが分かった。しっかり記憶が戻っているらしいキュラソーは、何かを自分の背後に隠し、臨戦態勢に入る。
 
「ジンだけじゃなく、貴女まで出て来ていたなんて。大層なお迎えじゃない」

 余裕を装ってはいるが、彼女らしくもなく焦っているのが分かった。背後に隠した存在のせいだろう。誰かは知らないが、キュラソーは何者かをガヴィから庇いたいらしい。

「帰るよ、キュラソー」
「……私は、帰らないわ」

 この瞬間、キュラソーはガヴィにとって、ただの敵に成り下がる。その意味をキュラソーもよく知っているはずだが、迷いはないようだった。
 
『あと三十秒。さっさと片をつけろ』

 上空からしっかりガヴィの動きを見ているらしい。応答する時間も惜しく、ガヴィはグロッグを抜いてワンタッチのサイレンサーを装着した。
 
「行って!!」

 発砲音と同時にキュラソーが叫ぶ。
 狂いなく頭を狙った銃弾は、銀髪をかすめることしかできなかった。キュラソーには、ガヴィの手の内が半分以上ばれている。躱されるのは想定内だった。
 ガヴィは舌打ちをしつつ、突っ込んできたキュラソーに再び発砲する。スピードが緩んだ隙にグロッグをホルスターに押し込むと、浅く息を吸った。
 振りぬかれた脚を腕で受け、顔を狙う拳をしゃがんで避ける。股をくぐるように背後へ回り込むと手すりを足場にして跳び、キュラソーの頭部へ膝を入れた。パン、と乾いた音がして防がれる。そのまま空中で体をひねり、反対の足を振り上げる。手ごたえはない。落下しながら床へと手を伸ばすが、風を切る音がして防御に切り替える。鋭い蹴りが鼻を直撃するのは免れたが、受け身を取りながら数メートル転がる羽目になる。
 体勢を直す間もなく鳩尾に拳が入るのと、耳元でカントダウンが終了するのは同時だった。




 銃撃音が止む。観覧車は穴だらけになり、見るも無残な状態だ。
 気を失っていたのが嘘のように――事実、気を失ってなどいなかったガヴィは、機敏な動きで起き上がった。
 下手にやりあって長引けば、しびれを切らしたジンから嫌がらせ――一番可能性が高いのは、"流れ弾"が当たること――を受けそうだと判断して気絶したフリをしたのだ。数十秒でキュラソーに止めを刺せるわけがない。自分の獲物だと意地になった挙句に撃たれるくらいなら、適当なところで引いたほうが身のためだ。
 キュラソーがご丁寧にガヴィのインカムを踏みつぶし、銃の弾倉を抜いて放り捨てていたことは、音から察していた。ガヴィはインカムの残骸、捨て置かれた弾丸、加えて仕事を放棄しかけている耳に舌打ちをした。
 銃撃が止んでいるということは、きっちりキュラソーを仕留められたということだろう。本当ならば死体も回収してしまいたいが、園内にいるのは己だけだ。一般人も警察もうようよしている中を、死体と共に行動するのは危険すぎる。ここは諦めるしかない。
 ガヴィは、銃の入っていないホルスターや靴の底や下着の中などから、部品を取り出して手早く組み立てる。出来上がった銃をホルスターに押し込んで、一度伸びをした。
 キュラソーを始末した今、観覧車に仕掛けた爆薬は用済みだ。さっさと回収して撤退したい。爆薬回収の前に、爆薬用のボストンバッグを回収しなければ。
 ――ダダダダダダ!
 駆けだしてほんの数秒で、なぜか再び銃撃が始まる。

「弾の無駄遣いだ」

 吐き捨てた言葉は銃撃音にかき消される。ガヴィを狙ってこないあたり、日頃のうっ憤晴らしではないようだが、これでは爆薬の回収が出来ない。
 何のつもりなのだと眉を寄せ、ため息をついた。解体されていた起爆装置、観覧車内部の複数の人影、未だ回収できていない爆薬。ジンの考えることなどすぐに分かった。
 観覧車に入り込んでいる人物の始末であれば、ガヴィにも難しくない。もしかしたら、ジンも一度はガヴィに連絡を取って、それを命じたかもしれない。残念ながら、インカムは踏みつぶされている。
 ガヴィには、また新たにミッションが追加される。車軸の破壊が進んでいる崩壊寸前の観覧車から脱出することだ。ジンが観覧車を破壊することで警察関係者を始末するというのなら、ガヴィが残る意味もない。爆薬回収の為に内部に入り込んだのが仇になり、脱出の難易度は高そうだ。
 脱出に向けて動き出していると、予期せぬ爆音がした。内部ではない、観覧車の外だ。紅い光が入り込み、その威力を察する。まさかジンの乗るヘリが墜落したのか。外を窺える位置まで移動するが、目に入ったのはヘリの墜落よりも信じたくない光景だった。

