29 : 好機





コガネ百貨店が開くまでに暫くかかりそうだったため、自然公園までやってきた。
朝から公園内で白熱したバトルを繰り広げてる人もいれば、朝陽を浴びて気持ち良さそうにベンチに腰掛けてる人もいる。

ズバットちゃんが恋人と再会できたのはいいことだけれど、彼女はズバットの世界では偉い立場にいるらしい。
ジョウト地方のズバットを統括するズバット(もしかしたらゴルバットとかに進化しているかもしれないけど)を父に持っている。
彼のように人間と共に行動することはできない、とため息を吐いた。


「でも、大丈夫。ああ見えてシルバーくんは優しい、し…」


そう言った途端、先程の出来事が甦る。彼に他意がなかったことくらいはわかっているのに、なんというか…つまりあたしが、男慣れをしてないって事で。
良い意味でも悪い意味でも…それがさっきは仇になったということで。

自分のへたれさにため息が出るよ、ホントに。


彼も、大丈夫だって言ってましたから…でもできることなら彼についていきたいんです…

「そうだ、よね」


そりゃあ恋人が人間に捕まったんだもの、心配しないわけがない。
気持ちを察することができても何もあたしはできない。

…本当に、できない?


「そうだ!あたしが、ちゃんとシルバーくんがズバットくんに辛くあたってないか見張ってるよ!
 そしたら、少しは安心できないかな?」

で、でも、そんなに頻繁に彼と会えるんですか?

「うっ…それは…」


わかんないけど…今のところ順調に会えてるわけだし…今後も多分、それなりには会えるはず。
頻繁、とは、言えないけれど。


「保障はできないけれど、でも、会うような…気がする、し」

それに、私は助けていただいてばかりいますし…


しゅん、と彼女が頭を下げた。
彼女の頭を撫でようとベンチの背もたれを見れば、その後ろの茂みで、がさりと音がした。
ズバットちゃんがいち早く反応して宙に飛ぶ。


…大変!

「へ?」

ひ、人が…


それだけ言って茂みに入っていくズバットちゃんの後を追って、おおよそ整備されているとは言い難い茂みへと柵を越えて踏み込んだ。
ブーツに硬い草が当たって、なんとも言えない音を発すれば顔にまで草があたってきた。
スカートだから太ももに直接草や枝があたって赤くなる。

ふらふらとズバットちゃんが草や枝を分けて入っていく。
彼女ほど小柄な身体であれば良かったのだけど、草を両手で掻き分けて開けた土地に出れば、ひとりの男性と目が合った。

台に立っていて、目の前には、輪の作られた縄。
ま、まさか…


「自殺はだめですっ!」


がし、と彼の足に勢い良く抱きつけば、ぐらり、と彼の身体が揺れた。
そのままゆっくりと重力に従ってお互い倒れると、今まで隠れていたのか、彼の周りをピチューがくるくると回った。


「お前か、ピチュー…」


小さく、男性がそう溢すと、ピチューは寂しそうな顔をした。
話すことはせず、小さくあたしに頭を下げる。

さっきの音の犯人はこの子なんだ。

とりあえず、地面に座りなおしたあたしは鞄から水を取り出して目の前の彼に渡す。
暫く、男性はそれを見ていたけれど受け取った瞬間口に含んだ。


「…落ち着きましたか?」

「ああ、落ち着いたさ。迷っていたことに対して後悔しか浮かんでこないけれどな」


感謝はしないぞ、と少し皺が入った目元から緑の瞳が覗く。
恐らく、中年くらいだろうか。彼ぐらいの歳であれば結婚していてもおかしくない。
と指を見れば綺麗な指輪がはまっている。

視線に気がついたのか、ため息を盛大に吐き出した。


「結婚した男なら自殺願望がないと思うか?」

「そういうわけじゃ、ないですけど…少なくとも行動には理由があるはずです」


これも何かのご縁でしょう?とあたしが言えば、暫く伏せてた眼をどことも言えない空間を見つめるように上げた。
ピチューが彼の膝の上に乗ると、観念したように彼はぽつりぽつり、と話し始める。


「3日後、WICのジョウト予選が開催されるのを知ってるだろ?」


こくり、と頷けば、一口水を口に含んだ。


「その大会で優勝したヤツは確実に売れる。で、俺はレコード会社の下っ端なんだよ。
 俺はジョウト予選を勝ち抜ける人材を見つけろって上から言われてるんだ。」

「?…何故ですか?」

「うちと契約させて儲けようってことだろ」


で、その人材が見つからなければクビ。見つかれば、昇進。単純だろ?
彼が皺を深くして笑うので、さっぱり意味が分からなかった。

何故、自殺をする必要があるのだろう?


