17 : Mimic







「フーディン、サイコキネシス!」

「真紅、あくのはどう!」


大きな力がうねりとなってぶつかり、強い爆風がフィールドを駆け巡った。






「ナツメさんって、昔髪長かった気がするんですけれど、切ったんでしょうか?」


あたしがそうレッドさんに尋ねると、彼は少し悩んで「わからない」と一言だけ答えた。

確かに彼には難しい質問だったかもしれない。
あれだけ美人なナツメさんでも、彼女はポケモンではない。奇妙な力が使える……とはいえ、レッドさんの興味はポケモンだ。
それ以外はない。例外は、あたしに着いてきている……ということであるのだけれど、彼の興味はあたしの先にある何かだ。

例えば、強さとか。
例えば、"彼"の存在、とか。


レッドさんはというと、人ごみに酔って先にポケモンセンターへと戻ってしまった。
あたしも着いて行きたかったけれど、ここでしかできない仕事がある。


待ち合わせのカフェに着いて、席へと案内される。

まったく、バトルのすぐ後で仕事の話なんて……とは思うものの、久しぶりの『あっちの話』だから、わくわくしてしまったりして。
パソコンを開いてそうこうしているうちに、彼がやってきた。オーアサさんだ。


「久しぶりだな!その疲れた顔、まるで『今の今までポケモンバトルしてました』って顔だ」

「お久しぶりです、オーアサさん。その まさか ですよ」


わざとげんなりした様子を見せると彼は快活に笑った。

最初に自然公園で見かけたときとは随分と違って、順風満帆といった様子だ。
うっすらと目の下に残るクマは忙しい証拠。彼はあたし……いや、"Monarch(モナーク)"として動けない分の後始末に追われているのだろう。


「奥さんやピチューちゃんとは上手くやっていますか?」

「ああ、随分と残業が増えていてな、よく叱られてるよ。でも今の俺にしたら嬉しい変化さ。
 お前さんのほうも曲作りは順調なようだな……とはいえ、ここ最近はバラードが多いが」


彼の瞳が心配そうに細められると、あたしはついあの赤い髪を思い出してしまう。
そして鼻の奥がツンとして、それをこらえるのに必死になる。奥歯をグッと噛み締めるんだ。


「……最近は、そういう場面に恵まれているようで」

「ああ、曲作りっていうものはそういうもんだ。それじゃあセカンドアルバムの話をするか」


それから数時間、彼と会話をした。セカンドアルバムの傾向や、どんな曲を採用するか。
曲は、思いつく限りたくさん起こしていく。だけれど採用するのはほんの少しだけだ。

ファースト・コンタクトではヴァンパイアをモチーフにした淫靡なものだったけれど、バラードとなると脱ぐわけにもいかない。
アルバムを通してストーリーを作る。これがあたしのイメージだった。

ああ、とパソコンを開いていた私の手を止めるようにオーアサさんがいう。


「アルバムのほうは大方なんとかなると思うんだがな、もうひとつ……あー、厄介な仕事を押し付けられちまって」

「厄介な仕事、ですか?」


ひとつ頷いて、オーアサさんが話す。

実は……。
その内容に思わず口を開いたままにしてしまい、暫し、カフェの隅に沈黙が流れる。
正気に戻ったあたしが取った行動は、何度も何度も首を横に振ることだった。


「そ、そんなの困ります!あたし、自分の正体すら隠してるのにっ……!」

「いや、お前さんが訳アリのポケモントレーナーだってことは俺もよくわかってるよ。
 けどな、だからこそそれを隠し通すために必要だって思わないか?『見せ掛けの豪邸』が」


オーアサさんの持ってきた話の内容はこうだった。

ジョウトやカントーだけでなく、広い地域で人気の高い番組の話だ。
セレブの自宅を紹介するという番組で、審査員やジムリーダー、アイドルや四天王、チャンピオンなど、紹介する物件は多岐に及ぶという。
その候補に強く推されているのが"Monarch(モナーク)"の自宅だ、ということである。

とはいえあたしには自身の家がない。
ハナノさんの家を紹介するわけにはもちろんいかないし、そうなると"Monarch(モナーク)"という存在はますます謎めいたものになる。
そうなれば、きっと近い将来には、正体を明かさんとたくさんの人間が"Monarch(モナーク)"を付け回すだろう。

ポケモントレーナーとしてのあたしは、将来……それも遠くない未来に……潰されてしまう。

そう懸念して、オーアサさんが持ってきた話というのは『見せ掛けの豪邸』を建てるということだった。
資金面の問題は……実際のところ、それほど厳しいというわけではない。
あたしには使い切れないほどの額のお金を管理してくれているのもオーアサさんだ。その彼が提案するということは、不可能ではないということ。もちろん、建てる場所にもよるだろうけれど。

だが、彼の提案はこうだった。


「小さな離れ小島に豪邸を建てるんだ。どうだ?悪い話じゃないだろう。
 少なくともかぎ回る連中の心配もせずに済むし、お前さんのポケモンが増えたときに、図体がデカいやつに窮屈させずに済むからな」

