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 高校三年生を無事に終え――事件に巻き込まれつつであったので、出席日数はぎりぎりだった――大学に入学した工藤新一は、毛利小五郎に弟子入りしていた。かつての安室のポジションに収まったのである。
 毛利小五郎と工藤新一を比較すれば、探偵として工藤新一が優れていることは明白だ。周囲に怪訝な顔をされ、小五郎には邪険にされつつも、新一は弟子入りを撤回しなかった。それは小五郎の元刑事としての良さを知り、自らの足と目で人と関わりながら操作をする様子に少なからず心を打たれたからである。いずれ父親と呼ぶ人物との確執をなくすためではない――なくなればいいな、とは思っている。
 詳しくは割愛。

「妻を探していただきたいのです」

 ある日、事務所にやって来た依頼人はそう言った。
 流暢な日本語でオリヴァー・トムソンと名乗った男性は、ひどく憔悴した様子だった。肩を落として俯きがちに話をする。外国人らしい堀の深さも相まって目元の陰が不気味だ。
 小五郎は明らかに引き気味で応対しているし、小五郎の後ろに立って様子を見る新一も、思わず頬が引きつった。

「え、えーと……奥さんは家出でもされたんですか?」
「分かりません。突然連絡が取れなくなったので心配で」
「お住まいはどちらなんですか?」
「カリフォルニア州のサンディエゴです。妻は日本人でして……連絡が取れなくなる前、日本に帰りたいというようなことを言っていましたから、もしや、こちらにいるのではないかと思ったのですが」
「それでは奥さんの実家に連絡を取ればいいのでは……?探偵の出る幕ではないと思いますが」
「出会ったのは日本だったのですが、その、駆け落ち同然でして……。私は妻の実家の連絡先を知らないのです」
「ははあ……」

 トムソンは鞄から、小切手を取り出す。前金だと言って見せてきた金額に、小五郎の目が輝いた。
 新一は俄然意欲を見せ始めた小五郎に乾いた笑いを漏らし、改めてトムソンを観察した。
 ラフな格好をしているが、どれも質がいいことは見ればわかった。新一は裕福な家庭の出であることもあり、目が肥えている。どこかサイズ違いに見えるのは、トムソン自身が痩せたためなのだろう。
 駆け落ちで一緒になった妻を探しに日本までやってくるくらいである、相当入れ込んでいるのだろう。提示された金額からも明らかだった。

「奥さんのお名前は?」
「真衣です。旧姓は米牧、米牧真衣です」
「写真などは?」
「これです。撮られるのが嫌いでしたので、まともに写っているのはこれくらいで……」

 トムソンが手帳に挟んでいた写真をテーブルに置いた。新一はソファの後ろから、背伸びするようにして覗く。写真は中途半端に縦長で、携帯で撮影したものを印刷したとのことだ。
 どこかのベンチに座って、アイスを食べる若い女性が写っている。背景に写り込んでいる人の様子や看板の文字から、日本であることが分かる。駆け落ちで渡米したというのなら、これは出会ってすぐの写真なのだろう。
 写真は正面から撮ったものだが、女性は手元のアイスに視線を落としているのでカメラの方は見ていない。長い黒髪とはっきりした目元、色は白く、美人の部類に入るだろう。大和撫子という言葉が似合いそうな女性だ。外国人が気に入るのも分かる気がした。

「奥さんの年齢は?」
「今二八歳です。出会ったのは五年前……妻は二三歳、私は三〇歳の時でした。恋人に振られたという彼女と偶然出会い、一目惚れでした。彼女が私のアタックに折れてくれた形になります。ええ、私は本当に妻を愛しているのです。それが彼女にもきちんと伝わったのでしょう」
「この写真はいつ頃のものですか?」
「渡米する前ですので、五年前になります。まだ写真嫌いだと知らなかったので、思わず……。ベンチが混んでいたもので、歩き疲れた彼女だけを座らせて、正面からシャッターを切りました。嫌いだと知ってからは、撮らないようにしていました。ずっとそばにいるのだから、写真などなくてもいいと言われて納得したのですが……こんなことになるなら、沢山写真を撮っておくべきでした」

 話しながら、トムソンはどんどん背負った空気を重くしていく。重い石を何個も背負ったように背中を丸め、地面にめり込んでしまいそうなほどの落ち込みようだった。一目ぼれして駆け落ちまでした妻の行方が知れないのだから、分からなくはない。
 新一はコピーを取るために写真を預かる。手に取ったそれを改めてじっくり眺めた。
 トムソンが「混んでいた」といった通り、真衣の隣には別の女性の姿がある。真衣と間を空けて座っており、ピンクのカーディガンを羽織っていることが分かる。黒髪を編み込んでまとめており、顔は切れて写っていない。
 実は隣の女性と出かけていただけの他人――撮影のシチュエーションだけならば盗撮かと疑うが、トムソンの証言と様子に嘘は見られない。

「写真、ありがとうございました。お返ししますね」
「ああ、いえ。ええと、それで妻は……」
「この毛利小五郎が、探し出して見せましょう!」

 明らかに金につられている小五郎である。小五郎の下心に気付いていないのだろう、トムソンはやつれた表情を輝かせた。不安は残っているが安堵した表情で、目元に涙も浮かべている。
 とても演技とは思えないその表情を見ると、依頼を成し遂げなければ、という思いが強くなる。
 小五郎の手を握って頭を下げるトムソンは、英語混じりで感謝を述べていた。