「攻撃されてる……?」

 花火だった。眩しさに目がくらんだが、その音と、辛うじてわかる彩から、花火であると判断するのは簡単だった。
 あたり一帯を照らしてしまうほどの威力を持った花火は、夜空に鴉のシルエットを映し出す。不測の事態には慣れているが、ありえない、と引きつった笑みが浮かんだ。組織幹部としてあり得ない失態だ。
 加えて、狙撃音。
 花火の爆音に紛れていたが、銃声を聞き逃す真似はしない。銃弾は、ヘリのモーターをピンポイントで破壊する。火花が散り、ヘリのバランスが崩れる。墜落も時間の問題だ。
 こんな変態じみた狙撃をする人物を、ガヴィはたった一人だけ知っていた。
 ――今からぼくが殺しに行くから、さっさと撤退しろ!
 インカムがあれば、そう叫んでいただろう。銃撃が未だやまないせいで、ガヴィはその渦中に突撃できない。

「日本に来るんじゃなかった」

 ガヴィの撤退完了よりも、車軸が破壊される方が早かった。ガヴィが残る方のホイールが外れ、園内の横断を始める。ありがたいことにホイールは非常に頑丈で、外れた衝撃でへしゃげることもなく、元気に転がる。
 観覧車内部の階段やキャットウォーク、破壊された外装などを上手く使い、観覧車内部で身を守る。まるでハムスターだな、と自嘲した。
 観覧車がどこに突っこもうが知ったことではないが、タイミングを見計らって離脱しなければ、警察に見つかるリスクが上がる。外部をうかがいながら回し車を駆けていると、突然スピードが緩んだ。転がった方向から推測するに、水族館にでも衝突したのだろう。
 付近は開発中エリアだ。人気もなく、身を隠すのに丁度いい。
 そして見下ろした先に、暴走する重機を認めた。




「まさか、キュラソーが裏切るなんてね」

 傷だらけで座り込むキュラソーに、そう言葉をかける。
 止まらない観覧車に重機をぶつけていたキュラソーは、重機ごと潰されることなく脱出できていた。そのまま身を隠せれば良かったのだが、ジンの銃撃で体力を削られ、逃げる時に骨折もしているらしいキュラソーには出来なかった。人目のないところまでは移動できても、こうして、ガヴィに見つかっている。
 銃口を向けながら、ガヴィは既視感に眉を寄せていた。抵抗の意志なく満身創痍で座り込む人間、銃を向ける自分。嫌な感じだと思いながらも、人を殺すことなど珍しくないので、ため息をついて既視感を追い出した。

「珍しいわね。無駄話?」

 問いかけてくるキュラソーの声は、聞いたこともないくらい柔らかい。キュラソーとガヴィとしての付き合いの中では、一生聞くことがなかっただろう。キュラソーであることを捨てた彼女は死を前にしているというのに、清々しいと言わんばかりだった。
 キュラソーとガヴィは、それなりに付き合いがあった。ラムに拾われたキュラソーに対して、教育係のような役割を負っていた時期もある。だからこそ、余計に理解できないのだ。己と似たような思考回路をしているはずのキュラソーが、裏切るなど。

「これでも、キュラソーのことは信頼してたんだ」
「……ええ、知っているわ。けれど、それでも銃口に迷いはないのね」
「当然だろ」

 これから殺す人間を相手に無駄口をたたくということが、何より、ガヴィの心境を現していた。ガヴィは自覚しつつ、キュラソーもそれを察しつつ。けれど、見逃すことはしないし、キュラソーも命乞いはしなかった。
 キュラソーが、まるで恐れるようにガヴィを見上げてくる。優しい声をしているくせに、目だけは正直だった。

「裏切り者には容赦ないものね、貴女。さすがよ、ぶれない。本当に化け物ね」
「色々叩き込んであげた恩を忘れたの?」
「ありがたいわよ。私は最期に、きれいな色を見られたから」
「そう。……じゃあね、おやすみシンデレラ」 

 ガヴィは、握っている銃が頻用のデザートイーグルでないことにどこかで安堵していた。


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