「あの、」

「俺は元々不器用で、どの会社に勤めても長くは続かなかった。こんな俺がいくら頑張ったところで嫁さんを幸せにできっこない。」


片足だけ抱えるようにして顔を伏せる。

ようやくわかった、つまり彼は、奥さんを愛しているからこそ、結婚したことを悔やんでいるのか。
不幸だらけの人生に巻き込んだと思っている。自殺を考えるほどなのだから、相当な経験をしてきたんだと思う、し…。

でもやっぱり愛しているから死ぬだなんて、安直で、その奥さんだって喜ぶはずがない。


「でもそれってやる前から諦めてるんじゃないですか?だって、その人材を見つければいいじゃないですか」

「それができたら苦労してねーんだよ。期限は、今朝8時までだしな」


つまりもう既に俺は無職ってこった。彼は軽く笑い飛ばした。
一応、頑張ったのか…言葉に詰まった。
間違ったことだという確証はあたしの中にあるにせよ、彼を説得できるほどの根拠はない。

言葉を失ったあたしに、足元にピチューが擦り寄ってきて、くしゃくしゃに丸められた紙を無言で差し出してくる。
なんでこの子は一言も話さないんだろう?とそれを受け取れば、ピチューはぺたん、と座った。


「そいつ、生まれてから一度も鳴いたことがねーんだよ」

「…話せないの?」


あたしの言葉に何も言わず、頷きもせずに黒い瞳があたしを見上げる。
渡された紙を広げれば、WICのチラシだった。

まさか。


「あたしに、もしかして、これに出ろって…」


こくり。ピチューは小さく、でも確かに頷いた。
あ、ありえない。確かに彼のことは救いたいと思うけれど、だからと言ってこれに出たからどうにかなる問題でもない、し…。

いや、待てよ。まだ間に合うかも、しれない。
実際には時間が過ぎているけれど…でも、ダメ元で、なんとかやるしかない。

彼の自殺を止めたのはあたしなのだから。


「よし、貴方の会社に連れて行ってください!あたし、WICに出ます!」

「はっ…?言ったろ、もう既に期限は」

「一緒に頭下げましょ、とりあえず!」


ぐ、と力の入ってない腕を引き摺る。ジム戦もエンジュもまずは置いておいて、とりあえず、あたしが首を突っ込んだ責任を取らなければ。
コガネシティに引き返す間、頭の上でズバットちゃんが嬉しそうに歌っていた。



半ばあたしの勢いに負けた彼の上司はひとまずクビを撤回した。
とはいっても3日後には予選が始まって、あたしは、ジョウト予選を突破して全国大会に出場しなければならなかった。
というのも彼、オーアサさんというらしいのだけれど、彼のクビの完全撤回にはあたしが予選で勝ち抜けるほどの力を持っている必要があって。

なんていうか、今更だけど、緊張してきた。(アイドルって柄ではもちろんないし…)


「は、恥はかかないようにしないと…」

「ところで、お前歌えるのか?」


ぎくり、肝心なところをつかれてきた。
確かにそれは彼にとっては死活問題で(冗談抜きで)、あたしにとってもそうだ。
恥をかくことだけは避けたい、今後の旅のために。旅先で笑われながらだなんて死んでも嫌だ。

…でも、待てよ。もしあたしが顔を隠したら?
恥をかいたところでそれが"ヒスイ"だとバレなければ問題ないのだ。
なんだ、それなら。


「オペラ仮面でもつけて歌いますか」

「は?」

「あ、いえ、こっちの話で。ところで音楽のジャンルはなんでもいいのですか?」


すっかり自分の世界にハマっていたあたしは(音楽が趣味で、とことん心酔しているのはもう既に紅霞や翠霞は知っているけれど)顔を上げてオーアサさんを見る。
彼は少しチラシと睨めっこをして、「書いてない」と一言答えた。


「必要なものがあるのですけれど、良いですか?」

「あ、あぁ、用意できる範囲ならな」

「作業用のパソコンはできればはやいうちにあったほうがいいです」


ドキドキ、というよりは、ワクワクに近かった。あたしが小さな頃から描いていた夢へとやっと一歩、足を踏み出したような。
ここには口煩い彼らの監視などどこにもない。あたしの行為を咎める人間がいない。

ああ、衣装だって自らが一から作り出せる。煌びやかなドレスではない、あたしだけのものを。


「じゃあ、会社の余ってるパソコンを持ってくるから待っててくれ」


彼が部屋から出て行った瞬間、ボールから皆を出した。
話を聞いていた彼らは特に驚くこともなかったけれど、あたしは耐えられずに紅霞に抱きつく。


「紅霞っ!」

ッ…な、なんなんだよ!

