6-1


 取調室の小窓の前で、元犯罪組織の幹部が顔をそろえていた。
 情報収集能力と洞察力に秀で、探り屋としてのし上がったバーボンこと安室透、こと降谷零。
 七〇〇ヤード先でさえ撃ち抜くという凄腕スナイパーで、"組織を倒すための武器(シルバーブレッド)"と言われたライこと諸星大、こと赤井秀一。
 高度な変装技術であらゆる場所に溶け込み、百の顔を持つ魔女と称されたベルモットことクリス・ヴィンヤード。降谷の"おつかい"から戻り、その足で訪れていた。
 取調室の中では、彼らの元上司とも言えるオールマイティーな凶悪犯がパイプ椅子に座っている。

「……ガヴィね。どこからどう見ても彼女よ。何も話さないんですって?」
「ああ。うめき声すらない。俺達を見ても無反応だ」
「薬は?」
「効果なし」
「アレはやったの?脳波の……」
「脳指紋検査ならやった。幸い、MERMERが確認され、あの腑抜けた人形はガヴィであると断定された」
「それはなによりね」
「……ところで、ベルモット」

 降谷は取調室から視線を外し、背後にたたずむ大学生を見やった。

「なぜ新一君がここにいるんだ」

 新一とて、ガヴィの状態が気にはなっていたが、無理やりこんな近くに来るつもりはなかったのだ。
 降谷に米牧真衣のことを尋ねようとしたがかわされてしまい、ならばとベルモットに連絡を取った結果、なぜか拉致された。ガヴィのセーフハウスに行っていた、という言葉に驚いていると、あれよあれよと言う間に取調室の前である。
 米牧真衣の件は、ベルモットの「あら、やっと気づいたのね」の一言で終了してしまった。なんとなく、彼ら(降谷やベルモット)も情報を持っていないのだろうとは察している。 

「お土産、彼にも確認してもらいたかったから」
「……本音は?」
「気づかないところで首を突っ込んでいるより、目の届くところにいてもらった方が良いでしょ?」
「まあ、以前もボウヤには助けられているんだ。そう目くじらを立てることでもないだろう」
「あのなあ……!俺は、新一君をこんっな危険なヤツに近付けたくないんだよ」

 新一は、三人が小声で話している後ろで居心地悪く立っていた。コナンならば警察関係者に広く顔が利くが、新一の人脈はそれほどではない。何度怪しげな視線をもらったことか。だが、そんなことで挫ける新一ではないのだった。
 新一はベルモットから預かった鞄を片手に、大人三人の会話に割り込む。

「それで、どうするんですか?取り調べ」

 降谷がピッとベルモットを指さした。

「戻って来たならベルモットにも一度会わせておきたいんだ」
「私に死ねと?」
「武器は持っていないし、監視も付いている。もしガヴィがベルモットに反応したとしても、何も起こらないさ」
「ちゃんと私を守りなさいよ、バーボン」
「任せてください、ベルモット」
 
 突如始まる"組織ごっこ"に、新一は頬をひきつらせる。特に、降谷の変わり身の早さったらない。流石、トリプルフェイスを使いこなしていた男だ。
 赤井はそれに参加せず、新一の手から鞄を受け取る。

「遊んでないで行くぞ。時間は有限だ」

 新一は、とても怖い三人の大人の背中を見送り、小窓にはりついた。


 

 二つのパイプ椅子に降谷と赤井が腰掛け、その後ろにベルモットが立つ。ガヴィのそばには、捜査官が一人控えている。
 ガヴィは、ベルモットにも何も反応しなかった。時折視線を動かすが、意味は感じられない。
 降谷が鋭い視線でガヴィを睨み、赤井がガヴィに話しかけた。

「連日、長時間の取り調べで、お前も疲れてるだろう?俺達もくたびれている」

 赤井は鞄を机に置き、中からベルモットが持ち帰った土産を出した。綺麗にたたまれたウェディングヴェールと、青いリボンだ。コナンがセーフハウスで見たというそれである。
 ヴェールとリボンを机に並べても、ガヴィはこれといった反応を見せない。
 赤井は、机に広げたヴェールを指先で叩いた。

