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 新聞にデカデカと掲載された、宝石の写真と気障な英文のメッセージカード。折角の大粒の宝石も、白黒写真ではその美しさが伝わらない。真っ白のシルクのクッションに座る灰色の宝石は、この度展示されることになったエメラルドだ。
 エメラルドは、衝撃や圧力から石を守るため、エメラルドカットと呼ばれる加工が一般的である。ダイヤモンドでよく用いられるブリリアントカットよりも面が少なく、エメラルドそのものの色と透明度を楽しむためのカット法だ。
 それに対し、話題のエメラルドはペアシェイプブリリアントカット。ドロップカットとも呼ばれる雫型である。

「個人所有やったエメラルド……"オアシス"。エメラルドの宝石言葉は恋愛成就とか、愛を誓うとか、やったか」

 大学の食堂で新聞を広げているのは、元・西の高校生探偵の服部平次。新一と同じ大学に通う平次は、関西ではなく関東住であり、高校生ではなく大学生だ。上京が決まってからは「西の高校生探偵っちゅー肩書ともおさらばやわ」とケラケラ笑っていた。
 メディアがこぞって取り上げているのは、平成のアルセーヌルパンこと怪盗キッドの犯行予告である。"オアシス"は来週から、ロサンゼルスでの展示が決まっている。ロサンゼルスでの展示期間後、日本での展示も決まっているにも関わらず、キッドは米国で犯行に及ぶらしい。
 服部が記事を読み上げるが、新一の目が輝くことはない。予告状が公表されてから数日経っている。流石に聞き飽きたのだ。

「"オアシス"っつーのは、宝石言葉じゃなく大天使の方だ。大天使ラファエル……アザリアス、イスラフェル、ラビエルとも言うけど、そのエンジェルカラーがエメラルドグリーンだから、そこに引っかけたんだろ。癒しの力があると言われているからな」
「キッドキラーやっとると、宝石の知識まで求められるんやもんなあ」

 新一は頬杖をついて、付け合わせのキャベツを口に突っこむ。細く整った千切りは中々歯ごたえがいい。毎日大量のキャベツをスライサーにかけていると言ったのは、講義の時に隣に座っていた食堂のアルバイターである。

「バーロ、キッドキラーはコナンだ」

 怪盗キッドと江戸川コナンはライバル関係にあった。今は怪盗キッドと工藤新一という図に変化しているが、中身が全く変わっていないのは一部の人間のみぞ知る。
 新一にとって気障な怪盗は、良きライバルで、実力も認めており、時には協力することもあった不思議な関係だ。お互い容赦はしない、必要ない。
 だからこそ新一は、なし崩し的に怪盗キッドの正体を知ったことが非常に不満だった。
 かの組織と全面抗争するにあたり、怪盗キッドは新一らに手を貸した。その際、作戦前後のフォローをしてほしい、とキッドは自ら正体を明かしたのである。キッドが一男子高校生であることは、コナン(新一)、灰原哀(宮野志保)、服部平次、赤井秀一、降谷零、他数名が知るところとなった。
 自分の推理ではなく成り行きでキッドの正体を知ってしまったことを、新一は未だ根に持っている。

「で?どーすんねん工藤。ロスまで行くんか?」
「行かねーよ、なんで日本を出てまで男追わなきゃなんねーんだ。日本での展示まで待てなかったのかよ、アイツはよ……」
「工藤のこと待っとったりしてな。今は五月、工藤は五月が誕生日、エメラルドは五月の誕生石、やろ?」
「やめろよ気色悪ぃ……」
「そ、そんな睨みなや」

 新一自身も、服部と同じことを考えていたのだ。
 誕生日を祝うだけではなく、おそらくお互いの快気祝いも含まれている。さらに、元の姿に戻り、問題なく生活できている新一へ向けた宣戦布告でもある。
 そうでなければ、あの気障な怪盗のことだ、エメラルドの盗みは六月になるまで待っただろう。エメラルドは愛の石、ジューンブライドに引っかけそうなものである。
 しかし、ロサンゼルスまで追いかける気はない。

「ま、ともかく。元気そうで何よりやん」
「そりゃあな。一番大怪我だったし、」

 新一の隣に、まだ温かい昼食が置かれる。椅子に置いてあった荷物は断りなく持ち上げられ、新一の背と椅子の背もたれの間にねじ込まれた。

「私たちの中で、最も実戦経験が豊富であるという自負があったのよ」

 大女優と世界的小説家を親に持つ探偵である新一は、まだ遠巻きに見られていることが多い。本人の容姿がすこぶる整っていることも一因だろう。そんな新一に遠慮なく声をかけてくるのは、正面の服部平次の他に一人だけ。
 江戸川コナンが相棒と呼んだ灰原哀。彼女は、宮野志保に戻っても工藤新一の良き相棒である。

