Curacao


 一度は不要と断じられたものの、組織のNo.2に拾われた。これからも真っ黒の組織に尽くさなければならないことを思うと、幸運だったと楽観的ではいられない。
 コードネームを持った一幹部ではなく、No.2のお抱えだ。これまで以上に難易度の高い任務を命じられるだろうし、行動や身の振り方にも細心の注意を払わなければならない。元々、『組織にとって都合の悪い情報を記憶してしまった』ことで消されかけた身だ、忠誠を疑われた時点で終わりである。
 そう肝に銘じて行動していたにも関わらず、キュラソーは任務中にミスを犯した。
 ターゲットと接触し、処分が必要と判断して暗殺したまでは良かった。その後秘書に目撃され、逃亡ルートの大幅な変更を余儀なくされたのだ。そのせいで録画映像を仕込んでいなかったカメラに映り、鉢合わせした警備員を一人始末し、暗殺が発覚するまでに州外に出るということが不可能になってしまった。なんとかホテルまで戻れたものの、そこかしこに検問が設けられているせいで身動きが取れないのだ。
 キュラソーは、今度こそ処分される覚悟をした。高層ビルの最上階から身を乗り出したときのような、内臓の不快な浮遊感。めまいで倒れたり、パニックになることこそないものの、死を恐れているのは嘘ではない。
 けれど、教育係は涼しい顔だった。

「想定内だ」

 ホテルのドレッサーの前に座り、器用に髪を編み上げていく。化粧はやや濃く、服装はワインレッドのナイトドレス。背中が大きく開いており、ゴールドの刺繍とビジューで飾った豪華なデザインだ。
 ボスの懐刀であるガヴィが、キュラソーの教育係兼監視役として同行していた。
 会合で顔を合わせる時は、一般人が紛れ込んだのかと訝しんでしまうほど貫禄のない彼女だが、仕事中は全く様子が違う。犯罪者に見えない点は変わりないが、手際の良さと冷静さは異様なほどだ。
 キュラソーがターゲットを始末するためのバックアップが、今回のガヴィの役目だった。監視カメラに録画映像を仕込んだり、屋敷の内装や警備の情報を集めたのも彼女だ。

「きみは情報や証拠を記憶するための潜入しか、したことがなかったんだろ。ターゲットの動きに合わせて計画をずらすことに慣れていないから、まあ、目撃されたりハプニングが生じたりすることは覚悟してた」
「……」
「長期の潜入ならともかく、今回はこれで終わりだから。犯行時刻がわれたくらいで困らない」
「私を殺さないの」
「はあ?」

 率直に問いかけると、ガヴィは顔色一つ変えずに器用に不快感を表した。すぐに仲間すら切り捨てる幹部に思い当たったらしく、「ジンなあ」と呟く。ヘアセットの手は止めていない。

「アレはアレでいいと思うけど、僕は失敗には寛容だよ。フォローのしようもないほど致命的なミスを犯さない限りは。たとえ、監視カメラにがっつり顔がうつっててもね。データをすぐに回収して、整形させればいい」
「随分と優しいのね。ボスの懐刀って言われてるくらいだから、もっと厳しい人を想像していたわ」
「裏切り者なら容赦しない」
「……ネズミを飼ってるって話だけど」
「裏切り者とネズミは違う。怪しい幹部の素性を洗うの、どれだけ大変だと思ってるんだ。コロコロ入れ替わられるより、監視していた方がやりようはある。二重スパイに仕立て上げる……までしなくとも、こっちが見張っていれば勝手に手がかりを落としてくれる」
「まだフォローできる範疇で、組織を裏切ってもいない私は、殺すに値しないと……」
「僕はな。ジンなら殺してるぞ。……はやく準備しろ」

 キュラソーはちらりと時計を見て、ドレッサーの前に座った。ベッドには深くスリットの入った青いドレスが置いてある。
 目撃者や検問のせいで、当初の逃亡ルートは使えなくなっている。数々の化粧品やナイトドレスはガヴィが用意したもので、キュラソーはこれで着飾る意味をまだ聞いていない。
 