「ありがとう!紅霞がああ言ってくれたから!」


ぎゅうぎゅうと抱きしめれば背中をぽんぽん、と2回叩かれた。
彼がキキョウの町で言ってくれた一言はあたしにとって大きかった。勿論、彼はそれに気付いていないかもしれない。

あの一言を信じられるから、あたしは頑張りきれる。気がするんだ。
両立してみせる。勿論彼を救いたいと思うし、それが目的だけれど、あたしの夢だから。

ピアノの演奏を煌びやかなドレスを纏って行うわけではない。あたしが立って、あたしがリズムを支配するのだ。
こんなチャンス、もうないかもしれない。


ヒスイは音楽のことになるとすぐこうだからね

おや、可愛らしいではありませんか。ヒスイ、私にできることがあればお手伝いさせてくださいね


翠霞が苦笑して、白波があたしの膝の上で微笑んでくれる。
わかってる。旅の目的を忘れちゃいけないってこと。だけど勝手な行為を彼らは認めてくれてる。

頑張ろう。

がちゃり、と扉が開いてノートパソコンを抱えオーアサさんが「取り込み中だったか?」と苦笑気味にあたしを見た。
いまだに腕の中にいる紅霞がじろり、とオーアサさんを睨んだ。


「あ、ごめんなさい。紅霞もごめんね?」

ったく…手加減しろよ、苦しかっただろ


ぷい、とそっぽを向いた彼がテレていることくらいはそろそろ理解してきたので、くすりとあたしは笑みを溢した。
それを指摘すれば怒るから、言わないけれど。


「パソコンさえあればいいのか?」

「あ、はい。衣装についてなんですけれど…」


自分で作っても大丈夫ですか?と尋ねれば、少し、驚いたように彼は眼を丸くする。


「いや、構わないが、…できる、のか?」

「…小さい頃、クリエイターになりたかったので」


何かを作り出す人。芸術家というのはいつの時代も自分の世界をちゃんと持っていた。
誰にも流されない彼らがあたしの中での目標、だったから。
流されてきた人生の中で、どれだけの人がそれを達成できているだろう。

彼はそれ以上何も言わずに紙と筆記用具一式をテーブルに置いた。


「まぁ、衣装の原案ができたら材料は取り寄せるから。思う存分やってくれ。
 カギはかかるようになってるし、奥には仮眠室がある。何かあれば、これ」


紙を渡されて、数字の羅列を流し見する。いわずもがな、これはポケギアの番号だ。


「俺のポケギアに繋がってるから。そういえば、アンタの名前聞いてなかったな」

「今更ですね。…本名が良いですか?」


別名で、出るつもりなんですけれど。そういえば、彼は悪戯っ子のように口の端を上げた。
無精髭がそれに釣られて上がる。


「じゃあ、別名でいい。」

「そうですね…あたしは、"Monarch"と名乗ることにします」

「モナーク?」


彼が繰り返すその名がくすぐったかった。
大きく頷けば、彼は先程より生気を増した表情で部屋を出て行く。

翠霞があたしの肩を軽くつついた。


モナーク、って何?

「帝王蝶と呼ばれる渡り蝶。あたしの世界の生き物だよ」


頭を撫でる。モナークについての疑問がまだ彼の中ではあるのか、怪訝な顔をしていたけれどそのまま頭をあたしの肩に乗せた。
確実に3日は気合いを入れよう。どうせ、これが終わるまでジムは開かないのだから。

とことん付き合ってやろうじゃないの!



2009.11.16 ---
モナーク・バタフライは和名でオオカバマダラと言います。
10-11月頃に渡りをする蝶として、北アメリカでは有名だそう。
幼虫の頃から毒のある葉を食べ、体内に毒を蓄積させて餌にされることを避け、
成虫になると約3500kmの距離を移動するというパワフルな蝶のこと。
詳しくはwikipediaのオオカバマダラを参照。




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