「復帰の舞台がロスなんて、派手好きの彼らしいんじゃない?」
「よう宮野」
「こんにちは、探偵コンビさん」
「ちっこい姉ちゃ、やなかった、姉ちゃんは今から昼飯か。一人なん珍しいやんけ」

 新一と服部は在籍が異なるため、講義で顔を合わせることは少ない。大学院の一年生である宮野と顔を合わせることはゼロだ。
 宮野は天才科学者の名に恥じない学歴を持っており、阿笠博士の勧めで大学に通うことを決めたものの、学部からやり直す気はないと大学院に入学したのだった。阿笠は、研究室に所属してしまえば同年代の友達が出来ないのではと少々心配していたようだが、宮野は無事に友人を得ていた。
 宮野はどことなく疲れた様子で――普段から活発な方ではないので、いつも通りとも言える――手を合わせた。付け合わせのキャベツだけではなく、サラダバーで海藻類や根菜を盛り付けてあるプレートは、健康に気を遣う宮野らしさがあった。

「お互い研究があるから、時間が合わないこともあるわよ。あなたたちは?午後の講義まで、あまり時間ないんじゃない?」
「俺、今日の午後イチ空コマ」
「俺もや。教授が出張らしいわ」
「暇だからって事件を呼ばないことね」
「頼むで工藤」
「俺かよ」
「私、まだこの大学で殺人事件が起きていないことには驚いているのよ」
「俺だって好きで出くわしてる訳じゃねーっつの」
「そやけど、おっちゃんとなんや依頼で出かけたら、割とあるんやろ?殺人」
「……全部が全部、そんなんじゃねえ」
「当たり前でしょ、何言ってるのよ」
「今工藤が抱えとる依頼も、どーなるか分からんやろ?あ、姉ちゃん知っとるか?」
「知らないわ」
「人探しや、人探し。けど手がかり全然ないらしいで。工藤がお手上げなんやったら、依頼人の狂言か、探す相手がもう死んでもとるかのどっちかやろ」
「後者を否定できないのが辛いわね……」
「勝手に殺すなよな!……おっちゃんから話聞いた蘭が、すげー乗り気なんだよ。ドラマみたいだって」
「なるほど?格好つけのあなたは、白旗を上げるという選択肢がないのね」
「ほんま、あの姉ちゃんに弱いのぉ!」
「服部、それブーメランな!」

 やっぱりガキね、と宮野が肩をすくめる。やっぱりという言葉の意味を問い詰めたいが、ムキになればなるほど呆れて笑われるのだ。経験として知っている。

「あなたたち。探偵業にせいを出すのもいいけれど、ちゃんと彼女にも構ってあげなさいよ?いつも大人しく待っていてくれると思わないほうがいいわ」
「余計なお世話だ、つか、オメ―もあいつら構ってやれよ?歩美が会えないってしょげてたぞ」

 子供たちは、哀のいなくなった阿笠邸に、今まで通り遊びに来る。灰原哀の親戚である宮野志保に構ってもらうのも、目的の一つなのである。
 コナンの遠縁として子供たちに接する新一は、宮野に会えないという子供たちの不満を聞いていた。院生として研究室に所属する宮野は帰宅が遅くなる日が多いため、子どもたちと会うことが難しい。
 たまにはあの子たちと予定を合わせようかしら、という宮野は、とても楽しそうである。騒々しさを嫌う彼女だが、にぎやかに過ごすことを厭う訳ではない。

「また、キャンプに行くのも悪くないわね。あなたたちもどうかしら。蘭さんや和葉さんも」
「毎月行ってたもんなあ、懐かしい」
「俺も混ぜてくれるんか!ええやん、楽しそうやんけ。とりあえず工藤、事件呼ぶなやー」
「俺に言われてもどうしようも――」

 ポケットにいれていたスマートフォンが、連続して震えた。どうやら着信らしい。新一は会話を中断して、スマートフォンの画面を確認する。表示された名前に急いで席を立ち、外へ向かった。
 ――降谷 零 からの着信です――
 新一は、少しの高揚と緊張感を自覚しながら、通話ボタンをタップした。

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