「僕は、スパイでもヒットマンでもない」

 ルージュの色を選んでいると、ガヴィが唐突にカミングアウトした。ボスの腹心である彼女が潜入捜査官や他組織の暗殺者であるわけがないので、単に任務内容の話だろう。潜入も暗殺も、本業ではないのだと。
 ガヴィが欧州を拠点にしていることはキュラソーも知っているが、そこでの仕事も潜入や情報収集、必要に応じて武器の確保や暗殺のはずだ。幹部の素性を洗い、スパイを監視し、裏切り者の粛正を行い、誰とも組まずに一人で何でもこなしてしまうくせに、"違う"とはどういうことなのか。
 まさか教育係(ブリーダー)が本業なわけがあるまい。
 
「それだけ実力がありながら?」
「出来るか出来ないかの話をしているんじゃない。僕はこの組織に所属して六年だか七年だかになるが、スパイ向きの人材は少数派だ」
「……あなた、いくつなの?」
「幹部ならそれなりだが、怪しい動きをするとすぐにジンが殺しに行くから、長期間の潜入が必要な任務につける人間が少ない」
「……。私をスパイ向きだと評価してくれているのかしら」
「ああ。だから、監視役がジンじゃなくて僕なんだよ」
「あなたは、スパイとしても働けるけれど出来ることならやりたくないと?」
「一流だと自負しているがな」

 支度を終えたガヴィが、何やら自分のピンヒールをいじっている。
 キュラソーはメイクを終え、銀髪を掻き上げて軽くワックスを付けると、ドレッサーから離れて洋服を脱いだ。

「自信家なのね」
「事実だ。言っておくが、キュラソーにも同レベルを求めている。戻ったら、意識の階層化を完璧にしてもらう。僕のスパイ業を引き取ってくれるとありがたいな」
「……そんなことまで、私に話してしまっていいの?」
「今の話の中で、僕に付け込めそうなところあったか?」
「……苦手分野でも一流ってことが分かったわ」

 何か仕込んでいるのだろう、ガヴィはピンヒールを履き直して感触を確かめるように部屋を歩く。体のラインが出るドレスだと、中々ホルスターを付ける場所がない。バッグにはきっちり隠してあるのだろうが。
 キュラソーは姿見でドレスと髪を確認して、ピンヒールをはいた。ガヴィが何を言わないので、こちらは普通のヒールらしい。仕込むなら自分でなんとかしろ、といったところか。
 ガヴィは、着替えや怪しいものが入ったキャリーバッグに座り、キュラソーに時計を示した。

「ホテルに車が来るまであと十分。カジノまで移動して、そこで迎えと合流する。僕が立ちまわるから、キュラソーは普通に遊んでていいよ」
「そう言う訳に行かないでしょう。迎えは誰?」
「言っても知らないよ、組織の構成員じゃないから」
「個人的なパイプ?」
「築いておいて損はないよ。組織の構成員を教育して各国の国家機関なり主要施設に送り込むより、最低限の情報と十分な見返りを与えて協力させた方が効率がいい。万一、組織が追い込まれたとしても、独自のルートは生きてるから」
「欧州だけじゃないのね」
「仕事で行くところには全部根回ししてるさ。必要なことだ」

 キュラソーとて、そういうツテがないわけではない。ただ、ガヴィのように複数の国の複数の機関となると難しい。難しいという一言では足りないくらいに難しい。
 協力者になりそうな人物をピックアップし、素性がばれないように接触し、たとえ利用しなくとも報酬は与え続け、その場所を離れても関係を維持し続けなければならない。目星を付けるだけでも重労働だというのに、世界中を飛び回りながらそれらを一人でこなすのだ。一般的な会社でいうところの、現場と営業と人事と経理を全てこなしていることになる。
 
「無駄話はこれくらいにしたいけど、一つ言い忘れていた」

 ガヴィが、シンプルなゴールドの髪留めを差し出してくる。さっと見た限りおかしな点はないが、刃か毒か、何かしらが仕込んであるのは想像に難くない。キュラソーは簡単に銀髪をまとめ上げた。

「キュラソーの能力がいくら高くても、裏切ったら殺すから。そのつもりでね」
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