「う……その『今まさに取り出します』って感じで鞄に手を入れているってことは、ある程度資料を持ってきてるんですよね」

「そう、今まさに取り出すところさ」


オーアサさんが持ってきた資料には、本当に豪邸がひとつ建つ程度の孤島の写真が載っていた。
どの大陸よりも遠く、船着き場などなく、付け回される心配もないような、そんな島。

あたしは少しだけ唇をぎゅっと結んだ。考えていたのは、あたしがいなくなった時のこと。
紅霞たちが安心して暮らすための、あたしにできる最大限のこと。

考えたくないことではあるのだけども、オーアサさんのいうとおりだ。彼らには帰る場所が必要で。
それがあたしではない、なんて。

そう考えてるうちに自然と言葉が口から漏れる。


「ポケモンたちが住みやすいおうちを……お願い、します。のびのびと暮らせる場所を、どうか」

「ああ、…………大丈夫か?」


差し出されたハンカチを見て、ようやく自分が泣いていたことに気が付いた。
そうだ、あたしは彼を救っても、帰りたくないんだ。

帰れない、帰りたくない、やだ、やだ……!

奥歯をぎゅっと噛み締める。
絶対アンノーンたちを説得してみせる。あたしが、あたしの帰る場所を作るために!

ハンカチで雑に目元を拭って、立ち上がった。


「もちろん、"Monarch(モナーク)"風に造ってくださいね!」






帰り道、ふとポケギアが強く震えたのを感じて立ち止まる。
鞄に手を入れてそれを取り出すと、勢いよく飛び出してきた橙華とぶつかりそうになって慌てて受け止めた。


「もう、びっくりした!急にどうしたの?」

橙華、感じる。ヒスイ、こっち


そう言うと返答も聞かずに飛び出してしまい、追いつくのもやっとという速度の橙華を慌てて追いかけていくと、目の前には大きなビルがあった。
ぞくり。冷汗が背筋を伝うのを感じた。


「と、橙華……ここは、その」

はやく、はやくヒスイ


誰かが、みんなが傷つくことへの恐怖は今まで何度もあった。だけどこれは、完全に……"私の恐怖だ"。
一歩進むたびに胸が苦しくなる。息が詰まるように、苦しくなる。


─── あとを継がれるのはお嬢様でしょう?

─── ええ、あの優秀さでしたら間違いないかと


─── 私、アナタが邪魔なのよ!跡継ぎはうちの----に決まっているのに、それなのに……!


真っ白になった視界の先で噂する人々、そして私に手をあげ、頬に強く叩きつける上品で綺麗な手。
はたかれた、そう思ったところで我に返る。

もう既に建物の中に入っていたらしい。受付の人は……夕方も過ぎているということもあって誰もいないようだった。

そうだ、ここはポケモンの世界、あたしが知る幸せな世界。大切なみんながいる世界。
あっちの"現実"なんかじゃ……ないんだ。

橙華は既にエレベーターに乗り込んでいて、本当は誰かに断りをいれたかったのだけれど、どこにも人の気配がなくて少し困ってしまった。
まあ、いいかな……橙華の行く先で出会ったら謝ればいいよね。深呼吸を一つする。


ヒスイ、下、橙華下行く

「下?どのくらいの地下だろ……うわあっ!」


橙華はエレベーターの中に入って勝手に操作をしたらしく、急にガタリと大きく揺れておおよそ普通の速度とは思えないスピードでエレベーターが降下を始める。
ひい、と声にならない声をあげて壁にしがみついて、どのくらい経っただろうか。たぶん一分もかかってないとは思うけれど、とにかくもう三十分以上ジェットコースターに乗せられていた気分になっていた。

ああ、最初からこうなるってわかってたならこんなにならないのに。
いつの間にかへたりと座り込んでしまっていた足腰に喝をいれると、壁に手をついてしっかりと立ち上がる。
先程到着の音が鳴ったためおそらく橙華の行きたかったフロアについたんだろうけど……


「電気屋さん……?」


そういえばビルの名前を見忘れちゃったな、とぼんやり思い返す。

橙華が来たかったフロアというと、妙な……たぶん電化製品の売れ残ったものの倉庫か何かだと思う。
しかし、肝心の橙華がいない。

一体どこに行って、そう口にしかけた瞬間、がこんと洗濯機が動き出した。

倉庫にある電化製品は電源なんてもちろん入ってない。
またも声にならない悲鳴をあげそうになった瞬間、そこからポンッ、と可愛らしい音を立てて橙華が出てくる。
……たぶん、あれは橙華だと思うんだけど…………。


「と、橙華、だよね?」

ヒスイ。橙華、進化した!まだまだ、進化する!


そういって電子レンジ、冷蔵庫、扇風機、芝刈り機と入っては出てを繰り返し始めた橙華に何がなんやらわけがわからない状態だったものの、あたしは大きくため息を吐き出した。

ああ、もうこれだからゴーストタイプってば!
そんなあたしの心の叫びも知らん顔で、橙華は満足するまでそれを繰り返して、それが終わるころには陽もとっぷりと暮れていたのだった。

でも、橙華が芝刈り機に化けているのはやっぱり可愛いから……うん、許す!







2019.08.06





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