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 僕は「賢いね」と言われて育った人間で、それなりの学校を出て、かなり特殊な職場に入った。使命感やら愛国心やらは二の次で、ただ自分の自尊心を満たしたいがための就職である。
 僕がいうのもなんだけれど、能力の高さと経歴は比例しないだろうというのが正直な所だ。超有名難関大を出たからと言ってなんでも出来るわけではなく、専門分野というものが存在するし、本人の倫理感や対人スキルもまた別だ。逆もまた然り。行儀よく整列した工業用ミシンで帽子を量産しているアルバイターが、取り巻く環境故に高IQを持て余している可能性もある。
 だからといって、ここまで極端な例はそうないだろう。

「飛び級、かな?」

 この職場で働くには若すぎるルーキーにそう問いかけてみた。僕も配属当時は若いと言われたけれど、目の前の人物はさらに若い。秘密主義者の多い職場なので無視されるか偽の経歴を明かされるかと考えながらの、無意味な問いかけだった。 

「学校はちょっとだけ行ったような気がする」

 無視でも嘘でもなく、そんな曖昧な答えが返って来た。本人にとって、全く重要な事柄ではないのだろう。

「なんで、こんなところで働くことに?」
「さあ。あんまり向いていないと思うんだけど」
「期待の新人って聞いてるのに」
「この国、割と好きだから。ちゃんと仕事はするよ」
「へえ。でも血筋はここじゃないだろう?」
「友人がここの出身だったんだ。言葉も、幼いながら教えてもらってた」
「その人も、お前みたいにトンデモなく優秀なわけ」

 澄まし顔が崩れる。思わずと言った風に笑って「それはどうだろうなあ」と遠くを見た。
 僕は予想外の反応に、持っていた紙コップを落としそうになった。「いいのかよ、そんな風に自分のこと喋って」「伏せるべきことか?」さらりと言われて僕は肩をすくめた。何でも明け透けに話すことはともかく、本人が世間話だと認識している会話を遮る理由はない。同じ陣営なのだから尚更、ある程度腹を割ることも必要だろう。僕もそう思う。

「僕は普通の人なんだ」

 最近同僚と話したような内容を切り出した。

「ここにいる奴ら、みんなそう。普通だろ。連れ立ってパブに行ったり、時間つぶしにカフェに寄ったりする。オフィスでバースデーソングを歌うことだってある。仕事となると豹変するけど」
「だろうね」
「僕はそれを、バランスを取るためだと解釈している。厳しい仕事とありふれた日常でのバランス。精神の安定をはかって、普通の人間であろうとしている。けれど僕らは、それでは足りない。仕事中、別人になることが求められるから。バランスを取るべき天秤を複数持つことになる」
「それが仕事だ」
「僕は、分からなくなってきたんだ。違う天秤を釣り合わせることは出来ない。僕じゃない僕がオフを楽しんでいても、それは僕自身のオフじゃない。そんな風に考えてしまうんだよ、自分自身がどこにあるのかってね」
「切り離せばいい」
「僕にはそれが難しいことなんだと、最近分かった。僕は本当に普通の人だったんだ。お前は、何を思って任務をこなす?」

 ルーキーは思案気に腕を組んだ。真面目に思案しているらしい。
 その沈黙が十秒に及んだところで、僕のほうから話題の転換を提案した。そこまで真剣に考え込まれるとは思わなかった。同僚のように「欲求不満なせいだろ」と軽く笑って小突いてくるくらいで良かったのだ。
 ルーキーは僕の提案を無視して、心底不思議そうな顔をした。

「しなきゃいけないことをするだけで、そこに本人の意思は必要か?」
「格好いいことを言う……仕事の内容の特殊さと重要さに怖気づく日が来ないといいな」
「来ないよ」
「民間人を見捨てることになっても?去年引退したやつなんて、偽物の家庭まで持っていた。失踪扱いで家族は待っているが、一生戻ることはないし、偽名であることすら知らないままだ。そんな状態になる可能性もあるんだぞ?」
「うん」

 新入り故の根拠のない自信には見えないが、頷きに躊躇いはみられなかった。僕の懸念に理解は示しながらも、それがなんだと首を傾けていた。
 それだけで、僕とは違うのだと実感した。引退した先輩と同類だ。彼らは任務に対して、それ以上の感情を抱かない。自分に与えられたことなのだから出来て当然だ、と息をひそめて動くだけ。終わればそれまでで、偽物の自分ごと斬り捨てる。感受性豊かな人間を"本気で"演じられ、常日頃からレッドカーペットを歩く一流役者。感情は理性で制御できる、なんて素面で言ってのける化け物ども。
 僕よりよっぽど有能なエージェントに嫉妬はしなかった。僕のほうが人間らしい感情を持っているのだと、安堵すらした。
 
「お前みたいだったら、僕もこれを天職に出来たのかもな」
 
 ゴシップ雑誌と同じように笑って、紙コップをゴミ箱に投げた。
 僕もルーキーも、持ち場は内ではなく外だ。これから先、顔を合わせてくだらないお喋りをする機会は少ない。次に出会ったとき、化け物が更に化け物らしくなっているのか、人間の心を殺しきれずに摩耗しているのか、楽しみにするのもいい。
 そう考えていたのだが。遠くにいてもその有能さが身に染みてきた頃に、僕は、こいつと仕事をすることになる。

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