◎30 : 準備
予選会場は混雑していて、ホントに大変だった。
だった、というのは、もう既に終わらせてきた帰りで。
明日になれば結果が出るという。
オーアサさんは予選についてきて、あたしの歌を初めて聞いた。(ある意味で彼はギャンブラーだと思う)(だって聞かないままあたしを予選に受けさせたのだから)
その後の彼はすごく大変だった。何が大変かと言うと、つまり、興奮してあたしを抱きしめたり、飛んだり跳ねたり。
自分で言うのもなんだけれど、声量が他の人よりは勝っていたと思う。
「まさか、こんなにすごい人材だとは思わなかった…優勝も眼じゃないかもな!」
彼がそう言って笑って帰っていったけれど、あたしの音楽は、ジムリーダーで審査員であるアカネさんに気に入ってもらえたからまかり通ったことで。
類を見ない、所謂ダンスミュージックに賛同されるかは別問題。
コガネデパートで買ったオペラ仮面を少し外して、空を眺めた。
もう既に真っ暗で、町の明るさに星が隠れてしまっている。
「
ヒスイ、」
ふと、あたしの名を呼ぶ誰か。茶色の長い髪をゆるゆると三つ編みにして前へと垂らしてる。
眼鏡のレンズの向こうから優しそうな瞳が覗いている。
今のあたしを"ヒスイ"だと知る者はいないわけだから、自然と、身体が固くなった。
「
ふふ、私ですよ。誰だかわかりませんか?」
「え、白波?」
「
ご名答。」
ふわり、とカーディガンを肩にかけられる。そういえば衣装のまま歩いていたのだ。
思い出せば、寒さを感じた。
目の前の男性、白波があたしを見てにこりと笑った。
優しそうなお兄さん、が第一印象で。
「えっ…何時の間に、」
「
この姿ですか?実は、最初からできたんですよ。」
龍族ですから、とくすりと笑ってあたしの肩を抱く。暖かな体温がカーディガンの向こう側から伝わった。
悪戯っ子の笑みを浮かべて(それでも彼は実年齢のあたしよりも年上だ)(そして女のあたしより綺麗な顔で笑う)、そのまま歩き出した。
「
予選は如何でしたか?」
「多分、上手くいったと思う、です」
「
ふふ、それは良かったです。けれど」
無理に敬語は使わないで下さいね、とあたしの髪を撫でながら白波は薄く笑った。
大人の余裕のようなものを見せ付けられた気がして、少し、悔しい。
あ、そういえば、彼がここにいるということは。
「3人はどうしたの?」
「
彼らなら、特訓に…あ」
「…特訓?」
そんなの、あの狭いスペースでやっちゃだめでしょ、と白波を見上げれば困った顔をしている。
「
内緒だったんですけれど、」と苦笑した。
「
紅霞と翠霞はずっとそうしてきたみたいですよ。最近は、真紅の自主トレーニングに付き合っているそうですけど」
「ずっと…って、いつからの話?」
「
さぁ…でも、初めて見たときは既に2人とも、慣れた様子でしたから。もう随分前からではないでしょうか?」
草タイプの翠霞に紅霞も容赦ないですし、とあたしの背を押す。
フェンスの向こうでは小さな真紅が紅霞の繰り出す素早い攻撃を避けて、翠霞の鞭をかわしていた。
ぼろぼろの真紅が見ていられなくて、声を出そうとすればやんわりと口を塞がれた。
「
真紅の覚悟をふいにしてはいけませんよ」
「っ…でも!」
「
彼はずっと悔いているのですから、ヒワダジムでの事」
落ち着いた様子で静かに言う白波はどこか説得力があって、あたしは彼らに視線を戻した。
わかってるけど、それでも、心配なものは心配で。
フェンスをぐ、と強く掴めば、後ろから白波が腕を回してきた。
「
貴女は、貴女の為すべきことをしている。私たちは私たちの為すべき事を。
ですから、どうか応援してください。そうすれば私たちは上限を超えて強くなれる気がしますから」
「…でも、」
「
わかっています、今日は、そろそろ止めさせなければね。」
そう言って白波はどこからかズバットちゃんを取り出して(手品…!)あたしの頭に乗せてフェンスを越えて中に入ってしまった。
咄嗟に近くの木に身を隠せば、紅霞と翠霞が白波に気がついて攻撃をやめる。
何をしているのかはわからないけれど、真紅と白波、紅霞と翠霞がタッグを組んでいるところからタッグバトルをするのだとわかる。
でも、バトルじゃなかった。というか、既に虐待に近い。
白波の例の一撃(ヒワダでマグマラシくんに喰らわせた"アレ"のこと)であろうことか3人をノックダウンさせたのだ。
3人は大人しくボールにしまわれる。頭の上で静かにしていたズバットちゃんが肩に下りてきた。
『
ポケモンセンターに寄ってから部屋に戻ります、って白波さんはおっしゃってますよ』
「ここからでも聞こえるの?」
『
いえ、言伝を頼まれてて』
向こうで綺麗な唇が弧を描いた気がした。そのまま立ち去る彼を待とうとオーアサさんが用意してくれた作業室へと戻った。
「聞いてくれモナーク!ジョウト代表に決まったぞ!」
「…!よ、よかったですね、オーアサさん!これでクビがつながりましたね!」
「ありがとうっ…ありがとう!!」
がし、とあたしを抱きしめてくるオーアサさんの背中をぽんぽんと叩いた。
でも、これから全国大会の用意をしなくちゃいけない。衣装は作っているからいいとして、たとえば、演出とか…。
腕の力が強くなって、いい加減苦しくなってきたとき、彼の腕から解放された。
「いてっ」という呻き付きで。
『
いい加減ヒスイから離れなよ』