「……けど、なんだ?引っかかるな……」

 オリヴァー・トムソンの妻だという彼女。日本人としては珍しい容姿ではないので、見覚えがあるような気がするのも仕方がない。が、気のせいだと流す訳にはいかない。些細なことが思わぬ手掛かりになるのは身をもって何度も経験している。
 依頼人の羽振りの良さに浮かれている小五郎には悪いが、何か、厄介な依頼に思えてならなかった。



 オリヴァー・トムソンの妻、真衣の捜索は芳しくなかった。情報量が少ないことも原因だ。分かっているのは容姿と名前のみで、出身や通っていた大学さえ分かっていないのだ。トムソンの一目ぼれで口説き落とし、そのまま渡米。下手をすれば誘拐である。
 広い工藤邸にて一人暮らしをする新一は、インスタントのコーヒーに口をつけながら写真のコピーを眺めた。
 何か引っかかる。見覚えがあるような、ないような。

「んー……?コナンの時に会ったことあんのか……?」

 コーヒーを飲み切ったと同時、玄関のチャイムが鳴った。
 土曜日の朝八時。今日は特に来客の予定はない。とすると、幼馴染であり師匠の娘であり自分の食事の面倒を見てくれている蘭である可能性が一番高い。蘭であれば合鍵を持っているので、新一が応答せずとも上がってくるだろう。
 そう考えて呑気に二杯目を淹れていると、案の定、リビングに足音が近づいてくる。

「あ、新一おはよう。今日は早かったんだね」
「おー。事情聴取で警視庁に呼ばれててな。どうかしたか?」
「べっつにー。ちょっと買い物に付き合ってもらおうかと思っただけ。事件のことなら仕方ないね」
「……。事情聴取のあとなら構わねーけど?ボスからのお使いか?」

 新一が問いかけた途端、蘭の空気が一変する。どかりとソファに腰を下ろして足を組み、気だるげな空気を隠さない。
 蘭は、どこぞのショップの限定品を手に入れるため朝早くから園子と出かけている。それを彼女が調べていない訳はないし、正体を誤魔化す気もないようなので、新一は仕舞っていた灰皿をテーブルに置いた。そのまま向かいに腰掛けて、コーヒーをすする。
 
「彼の人使いの荒さ、どうにかならないかしら?」
「先に声戻してくれよ、ベルモット」

 ついでに顔も戻してほしい。煙草に火をつけるベルモットに違和感はないのだが、蘭が妖艶な雰囲気で煙草を吸っている様子はあまり見たいものではない。
 ベルモットは声だけを自分のものに戻して、ウィッグの毛先をくるくる指に巻いていた。
 かの組織の幹部であったベルモットは、大規模作戦より少し前からコナンら側について動き、作戦後は公安の――というよりは降谷の部下になっていた。女優という表の顔があり、協力者であったとはいえ、組織の重要なポジションにいたことは変わりなく、犯罪者であることは覆らない。司法取引は揉めに揉めた。新一は嘆願したのみで、実際の取引には関われなかったが。
 
「日本にはあなたたちがいるし、比較的平和だからのんびりできると思っていたのに、あの男は……結局日本にはあまりいられないし」
「どこ行ってたんだ?」
「ちょっと調べ物をしにね。私をこき使った腹いせに、帰国してまずあなたに会いに来たってわけ」
「俺に教えてくれるわけじゃねーんだ。つまんね」
「あなたが首を突っ込むべき案件ではないもの。それで?事情聴取は何時ごろ終わる予定なの?」
「あ、買い物って本気?報告は?」
「心配しなくても、あなたを思う存分着飾った後で行くわよ」
「はあ?俺かよ」
「迎えに行ってあげるから、そのまま出かけましょ」

 蘭のままで歩くつもりはないらしい。ベルモットはよほどその仕事でストレスが溜まっているのか、ソファに背をあずけて脱力したままだ。珍しい姿に、降谷がどんな無茶振りをしたのか気になってくる。
 しかし、彼女とて非常に優秀な人間だ。それなりの備えをしなければ情報を引き出せはしないだろう。そもそも、もう敵ではないので必死こいて探る必要もない。
 ここで言い合っても徒労に終わりそうだ。そう判断してベルモットの任務についての追及を諦める。

「依頼も煮詰まっているんじゃない?あなたも気分転換になるわよ」
「お見通しかよ」

 ベルモットに探偵の依頼について話したことはない。もちろん、トムソンの件も。
 ベルモットは、新一がテーブルに置いた写真のコピーを示した。

「記憶力のいいあなたが、彼女でもない写真を持ち歩いている。よほど何か引っかかることがあり、でも本人に確認が取れない状態であると推測できるわ。顔の写っている写真を受け取り、しかし被写体と接触は出来ず、違和感から手放せない。……尋ね人に心当たりはあるがそれがなんなのか思い出せない、と考えるのがシンプルよ」
「まあ、そーだろーな。ちなみにベルモットは見覚えないか?」
「さあ」

 ベルモットはちらりと写真を見たが、何も言わずに煙草をくわえた。何となく含みのある様子に、新一はじとりと幼馴染の顔をした女を見据えた。



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