11-1


 とある国の、とある都市の、とあるオープンカフェにて。ガヴィはテラスの四人席に座り、駅前の売店で購入した新聞片手に、優雅なコーヒーブレイクを楽しんでいた。新聞のクロスワード欄を睨んで十分ほど経過したところで、視界にボールペンを持った手が入ってくる。
 手をたどると、人の良さそうな笑みを浮かべた恰幅の良い中年男性が立っていた。もう片方の手には店のトレイを持っており、バーガーとドリンクが乗っている。ガヴィは混雑する店内を見回して、相席料代わりのボールペンを受け取った。
 男が、ガヴィと対角になる位置の椅子を引いて座る。

「助かったよ、ありがとう。この時間は多いんだね」
「こちらこそ、ペンがなくて困っていたからおあいこだ」
「はっはっは」

 ガヴィは受け取ったペンでクロスワード欄を埋めていく。答えは全て分かっているので、大した時間もかからなかった。空欄がなくなったところでペンを男に差し出すと、男はバーガーで汚れた手を綺麗に拭いてから受け取る。バーガーはまだ半分ほど残っていた。

「いやあ、見事だね。博識だ」
「どうも。あなたこそ、珍しいボールペンをお持ちのようで」
「そうかな」
「見た目と重量が違う。かすかだけど、重心が動く感覚もあった。仕込みペンかな」
「はっはっは。さすがに目敏いね」

 男が腹を揺らして笑う。質のいいシャツがはちきれそうである。
 面識のない男だ。体格からして、現場で機敏に動く人間ではない。カフェの店内外に堅気ではなさそうな人間も見受けられるので、地位があるのだろう。だからといって、構えることもなかった。男の護衛がガヴィの包囲網に変化したところで、離脱することくらい容易だ。
 居場所を突き止めてきたくらいだから実力は高いのだろうと考えながら、ガヴィは大しておいしくもないコーヒーをすする。この男が誰であれ、狙って自分に声をかけている時点でまともな人間ではない。

「仕事の依頼かな」
「何、勧誘だよ。君がこの国で暇をしていると聞いてね、急いで出向いたんだ」
「暇ではないんだけどなあ」
「日本で派手に動いたそうじゃないか。クールダウン期間だろう?」
「そうかもな。で、勧誘って?」
「おや、君は例の組織以外への所属は前向きではないと聞いたが、そうでもないのかな」
「組織が潰れた後のフリー期間を言ってるなら、別の理由だよ。どこかに所属すると、後始末がしにくくなるだろう。本当に忙しかったんだぜ」
「飼われることに抵抗はないんだね」

 男が意外そうに言って顎をさする。ガヴィは肩をすくめた。

「仕事の依頼なら応相談。僕を飼いならしたいのなら、残念だが諦めろ。そろそろ引退を考えていてね」
「引退?君ほどの奴が?その年で?五体満足で?弱味もないのに?何故?」
「鬱陶しい喋り方だな。僕も色々あるんだ」

 ガヴィは目が悪い。いくら視力が落ちようと音の反響で動けるので日常生活に支障はないが、潜入や工作活動となるとそうもいかない。日本でごたついている間に悪化し、以前より不自由が増えているのだ。自分が過去に縛られるただの人間であったことも明らかになったことだからと、いっそ犯罪稼業から引退しようかと思い始めていた。つま先から頭のてっぺんまでどっぷり犯罪に浸かっている身だ、完全に足を洗う気はない――洗えないだろう――ものの、積極的な行動は控えようかと、珍しく謙虚な心境なのだ。
 男は驚いたものの、勧誘を撤回する気はないようだった。

「ふむ。人を殺すことすら出来ないか?」
「まあ……それなら得意だな」

 顔が完全に分からないほど視力が落ちても、頭を撃ち抜く自信はある。障害物のある暗闇の中を走り抜ける自信もある。

「じゃあ問題ないな。むしろ良い。君ほどの奴を兵士として使うのはもったいないんじゃないかと思っていたから」
「兵士として?」
「そう。わたしは君の、常識はずれの戦闘力を買っている」
「……ああ、それは、いいかもしれないな」

 引退を考えていたのに、あっさりと意見を覆す自分自身に笑ってしまった。所詮、自分はスパイでもヒットマンでもなく、兵士なのだ。平和な生活を送り続けるのも無理なのは目に見えている。ならばいっそ、また兵士として戦場に出るのもいいだろう。
 戦場で死に損なった子どもは、きっと戦場で死ぬのが似合いだ。

「それで?兵士の勧誘ということは、民間軍事会社の人間か?」
「もっといいところだよ」
「期待しよう」

 ガヴィは、その界隈では名の知れた自分を兵士に勧誘してきた肝の据わった男に、片手を差し出す。男もまた手を伸ばし、軽く握手をした。
 「ただ、」ガヴィは、残りのハンバーガーを平らげている男に言う。

「情報を整理する時間はくれよ。準備しなきゃならないこともある」
「構わないさ。"ピアニストの街"も、良いようにしなきゃならんだろうし」
「知ってるのか」
「勧誘に、そちらに行ったこともあるんだよ。すげなく引き返しちゃったけどね」
「自慢の街さ」

 いつぞや、江戸川コナンを保護した集合住宅のある街だ。住民全てを買収している訳ではないが、ほぼすべての住民がレティーツィアの味方であるという特異な街だ。
 レティーツィア・シェーラーがしていることは簡単だ。家のない子には寝る場所を与え、トラブルで困っていたら仲介し、食べ物がなければ食事をご馳走する。文字が読めなければ、学のある大人を雇い学校まがいの勉強会を開く。レティーツィアの住んでいる集合住宅に大勢の住民がいるのは、家のない人々に開放し、管理しているからである。とてもピアニストの収益だけで出来ることではないが、彼らはそれを察した上でレティーツィアを慕っている。
 そうやって出来たのが"ピアニストの街"。住民同士の結束が強く、部外者には常にマークがつく。異変があればガヴィまで連絡がいくようにも仕組みを作っている。最新鋭機器もない、ガヴィお手製の要塞である。
 レティーツィアが不在でも街は回るようになっているが、資金援助が難しくなることは明らかだ。まとまった金を管理者に託し、治安を保てるよう努めてもらわなければならない。

「じゃあ、動けるようになったら連絡をくれ。なるべく早くね」
「そんなにかからない」
「名刺でも渡しておこうか」

 一見すれば覚えられるので必要性は低いが、既に差し出されているので指で挟んで受け取った。薄いカードに並ぶ文字に、先ほどの男の言葉が蘇る。

「なるほど。確かにこれは『いいところ』だ」

- 46 -

prevAim at ××.next
ALICE+