「真紅、人の脛は蹴っちゃダメ!」
『
…チッ』
舌打ちをひとつ残してソファに座った真紅に苦笑すればオーアサさんが笑った。
「相変わらず、過保護なナイトたちだな」とあたしの後ろを見ながら言う。
振り返れば紅霞と翠霞はこれでもかというくらいにオーアサさんを睨んでいて。
「もー…すみません、オーアサさん。」
「いやいや、俺もこれくらい愛されたいものだよ」
肩に乗っているピチューを指で撫でながら豪快に笑った。
愛されているとは思うけれど、ピチューが話したところを見たことがない。
もう彼と出会って4日目だというのに、だ。
ソファに座った真紅が少し背もたれから身を乗り出して、ピチューを見た。
ピチューもソファの背もたれに座る。
暫しの沈黙の後、真紅が顔を上げた。
『
アンタ、話せないんだ?』
こくり、とピチューが頷く。思わずえっ、と声を上げてしまって、ピチューを抱き上げた。
「話せないの?」
「…確かに、コイツとは生まれてから一度も話しかけられたことがねーな。てっきり、嫌われているのかと思ってたが、」
あたしの腕からするりと抜けてオーアサさんの肩に乗るピチューは黒の丸い瞳を彼に向けた。
そうだ、あの時本気で心配していたのに、ピチューは一声も上げなかったのだ。
愛していないはずがないのに。
真紅が目を閉じて続ける。
『
声が出なくても、幸せ。だってさ。オッサンに礼を言ってる』
「…そっか、良かったですね、オーアサさん。」
ちゃんと愛されてますよ、と笑えば、彼は小さなピチューを抱きしめてこくりと頷いた。
勘違いしたまま、それでも愛を注いだオーアサさんと、勘違いされたまま、オーアサさんの愛に応えようとしたピチュー。
妙な絵図に癒されながらも、ふと我に返る。
「全国大会はどんな演出が良いでしょう?」
「ん?あー…そうだなぁ、好きにしても問題ないと思うが…」
人前に出るから、そのつもりでな。と言われ、どきりとする。
昨日の予選はアカネさんを含む数人のジャッジしかいなかった。けれど、次は違う。
ジャッジは4人だけれど、地方の代表で(あのアフロさんもいるかもしれない)ジョウトやカントーだけじゃなく、別の地方からわざわざ見に来ている人もいて。
しかもテレビやラジオで生中継されるっていうのだから、緊張しないほうがおかしいわけで。
会場はGTSの前。数日前にシルバーくんと会った場所より、少し奥まったところにステージを作っている。
あそこなら人がたくさん入れるし、見通しも悪くない、と思う。
「じゃあ、何か必要なものがあったら…」
「化粧道具と広い場所がほしいです、練習に使いたくて。」
「了解、すぐに上に連絡してやるよ」
手を上げて彼が出て行くのを確認して座れば、するすると白波があたしの腿の上に乗った。
少し見上げて、それから、かかっている衣装を見る。
『
本当にアレを着るおつもりですか…?』
「う、うん…露出しすぎ、かな?」
『
私としては、あまりヒスイに肌を出してほしくはないのですが…』
控えめな主張に、確かに、出しすぎてるかなとも思わなくもない。
必要最低限の布しかつけていないんだもの。白波の主張は尤もだと思う。
「でも、曲名が"Vampire"…つまり、吸血鬼って意味だし、それらしい衣装って露出高くないと難しいでしょ?」
『
それもそうですけれど…』
『
吸血鬼を題材にしているんですか!?』
パタパタとズバットちゃんが頭に飛んできた。そういえば、彼女も吸血という意味ではヴァンパイアと同類だよね。
むしろヴァンパイアって、蝙蝠と一緒にいる図をよく見かける気がする。
ふふ、と楽しそうにズバットちゃんが笑った。
『
私もやっと何かお手伝いできるかもしれませんね!』
「そうだねー…ズバットがたくさんいたら、演出としてはすごい印象を与えられるかも…」
『
たくさん、ですか…!』
はっとして、彼女を見る。表情は(口しか)わからないけれど、どこかキラキラとしていた。
彼女が好意で手伝ってくれると言っているのに、あたしはたくさんいたら、なんてことを言ってしまったのだ。
すぐに謝罪しようとすれば、彼女は口元を緩くあげて『
待っててください!たくさん連れてきます!』と開けた窓から飛んでいってしまった。
なんというか、あたしのポケモンでもないのに彼女はすごく優しい。
悪い気がして彼女が飛んで行った窓の向こうを見つめると、紅霞が人型をとってあたしの隣に腰掛けた。
「
シケた面してんじゃねェよ。ズバットいっぱい、の後はどうするんだ?」
「え、考えてないけど…そうだな、とことん派手にやりたいよね!」
バックダンサーが2人居たらいいなぁ、と言えば、紅霞が自分の身体を見る。
「
踊ったことがないからな…」
「あ、紅霞じゃだめだよ。できればもっとマッチョな…マッチョ…」
『
ぷ、紅霞貧相だってさ…あはは!』
「
燃やすぞガキが!」
翠霞と紅霞がまたやりあい始めたのを無視して(大体度が行き過ぎれば白波が止めてくれる)(主に電磁波で)、あたしは立ち上がった。
やれるかはわからないけれど。ポケギアを取り出してアドレス帳を開く。
「もしもし、オーアサさんですか?用意してほしいものがあります!」
どうせならとことん。ショータイムだ!
2009.11.17
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