11-2


 騒がしい休日のファミリーレストランで、新一は四人席に座っていた。対面では、ラフな格好をした降谷がドリンクバーで淹れてきたコーヒーを飲んでいる。相変わらずミルクが入っているので、未だ胃は本調子ではないらしい。
 新一は、自分のブラックコーヒーに口を付けて、乾いた喉を潤した。

「大変だったんだな。黒羽も、巻き込まれてたのか」
「大変だったさ」
「ガヴィがBNDとか……冗談みたいだ」
「自称、ではあるがな」

 降谷は以前交わした約束通り、判明した情報を教えてくれた。淡々とした報告だったが、新一がトロピカルランドで一日遊んでいる間に彼らは"忙しい"という表現ではとても足りないほど多事多端だったらしい。
 新一は情報の整理に頭を働かせながらも、ほっとしていた。オリヴァー・トムソンが持ち込んだ宮野明美捜索依頼が片付いたからだ。すわ組織関係かと身構えたが、宮野明美も宮野志保も無関係だった。これは報告して安心させねばと、阿笠邸で子どもたちと遊んでいるであろう彼女を思い浮かべる。

「あとは……つい昨日、元々取引材料だった情報にかなり色を付けて寄越してきたよ。おかげで俺も、まだ国を守っていける」
「そこらへんはちゃんとしてんだな、あいつ」
「信用問題には真面目らしい」
「サブリミナル効果をもたらしてたモノって、なにか分かったの?」
「……」

 問いかけると、降谷の目つきが悪くなる。滲んでいるのは怒りではなく悔しさだ。新一はなんとなく予想がついて、乾いた笑みを浮かべた。癪だが、ガヴィの言った通りだったのだろう。

「駅前のやつ……?」
「解析したところ、動画の合間に静止画が挟んであったんだよ……。関係のない通行人には影響がないけど、今からトロピカルランドへ行き、一度でも何か食べようと考えている人間に対しては有効だろう」
「ハハ、ガヴィは断定できないって言ってたのに」
「余裕綽々でいつでも俺達は手のひらの上だ。あと、ベンゾジアゼピンのことだけど……実はこれに関して君の意見が聞きたくてね」

 新一は神妙な顔で頷いた。ガヴィが最後に言っていたBZDは、ベンゾジアゼピンの略称であると、新一は宮野に聞いていた。
 ベンゾジアゼピン系は、現在は市販されていない向精神薬だ。乱用や自殺に用いられた経緯があり、現在では処方は医師のみが行える。ただ、不安障害においての選択では低い位置づけであり、依存性のリスクも高いという。
 それにしても、宮野ならともかく、新一に意見を聞きたいとは。

「検出されたのは、ベンゾジアゼピン系の中でもフルニトラゼパムと呼ばれるものだった。作用はほぼ同様……俺は化学が専門じゃないから、志保さんのほうが詳しいだろうな」
「抗不安剤になるんだろ?」
「そうなんだけど……ベンゾジアゼピン系は、副作用の一つに健忘があると知られているらしい。フルニトラゼパムはアルコールとの併用で高確率で健忘を引き起こし、アメリカではレイプドラッグとしても利用されることもあるそうだ」
「健忘?マルティネスは一体何の目的で……」
「それを、君に聞きたい」

 最後にガヴィと話した君に。降谷はそう付け足した。
 新一は腕を組んだ。尊敬する大人の一人である降谷からの頼みだ、期待には応えたい。ガヴィの言動と降谷から聞いた情報を合わせれば、何か分かることはないだろうか。
 キーワードは、恐らく"嫌がらせ"だ。仕込まれたものがベンゾジアゼピンだと分かったとき、ガヴィは脱力してそう言っていた。
 ガヴィに対する嫌がらせが、子どもの健忘とは。ガヴィが子どもに対して特別な感情があるのは、降谷からの話で分かっている。自身が、子ども兵出身という特殊な立場だからか。ガヴィのことだ、必要とあれば殺すだろうし容赦もしないのだろうが、子どもらしい生活を守りたいと思っているのかもしれない。

「ガヴィが嫌いだと言い張った子どもを標的とすることが、嫌がらせなんじゃねぇかな」
「混入に選んだ物質は無関係だと?」
「ううん……意味があるはず、か。これだけ頭脳派なやつだもんな……」

 急いでいたガヴィの様子を思い出す。降谷らが到着する前に解決するのだと焦っていた。警察から逃げるのと同時に、マルティネスの企みは自分しか解決出来ないと判断したに違いない。警察に丸投げして済むことならば、自分自身がトロピカルランドに乗り込まなくても良いのだから。
 ふと、気づく。ガヴィは、長期的被害とその日のみの被害を両方想定していた。結果的に長期にわたる被害で毒物が発見できたものの、爆弾の可能性だってゼロではなかった。
 警察から逃げるだけではなく、ガヴィは爆弾の存在を否定できず、急いでいたのではないか。
 
「良いヤツじゃん……?」
「何が?」
「いや、ごめん、つい口に」
「思考中か」

 新一は頭を振った。血迷ったかもしれない。多くの人間を殺しておきながら良いヤツなどあり得ない。
 けれど、一般常識が通用しない思考回路と行動をする人間だ。
 爆弾かもしれないと急いだ先で、被害が明るみに出ていない毒物を発見したらどう感じるだろう。ガヴィは多少なりとも拍子抜けしたに違いない。これだけ急ぎ、焦ったのに、仕掛けられていたのはフルニトラゼパム。ガヴィは一目で作用を理解していた。そして『粋な極悪人』と言っていた。
 健忘。忘れることだ。
 
「……マルティネスの目的、分かったかも」
「ぜひ聞かせてくれ」

 降谷が身を乗り出す。新一はぎこちなく頷いた。

「ええと……子どもの"楽しい思い出"を奪うことじゃないかな。あらゆる被害を想定して駆けつけたガヴィには、これ以上ない嫌がらせじゃない?拍子抜けって意味でも、子どもへの被害って意味でも」
「……分からんでもない」
「『粋な極悪人』って、そういうことかなと思ってさ」

 通り魔のような血みどろの被害ではなく、爆弾のように派手でもなく。誰も殺さないで行うガヴィへの嫌がらせ。
 本人らに確認できない以上、推測の域は出ないのだが。脱力して空を仰いでいたガヴィを思い浮かべると、なんとなく間違っていないような気がした。

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