6-2


 一度取調室から離れ、会議室で休憩をとることになった。
 新一も何気なく会議室に入り、インスタントのコーヒーをもらい、ちゃっかり椅子に座る。せっかくベルモットが強引に与えてくれた機会だ、無駄にするつもりはない。
 会議室にはジョディやキャメルといった赤井と同じチームの捜査官と、風見ら降谷の部下がいた。
 中心となるのは、やはり赤井と降谷だ。降谷がコーヒーにミルクを入れながら口を開く。

「案外あっさり記憶が戻ってしまったが、想定していたパターンではある」
「うまく地雷を踏めたということだ。予定通り対応しよう」
「……果たして、ガヴィ相手にどこまでもつか」

 赤井が肩をすくめる。いつもは自信満々な彼らしくない言葉に、ジョディが驚いた顔をした。

「随分と弱腰ね。確かにガヴィは油断ならない相手だけど、拘束は出来ているんだから」
「相手はプロ中のプロだ、"ただの"連続殺人犯やマフィアの下っ端とはわけが違う。会話術も心得ているだろうし、こちらの内情にも詳しい。そりゃ自由を奪っているという点は大きいが、逃走の可能性も高い」
「……引き続き、シュウと彼(降谷)が?」
「ご指名だからな。ベルモットなら許容してくれるかもしれんが」

 この場に似つかわしくない美貌のハリウッド女優は、柳眉をぐっと寄せて不快感を示した。冗談でも止めて、と言いながら新一の隣に腰かける。

「私より、クールガイの方が適任じゃないかしら?」
「一理あるな。同席するか?」
「降谷さん、させてくれんのか?」
「駄目です。引き続き、ガヴィの動きや何気ない仕草に注視していてくれ」

 降谷がコーヒーを飲み干し、赤井の頭をはたき、新一の頭を小突き、一足先に会議室を出て行った。
 新一も急いでコーヒーを流し込んで、紙コップをゴミ箱に捨てる。
 すり減っているのは、有利なはずのこちらばかりだ。脱走するという選択肢を奪うためにも、取引が非常に重要になる。前回の脱走で犠牲は出なかったが、今回もそうだとは思えない。彼女は丁寧にも、脱走することを"お互いに危険"だと告げたのだから。




 赤井と降谷が取調室に入ると、ガヴィが水分補給をしていた。手錠をしているせいで、コップを大事そうに両手で持つ羽目になっている。そうしていれば人畜無害そうで、とても犯罪者には見えない。
 同じ位置に腰かけ、今度は降谷から口を開いた。

「改めて確認するが、シャルロッテは君の名か?」
「違う。間違ってもそれで呼ばないでよ。ガヴィでいい」
「……そうか。では、取引の内容を聞こうか」
「至ってシンプルだ。僕は、死刑は認めない。代わりに、全面的に日本警察とFBIに協力しよう」
「極刑になると言ったばかりだが?」
「僕は『受け入れる』と言っていない」

 『死刑は認めない』ということは、終身刑――つまり、減刑される形になる。死刑が存在しない国も多いことを考えると、終身刑の判決を下すことは難しくないが"減刑"という点が問題だ。
 FBI捜査官が多く殺された。対組織戦では、日本人も多く死んだ。それ以外の、"関与は明らかだが証拠がない"事件も多い。それだけのことをしでかしたガヴィに対して、減刑。反発が起きるのは想像に難くない。
 降谷が提案を一蹴する前に、赤井が机に手をついて立ち上がった。

「仲間を死に追いやった犯罪者と、減刑の取り引きをしろというのか」
「ああ、そうだ」
「You bitch……!」
「やめろ、赤井!」

 降谷は強く名を呼び、今にも殴り掛かりそうな赤井を座らせる。ガヴィの後ろに控える捜査官も険しい顔つきで、ほんの少し、赤井の方が早かっただけだろう。
 赤井は腰を下ろして数度深呼吸したものの、小さく謝って取調室を出て行った。
 怒鳴られたガヴィは涼しい顔だ。

「ライなら上手くかわしただろうに。赤井秀一と違って」
「お前が煽るからだ」
「きみは冷静だな、バーボン」
「一方が感情的になれば、もう一方は落ち着くものだ。それで?お前の提案を詳しく聞こうじゃないか」
「そのままなんだけど」

 ガヴィは肩をすくめ、話をつづけた。

「僕が話せる情報は提供する。実動でも構わない。GPSでも埋め込んで解放してくれるなら、潜入でもしてみせよう」
「散々な目に遭った俺達が、お前を信用できると思ってるのか?」
「ごもっともだけど、なんでも一緒くたにするなよ。そっちも仕事だろ」
「ほう?ならばご教授願おうか。信用を得る第一歩だぞ」
「You got it.」

 ガヴィの余裕っぷりはどこから来るのだろうかと心底疑問に思う。そう振る舞うことで降谷らの優位に立とうとしているのかもしれないが、振りなのか素なのか、到底判断がつかない。
 大体、信用云々ももちろんだが、敵対組織に与することに抵抗はないのだろうか。降谷らのように捜査の一環で潜入するのならばともかく。