「上等なウェディングヴェールだ。ヒップ丈で、繊細なデザインのレバーレース。衣装に関しても審美眼のある彼女に言わせれば、これ一つで五〇〇ドルはするだろうと」

 今度はリボンをつまみ、ガヴィの前に示した。三〇センチほどのウルトラマリンを、ガヴィの目の前でピンと張る。

「ヴェールにブルーリボンとくれば、"花嫁のおまじない(サムシング・フォー)"だろう」

 結婚式における欧米の慣習で、花嫁の幸せを願うおまじないだ。
 一つは、何か古いもの。母や祖母から譲り受けたものを身につけるのが一般的だ。アクセサリーであったり、ヴェールであったり、ドレスであったりする。
 一つは、何か新しいもの。ドレスの新調は難しくても、手袋や結婚指輪でも構わない。花嫁を象徴して、白いものがいいとされている。
 一つは、何か借りたもの。母や友人から、ヴェールや手袋やティアラなどを借りて、結婚生活を送っている人から幸運を分けてもらうのだ。
 一つは、何か青いもの。幸せの青い鳥にちなみ、インナーや指輪の裏石などにブルーを取り入れる。純潔の象徴でもあり、人目につかない場所に取り入れるのが基本だ。
 そして、左靴には六ペンス銀貨を。

「ヴェールは新しいようだから、"何か古いもの(サムシングオールド)"ではなく、"何か新しいもの(サムシングニュー)"か"何か借りたもの(サムリングボロー)"か。六ペンス銀貨はどうした?」
「……」
「イギリスに行ったことがないか?貴重なコインだから仕方ないか。今時、購入もできるようだがな。ところで、これを見ろ」

 赤井は緊張した面持ちで、リボンの一部分を示す。筆記体のアルファベットが金糸で刺繍されており、それは人名だと思われた。
 赤井の言葉に従い、ガヴィの視線がアルファベットに固定される。読んでいるように見えるが、反応は見られない。
 刺繍の文字は、"Charlotte"。

「英語ならばシャーロット、フランス語ならばシャルロット、ドイツ語ならばシャルロッテ……どれも女性名だ。このサムシングフォーは、彼女に宛てられたものか?」
「……」
「なあ、ガヴィ。俺だけじゃなく、誰も君の本当の名前を知らない。Charlotte(シャーロット)は、君のカバーの一つか?それとも、君の、本当の名前か?」

 そこで、今まで変化が見られなかったガヴィの口元が動いた。閉じていた口がわずかに開き、開閉を繰り返す。何も写さなかった目にはかすかな光が戻り、刺すような真っ直ぐさで赤井の目を見据えている。
 何かを言おうとしている動作に、取調室の空気が張り詰める。畳みかけたいのをこらえ、それぞれが拳を握った。発言を迷っているような、まるで誰かから黙秘を指示されているような迷いのある動作はもどかしい。
 やがて、長くまともに使っていなかった喉から声がもれる。

「…………シャ、ロッテ」
「っそうか、ドイツ語圏の人間だったのか。ではこれから君のことはガヴィではなく、シャルロッテと呼ぼう」

 赤井が大きく息を吐きながら言う。降谷もその隣で息を吐き、足を組み直していた。
 ベルモットは目頭をもみながら口角を上げた。彼女自身の持ち物でゆさぶりをかけるのは大成功だ。リスクは大きかったが、言葉を引きだすことが出来た。ここからは、どう対話していくかだろう。降谷には後でボーナスを請求したい。
 赤井は、ヴェールを広げるとふわりとガヴィの頭に乗せた。

「恋人からの贈り物かな、シャルロッテ」

 ガヴィはきょとんとした顔で、ヴェールと赤井を交互に見ている。不満気な様子はないが、手錠のかかった手でヴェールを取ってしまった。
 赤井が肩をすくめ、降谷が鼻で笑う。

「恋人からじゃないから不満だってよ」
「きっと君よりいい男――」

 ウェディングヴェールが宙を舞った。
 ガヴィが身を乗り出し、手錠のかかった手でヴェールを広げている。宙に投げ出されたリバーレースが揺れ、蛍光灯を受けて白く輝いている。天使が羽のようにも、妖精の羽のようにも見えた。
 ふわふわと空気を泳いで、黒いニット帽の上に着地する。