「僕は快楽殺人者ではないし、殺人衝動に悩まされている訳でもない。仕事だからだ。バーボン、組織にいる間、組織外の情報屋や殺し屋とも会っただろう。もたらされた情報を信じるか信じないか、どうやって決める?本来のきみの立場からすれば、全員が取り締まり対象だ」
「評判と仕事の質、だな。腕のいいヤツほど、仲介がいないと出会えない」
「仕事が出来なければ生きていない業界だ。利害関係と危うい信用だけで成り立っている。金さえ積めば、完璧な仕事を返す者たちばかりだよ」
「ああ」
「当然、僕もだ。仕事に関しては手を抜かない」
「そうでなければ、その若さでボスの懐刀にならないだろう。お前は、自分を俺達に売り込んでいるということか?」
「そうだ。ゆっくり話し合ってくれればいい」
「そう悠長にしていられな、ああ、赤井」

 案外、戻ってくるのが早い。煙草の匂いがするので、さっさと一服して戻って来たのだろう。
 赤井が落ち着いた様子で椅子を引いて座る。煙草だけではなく、仲間に宥められたか、新一を見て頭が冷えたか、すっかり調子を取り戻していた。
 対して。降谷はガヴィを静かにうかがう。
 あれほど平静だったガヴィが、かすかに眉を寄せていた。彼女が煙草を嫌うという話は知っているが、"喫煙者を嫌う"とは聞いていない。ガヴィの目の前で煙草を取り出したならばまだしも、喫煙室帰りなだけだ。
裏側の仕事中に一々喫煙者を注意している訳でもあるまいに。敵地にあり、気を抜けないはずの今、嫌悪感をあらわにすることに違和感があった。
 赤井と一瞬目が合ったのち、会話を任せることにした。

「取引の話は、お言葉に甘えてゆっくり相談させてもらおう。折角記憶が戻ったんだから、余罪の追及もしたいし、お前についての情報を集めたい」
「……正直だな」
「ガヴィ相手に隠す意味もないだろう?」
「よく分かってるじゃないか。けれど、時間の無駄だ」
「ああ、お前がプロだってことは承知しているよ。だがどうせ暇だろう。付き合ってくれ」
「好きにしたらいい」

 ガヴィの声がわずかに低い気がする。怒りよりも苛立ち、警戒よりも緊張であるように見えた。

「まずは、お前が一時的とはいえ記憶を失っていた原因について聞きたいんだが」
「好きに考えたら」
「そもそも、本当に記憶喪失だったのか?一言も話さなかったぞ。こればっかりは、俺達には分からん。ああ、そういえば、ガヴィを保護した青年によると、お前は街頭テレビの前に立ち尽くしていたらしい。覚えていないか?その後、なぜか狙撃されたと聞いている。お前は青年を連れて、無事に逃亡ときた。本当に記憶喪失だったのか?記憶喪失でも、狙撃をよけるなんて芸当が出来るのか?」

 降谷は、赤井の珍しい長台詞を聞きながら、ガヴィの挙動を観察する。明らかに様子がおかしいのだ。
 椅子の背もたれに体重を預けて、降谷や赤井を見ていたのに、テーブルに視線を落としている。眉は寄ったままで、どこか顔色も悪い。
 赤井が身を乗り出し、強い口調で言った。

「ガヴィ、顔を上げろ。俺を見ろ」

 ガヴィがゆるりと赤井を睨む。

「記憶が戻ったきっかけは何だ?この私物か?目を逸らすな、俺を見ていろ」
「……」
「俺にウェディングヴェールをかぶらせたのは何故だ?お前のようなその道のプロが、セーフハウスの一つに"強い印象を残す品"を置いていたのにも違和感がある。これらが記憶を揺さぶるほどに大切で、思い入れがあるのか?これで記憶が戻ったというのなら、失ったきっかけもこれに関係するのか?――教えてくれよ、シャルロッテ」

 険しい形相で赤井を睨んでいたガヴィが、ひゅっと息を吸った。

「Halt dein Maul!」

 ガシャン、とパイプ椅子が派手に倒れる。
 ガヴィが赤井に噛みつく勢いで立ち上がり、テーブルに飛び乗る。監視の捜査官がガヴィを羽交い絞めにし、降谷は赤井とガヴィの間に腕を伸ばした。
 ガヴィの息が荒い。赤井を睨みながらも、どこか目の焦点が合っていないようだ。

「Quatsch ……!」

 テーブルから引き摺り下ろされながら、ガヴィが吐き捨てた。
 先ほどのフレーズもそうだが、英語ではない。あまり聞きなれない言葉で意味は分からないが、あたりは付けられる。
 赤井が小さく鼻で笑い、勝ち誇ったように口角を上げた。

「本当に、ドイツ語圏の出身だというわけだ」

 冷静を取り戻したガヴィは、不快感を露わに降谷や赤井を見据えている。己の失態を嘆くのではなく、何か重要な部分に触れられたことで憤っていた。
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