「……ふ、ふっふふふふふ」
「ック、よく、似合ってるぞ赤井」

 隣部屋では新一を含め数名の捜査官が腹を抱えた。
 赤井は黒いニット帽の上からヴェールを被せられ、頭を振った。さらさらとヴェールのこすれる音が心地いいが、人選は疑問だ。赤井はどこからどう見ても男で、女々しさの欠片もない。目の前にいたとはいえ、せめて降谷にしてほしい所だ。年に似合わず童顔で、中性的な顔立ちの降谷の方が似合うはずである。
 赤井はヴェールを取って机に置いた。楽しそうな降谷らそっちのけで話をしてしまおうとガヴィに向き直り、"異変"を察知した。
 警戒を始めた赤井に気付き、降谷らも笑いをひっこめる。
 きょとんとヴェールを見ていたガヴィの目が、年相応の落ち着きを取り戻しているのだ。パイプ椅子に背を預け、こきりを首を鳴らした。

「……久しぶり」

 かすれた声だが、はっきりと言う。

「渡日してからの記憶がないな。うっかり捕まったのか」
「おま、記憶が戻ったのか……!?」
「胸糞悪い約束までしっかりと。それで、何か収穫はあった?」

 記憶が戻ったというのに混乱も見られず、ガヴィは飄々と問いかける。赤井や降谷の苦い顔を見て、満足げに頷いた。




 ベルモットは取調室を出て、新一の隣に並んだ。ベルモットも新一も顔色が悪く、表情はこわばっている。

「あれ、いいのか?」
「好き好んで捕食者に睨まれたくないわ。言ったでしょう、裏切り者の私はガヴィの標的なのよ」

 ベルモットが肩をすくめて、懐から煙草を取り出す。しかし火をつけることはなく、そのままケースに戻した。
 新一は、今度はベルモットと並んで小窓の中をのぞく。いやに喉が渇き、なんどもつばを飲み込んだ。
 取調室では、平然としたガヴィに対し、赤井と降谷が険しい顔で向かい合っていた。

『覚えていることは?』
『日本に来たところは分かるが……おぼろげだな』
『ここ数日のことも?』
『記憶障害時の出来事を覚えていないのは、珍しいことではないでしょ』
『……随分と、冷静だな』
『取り乱すメリットがない』

 ガヴィが肩をすくめる。近くにいる捜査官に『水を』と告げるも却下され、何度か咳ばらいをしていた。
 赤井に代わり、降谷が口を開く。

『脱走の算段は立っているのか?』
『難しい。少なくとも、今すぐどうこうはしないから安心しなよ』
『……ツテはあると』
『さあ』
『……洗いざらい話す気は?』
『話すと思う?』
『……いいや』
 
 新一は口元に手を当てて黙り込む。
 ガヴィは拘束されている立場で、長い間まともに動いてさえいない。声もかすれているし、顔色も良くない。体力の低下はガヴィ自身も実感しているはずだ。その衰弱した状態で赤井や降谷を前にしても、全く動じていない。記憶喪失の間に自分が情報をもらしていないということも確信している。
 油断や慢心しているようには見えない。ひたすら普段通り。

『ちなみに、これらはお前のもので間違いないな?』
『ちゃんと返してよ』

 ガヴィは手錠のかかった手で、器用にヴェールをたたむ。リボンもまとめて自分の前に置いた。

『……お前はFBI捜査官殺害の件で罪に問われる。極刑は免れないだろう』
『日本には死刑がまだあるから、その首を吊ることになるな』
『驚かないよ、そんなことくらいすぐ分かる。ただ、前も言ったが、僕は死ぬつもりなどさらさらない』
『……リスクを冒して逃げるつもりか?』
『それもいいけど、もっと確実に生き延びられて、お互いに危険を避けられ、きみたちにとっても美味しい話があるよ』

 新一は、穏やかな表情のガヴィを凝視した。感情は読めないが、己の敗北など感じていないのだ。赤井と降谷が話を聞き、頷くと確信している。
 新一はベルモットとアイコンタクトをとり、息をひそめて成り行きを見守った。

『取引をしよう。赤井秀一、降谷零』

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